「っ……さっみ……」
街をぶらぶら歩いていたら正面から空っ風が吹きつけてきた。俺の他にも何人かが身を縮める。
「……こういう時に限って人間湯たんぽはいねぇんだからな」
そう、いつも俺の横を陣取っている相棒はパソコン小僧に呼ばれて無限城に行っている。横に誰も居ないってのは余計に寒さを感じさせるもんだな。
「……け……」
ふとそんな考えが俺の頭を過ぎって思わず苦笑する。前なら一人で良かったのに…いつのまにか銀次が居ないと違和感を感じてしまっている。
これは弱くなった証拠なのか?
「…………」
ポケットから煙草を取り出し咥える。乾いた唇に当たるフィルター。ちょいと深めに咥えないと滑り落ちそうだな。
―「 」
不意に耳へと『音』が届いた。
―「 」
しつこく聞こえる音は不思議な事に空から聞こえた気がした。空を見上げてもそこには厚い雲しかない。所々に白い閃光が走っている。
「……雷……」
雨、かな……
しまった……傘なんざ持ってきてねぇのに……
* * * * *
「……相変わらずガレキの山のまんまなのな……ここは……」
無意識の内に歩いてた俺はいつの間にか無限城に来ていた。ロウアータウンの一角。ガレキだらけの場所。銀次と初めてやり合った場所。
……空のせいだな。
あん時と同じ空の色。
誰かさんが俺をじっと見下ろしてた時と同じ……
―空が泣き出した。
見上げる顔を細かく雨が叩く。
「……ここはあんたが来る場所じゃない」
「ッ!」
空を見てたら不意に耳へと言葉が吹き込まれた。熱い吐息と首に添えられた手…動きを封じるように回される腕に体が硬直する。
「あの時みたいだね?」
「……あん時ゃこんな風に抱きつきはしなかったろ」
「うん……でもそっくり……」
「……」
どこか嬉しそうな音を含んだ銀次の声が肩越しに鼓膜を震わせる。ついでにぎゅうっと抱き付いて来た。
「ねぇ蛮ちゃん……なんでこんなとこにいるの?」
「その言葉そっくり返してやるよ。パソコン小僧はもういいのか?」
「うん。さっき終わったからもう大丈夫」
「で、帰るとこだったのか?」
「うぅん。なんとなくここに足を向けてたんだ」
「ふーん」
俺への質問を捻じ曲げたにも関わらず銀次はさほど気にする事なく普通に答えてきた。
じゃあ蛮ちゃんは?―って聞かれると答えられそうもないし、同じだって言うのもなんだか気が引ける。
「蛮ちゃん……」
「あ?」
遅かったか?
同じ質問を繰り返されると思った俺は咄嗟にどう答えるかと頭の中で言葉を捜し始めてた。……けど……そんな必要はなかったらしい。
「来てくれてありがとう」
「……は?」
意図も意味も分からない言葉をかけられて俺は微かに眉を顰めた。礼を言われる筋合いはない。それ以前に『来てくれて』ってのにひっかかった。
「意味が分からねぇ」
「だって蛮ちゃん……呼ばれてきたでしょ?」
「……」
呼ばれて……確かに『音』は聞こえた。けどそれが『銀次の呼び声』だとは思ってもいない。それ以前にここに足を向けたのはたまたまのはずだ。
「歩いてる時……『音』……聞こえなかった?」
「……聞こえた……けど?」
「ほら……やっぱり」
肩口で銀次が嬉しそうに笑う。何かから解放されたようにも取れるその態度に俺は再度眉を顰めた。
「……何かあったのか?」
「……うーん……あった……ってわけじゃないんだけど」
「けど?」
「不安になったんだ」
縋りつくように腕の力を強めて銀次は囁き続けた。
「無限城から出た時ね、空を見て昔に戻ったような気分になっちゃったんだ」
そんなはずないのにね?と自嘲気味た笑い声が鼓膜を震わせる。その先を促すとともに何かに焦りを感じている銀次を宥める為、頭を撫でてやった。
「蛮ちゃんいつからここにいたの?すっごく冷たくなってるよ」
「さぁな……誰かさんの呼び声のせいで時間の感覚がおかしくなってたからな」
「……俺のせい?」
「……お前以外に誰が俺様をこんなとこに呼び出すんだよ?」
「はは……確かに」
背中に感じる体温が僅かに上がる。
「じゃあ……暖めてあげる」
* * * * *
「蛮ちゃん……もっと……」
吐く息が白く凍る。なのに躰は蒸発してしまいそうなほどに熱い。触れてくる指も唇も火傷しそうだ。
いつもみたいに貪ることはせず、緩慢な動きで俺を攻め立ててくる。まるで一つになってる時間を長く保とうとするように……
「……ぎん……じ……」
「蛮ちゃん……一緒にいてね」
切なく疼く躰を持て余して名前を呼べばそんな言葉が返ってくる。「ずっと」とか「いつまでも」とは言わない。『永遠』を表す言葉は使わない。きっとそれが守れなかった時の辛さや悲しみを理解し始めたからだろう。『永遠』の約束を交わすことがどれほど困難であるか……
『奪還屋』の仕事を始めて何度も目の当たりにした光景だ。『永遠』を誓っても、運命が引き裂く。
銀次の鼓動が重なる。呼吸が混ざり、視線が絡まる。
―昔に戻ったみたい……
って言ったか……
「……蛮……ちゃん?」
くすり……と小さく笑った俺に銀次が不思議そうな顔をして覗き込んできた。繋がったままの躰は熱を持て余して微かに痙攣している。けれど銀次は俺の小さな笑いが気になったらしく一向に動こうとはしない。
一つ熱い息を吐き出すと銀次の頬に手を伸ばした。そのまま滑らせて顎を掴むと引き寄せて唇を奪う。誘うように舌を絡ませればすぐに応えてきた。
「ん……は……」
「……蛮ちゃん?」
キスを済ませると俺の腕は銀次の首に絡みつきもっと近くへと引き寄せてた。額同士を合わせて少し上目遣いに銀次の瞳を覗き込む。
「人様を呼び出しといて過去に戻ったなんてことはないだろが」
「……え?」
「昔の俺たちはこうして熱を分け合ってたか?」
俺の苦笑交じりな質問に銀次は少し赤くなって首を横に振った。その額にキスをして俺は言葉を重ねる。
「お前が俺を呼べばちゃんと応えるし、俺がお前を必要だと思えばこうして抱き締める」
「……うん」
「不安になる度に確かめりゃいい」
「……蛮ちゃん……」
「もう自分は独りじゃないって……俺の躰で確かめりゃいい」
泣きそうに眉を顰めた銀次にもう1度キスを送ると今度は苦笑を浮かべた。けれどそれはどこか嬉しそうにとれる表情で……どう応えたらいいのか少し迷っているようにも取れる。その顔にまた笑顔を向けてやるとまるで犬のように頬を擦り付けてきた。
「嬉しい……んだけど……」
「?……だけど?」
てっきりいつものように『ありがとう』とあっさり返してくるのかと思っていたら接続語がくっついていた。頬を摺り寄せてきてるから表情は伺えない。
きっと何を言い出すか分かってたらここで拳骨が銀次の顔面にめり込んでただろうな。
「蛮ちゃんの躰……もたないかもよ?」
「んあッ!」
『もたないかも』って事は確認する回数が多いってことか?とか思ったが……どうやら違うらしい。
さっきまでの緩慢な動きから一転して激しく攻め立ててくる。焦らされた分余計に敏感に感じ取ってしまう内壁を銀次の熱が擦り上げる度、俺はあられもない嬌声を上げてしまっていた。嬉しさをこんな風に表現するなっての。
揺さ振られる視界の中にいる銀次はいつもの笑顔を浮かべていて、不安が払拭されたわけじゃないが……とにかく安心は出来たようだ。
その日以来……独りだった寂しさが銀次を襲う度に俺は空から降り注ぐ『呼び声』に応えていた。
けど……それは俺にとって煩わしいものじゃない。
なぜなら俺の中にある不安もともに拭い去ってくれるから……
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