ヴェーダの奪還は、命を賭けなければ成し遂げられないほどの、ギリギリの作戦だった。 刹那のGN粒子がリボンズとヴェーダの連結を薄め、 リボンズの意識がヴェーダの保持からティエリアへの殺意に全て注がれた瞬間、 ティエリアは体を捨てて意識体となり、ヴェーダの内部へと潜り込んだ。 飛び込んだ瞬間に、母の胎内に包まれているような懐かしさがティエリアを包み込む。 銃弾で傷ついた身体の痛みをまるで感じない。 データの海が奏でる心地いいリズムだけが、意識にゆっくりと浸透していく。 間違いない。 ヴェーダとのリンクに、成功したのだ。 「ああ、ヴェーダ……。ようやく取り戻した……」 涙が出るほどの懐かしさで、ティエリアは思わず瞳を閉じて安堵の溜息を吐いた。 膨大なデータの波が、アクセス制限をも飛び越えて意識下に流れ込んでくる。 ついさっきまで生身の肉体に感じていた五感の感覚と 機械的な思考との温度差が余りに顕著で、強烈な眩暈がティエリアを襲った。 かつては息をするように自然に出来ていたヴェーダとのリンクが、スムーズに行使できない。 「く……」 ヴェーダと完全に繋がる事にかすかな戸惑いと恐れが生じたその瞬間、 心が歪に乱れて、外の世界に不意に意識が飛んだ。 たった今までティエリアの意識データが入っていた肉体が、目に飛び込んでくる。 一目見ただけで死んでいると分かる、生気のまるでない青白い肌に凍り付いた表情。 意識体となったティエリアは今、命の飛び去った自分の身体と、 それに激しい暴行を加えるリボンズの姿を真上から見下ろしていた。 『あははははは!!!』 リボンズが目を血走らせながらティエリアの死体と繋がり、 壊すつもりなのかと疑う程の勢いで激しく腰を突き入れている。 血まみれのティエリアの体ががくがくと力なく何度も揺さぶられ、 その度に残血がびしゅっと飛び散った。 「……っ」 余りに凄惨な陵辱を目の当たりにして、ティエリアは堪らず目を背けた。 ヴェーダ奪還の為に自ら選んだ道なのに、 まるで現世に未練でも残しているかのように、肉体と思念がなかなか断ち切れない。  あの体は容れ物だ。容れ物に過ぎないんだ。  だから大丈夫だ、ティエリア・アーデ。  あんな光景に心を痛めている暇があったら、  一刻も早くリボンズとヴェーダのリンクを完全に断ち切り、  計画の全貌をその意識に吸い取れ…!! 自分に必死で言い聞かすが、心がざわめいてどうしても落ち着かない。 意識体になったティエリアは今、ヴェーダに確かに包み込まれている。 すぐそこにヴェーダの擁する秘密の全てが眠っているのに、どうしても意識が乱れて、 外部世界とのリンクが断ち切れないのだ。 「何を考えているんだ、ティエリア・アーデ。もう肉体に未練はないはずだろう。  ヴェーダを奪還し、刹那たちを救う。  計画をイノべイドの支配から人間達の手に取り戻す。  その為に体を放棄したんじゃなかったのか…!」 意識下で声に出して、再び自分に言い聞かす。 だが使命を強く思えば思うほど、切なさや哀惜といった悲痛な感情が込み上げてくる。 「駄目だ…!早くヴェーダと完全に……」 リボンズに陵辱され続ける、ついさっきまで確かに自分自身だった死体から必死で目を反らし、 ティエリアはヴェーダの中枢に意識を集中させようとした。 『はははは!この僕に逆らうからこんな事になるんだ!!』 それでも、外の世界からリボンズの嘲笑が網の目を抜けるように響いてくる。 『ティエリア…!どこだ、ティエリア…!?』 真なるイノベイターに覚醒した刹那の不安げな声まで聞こえてくる。 心が乱れる。集中できない。 余計な物事を全て振り払うかのようにぶんぶんと頭を激しく振った瞬間、 聞き覚えのある声がティエリアの意識に流れ込んできた。 「ティエリア…。聞こえるかい?ティエリア……」 落ち着いたその声の主の顔が、即座に脳裏に浮かぶ。 ティエリアと同じ塩基配列を持つイノベイド、リジェネ・レジェッタだ。 「ようやく見つけた。ヴェーダの奪還に成功したんだね、ティエリア…?」 その声はどこか遠くから聞こえていたが、それでいて、 リジェネは確実にティエリアの意識に直接語りかけているのだった。 ――同タイプの僕たちは、意識を繋ぐ事ができる―― リジェネの言葉が、ティエリアに鮮やかに蘇った。 思わずティエリアは意識の矛先をリジェネへと向けた。 まるで迷いの暗闇を照らす、一筋の光明にさえ感じられるのが不思議だった。 「リジェネ…!?一体どこにいる…!?」 「僕はすぐそこにいる。動けないんだ。君と同じように、リボンズに撃たれてしまってね」 リジェネが自嘲気味に応えて来た。 リジェネの言葉に何の敵意も嘘もない事は、今のティエリアには即座に分かった。 それでも、警戒を解く事はせずにティエリアはリジェネに乱暴に問い掛けた。 「一体どういうつもりだ。こんな時に意識を繋ぐなど…。ぼくに一体どうしろと…?」 リジェネは軽い溜息を吐き、今までのリジェネでは考えられないほどに率直な言葉を返してきた。 「君に力を貸したい。僕の思念を預けたい。  僕の肉体は君と同じように死んだが、頭を撃たれていないから  意識はこの身体に宿ったままだ。  頼む。ヴェーダを通じて、僕の意識を掬い上げてくれ」 リジェネの言葉に何の悪意もない事が、意識を通じてはっきりと伝わってくる。 言葉にならない切々とした感情が、ティエリアの意識を揺らした。 「ティエリア、リボンズを止めなければ……。僕たちにしか出来ない事があるんだよ」 リジェネの懇願にも似た悲壮な思いが胸に刺さる。 リボンズの狂ったような嘲笑が耳に痛い。 「………」 助けを求めていたのは、ティエリアの方だったかも知れない。 外の世界に残してきた身体に対する僅かな心の迷いと執着が、ティエリアを衝き動かした。 今までどうにも快く感じなかったリジェネの存在が、何故か温かく感じられる。 この空間に一人でいたくない。 ヴェーダに飛び込んでもなお消えない、人間的な弱い部分を認める前に、 ティエリアはリジェネへの疑念を振り払った。 「時間がない…!急げ…!」 切羽詰った状況を言い訳に、ティエリアはリジェネの意識を探り、そして掬い取った。 「久しぶりだね、ティエリア。ありがとう。助けてくれて」 リジェネの精神体がおぼろげに光り輝きながら、ティエリアの目の前にすうっと現れた。 裸身のリジェネの姿を認めて初めて、 ティエリアは精神体の自分が衣服を何も身につけていない事に気付いた。 よく考えれば、意識データである今の自分を認識するのに、 余計な装飾が必要なはずがない。 すぐにこの状態が当然だと受け止めて、ティエリアはリジェネにゆっくりと頷き返す。 もう随分長い事会っていないのに、ずっと一緒にいたかのように感じられるのは、 同じ意識体だからか、それとも対の存在だからか。 ふと見つめたリジェネの胸部には、痛々しい銃痕が付いていた。 現世で最後に生身の体で聞いた銃声と、体に受けた衝撃をにわかに思い出して、 思わずティエリアは目を反らした。 リジェネがふっと微笑んで、ティエリアへと近寄ってくる。 後ずさりする間もなく、リジェネは息のかかる距離に立った。 その目が悲しげな色合いを強く帯び、ティエリアの額から上半身へと移って行く。 「痛かっただろう、ティエリア…」 初めて聞くような悲しげな声で、リジェネはティエリアの額にそっと触れた。 「……ッ!」 肉体的な痛覚などないはずなのに、触れられた額から全身に痛みが駆け抜けていく。 その時初めて、ティエリアは自分の意識体の至るところに凶弾の跡が くっきりと刻まれている事に気付いた。 紛れもない、死の証だ。 ヴェーダの胎内に抱かれていながら、急激に恐怖心が沸き起こって来る。 「あ…、あ…」 身体が無意識に震え出す。 外の世界では自分の死体を、リボンズがまるで物のように弄びながらいたぶり続けている。 息が止るような恐怖をはっきりと認識したその瞬間、 死後に付けられた陵辱の傷跡までもが、次々とティエリアの身体に浮かび上がってきた。 リボンズが付けた乳首の切り傷が、膣の破瓜の痕跡が痛みで疼く。 心がバラバラに引き裂かれるような思いが全身を支配した。 「ぼ、ぼく…、ぼくは…死んだのか…?あれは、あの身体は容れ物に過ぎないのに…。  なんで、こんなに心が、身体が痛む…」 両手をかざして見れば、手の平には血の痕がべっとりと滲んでいる。 全身から血の気が引き、思わずへたりこみそうになる所を、リジェネが支えた。 ティエリアの傷ついた身体を癒すようにしっかりと抱き締め、 リジェネはぽんぽんと背中を叩いてやる。 「大丈夫、大丈夫だよ、ティエリア…。今は混乱しているだけだ」 「だけど、だけど……」 震え続けるティエリアの身体は、まるで死そのもののように随分冷え切っていた。 リジェネは込み上げてくる哀れみの念を感じながら、 自分の温もりの全てを与えるようにティエリアの体を優しく抱き竦めた。 「ティエリア、落ち着いて…。心が痛むのは当たり前の事なんだよ。  あの身体は、僕たちにとっては確かに容れ物という表現が相応しいのかもしれない。  それでも、あの身体はずっと君と生きてきた、紛れもない同志じゃないか。  あの目で世界を見、人々の声を聞き、戦ってきたんだろう。  それを失って平気でいられるはずがないんだよ」 自分に出来る事はそう多くはない。 最上位のアクセス権を手に入れたのは、ティエリアなのだ。 リジェネはティエリアを落ち着かせる為に、自分の得た全ての知識をその震える耳元に囁き続けた。 「僕は君に感謝しているんだよ、ティエリア。  君がいなければ、僕はおそらくリボンズの傀儡のままで終わっただろう。  君が世界を知り、人間達を知ったから僕はリボンズの傲慢さや危うさに気付く事が出来た。  いつも根底で君と意識が繋がっていたから…」 「ぼ、ぼくは…。君を…、君たちを…」 「同類だとは思えない?それでも構わないよ。  僕たちは造られた存在ではあるけれど、君が見てきたものに嘘はないはずだ。  一体何が正しいのか。  ……イノベイドのその目で人間を見てきた君の答えこそが正しい。  今の僕は心からそう思っている。  だが、ヴェーダがどういう答えを示すのかまではわからない。  リボンズを選ぶのか君を選ぶのか。  君が命を賭けてまで得たがった答えが、すぐそこにある。  僕に出来るのは君の心を癒し、その手助けをする事だけだ」 リジェネは顔をあげ、震えるティエリアの額にそっと口付けた。 「偉かったね、ティエリア…。君はよく頑張った。  僕にも他のイノベイドにも、君のようには何一つ成し遂げられなかっただろう…」 まるで母親のように微笑み、リジェネは再びティエリアの額の銃痕へと唇を優しく落とす。 リジェネの言葉が、柔らかい唇の感触が、まるでヴェーダの慈愛そのもののように思えて、 ティエリアはそっと瞳を閉じた。 穏やかな時間の中で、痛んでいた心が、傷跡がゆっくりとふさがっていく。 かつて憎んでいたはずのリジェネが、今は自分の一部であるかのように温かく感じられた。 「さあ、傷を癒して…。君にはまだやらなければいけない事がある」 額の傷を癒やしたリジェネは、優しく微笑みながら屈んで、 ティエリアの身体に付いた幾多の傷跡をも慈しみはじめた。 心臓を撃ちぬいた銃痕の傷跡に、ついばむように唇が落ちる。 唇が優しく這うごとに、傷がふさがれては美しい肌に戻る。 乳首に付けられた刃の傷跡に目を止め、リジェネは静かに目を伏せた。 「大丈夫…。君は何も汚されてなんかいない……。  陵辱を加える度に穢れていくのはリボンズの方だ……」 言い聞かすように呟いた後、リジェネは先端に舌をそっと絡ませ、 労わるように血の痕を舐め取った。 「ん…っ…」 尖りを優しく舐められて、ティエリアの身体が小刻みに震える。 唇に含んだ乳首を丹念に舌で清められると、その傷はみるみるうちに癒え、 ティエリアには甘い快感だけが残った。 かすかに紅潮したティエリアの顔を柔らかい笑顔で見上げ、 リジェネは腹部にいくつも開いた銃弾の跡を優しく撫でた。 「あ…っ、んっ……」 リジェネの優しい手付きが、肌に心地いい。 官能的な興奮が強まり、思わず微かな喘ぎが漏れた。 そよ風のような優しい愛撫で魔法のように上半身の傷が全てふさがれ、 ずたずたに傷ついたティエリアの精神もまた、一つの確かな場所に固まっていく。 「じゃあ、ここも……」 リジェネがそっとティエリアの脚を開かせた。 汚されたばかりの女性器を間近でしげしげと見られても、 不思議なほどにティエリアに羞恥心はわいては来なかった。 「ティエリア、痛かったね…。僕に任せて……」 リボンズに陵辱されるままに傷つけられた処女膜を、リジェネの舌が優しく癒していく。 「あ…っ、んっ…、リジェ…ネ…、はう…っ…」 心地いい舌のリズムに、ティエリアの息が思わず乱れた。 生きていた時のような感覚が、にわかにそこに湧き起こる。 外界でたった今リボンズに貫かれているその場所を、 暴力の激しさとは正反対の優しさに満ちた舌遣いで、リジェネが潤していった。 ぴちゃぴちゃと舌が這う度にティエリアの声は淫らな響きを帯び、 知らず知らずに体が熱くなった。 何も感じない精神体のはずなのに、意識が興奮を強めれば強めるほどに、 呼応するかのように快感が深まり続ける。 「あっ、あう…っ、あんっ…あんっ…!や…っ、やだ…っ」 初めて知るその快感は体が震えるほどの心地よさで、 堪らずティエリアはリジェネの髪を掴んだ。 『ティエリア、分かるよ…?僕と君は今本当にひとつなんだ…。  君の快感が、僕にもはっきりと伝わってくる…。  こういうのが、分かり合うっていう事なのかな』 リジェネの思念が意識に直接流れ込んできて、一層快感が強まった。 リジェネの胸部を抉る銃創が自然に癒され、その跡を消していくのが意識で感じられた。 「リジェ…ネ…っ、君の…っ、傷…っ…」 『うん…。君のおかげで僕の傷も癒されたよ…。ありがとう、ティエリア…』 リジェネの思念はどこまでも穏やかで、慈愛に満ちている。 ぼくは一人じゃない――。 安堵感と幸福感が募り、ティエリアの頬をポロポロと涙が伝い落ちた。 もはや現世への未練も、肉体を失ってヴェーダと完全に融合する事への恐怖も、 そして陵辱を受けた惨めさまでもがティエリアから消え去っていた。 リジェネの舌がティエリアの深くにまで分け入ってくる。 心の襞の隅々まで癒すような優しい舌遣いで内部を責められて、 ティエリアの喜びは最高潮に達した。 「あっ、ああああっっっ!!!」 リジェネと意識を深いところで共有して、全身が激しい快感で震えた。 絶頂の波が去った後、たおやかに流れ続ける小川のように、 ティエリアの心は驚く程に落ち着いていた。 意識体にはもはや何の傷跡も残っていない。 美しく生まれ出た誕生のその時のままに、ティエリアの裸身は光り輝いていた。 リジェネがそっと顔を上げて、満足そうに微笑みながら頷く。 「もう大丈夫だね、ティエリア。  リボンズを牽制して、君がヴェーダを完全に掌握するまで僕が君を守る。  ずっとここにいるから……」 リジェネの言葉にティエリアは深く頷いた。 もう恐怖も迷いもない。 自分の選んだ道は正しいのだと、今こそはっきりと確信出来る。 外の世界では、いまだリボンズがティエリアの死体を嬲り続けている。 狂ったように笑いながら、ヴェーダを奪われるとも知らずに。 上位種と自負しながら、その獣のような姿には王者の品格も威厳も全く感じられない。 「彼を憐れんでいるのかい?ティエリア」 リジェネの言葉に、ティエリアは悲しみの視線を返した。 「ああ。何故だろうな…」 ついさっきまで惨めで痛くて仕方なかったはずなのに、 リボンズの狂気が今は滑稽にも憐れにも思えた。 彼は革新者にはなれない。 そんな確信が胸を衝き、ティエリアはリジェネに再び向き直った。 言葉にしなくても、ティエリアの意志がリジェネに伝わる。 ティエリアが感じながらも自分では言い難い事を、リジェネが代弁してくれた。 「君は本当に人間になったんだね、ティエリア。  君こそがイノベイドを超えたイノベイドなのかもしれない。  リボンズは認めないだろうけど…」 リジェネは畏敬の念を込めた眼差しで、まぶしそうにティエリアを見た。 その瞳に強い意志が漲る。 「さあ、ティエリア。ヴェーダをその手に掴み取れ。君の大切な人たちを守る為に。  その事がきっと、人類の未来を紡ぐ道しるべになるはずだ」 リジェネの強い言葉が、ティエリアの背中を後押しする。 力強く頷き、ティエリアは意識の全てをヴェーダの中枢に集中させた。 「あ…。来…る…っ…!」 完全にヴェーダとリンクしたティエリアに、何千年もの気が遠くなるような人間の歴史と、 そこから伸びる未来へのシミュレーションが、怒涛のように押し寄せて来た。 イオリアの意志を飛び越えて、人類のあるべき姿が鮮やかに描き出される。  その第一歩が刹那なのだ。  ぼくの想いは間違ってはいなかった。 刹那を、みんなを守る為に、 ティエリアは僅かに残っていたリボンズのリンクの糸を完全に断ち切った。 意識がヴェーダに完全に融合していく。 宇宙にも地球にも張り巡らされたヴェーダのネットワークに乗って、 ティエリアの思念がこの世の全てを覆い尽くした。 自分の胎内から、誰かの声が響いてくる。 『さあ、ティエリア。トライアルシステムを起動して、仲間を守るんだ』 それはリジェネの声にもイオリアの声にも、ヴェーダの声にも思われた。 「ああ。分かっている。ぼくは仲間を護る」 その瞬間、ティエリアの思念に衝き動かされるようにセラフィムが宇宙空間に舞い上がり、 ティエリアの命そのものであるかのような美しい赤十字を浮かび上がらせた。 End