学校見学で舞台に立つ姿を見たとき背筋が震えた。入学した時に演劇部へ勧誘してくれた時も肌が粟立つ感覚を知った。同学年の男子と話してる姿を見ると胸がざわついた。密かにヒロイン志望だった事に気づいた時は歓喜に震えた。自分にはなかなか向けられない笑顔を1学年下の男子に向けていた時は思わず近くの壁を殴ってしまった。先輩がこっそりとピルケースから取り出した錠剤を呑む姿を見て、まさか、と思った。

 まさか、と思った自分の口には、笑みが広がっていた。


「……先輩、今ってあの時期ですよね?」
「うん?」

 野崎宅にていつものように背景作業に勤しんでいるとふと気づいた、といった風に野崎が問いかける。声に反応して顔を上げた堀に向かいでトーン作業をしていた若松がびくりと体を跳ねさせて、「す、すいません」と真っ赤な顔で謝ったきた。気にするなと簡潔に言い添えてカレンダーを見やる。そうして眉を顰めた。

「今回はまだだが……そういやそうだな。そろそろ来る時期だな」

 野崎がそんな質問を投げかけてくるのも、若松が気まずげなのにも理由がある。
 堀が初めてオメガとしての発情期を迎えたのがちょうど今のような状態の時だったからだ。

 おのおの自らの作業に没頭している時、堀は息苦しさに気づいた。作業中は常に冷暖房管理をしっかりしてくれている野崎のおかげで適切な温度に保たれている室内のはずなのだが、全身がしっとりと汗ばんでくる感じがする。無自覚のうちに眠気がさして体温が上がったか?と息苦しさを少しでも解消出来るようにと襟元を緩めた。

「ッた!」
「大丈夫か?」
「は、はい……すいません」

 ボタンを一つ外した時にトーンを切っていた若松が手を滑らせたのか指を軽く切ってしまったらしい。具合を伺ってみると手をふるふると振ってるだけで浅く済んでいるようだ。その様子に安心してふと野崎を伺うと眉間に皺を寄せどこか落ち着きがなさげだった。集中力が切れたか?と休憩を提案しようとしたが、視界がくらりと回った。

「ッ!?」
「ほ、堀先輩!?」
「先輩!?」

 無様に床へと転がりながら二人の声をどこか遠くで聞く。心臓が耳元で脈打っているかのようにうるさく鳴り響き視界が霞んでいった。体の内側を炙られるような熱さに呼気がますます浅くなっていく。

「先輩……もしかして……」
「え?何か知ってるんですか?」

 野崎の上擦った声と心配げな若松の声を聞きながら堀は意識を手放した。

 ふと瞳を開くとそこは病院のベッドだった。さきほどまで体の中に巣食っていた熱が引いていることに気づく。ふと視線を動かしてみると点滴が打たれているのが分かった。今度は反対側に動かしてみる。すると珍しく複雑な面持ちをした野崎と耳まで真っ赤になった若松がいた。

「迷惑かけたな」

 ぽつりと零した言葉と共に苦笑を浮かべると野崎はゆっくりと首を横に振って何かに悩む素振りを見せた。しばらくの逡巡の後、かなり言いにくそうに顔を上げる。

「先輩……自分がオメガ性だって、知ってましたか?」
「は?」

 その質問の意図が分からず首を傾げる。すると医師が来て体調を伺った後に説明をしてくれた。

 ずっとベータ性だと思っていた堀が実はオメガ性だったのだ、と。

 まれにベータ性がオメガ性へと変わってしまう事があるらしい。堀はその一例だった。はっきり言えば絶望に駆られたし、信じがたかった。けれどすぐ近くで作業していた若松の様子と野崎の複雑な面持ちでわりとすんなり受け入れることが出来た。けれどそれはその場限りのことであって、日常生活や学校になると色々と煩わしかった。
 野崎と若松は事情を知っているだけあって色々と協力してくれたが、家族とその二人以外には明かしていない。うっかり抑制剤を飲み忘れた日など、最悪の一言に尽きた。電車でのセクハラがずっと続き、最寄り駅で若松と合流するまでずっと嫌悪感にさいなまれ続けた。その際の若松の焦った態度に二度と薬を飲み忘れることはなくなったのだが、罪悪感に悩まされたのは事実だ。

 それ以来だった。野崎が堀の発情周期を気にかけたり若松が挙動不審になったりするのは。

「まぁ、いつもみたいに突然きたとてちゃんと薬持ってるから大丈夫だ」
「そうですか。作業辛かったら抜けてもらっても大丈夫なんで」
「おう、さんきゅ」

 野崎は発情期中でも追い出したりアシスタントを断ることはない。それは自らが背景を描けないという理由と紙一重ではあるが、彼なりの気遣いだった。体調を気にするようにはなったが、付き合い方は今までと寸分の変化もない。若松もそうなのだが、いかんせん素直すぎる彼はなかなか上手く対応出来ないらしく、さっきのようにボロをだしてしまったりしている。理性ではちゃんと理解してはいるのだが、堀のフェロモンに当てられやすいらしく非常に居たたまれないようだ。そしてその度申し訳なさそうにするのだが、遺伝子に組み込まれている本能による反応なのだから気にしなくていいのに、と思っていた。

 * * * * *

「え!?鹿島くん、アルファなの!」
「そうなんだー!格好いい!」
「鹿島くんのイメージ通りだね〜」

 その会話を聞いたのは今日も今日とて部活に現れない鹿島を捕獲するために探し回っている時だった。廊下の角を曲がった先にいるのであろう鹿島と一緒にいる女子の声が聞こえてくる。
 差別のきっかけになるアルファ・ベータ・オメガについての話は性差別につながりやすく皆おおっぴらにはしない。それに最近は医学の進歩や社会での待遇改善によりオメガであっても就職難になったり軽蔑されることも少なくなった。それでもやはり性差別につながる恐れからかやたらと話題にはしない。
 しかし、放課後で人も少ないので何かしらのきっかけからそういった話題になったのだろう。

「(鹿島がアルファ?)」

 今耳にしてしまった情報に堀は納得、と一人頷いていた。改めて鹿島の人となりを考えてみると文武両道、外見も人をひきつける格好良さを持っている。まさにアルファ性の見本だ。しかしあのサボり癖はどうにかならないか?とため息をついていると更に会話が弾んでいく。

「でも鹿島くんがアルファっていうことはぁ、番が女の子でも結ばれるんだよね?」
「あ、ホントだ!いいなぁその子〜」
「番って運命で決められてるんでしょ?本能的な繋がりで番になるなんて羨ましいよ〜」
「羨ましいの?」
「うん!鹿島くんになら抱かれたいって思うよ!あ〜あぁ、オメガの女の子になりたかった」

 その会話を聞いて堀はふむ、と宙を見上げた。鹿島の横にオメガ性の女子がいる光景が脳裏に描かれる。堀の中での完璧なヒーロー、ヒロイン像が出来上がり思わず笑みを浮かべてしまった。
 そんな想像をうっかりしていると鹿島の声が聞こえてくる。

「いやいや、でも私の番は男の子かもしれないし」
「!」

 その言葉に血の気がすぅっと引いていった。たしかに番が男の場合もある。運命で決められている以上は鹿島の番が男である場合は必ず結ばれる関係になってくる。それも恋人がいても関係なく、だ。そして自分はオメガ性。鹿島の番になる可能性を持っている。

「(それはないだろ)」

 ふるり、と首を振る。鹿島の横に並ぶのは可愛い女の子の方がお似合いだ。それこそふんわりとしたおしとやかな愛らしい女の子。間違っても自分ではない。アルファ性の鹿島とオメガ性の自分という可能性はゼロではないが、自らが女に抱かれる存在になるのは真っ平ごめんだ。それでなくても相手は鹿島だ。絶対にない。
 思い切りしかめっ面になっている顔が廊下のガラスに映っていて思わず眉間に手を当てた。そしてくるりと踵を返す。

「(今のは聞かなかったことにしよう)」

 部活に鹿島を連行しなくてはならないのだがそれどころではなかった。とりあえずその場から離れたい。それだけが頭の中を占領する。

「(あれ?)」

 ふわりと香る甘いにおいに顔を上げた鹿島は廊下の曲がり角の方へと視線を飛ばしていた。

「鹿島くんの番が男の子の場合かぁ」

 つい凝視してしまっていたのだが、回りの女の子たちはふと零した鹿島の言葉に熟考していたようで気づかれなかったらしい。

「番だから仕方ないかなぁ」
「そうだよねぇ……逆らえないもんねぇ」
「あ、でも絶対可愛い系だよね!」
「それは分かるかも!」
「年下ワンコ系?」
「それそれ!!」

 周りのお嬢さん方はかなりたくましいようだ。鹿島に『彼女』が出来ても『彼氏』が出来ても許容してくれるらしい。それどころか想像して楽しそうに話し合っている。
 その光景に笑みを浮かべつつ鹿島はまた曲がり角へと視線を飛ばす。

「……年下じゃないけど可愛い系は正解かな」

 ぽつりと零した言葉は誰にも聞かれずに笑みを浮かべた鹿島の口元で淡く消えていった。


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