「…スザク、これで最後にしよう」

 突然の言葉に呼吸すら忘れて…
 ベッドの上に押し倒した相手をじっと見つめた。
 紫水晶の瞳が煌めき、真っ直ぐに見つめられる。ベッドに沈む四肢は自分と比べていくらか細いラインを描き、白磁のような肌をしていた。乱れた制服の隙間から覗く肌が劣情を煽るが今はそれどころではない。信じがたい言葉を桜色の唇が紡いだのた。

「何…言って…?」
「冗談なんかじゃない。本気なんだ。」

 強い光を讃えた瞳がそっと伏せられる。

「何で?どう…して?俺、何かした?何かしたならちゃんと謝るしそれに…」
「違う。」

 強い響きで否定され、びくりと肩を震わせた。伏せられた紫が再び現れる。じっと見つめ嘘偽りがないことを伝えているようだった。

「原因は俺にある。お前のせいじゃないよ。」
「原因…て?」

 無表情だった顔に苦笑いが広がる。どこか嘲りの色を含んだそれは、ルルーシュが己に悔いているときの顔だ。

「疲れたんだ。」

 ポツリと囁かれた言葉は心にずしりとのしかかり、目の前を暗くする。

「触れ合うことも、話し合うことも、一緒にいることさえも。」

 目頭が熱くなり視界が滲みだした。

「な…んで?」

 他に言葉が思いつかなかった。ただ、ルルーシュが遠く離れてしまうという考えだけに囚われてた。

「お前は…ユフィの騎士だろう?」
「…それが…?」
「彼女がどうと言っているわけじゃない…」
「じゃあ…なに?」
「彼女は皇族だ…どうしても本国での嫌な思い出を思い起こすキッカケになるんだ。」
「…だから…彼女の騎士である…おれも?」
「…泣くなよ。」

 頬を伝っては重力に従い落ちていく滴がルルーシュの頬を濡らしていく。それに苦笑を濡らしながら細い指がそろりと頬を撫でていった。優しく引き寄せられるのに従えば背中に腕を回され擦られた。幼子を宥めるようなその仕草は七年前と変わらないのに、心は静まるどころかますます苦しくなっていく。

―いやだ…いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ…

 ぎゅうっと抱き締めると背中で動いていた腕が止まった。

「俺はお前を手放すよ。だから」
―聞きたくない…
「俺を解放してくれ。」
―したくない…解放なんて…したくない…
「スザク…」
―ルルーシュは…俺だけの…

 * * * * *

 あの後は結局感情のままに掻き抱き、何度も躰を貪った。それこそルルーシュの声が枯れるほどに。
 朝日の白い光をカーテン越しに受けて意識を浮上させるとルルーシュのベッドの上で彼を抱いたまま寝ていた。光を受けた頬は少し青ざめていて罪悪感を駆り立てられる。躰を起こせば捲れたシーツの下から細い四肢が現れた。至るところに散る花びらは昨夜スザクが付けたものだ。
 肌寒さを感じたのか、体を微かに震わせルルーシュの瞳が開いた。それをじっと見つめるスザクに気づいたらしく焦点が定まってくる。ゆっくり瞬きを繰り返し、完全に覚醒した瞳が緩やかな曲線を描く。

「…っひゅ…」

 唇が開き言葉を発したようだが、それは空気の通る音がしただけで声にはならなかった。確かめるように何度か繰り返すと、途端にクスクスと笑い始める。

「…?」

 怪訝そうな顔で見てると、視線に気付いたらしく手をかざして「待て」と合図してくる。腕を伸ばして制服の中から携帯を取り出すと、カチカチと音をさせて文字を打ち込み、くるりとディスプレイを見せた。

『おはよう』

 簡潔な言葉が並べられている。

「うん…おはよう」

 挨拶を返すとまたボタンを押し始めた。今度は長文らしく、なかなか終わらない。ようやく打ち終えたらしく再びディスプレイを見せてくれた。

『喉が完全にやられてて話せないから今日は学校を休むよ。それに寝不足だしな?』
「あ…ごめん…」

 思わず謝るとまた小さく笑い始めた。その合間にボタンを押す音が混ざる。文が完成するまで待つより覗いた方が早いのでは?と思いディスプレイを覗きに行くと見易いように傾けてくれた。

『お前が謝ることじゃないだろう?じゃ、俺は風呂に行くから。スザクは学校に行くよう』

 文の途中でディスプレイを遮られた。驚いて顔を見ると思い詰めた表情がそこにある。

「…俺も休むよ…」

 その言葉にきょとんとしていると不意に顔が近くなった。

「だから…今日一日。傍にいさせて?」

 もう少し近寄れば唇が触れる距離で呟く。思ったよりも声が震えずに出せたことに安堵した。しばらく見つめ合いをしていたらこつん、と額をぶつけられる。

『別に構わないよ』

 額をくっつけたままディスプレイにそう表示させると、満面の笑みを浮かべて閉じてしまう。するりとベッドから足を下ろし、床に散らばった服の中からシャツを引っ張りだす。裸の上にそれ一枚だけ羽織って部屋から出て行ってしまった。

「…はぁ…」

 ため息をついて再びベッドに横になる。全身が鉛のように感じられた。指一本動かすのも億劫なほどに、暗く重たく…とりあえず顔だけでも洗おうと思いシャツだけ羽織るべく引き寄せる。

「…あれ?」

 残されたシャツはルルーシュの匂いがしていた。

 * * * * *

 ゲスト用のバスルームに入ると扉の横に拘束衣を着た少女が座っていた。

「ずいぶん清々しい顔をしてるじゃないか」

 猫のような吊り気味の瞳が見上げてくる。僅かに眉間へシワを寄せただけでバスタオルの類いを出し始めた。

「別れてすっきり、というわけでもなかろう?」

 その言葉にくるり、と振り向く。

「学校へ行けば毎日とはいかずとも顔を合わせることになるんだ。別れたところで何になるんだ?」

 一つため息をこぼすと携帯を取り出した。文字を打とうとすると細い指が唇に押し当てられる。

「読唇術くらいできる。ゆっくり話せ。」

 携帯をタオルの上に投げてゆったりと腕組みをした。

『あいつに拘束されると騎士団との連絡がとりにくい。それでなくとも本格的な活動が始まる。夜に動こうにもスザクがいては厄介だ』
「ほぅ?」
『あいつは変なところで勘がいいからな。昼は極力学校へ行った方がいいだろう。それに、これからの為にもこうするのが一番手っ取り早い』
「…手っ取り早い、ね。」
『…なんだ?』
「別に。あれほど執着してたわりにあっさり手を引くんだな、と思っただけだよ。」

 それだけ言うとくるり、と身を翻し扉を開いた。

「あぁ、そうだ。もう一ついいか?」

 億劫そうに首を傾げればつい、と指がシャツを指し示す。

「それは何かのプレイか?」

 にんまりと笑いながら言われると、ルルーシュも笑い返した。

『あいつへの最後の思い出作りさ』
「ふぅん、あいつへの、な。」

 途端につまらなそうな顔を見せると興味をなくしてしまったらしく扉から出て行ってしまった。

『そう…あいつへの…だ』

 呟いても音にはならず宙へと混ざっていく。ぎゅうっとシャツごと自身を抱き締めた。

 * * * * *

 うとうとと微睡んでいると微かに人が動く気配がした。どうやらシャツを引き寄せてそのまま寝てしまったらしい。ルルーシュのシャツを抱き締めるとまるで本人を抱き締めている錯覚に陥る。本人には言わないが、抱き心地がよく、ほんのり甘い香りがして眠りに誘われやすいのだ。

「…ん?」

 僅かに瞳を開くとルルーシュが立っていた。腰に手をあて苦笑を浮かべながら見下ろしている。ぼんやりしたまま瞬きを繰り返していると携帯に文字を打ち込み始めた。

『おはよう
お前が抱き込んでいるシャツを洗濯したいんだが、返してもらえるか?』

 じっと画面を見つめ、数秒後がばりと勢いをつけて起き上がった。ちらりと見上げるとルルーシュが笑いをこらえている。その様子にばつの悪い思いを抱えシャツを差し出した。
 にっこり笑って受け取ると携帯に新たな文を打ち込み見せてくれる。

『朝御飯作るから、風呂の後でリビングに下りてこいよ』
「…ん、分かった…」

 素直に返事を返すと頭を撫でて部屋から出て行ってしまった。

「なんか…弟扱い?」

 * * * * *

 風呂から出てくると、前に来た時置いて行った着替えがタオルの上におかれ、他は洗濯に出されたらしい。
 髪を拭きながら下りていくとキッチンにルルーシュが立っていた。目が合うと手招きと共に水を渡される。次いで、オレンジ、紅茶のリーフ、コーヒーの豆と差していき、首を傾げられた。飲み物は何がいい?と言いたいらしい。

「あ…と…オレンジジュース。」

 迷いながらも答えるとオッケーサインが出された。そしてサインが出た後にふと気付く。

―オレンジジュースなんてお子様向けなんじゃ…?

 そんな考えに気付いたがすでに用意が整いだしているのを見ると訂正を言いだしにくい。少し待っていると芳ばしい匂いを漂わせるバスケットを渡され、テーブルを指差された。

「はいはい。」

 運べということらしい。中央にバスケットを置いて振り返るとトレイにポットやカップ、皿などを乗せたルルーシュが向かってくるところだ。さり気なくポットを取り上げると少し驚いてから笑われる。
 お互いに席に着くのを待ってからスザクが口を開いた。

「何かおかしなことした?」

 素直に聞けば携帯に文字が打ち込まれる。

『いや、前も言ったけど、大人しくなったって言うのかな。さり気ない気配りが出来るようになったなぁ、と。』
「…何それ。僕だっていつまでもガキじゃないんだから。」
『ま、それはそうだが。』

 小さく笑うその表情はいつもと変わりないはずなのに、何故か遠く感じる。

―こんなに近くにいるのに…

 無意識に腕が伸びていた。そっと頬に触れると、笑いが止み、きょとんとした表情で見つめられる。触れる指をそのままに首を傾げた。

「あ…いや…その……」

 以前ならこういうやり取りをしていると必ず唇が重なっていた。それがない、ということはもう以前の、昨日までの関係ではない、と明白にされたようなものだ。

―やっぱり…嘘じゃなかったんだ…

 改めて突き付けられた事実に胸が痛む。彷徨わせた視線を下に向けると小さなため息が聞こえた。添えたままの手に手を重ねられる。

『俺は、友達までやめるとは言ってない』
「え?」
『喉の心配をしてくれたんだろ?』
「あ、あぁ…うん」

 本当はもちろん違う。けど、そういうことにしておいたほうがいい、と判断したのだ。昨夜の話しを蒸し返せるほどの心の余裕はもっていない。

「…痛む?」
『いや、痛みはないが…ナナリーが帰ってきたらどう説明しようかと。そっちが気がかりかな』
「ナナリー、か…そうだね」

 それは当たり前の答えではあったが、何故か苛立ちが沸いてきた。
 スザクとの関係はあっさり捨ててしまえるのに、ナナリーは兄妹だから何一つ変わることはない。不変の関係。不変の思い…

―知ってる…この感情は、嫉妬。ナナリー相手に…自分より年下である彼女に嫉妬だなんて格好悪い。

 ちらりと視線を上げるとルルーシュは紅茶を口に運び、朝食を堪能している。それに倣ってスザクもベーコンエッグを口に運んだ。いつもならば「美味しい」と舌鼓をうつのだが、心がそれを許さなかった。静かな食事を終わらせると、食器を洗うと言い出して朝食のお礼にする。その間にルルーシュは仕上がった洗濯物を畳み、シャツにアイロンを当てていた。それを紙袋に入れて昨晩ソファに放り出したスザクの鞄の横へと置く。
洗い物を済ませたスザクがキッチンから出てくるのを確認するとルルーシュは携帯に文字を打ち始めた。

「……なに?」
『俺は今から一眠りするが。お前はどうする?』
「え……と…」

前なら「僕も一緒に寝るよ」と言えたが…『ただの友達』になった今、その言葉はおかしい。少し考えて引き攣っているのだろう事は明白ながらも笑みを貼り付ける。

「じゃ…僕も…戻って寝る事にするね…」

 ようやく出した答えは間違っていなかったのだろう。ルルーシュが満足そうな笑みを返してくれる。固めて置いてくれた荷物を手に持つと紙袋の中にこれまで置きっぱなしだった服も入っている事に気付いた。
 まるで締め出されるような雰囲気に涙が込み上げてしまう。けれどそれを知られるわけにはいかないと、ぐっと耐える。泣いたところで自分の望むものは得られないと分かっている。それどころか『いらないもの』を与え続けられそうで腹の底に力を込めた。

−彼から…ルルーシュから欲しいのは…同情なんかじゃ…ないから…
「…それじゃ…」

 玄関から出たところで振り返ってそう呟くと、手を振って『さよなら』の合図をしてくれる。それにスザクも手を振って返すと痛む胸を押さえて踵を返した。その背中を見つめながらルルーシュは小さく口を開く。

『愛してるよ、スザク』

 その言葉は音にはならず、頬を伝い落ちる雫は静かに閉まる扉の向こうへと消えていってしまった。


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