「お疲れさま〜ん」

 ネイサンがいつもの店のいつもの座敷に着いたのは集合時間よりも半時ほど過ぎた頃だ。というのも会社で少し気になる事を調べていたからであって、何も残業をしていたわけではない。

「よぉ、お疲れさん」
「お疲れ様〜」
「お疲れ様、そしてご苦労様です」
「お疲れ様ー」
「…お疲れ様です…」
「お疲れ様です」

 各々が返事を返してくれる中、彼は早々に靴を脱いで上がり込むと、定位置になりつつあるアントニオの横へと腰を下ろした。

「一緒じゃないのか?」
「そうなのよ〜…ふられちゃってねぇ…」
「…おじさんですか?」
「えぇ、そうよ」
「え〜…タイガー…また来ないんだ…」

 しょぼん…とした顔になるホァンに影響を受けたのか…他のメンバーも少々気分が沈んでしまったようだ。

「…この前倒れたところだしね…」
「えぇ…そうなんですが…」

 何やら言葉を濁すバーナビーにネイサンは首を傾げた。何に対してもはっきりした態度を貫く彼にこんな反応は珍しい。

「なぁに?ハンサムちゃん。何か引っかかるの?」
「斎藤さんが言っていたんですが…あの日…彼のバイオグラフィは途中まで正常そのものだったそうなんです」
「正常…っつったって…」
「えぇ、倒れたのは事実です。ただ…原因が分かってないんですよ」
「…体調不良…じゃなかったんですか?」
「はい。何か…精神的ショックを受けたようだ…と…」
「あの虎徹が精神的ショックを受けるようなこと…?」

 うーん…と一同が考え込む…が…全くもって思いつかない。何せ、誰よりも図太い神経の持ち主だと思っているからだ。少々のことで参ることはないだろう。
 考えれば考えるほどに分からない…そんな中、ネイサンは一つ溜息を吐き出して話題を切り替えた。

「やめやめ。精神的なものなんていわれたらそれこそ本人にしか分からないわ。それはそうとハンサムちゃん?」
「はい?」
「『アルシュ』って知ってる?」
「…『アルシュ』…ですか?」
「あら…その反応じゃハンサムちゃん経由じゃないのね…」
「え、と…何のことでしょう?」
「老舗メーカーの名前なのよ。テディベアの。」
「テディ…あぁ…あのぬいぐるみ」
「そうそう。」
「?何の話だい?」

 なにやら二人にしか分からない話題が始まり、回りは完全な置いてけぼりになってしまった。焦れに焦れたキースが割って入ると、みんなが興味津々に視線を集めている。

「ここに来る前タイガーちゃんと会ってねぇ?
 気分転換にドライブしてるって言ってたんだけど、助手席にテディベアが居てね?
 見覚えがあるなぁ…と思って調べてたら『アルシュ』の限定モデルだったのよ」
「限定モデル…って…滅茶苦茶高いんじゃないの?」
「えぇ、発売当時でも万単位。」
「うぇえ!?」
「すっごーい!」
「ん?ちょっとまて。発売当時でもってことは…今は?」
「プレミアが付いてゼロが2つほど増えてるのよ」

 その情報に思わず絶句してしまう。そんな高価なものならガラスケースに詰めるなりして保存状態を良くしておくものだろう…と彼の無頓着ぶりにカリーナはぞっと背筋を震わせた。

「だからね?どうしてタイガーちゃんがそんな高価なもの持ってるのかしらー?って思って」
「そんな…大変なものだとは知りませんでしたよ…」
「んー…やっぱりぃ?」
「まぁ…大切にはしてるみたいでしたけどね。膝に乗せたりとかよくしてますし…一緒に寝てもいるようです。落ち着くんですかね?」
「え!?ぬいぐるみ抱いて寝てるの!あのおじさん!」
「…なんか…可愛いですね…」
「え?!」
「うむ。可愛い!そしてプリティだ!」
「ボクもそう思うよ?違和感なさそう…」

 普通は気持ち悪いと続くものではなかろうか…
あらゆる意味で大丈夫なのか…あのおじさん…とこっそり思うカリーナも頭で思い浮かべてそれほど可笑しくはないな…と頷いてしまっていた。

*****

 目の前に広がる鉄の格子…自分を囲うようにドーム型をしたそれはまるで鳥かごのようだ。
 ただただじっと一点を見つめていたが、孤独に耐え切れず膝の中に顔を埋めた。
 ごとり…と響いた重たい音に顔を上げると格子の外に白い服を纏った細い姿を見出した。月夜の闇の中に浮かびあがるその姿を凝視していると…口に酸素マスクを固定された…愛しの………

「っ…ともえ…!?」

 ざぁっと体中の血が引いていく…格子の鉄棒に激突しそうな勢いで縋り付いて声を張り上げる。すると、俯いたままの顔がゆるりと上げられた。

「っ……っ……」
「ど…どうしてこんなところにっ…」

 朦朧とした瞳がこちらを見上げる。その瞬間…マスクの中の唇が笑みを象ったように見えた。  彼女のすぐ傍に『あの男』が立っている。ちらりと見上げた表情がニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

「あぁ…そんな名前だったっけぇ…」
「お前っ…何考えてッ…」
「んー?何って…どうして?貴方が会いたいと言ったんだろう?」
「っな…!?」

 不思議そうに首を傾げられる…まるで自分が「今すぐ会いたいから連れて来て」とでも頼んだかのような口ぶりだ。

「… …… …」
「どうしたのー?何か話したいのー?だったらこのマスク、邪魔だよねー?」
「や、やめろ!!!」
「あれぇ?取っちゃダメなの?」
「当たり前だろ!!」
「あ〜そっかぁ…コレ取っちゃうと酸素取り込めないんだったねぇ〜」

 あろう事か酸素ボンベごと運んできたらしく…荒々しい呼吸を繰り返す口元からマスクをはがそうと手を伸ばした。確かに何かを話すには邪魔になる…けれど、ソレを取ってしまえば…彼の言うとおり酸素を取り込むことが出来ずに呼吸困難に陥ってしまう。焦って叫べば至極楽しそうにケラケラと笑い始めた。降り積もる怒り…けれどそんなことよりも早く彼女を清潔に保たれた場所に運んでやりたい。免疫の落ちたその体に…真夜中のこんな朽ちた場所は毒でしかない。

「っ…そんなことより早く病院へっ…」
「戻してあげた方がいい?」
「いいに決まってるだろうがっ!」
「んー。分かったぁ…」
「……ほ……」

 必死に言い募れば、明らかにつまらない、という顔をしながらも頷いてくれた。思わず安堵の息が漏れてしまう。

 …けれど…やはりすんなりとは聞き入れてはくれないようだ…

「でもぉ…貴方は僕に何してくれる?」
「…え?」
「貴方が会いたいって言うから連れてきたんだよ?わざわざ。」
「っ!」
「人目につかないように気を配って…邪魔な奴らが動かないようにって色々準備するの大変だったんだぁ…
こんなに頑張ったんだからさぁ…ご褒美がほしいなぁ?」

 恩着せがましい言葉…決してこんな事は望んでいなかったのに…自分が願ったから無茶をしてきた…とでも言うのか。そうして…危険を犯した事への報酬が欲しいと…
 眩暈が起こりそうだ…あまりの怒りと…憎しみと…悲しみで…

「…何が…欲しいんだ?」
「そうだなぁ…祝福の口付け…とか?」
「!」

 赤い瞳が細められる…目の前が赤く染まる…その中に浮かぶ『白』が酷く鮮明で…汗の滲む頬が血の気を失い今にも…今にも…
 格子の鉄棒を掴む手がカタカタと震える。

「ねぇ?してくれないの?」
「…   …」
「っ…!」

 なかなか紡がれない言葉に焦れたのだろう…男の瞳が笑みを象らなくなってしまった。どこか苛立ちを含んだ声音…何か答えなくては…と焦る視界の中で…マスクの中の唇が言葉を紡いだようだった。声にはならない言葉は…何を伝えようとしたのか…分かってしまう。
 一つ深呼吸をする…瞳を閉じて緩やかに開いた先に…男の顔を映しこんだ。

「…そこじゃ…届かない…」
「…えへへ…」

 囁いた言葉に男の顔が満面の笑みへと変わっていく。けれど視界にはその顔よりもボンベに凭れ掛かり浅い呼吸を繰り返す姿ばかりが目につく。淡く浮かべられる微笑み…自分に向けられた言葉…その2つを大事に胸の奥へと仕舞い込んで目の前に来た男を見上げた。
 頭をぎりぎり通すことの出来る格子の間から這い込む顔…震える手を持ち上げて痩せこけた頬に滑らせる。思ったよりも冷たい皮膚はまるで鉄のようだ…

「……っ…」

 ぎりっと奥歯を噛み締めて顔を近づける。息を飲み下して僅かに残っていた距離を消してしまった。

「…〜ッ…」

 冷たい…硬い…同じ人間でも…こうも違ってくるのか…
まるで己の体から熱が吸い取られて芯から冷えていく気分だった。
 ただただ重ねるだけの接触。触れた部分が僅かに温もりを持ったように思う…きっと自分の体温が移ったのだろう。もう充分だろう…と引こうとした瞬間、首の後ろを持ち上げられた。

「ッ!?」

 掴み上げられる首に自然と開く唇…出来てしまった隙間から…ぬるり…と入り込んでくる舌に目を見開く。間近に見える赤…押し込まれる異物…吐き出したくても抑え付けられる腕の力に抗えなかった。

「…ッ…ッ…」

 暗くなる視界…自由にならない口…取り込めない酸素…代わりに体内に流し込まれるのは…
氷か…毒か…絶望か…
ゆるりと閉じた瞳…目尻から水が伝い落ちた…



「ッ!!!」

 ガタンっ…と派手な音に瞳を開くと見慣れた天井に自分の腕と足が不恰好な形で映り込んでいる。何度か目を瞬いていると視界の中に呆れた表情をしたカリーナが入ってきた。

「何してるのよ?」
「…はぇ?」
「あ〜ぁ…ベンチごとひっくり返っちまって…」

 上手く回らない思考をどうにか回していると今度はアントニオが入ってきた。そこでようやく足と腕が横に転がるベンチに引っかかっていることに気付く。感覚のなかった四肢に神経が戻ってきた。ゆっくりと持ち上げてベンチから手足を下ろすとアントニオが元に戻してくれる。それをぼんやり見て…どうやら自分は床の上に転がっているのだと気付いた。

「…起き上がれますか?」
「ん?…おぉ、さんきゅ。」

 目の前に差し出されたイワンの手を素直に握り返す。引かれるがままに立ち上がると真正面にあるイワンの顔が驚いた表情をした。その変化に首を傾げるとすぐ近くにいるキースが覗き込むように近づいてくる。

「ワイルド君?」
「うん?」
「どこか打ったのかい?そして痛むのかい?」
「へ?」
「涙…出てるわよ?」
「え…ぅわぁ!?」

 ネイサンの指が頬を撫でると濡れた感触が広がっていく。それとともに離れていく指先に雫が乗っていた。ふと俯いてみるとぱたぱたっと床が濡れた。気遣わしげなホァンの手が腕を優しく撫でてくる。

「泣かないで…タイガー…」
「ほら。拭いてください」
「ん…悪い…」

 差し出されたタオルにぼふっと顔を埋める。そんなつもりはサラサラなかったのだが…人前でぼろぼろと涙を流すなんて恥ずかしいったらない。それでも一向に止まりそうにない涙を何とかタオルで押し留めた。

「落ち着いたか?」
「あー…なんか…混乱してた感じ…自分でもビックリ…」
「…まぁ…何事もないならそれでいいけど…」
「ん…騒がせて悪かったな…」

 タオルをどけた顔がへらり、と笑うのに頬を伝う涙は相変わらず流れ続けている。ある程度流しきらなければ止まらないのだろう…という見解の中…バーナビーはじっと考え込んでいた。

「<…どうしたんだろうね?>」

 脳裏に浮かんだのはメカニックの斎藤の言葉。

「何か引っかかるところがありましたか?」

 ヒーロースーツのメンテナンスと共にメディカルチェックもしていたのだが…早々に終わったバーナビーがタイガーの計測結果と睨めっこをしている斎藤の元へ行った時だ。
 先ほどバーチャルバトルを済ませたタイガーは今、控え室で着替えているので二人のほかには誰も居ない。

「<いや…体は健康そのものなんだけどね?
 …なんていうのかな…
 寝不足気味のような感じ…かな>」
「寝不足?あんなに寝ているのに?」
「<うん…夜、眠れないから日中眠っているのかも…>」
「…なるほど…」

 意外な言葉にジムのベンチでよく居眠りをしている姿が思い出された。けれど、彼の言う通り…最近やけに寝ている事が多いように思う。

「<それが原因って決め付けるのはどうかと思うけど…集中が切れやすいね>」
「戦っている最中に…ですか?」
「<うん。いつもならもっと俊敏に動いていたと思うし…少し反射も落ちている>」
「…深刻ですね…」
「<まだ、目くじらを立てるほどでもない…このまま何事もなく治ってくれればいいけどね…>」

 杞憂に終わればそれでいい…そう思っていたのはつい先日の事だ。

「もう大丈夫だからさ…戻ってくれていいぜ」
「…そぉお?」
「辛いようなら…すぐに帰ってもいいと思いますよ」
「ん、ありがとな」

 ニコニコと微笑む横顔…少し顔色が優れないように見える…
果して…杞憂で終わってくれるだろうか…
 一抹の不安を抱えたままバーナビーはランニングマシンへと戻っていった。


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. . . to be continue . . .

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