テレビというのはなかなかに愉快な代物だと、リジェネは思っていた。  24時間、チャンネル帯さえ変えれば世界の情報を排出し続ける。もちろんそれらは、 ヴェーダの情報量に及ぶはずもない。が、四角いモニタに映るものにはデータだけでは わからない重要度があった。 「どうして人間たちは彼らの会話であんなに笑うのかな。昨日の自分から進んで熱湯に 入りたがる人間の生態は、不思議でおもしろかったけど」  ソファーに寝転がりながら、リジェネはクッキーを囓った。ぱらりと粉が落ちるが気にしない。  人間の笑いを数値化して分析してみても、リジェネには理解できない。だから、ついつい 気になってみてしまう。バラエティー本来の意図とは違うとしても、リジェネは結構楽しんでいるようだった。  見ていた番組が終わったあとすぐにチャンネルを変え、別のバラエティーを探す。 残念ながら日が悪いようで、しばらく目当ての種類の放送はなかった。  テレビ放送じゃなくてもヴェーダ内に保管された巨大ライブラリーですませればいいようなものだが、 リジェネは素直に諦めてチャンネルをニュースにした。以前はちょっとしたことで争う人間たちの ニュースを見てせせら笑ったものだが、今はさほど興味はない。そういったニュース自体が少なくなったせいもある。  リジェネは、ごろんと寝返りをうった。 「ティエリアー、つまんないよ。遊ぼう」  天井に向かって話しかける。  反応は、すぐにあった。  部屋の扉が開き、顔を引きつらせたティエリアが入ってくる。ピンクのカーディガンが勢いでなびき、 怒りを強調していた。 「働け」  開口一番、ティエリアはそう言い放った。 「何すればいいのさ?」 「たくさんある。世界の経済状況の安定、過剰な武器量を保有する組織がないかどうか、軌道エレベーター 倒壊による被害地域の復興。それらを見守り、場合によっては介入しなければならない」  リジェネは、あからさまにため息をついた。 「そんなの見張って無くても勝手にヴェーダがやってくれるじゃないか。機能の何百億分の一の能力でね」  それらは、リジェネやティエリアが監視する必要なんてない程度のものだ。セットすれば永遠に動く。 「ティエリアは真面目なんだよ。ほら、僕といっしょにテレビでも見ようよ。せっかく二人きりになれたんだしさ」 「ちょおっとぉ!うちらもいるし!どうしてこの部屋、ティエリアしか入れないのよー!?」  元気いっぱい抗議してくるイノベイドを排除するため、ティエリアはドアを閉めた。仮想空間は、 それを作った者の意思を尊重する。せめて同型だからという単純な理由なら、ティエリアの気苦労も減るのだが。 「君は、ヴェーダを掌握したかったんじゃないのか?それなのに優先順位をあっさり僕に引き渡し、 自分は仮想空間で引きこもり……君はいったい何がしたかったんだ」  リジェネがリボンズに反逆したのは、彼から主導権を奪うためだ。それは同化したときに感じたから間違いない。 だから、リボンズの次に厄介なのは自分と同型である彼だとティエリアは思っていた。今度こそ自身の消滅を かけて戦うことも覚悟していたのにだ。 「だって、リボンズえらそうで鬱陶しかったんだもん。最後にぎゃふんと言わせてやれたからもういいよ」  飽きたからもういらないと玩具を放り出すように、リジェネは言った。 「子供だな……」  怒る気分を削がれ、ティエリアは苦笑した。  四年前の自分と同じなのだ。あの頃のティエリアは、ヴェーダによる計画だけがすべてで計画終了後の ことなど考えてもいなかった。もしあの時の自分のまま計画が終了していたとしても、なんの感慨も浮かぶことはなく 次の目的遂行に乗り換えていただろう。  そうなると、リジェネがあっさりリボンズのことを忘れたのは幸いだった。下手に彼と張り合って、 世界を玩具と同じように扱われてはたまらない。  ティエリアは、ふと口元を引き締めた。リジェネがソファーの上からティエリアを興味深げに見つめているのだ。 目がきらめいてすらいる。 「何だ?」 「おもしろいことなんにも言ってないのに、どうしてティエリアが笑ったのかと思って。あ、そうだね。 ティエリアもリボンズのこと鬱陶しがってたから、うれしいのか」 「ちょっと違う」 「どこが?」 「君も人間を理解すればわかる」  ティエリアがごまかせば、やはり子供のようにムキになる。 「したくなんかないよ。ほら、早く言わないとティエリアのデータをハックするからね」  一応、今のティエリアはイノベイドの中で最上位だ。簡単にはいくまいが、同型の彼ならいつかはやれるだろう。  ティエリアは、靴先を外へ向けた。放っておけば、どうせ次のバラエティが始まって夢中になる。 「僕は忙しい。じゃあ」  ドアを開け、データの海に飛び込もうとする。 「盗み見で?」  くすくす笑う声へ、ティエリアは振り向いた。眉が上がる。  リジェネが、眼鏡の向こうで目を細めて笑っていた。 「知ってるよ。彼らの結婚式、今日だ。監視カメラをハックして見守るんだよね、ティエリア・アーデ」  知られていても不思議ではない。あの戦争後の彼らの動向は、彼らが世界のどこにいてもヴェーダに入ってくる。 「カメラから入ってきたデータ情報だけで満足かい?行っちゃえばいいのに」 「何をばかな」  リジェネの言うとおりだ。本当なら、言葉で祝福を伝えたい。しかし……。 「新しい身体なら出来てるよ。ぎりぎり成長が間に合った」  リジェネの目が更に細くなる。ティエリアの驚きが楽しくて仕方ないのだ。 「僕が単にテレビだけ見て過ごしてると思ってた?」  思っていた、とは口に出さない。  もう彼らの前には姿を現さないと、ティエリアは誓っていた。自分は行方不明のままでいい。 『人間』のティエリア・アーデとして。だから、擬似ボディーも作らなかった。  しかしそんな誓いは、目の前にぶら下げられた餌の前ではなんの役にも立たない。 「ここからだと式場まで時間がかかる。早くダウンロードしてきなよ」  リジェネが視線を壁にやると、そこにドアが開かれた。比喩的なものだが、その向こうはティエリアの 新しい身体につながっているに違いない。 「リジェネ・レジェッタ……ありがとう」  ティエリアがドアの向こうへ飛び出す。まるでクリスマスのプレゼントを買いに行く子供のようだった。 「ありがとう……って言われたの初めて」  なんとなく、こそばゆい。  リジェネは、口元をゆるめた。おもしろい言葉でもなんでもないのに笑えたのが、自分でも不思議だった。  しかし、それはきっとティエリアへの悪戯の反応が楽しみだからなのだと、一瞬で考え直す。  それが、人間を理解するために重要な感情だとは気づかずに。 『リジェネ・レジェッタ!!』  声が響き渡り、リジェネはモニタを切り替えた。  現実世界の床に仁王立ちし、ティエリアがこちらを睨み付けている。 『どういうことだ、これは!?』  ティエリアの髪は、背中まであった。胸は両腕で隠すのも難しいほど。例を言えば、スメラギ・李・ノリエガと 同じくらいある。太ももは太すぎず細すぎず、男なら誰もがしがみつきたくなるジャストサイズだ。髪は切ったとしても、 巨乳はごまかしきれまい。いっそ、めでたい席なので笑いを取ろうと女装で来ましたと言った方が清々しい。 「あ、ドレスも用意してるよ。胸元強調したセクシーなやつ。ヒールは、今度は転ばない様に低め」 『どうして通常に作らなかった!?』 「ごめんごめん。うっかり大きく育ちすぎたみたい。本当は夏みかんくらいにしたかったんだけど、メロンを通り越して スイカになったね」 『人の身体を農作物で言うな!』 「僕の愛情という肥料が……」  ぶちん、と接続が遮断された。  ティエリアがどうやって仲間をごまかすか考えただけで、リジェネは笑いが止まらない。そうして、 これからのことを考えても。 「さて、僕もそろそろ行こうっと」  壁に新しく現れたドアを開け、身を乗り出す。  リジェネのデータがダウンロードされた先には、新しい身体がある。前回のものと一カ所しか変わらない身体 (ティエリアの新しい身体と結合出来るようにした)は、ティエリアがこちらを寄越せと言わないよう プロテクトもかけてある。  行き先は、ティエリアと同じところだ。 「だって、リボンズだけ僕のティエリアと踊ってさ。ずるいよね」  それさえ終われば、本当にリボンズなんて過去の人だ。  あとはティエリアが自分と素直に踊ってくれるかどうかだが、話がどう転んでもきっと楽しい。  バラエティー番組を何千本見るよりも、ティエリア・アーデを観察するほうが楽しいと、リジェネは感じていた。  そしてそれは、人間を理解する早道なのだと、リジェネ・レジェッタはまだ気づいていない。