部屋に入ってさらにもう一つ扉を開く。メイクルームだろう、壁に鏡が貼り付けられ、机と椅子まで設置されていた。部屋の中央にも机と椅子が置かれ、先客が座っている。
「…あ…」
「おっまたせ〜」
「よぉ。久しぶり。お前も来てたんだ」
初対面かと思えば、よく見知った人物だ。
舞妓の刺繍が施されたスカジャンにだぼっとしたワークパンツ。淡い金髪に紫色の瞳の持ち主はイワンだ。ネイサンとともに虎徹が入っていくと慌てて立ち上がり、目を真ん丸くして立ち尽くしている。
「うん?折紙??」
「た…タイガーさん…ですよね?」
「おう!もう顔忘れちまったか?」
「いえっそんなことないですっ…けど……」
「けど??」
「こぉんな美人になってるなんて思わないわよねぇ?」
「うん?」
なぜか顔を真っ赤に俯いていくイワンに首を傾げていると、ネイサンの手が両肩に乗せられる。くるりと回転させられて鏡を見て…びしっ…と石になった。
「ッだぁ!忘れてたッ!!!」
「喋ると台無しだけどねぇ」
「でも…すごく綺麗です」
ネイサンがあまりに普通に何も突っ込むことなく話してきていたので、虎徹は自分が女装させられていたことをすっかり忘れてしまっていたのだ。自己嫌悪に陥り鏡の前でがっくりと項垂れる『徹子』に、惚れ惚れとしたため息交じりに呟くイワン。中身はどうであれ『大和撫子』だろうか、と無理矢理納得しておくことにしてネイサンはちょいと肩を竦める。
「さ、時間が迫ってるんだから着替えてちょうだい!」
部屋の隅に置いてあった二つの紙袋を二人に差し出してネイサンはきびきびと指示し始めた。恐る恐る受け取った紙袋は思ったよりも軽い。着替え、ということは服なのだろう、と予想はついた。
「着替えの終わった方からメイクに入るからね」
「え?メイクもあんのかよ」
「あったりまえでしょう?舞台は舞台よ。見栄え良くしなくっちゃね?」
「へいへぇい…」
鏡の前にメイク道具を並べ始めたネイサンの背中を見つつ、渋々頷いてヘアピースを外し始めた虎徹はふと視線に気づいた。視線をあげてみるとイワンがこちらを凝視している。
「ん?なんだ?折紙」
「あ、い、いいえ!着替えます!」
「?おう」
何か言いたげに見えて問い掛けてみたがぶんぶんと首が振られ、こちらに背を向けて服を脱ぎ始めてしまった。こうなると新たに声をかけるのもどうかと思うので流しておく事にする。ネイサンもイワンも己の作業に入っていったのを見て虎徹も机にヘアピースを投げ出すと、袋の中を覗いた。
「………クイーン?」
「うん?なぁに?」
「いや、これ、中身間違えてないか?」
しばしの沈黙を持って紙袋から顔を上げた虎徹は青ざめている。けれど、ネイサンの方はさも問題なさげに首を傾げて見せた。
「あら、間違えてないわよ?折紙ちゃんのはこっちですもの」
そういって横に置いてあった箱を引き寄せると中身を取り出して虎徹に見えるようにする。
「ッ!それって…」
「クイーンさん、お待たせしました」
見せられたものに絶句をしていると、早々に着替えを済ませたイワンがネイサンの横へと移動してくる。
「ッ!!!」
「あ、やっぱり聞いていらっしゃらなかったんですね…」
「だって詳しく説明してる暇はなかったしぃ…断られるわけにもいかなかったのよね」
「でも…最初からアレはハードルが高くないですか?」
「だぁいじょうぶよぉ。『徹子』ちゃんはとっても優しいから…
『そんな事だったら手伝いに行く』って言ってくれたもの。ねぇ?」
「そ…そう…言ったけ…ど…」
「しかも『男に二言はない』まで言ってくれて…」
「あ、そうだったんですか」
「〜〜〜ッ!」
ネイサンにしっかり言質を取られた上、感心したようなイワンの態度。『前言撤回』を言い出すタイミングが潰された。酸欠の金魚のように何も言葉を発する事なくぱくぱくと口を動かしていると、満面の笑みを浮かべたイワンがこちらを振り返る。
「頑張りましょうね、タイガーさん!」
「あ…う…ん…」
きらきらと眩い瞳でガッツポーズ付きに言われては……虎徹は頷くしか出来なかった。
掲示板:おまいら冬の祭典を実況しやがれ>>
−赤女王が女連れで会場に帰還
−マジでかwww
−百合臭?
−赤女王は男の娘だろwww
−や、あれは漢そのものだwww
−あんな女いたらテラ怖ス
−それは言うなし
−連れの女kwsk
−黒髪清楚系のOL風
−テラ長身
−スポーツ選手かもね
−バレーとか?
−赤女王と並んで普通に見えた
−でけえな、おいwww
−赤女王は漢の尻好きと聞いていたが
−両刀じゃね
−リアル両刀とかマジネ申
−赤女王だから許されると思われ
−その女王が手を付けるってんなら何かしらあるか
−顔は?顔見てないのか?>黒髪清楚
−キリッと美人
−出来る女タイプ?
−でも表情豊か
−実はおっちょこちょい系?
−え?それ萌ス
・
・
・
「…嘘…」
「?何か?」
大手サークルの並ぶ一角である女性が携帯片手に愕然としている。そんな様子に首を傾げたのは金髪碧眼のピンクハウスを来た女性だ。
「あ、すいません、マダム。まだ開場したところなのに…」
「いいえ、構いませんよ?何か気になったことでも?」
大手の中でも根強い人気をもつのは『マダムラビ』の兎虎サークル。タイガー引退後の妄想話が今回の新刊だが、この執筆者にしては珍しく甘い展開だった。今までのハードなえろ描写とは正反対な話の展開にファンは度肝を抜いたことだろう。けれど、『マダムの新天地』としてかなり受け入れられている。何せ、甘い展開とはいえ……ハネムーンに無人島を選んで白昼堂々の青姦が繰り広げられているのだ。今までの地下室展開とは違う広い空間で乱れに乱れるタイガーは非常に美味しいらしい。しかもバーナビーと同じく素顔が晒されたおかげで元々豊かだった表情が更に豊かになり印象的な琥珀の瞳が魅惑的に歪む様は身悶える代物だそうだ。
しかも続きものになっており、次の祭典での新刊予告として、結婚指輪ならぬ、結婚首輪を掛けられたタイガーを四六時中啼かせる展開がダイジェスト式に奥付けへ載せられている。
そんな新刊を目当てに列が伸びる中、売り子の一人が携帯で何やら見たらしく、驚愕の表情を浮かべている。明らかに様子のおかしい売り子に『マダムラビ』、ことバーナビーは優しく問いかけた。
「掲示板で『クイーン』の事が載ってたので…」
「クイーン?」
「あ、知りませんか?ヒーローレイヤーの救世主って言われてるサークルの方なんですけど…」
そう言って取り出したのは今日のパンフレット。ページを捲り今日のプチイベントの広告ページを見せてくれた。
「この協賛で載っている方の事なんですけど…」
「…有名なのですね…私、コスの方には疎くって…(本物の虎徹さんに勝る者なんていませんからね)」
「あ、そうだったんですね…」
「どんな方ですか?」
特にこれといった興味はないのだが、会話を成り立たせる為に聞くだけ聞いてみることにする。
「コスプレの道具を製作されてるサークルさんなのですが…エキゾチックな雰囲気の男の娘なんですよ」
「…男の娘…ですか…」
「大人の方ですけどね?正真正銘の『そっち系』な方なんですけど…その方が女性を連れていたって書いてあって…」
「なるほど…確かに気になりますね(僕だってもし虎徹さんが夏の時みたいに女を連れてるとか言われたら気になるし)」
「そうなんですよ…てっきりイケメン狩してると思ったのに…」
「…見に行ってみますか?」
「え!いいんですか?」
「まだ先行入場者だけだからピークまで時間はありますし。会場もすぐそこでしょう?」
「じゃ、じゃあ少し覗いてきます!すぐ戻りますから!」
言い切るなり慌ただしく歩き去る彼女の後ろ姿に手を振りつつふと『マダム』は脳裏を過る人物に想いを馳せる。
「(虎徹さん…今頃どうしてるだろう…)」
ワイルドタイガーの引退と同時にバーナビーもヒーローを引退した。その時に告げた通り、各地に足を運び両親の残したものを探したり、それ以外では自室にこもって執筆に励んだりとして過ごしていた。その為、虎徹とは連絡を取る事なく時間だけが過ぎている状態だ。
自分からメールを打つなりしてみてもいいのだろうけれど、どうもたった一歩が踏み出せずに現状を維持している。
…ふぅ…と小さくため息を吐き出して新刊に添付する特別ペーパーを折る作業へと取り掛かっていった。
バーナビーが物憂げなため息を溢している頃、彼の人はコスプレゾーンのフロアに設けられた舞台の袖に立っていた。
「…ないわぁ…」
まさか一日の内に全く同じ言葉を短時間の間に吐き出す事になるとは微塵も思っていなかっただろう。
反論も逃げ道も綺麗に塞いでくれた『クイーンレッド』の手によって虎徹は先ほどまで以上にげんなりしている。というのも、履きなれない『ピンヒール』に在り得ないほどの露出度を誇る『衣装』を着せられているからだ。
「いやぁん、思った以上の美脚に出来栄え!上出来以外の何でもないわよ!『徹子』ちゃん!」
「ホントに!すごいです!『徹子』殿!」
「…はは…そらどうも…」
ハート乱舞でこの上なく上機嫌なクイーンレッドの横で瞳をキラキラ輝かせるイワンがガッツポーズで褒めてくれるが……虎徹としては一向に嬉しくない。
……というのも……
「あん!ダメよぉ?『徹子』ちゃん。そんなシケタ面してちゃ。今貴方は万人を魅了する氷の女王『ブルーローズ』なんだからね?」
「無茶にも程があるぜ、クイーンさんよ……」
そう……今虎徹は以前捕まえたストーカーのように、男でありながら『ブルーローズ』の格好をしているのだ。しっかりカツラまで用意され、メイクも彼女のようなブルーを使って施されている。御丁寧にパンツには前張りが付けられており、なだらかな曲線を描いていた。
良心的だ、と思う点といえば……肌色のタイツが用意されていたことくらいではないだろうか??
「良く似合ってますよ、徹子殿」
「お前もなー。」
興奮しきった様子のイワンに虎徹は更に苦笑を広げていく。
そのイワンはというと、オレンジが基調の『ドラゴンキッド』の衣装に身を包んでいた。こちらもはやりカツラが用意されているのだが、メイクは眉の色くらいで済んでいた。
「はい、これ武器ねぇ〜」
「はい!」
「…よくこんなに揃ってんな…」
二人の纏う衣装にしても今手渡された二丁拳銃と棍にしても……細部に渡り正確に細工されており、異常な軽さを省けば本物と指して変わりはないように思う。感心も露わに受け取っていると、クイーンが小さく笑いを零した。
「あら。あったりまえじゃない。私が作ってるんだもの」
「……はぁ!?」
「アクセサリー作りは副業みたいなものよ。本業はこっち。コスプレ支援サークルなの」
初めて聞かされた事実に虎徹は開いた口が塞がらなくなった。まさか身近な人間が夏のイベントが感心を通り越え、感動すらしていたコスプレに関わっているような人物だとは思いもしなかった。
「それにしても…衣装が入って良かったわぁ」
「そうですね…僕は以前から決まってましたけど…『徹子』殿は今日決まったのでしょう?」
「そうなのよぉ…先に頼んでた子に試着してもらったらウェストが入らなくてねぇ…」
「ウェスト?ちょっと余裕があるど?」
「え?ホントですか!?」
ネイサンの話に虎徹がウェストの辺りを摘んでみると確かに皺がより、ぴたりとは張り付いてはいない。その事実にネイサンが深いため息を吐き出す。
「私のサイズを元に作ったんだけどねぇ…よっぽど細いのね、この腰。」
「ほぎゃあ!!」
むんずっと遠慮なく捕まれた虎徹の悲鳴がフロアに響く。そんな光景をイワンは邪魔する事なくほのぼのと見つめていた。いや……ほのぼのというよりは羨ましそうに眺めている。
「しっかり筋肉付いてるくせに…憎いったらないわ」
「そのセクハラ癖どうにかしろよ!」
「いいじゃない、同じ男なんだから」
「程度ってもんがあるだろ!」
「あ、あの…」
「なぁに?」
「へ?」
しれっと涼しげなネイサンと顔を真っ赤にしながら文句炸裂の虎徹と静観し続けるイワンの間にスタッフが入ってきた。非常に言いにくそうな表情に三者三様首を傾げる。
「もう少し声のボリュームを…」
「あら、ごめんなさい」
意味ありげに目配せをするスタッフにつられてフロアの中を見てみると、皆が皆手を止めてこちらを見ていた。集中する視線に虎徹は楚々っとイワンの影へ隠れも出来ないながらも隠れて見せ、ネイサンはというと失敗した、といわんばかりに口元を手で覆い隠す。イワンはというと全く関係ないのにぺこぺこと会釈を繰り返していた。
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