日も暮れて辺りが闇に包まれる頃…いつものアイマスクにロングジャケットのスーツを身に纏い、重たい気持ちでいっぱいの虎徹はホテルの正面玄関で立ち尽くしていた。
このまま中に入らず帰る事は出来ないだろうか…
と、今日何度目かの深いため息を吐き出して、階段をのそのそと上がり始める。歩く度にヒップが引きつるが、ロングジャケットで見える事はない。一応それなりに上等なものではあるので、破れませんように…と小さく祈りながら玄関ホールへと足を踏み入れた。
「…やっぱり。」
「んあ?」
俯き加減に歩いていた視界に紫色のエナメルで出来た華奢なヒールが入ってくる。何度か瞬いて視線を上げると、アップヘアにパールやラインストーンの飾りを付けたアニエスの顔があった。紫地にラメの入ったドレスはシンプルなデザインでありながらパーティーに相応しい華やかな衣装に仕立てられている。
「…よぉ。」
「よぉ、じゃないわよ。こっちいらっしゃい。」
ひょい、と手を上げて挨拶すれば、眉間に刻まれた皺が一層深くなってしまった。せっかく綺麗なメイクを施しているのに台無しだなぁ…と思いつつ、その原因が自分であることに苦笑を浮かべながら引かれるままにロビーの端へと連れて行かれる。
「何…その格好…」
「ん?スーツだけど…」
「スーツにしても…もっと華やかなものを選んできなさいよ」
「いやいや。おじさんにはこのくらいでちょうどいいんで。」
びしり…と指で突かれたのは今着ている3つボタンのフロックコート。チョコレートブラウンの布でエバーグリーンのアスコットタイをアクセントに合せている。残念ながら虎徹のクローゼットにはこのスーツの他はブラックのスーツしかない。
今日の朝にも上司と相棒から…会社の看板的存在であるヒーローなのだからそれなりに華やかで目を惹くものを選べと言われていたので黒を避けたのだが…
それでもアニエスには気に食わないようだ。
「それ以前に…スーツで参加する時点ですでにアウトだわ」
「へ?なんで??」
「タイガー?今の貴女は女のヒーローなんだから…女として出席しないといけないのよ?」
「それは…分かるけど…スーツしか持ってねぇし」
「そう言うと思って用意してきたわ」
盛大な…ため息とは違う…どちらかと言えば興奮したような吐息に首を傾げると、ちらりと視線を送る先を覗いてみた。すると、ロビーから逸れる廊下の曲がり角に…大きなスーツケースを5個ほど積み上げた台車に手を掛けるケインとその台車の隅に腰掛けるメアリーの姿がある。
2人ともそれなりにめかし込んでいるから、参加するんだろう事は分かるが…問題はそのスーツケースの山。
「……え〜と…」
「ロイズ氏からの依頼です。私が相応しくないと思う格好をタイガーがしていた場合、納得のいく服装に着替えさせろ。と。」
「……つま…り…」
「そこにフィッティングルームを用意してもらったから。入りなさい。」
「………上司命令?」
「疑うなら書類を見せてあげるわよ?」
「や…結構デス。」
続々とパーティーへの出席者が集まる中、一際目を惹くスポーツカーでホテルの玄関に横付けしたのはファイヤーエンブレムだ。メディア王の生誕パーティーに相応しいスーツ姿で車から降りた彼は…何故か両手にスーツケースを下げている。素早く荷物に気付いたポーターが伺うも、「すぐに使う事になるから。」と言って断っていた。
不思議そうな視線を向けながらドアを開く彼らの前を通り過ぎて、ファイヤーエンブレムはロビーをじっくりと見回す。
すると…お目当てのメンバーがロビーの端で言い争っていた。
「無・理!!」
「無理じゃないわよ!ヒーローなんだから根性でなんとかなさい!」
「根性で片付けられる問題じゃねぇだろ!」
「ほら!タイガー!Go!」
「Go!とか言っても無理だっつの!!」
予想を裏切らない行動を取っていたメンバーに笑いが漏れる。人目を引かないように小声での言い争いではあるが、壁に齧りつく姿とその前で仁王立ちになる姿は声のボリュームに関係なく注目を浴びていた。
「なぁにやってるの?」
「あら。」
「ファイヤーエンブレムぅ!!」
優雅な足取りで近づくと、半泣きの表情だったタイガーの貌がぱぁっと明るくなる。ついでに逃げ場所を得たとばかりに走ってくるのだが…その姿に首を傾げてしまった。
「あらぁ…タイガーちゃんてばめかし込んじゃって…随分気合入れてきたのね?」
「俺はスーツで来たの!こんなひらひらぴらぴらした格好なんてしてなかったの!」
「でしょうね。」
涙を滲ませる瞳は…メイクを施されている為か、睫毛がいつもよりも色濃く、ドレスのグリーンに合わせたアイシャドウがアイマスクの隙間から見え隠れしている。ぷっくりと艶やかな唇もルージュが引かれ、グロスも使ったのかぷるりと弾けそうだ。
更にタイガーの上体のラインを惜しげもなく見せるドレスは…一言で言えば『可愛い系』。コサージュの付いたピンヒールは華奢なデザインで…ホルターネックタイプの胸元は大胆に晒されているのだが、腰から下がひらひらふわふわと広がるシフォンを重ねたスカートになっている。腰の後ろにも大きなリボンが結ばれてアクセントになるピンクのコサージュが付けられていた。
オールバックに固められた髪にはラメのジェルを使用されたのだろう、きらきらと色とりどりに光を反射させている。黒髪の隙間からちらちらと見える耳にもラインストーンと小さな花を模したシルバーが飾り付けられ、首を覆うほどもない襟足は晒された背中を隠す事はなく…うっすらと浮き上がる古傷を見せつけている。
キメ細かそうな柔肌に刻まれた傷跡は思わず触りたくなるのだが…残念ながら両手が塞がっている今は無理だった。
「丁度良かったわ、ファイヤーエンブレム。この尻尾巻いた虎を会場に連行してくれない?」
「ん〜…悪いけどお断りね」
「やった!」
「なんですって!?」
盛大なため息と共に告げられるアニエスの申請にファイヤーエンブレムは肩を竦めてすっぱりと断った。てっきり承ってくれると思っていたアニエスは焦ってしまう。そんな彼女とは対照的にタイガーは至極嬉しそうだ。
「この格好じゃ連れて行けないわ」
「じゃ…じゃあ…」
「スーツ!」
「なわけなぁいのよ?」
「………へ…?」
それでなくとも窮屈極まりない場所へ更に窮屈な格好で放り込まれずに済む!…と思っていたタイガーだが、にっこりと口元を歪めるファイヤーエンブレムにぞくっとした寒気を感じ取った。
「このドレス…靴…アクセサリー…メイク…どれ一つとってもタイガーちゃんにはアンバランス…で・も。この子をここに引き止めておいた事は賞賛してあげる」
「え?…えぇ??」
「こんな事になると思って…持って来たのよね…道具一式。」
「ッ!!!」
「!じゃあ !」
「もちろんよ。会場の男どもの度肝を抜いてあげるわ」
きらりと光る目元に縋りついていた手がゆるゆると離れていく。
…今すぐここから離れなくては…とタイガーが一歩遠のこうと思った瞬間、スーツケースを持ち上げたままの腕が腰に回される。
「さぁ…タイガーちゃん…奥へ行きましょうねぇ?」
「イにゃあああッ!!!」
逆光の中に照らし出されたファイヤーエンブレムのマスクは一種のホラー映画のようだった。
渋いワインレッドのフロックコートに、淡いピンクのバラを胸ポケットに差し込み、黒のシャツと生成りのネクタイを合わせたバーナビーはガラスに反射する自分の格好を確認して首元を直すと再び歩き出した。
会場の入口で中の様子を伺う…何人か目立つ格好をしているのはヒーローの面々だ。
マスクの飾りで更に身長が抜きんでているスカイハイは多くの女性に囲まれて接待中だ。
さり気なくフルーツタワーの影に見切れている袴姿の折り紙サイクロン…日の丸の扇子を仰いでどこかのスポンサーと会話をしているらしい。
豪華な料理を前に持ち前の大食いで元気よく食事をしているドラゴンキッド…いつものようにチャイナドレスではあるが、生誕パーティーという点でドレスを選んだのだろう、橙の地に金糸による牡丹の刺繍が華やかだ。髪も単に纏め上げるだけではなく、金の透かし細工による簪を挿している。
更にきょろり、と目を動かしてみるも…メンバーが3人ほど見当たらない。
しかも一番見つけられないとマズイ人物の姿がない事に一抹の不安が過った。
会場に足を踏み入れると、一瞬にして女性の熱い視線が突き刺さる。はっきり言えば、サバンナのハイエナのように感じるその視線達に…帰りたい…とは一切表には出さず笑みを浮かべたまま歩き進んでいった。その進む先には巨体を黒のスーツで窮屈そうに包んだロックバイソンがいる。
「こんばんは。」
「よぉ。」
ロックバイソンの牛を模したメットを見上げながら、アンバランスだなぁ…と思いつつ、目的の人物を尋ねてみる。
「…おばさ…いや、先輩、知りませんか?」
「うん?いや?俺はお前と一緒に来るんだと思ってたんだが…」
「そうですか…」
「まぁ、いくらなんでも遅刻はしないだろ。」
「…そうですかね…」
「信用ねぇな…」
「えぇ、まぁ…就業時間に遅刻する事が多い人ですから…ねぇ?」
「ははっ…フォローは出来ないな…」
肩を竦めるバーナビーにバイソンは笑って返した。すると硬質なヒールの音が近づいてくる。
「よ、今来たのか?」
「えぇ、直前まで打合せが入ってたの」
振り返ってみれば、周囲を圧倒するようなオーラを持つ氷の女王…ブルーローズがいる。
氷のようなクリスタルで出来たブレスレットとチョーカー…イヤリング…さらに衣装に至っても、まるで表面を氷が張っているのかと思うような光沢を持ったシフォンと、スパンコールとスワロフスキーのバラ刺繍があしらわれた水色のサテンドレスだ。
頭にはいつものパーツは付けておらず、彼女の名と同じ、ブルーローズが飾り付けられている。
ただ、スリットがかなり際どい位置まで入っている事と、胸元が大胆に開いている辺りを見ると…本人的にはかなり不服なデザインだろう…表情がかなり嫌そうになっている。
「おばさんは?来るわよね?」
「えぇ、朝からアレクサンダーさんと一緒に念を押しときましたからね」
「…だったらいいけど…」
「やけに心配性だな?2人とも…」
「来る来ないの問題じゃないですからね」
「うん?」
「服装よ、服装。」
「服?さすがにいつもの格好なんかでは来ないだろう?」
「もう…分かってないなぁ…バイソンは。」
二人して難しげな表情をつき合わしているからか、声を掛けたくても掛けられない人が遠巻きにしているのを気にしつつ…何をそんなに気遣わしげなのだろうか?と更に首を捻ってしまった。
「ドレスでも着ていれば及第点…だけど…あの人に限ってあり得ないでしょうね。」
「…あぁ…そういう事か…」
ブルーローズの言葉にようやく合点がいった。
虎徹…こと、ワイルドタイガーは今『女』だということをテレビで大きく宣伝してしまったのだ。しかも今晩のようなアポロンメディア主催のパーティーに来る人間ならば、その事を知らないわけがない。バーナビー目当てで女性が色めき立っているのは分かるが…男性陣も少々…というかかなりそわそわとしているような気がする…
ちらりと会場を見るに雑誌や新聞社の記者らしき人間も何人かいるようだ。
恐らくは明日の一面に大きく載せるつもりだろう…更に雑誌に至っては本日のタイガーの格好を見てから特集を組むかもしれない。
「(…こりゃ…大変になるな、あいつ…)」
「ドレスを着ていたとしてもノーメイクでしょうし。」
「一応アレクサンダーさんに聞いてみたら、一階でアニエスさん達が待機していると言っていたので彼女がなんとかしてくれるかと…」
「だったら…安心じゃない…のか??」
アニエスは敏腕プロデューサーだ。劇的な演出が得意なのだからタイガーの飾り付けもなんとか出来るだろう。…と思えば、目の前の2人は一層気難しげな表情になった。
「…心配ね…」
「やはりそう思いますか…」
「な…何がだ?」
まだ何か気に掛かるのか?と恐る恐る問いかけてみれば、仲良く揃ってため息を吐きだした。
「アニエスさん…本人になら悪くはないんですが…」
「タイガーに…となると…センスが…ちょっとね?」
「…センス…?」
「見た目の雰囲気とか、合うものが正反対って感じしない?」
ちらりと見上げてくるブルーローズの瞳に言われた言葉を頭の中で反芻する。
…ワイルドタイガーとアニエス…女性のプロポーションとしてはかなり近い気もするが…
……ふむ…と一つ頷く。
片や男勝り(元男)な活発熟女…片や視聴率命のインテリキャリアウーマン。
見事なくらいに正反対ではなかろうか?
「最悪の事態としては…タイガーがアニエスを振り切って来ちゃう…ってとこかしら」
「万が一…の可能性ではありますけどね…」
またまた吐き出される深いため息…長年親友をやっているが…見事なほどにフォローが思い付かない。むしろバイソンもため息をつきたくなってきた。
「…あ。」
「あら、御苦労さま、HEROs」
「お疲れ様です」
「お疲れ」
2人と一緒に入口付近を凝視していると、今話に上がっていたアニエスの姿があった。彼女の部下である、ケインとメアリーもいる。
ブルーローズがいち早く反応をすると彼女は満面の笑みで近寄って来た。
「今日もハンサムに決まってるじゃない、バーナビー」
「お褒め頂いて光栄です」
「…タイガーの奴は一緒じゃないのか?」
「えぇ。一時間ほど前にファイヤーエンブレムに任せたわ」
「一時間も!?」
「ロイズ氏が確実に着替えさせないといけないだろうからって…タイガーに集合時間を早めて伝言したんですって」
「…さすが敏腕な中間管理職…」
あの遅刻常習犯のタイガーが一時間も前に来ていた事に驚いてみれば、スゴ腕の上司による手回しの結果だった。
なるほど…と酷く納得してしまう面々の中、バーナビーは腕時計を確認する。もうあと半時間ほどしたらマーべリックの挨拶が始まるのだ。それまでには来ておかないとマズイ。思わずしかめっ面をしているとぽんぽんと肩を叩かれる。
「心配しなくても大丈夫よ。彼の手際良さならもうそろそろ上がってくると思うわ」
そう言ってにっこりと笑みを浮かべると手を振りつつ、メディア関係者の所へと行ってしまった。その後ろ姿をぼんやりと見送ったバイソンがひょい、と肩を竦める。
「…まぁ、ファイヤーエンブレムだからな。確実な仕事をするだろ」
「なんなの?その根拠は…」
「毎日化粧してるし、人を着飾らせるのが好きだからな。この前も運転しながら店のウィンドウにあった服を見てどれがタイガーに似合うかとか話してたしな」
「…そうですか…」
「ま、とりあえず待ってみようぜ?」
憮然としたままに頷く2人に…心配しすぎだろう…と思ったが黙っておいた。
滑らかに上がるエレベーター…チン…と軽やかなベルとともに開かれたドアの向こうは柔らかな絨毯が敷き詰められたロビー…優しい色で灯されるシャンデリアの下、黒のスーツをびしっと決めたファイヤーエンブレムは女性の手を取って優雅に歩いていた。
パーティー会場に繋がる廊下へ辿り着くと、途端に彼女の歩みが止まってしまった。それどころか組んでいた腕が解けて近くの柱の影へと身を潜めに行く。
顔を青ざめつつも耳を真っ赤にする…という器用な顔色をした女性…ワイルドタイガーはしばらく柱に顔を埋めていたが、すぐ近くに立ったままのファイヤーエンブレムにそろりと顔を向けた。
「…あの…さ…」
「なぁに?」
逃げようったって逃がすつもりはない、と行動で表すようにタイガーのすぐ近くへと手をつくと怯えたような瞳をする。うっかりこのまま悪戯したい気分だが、今からだと時間が足りない…かなり残念ではあるが、今日の所はとりあえずこの姿のタイガーをじっくり鑑賞する事で満足しよう…と中々紡がれない言葉を待ち続けた。
「悪いけど…先入ってくれ…」
「………」
ようやく紡がれた言葉に怪訝な眼差しを向けていると、慌てて手を振り否定をしてきた。
「…逃げるわけじゃないから…」
「じゃあどうして?」
「ファイヤーエンブレムと腕組んで入るとか…すっげ目立つと思うし…」
出来るだけ目立ちたくないんだよ…と呟くタイガーをファイヤーエンブレムはじっと見ていた。
…1人の方が入りづらくなるわよ…とは思ったがあえて言わない。
確かに一緒に入ると目立つだろう。それでなくとも今日のタイガーはどんな格好をしていようが目立つ事に間違いはない。それに、女性をエスコートする為とはいえ、腕を組んで入って行くと後々面倒な事になるのが目に見えている。
特にツンデレコンビ。
珍しい宝石を連れて歩く男の優越を手放す事になるが、会場の中で自分が施した最高のコーディネイトを客観的に見るのも楽しいだろう。
「………分かったわ。気合入れ直したら入ってらっしゃいな」
「…ん…了解。」
「ただし…タイムリミットは5分ね?」
「……タイムリミット?」
「そ。5分経っても入って来なかったら私が強制的に連れ込むから。」
「きょ…強制的って…どゆ…こと?」
「もちろん… お姫様だっこしてやるよ …ってこ・と。」
「ッ!!!」
途端に下げられた声のトーンに毛がぶわっと逆立つ。警戒心剥き出しの猫になったタイガーににっこりと微笑みを向けて頬をつんつんと軽く突くとファイヤーエンブレムは軽い足取りで会場の中へと入って行ってしまった。
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