「なに?風邪引いた?」
「うん……なんか体が熱くて喉がごろごろする……」
「……あーんてしてみろ」
「あー……」
「結構腫れてんな」
「うぅ……」

 * * * * *

 顔が赤く、声も少し掠れ気味な銀次に蛮は軽くため息をついた。
 今朝起きるといつもは横でぐーすか寝ている銀次がいなかったのだ。不思議に思い、ひとまず乾いた喉を潤そうとキッチンへ行くとそこにたれ銀が転がっていたわけだ。
 そうしてベッドに運び今に至る。額同士ををくっつけてみると明らかに熱い。

「熱もあるみてぇだし……」
「……うきゅぅ……」
「ったく……今何か作ってやるから大人しく寝てろ」
「……あい……」

 明らかに不機嫌な蛮に銀次は更にたれて言う事を素直に聞いた。とは言ってもまともに動けないのでそのままではあるのだが、そうこうしてるとキッチンから何かが煮える音が聞こえる。それとともにふんわりと温かい匂い。くつくつと音が聞こえ出したら蛮が洗面器を持って現われた。
 からん、と音がして氷が入っている事気付くと額に冷たいものが当たる。

「ん」
「気持ちいいのか?」
「うん ありがと」
「あぁ」

 銀次の返事に微笑を返すと立ち上がってしまう。が、前に進もうにも何か抵抗が感じられる。振り向いてみると銀次が咄嗟に蛮の服を掴んでしまったようだ。

「ご……ごめん……」
「いんや、飯運んでくるだけだから待ってろ」
「……ん」

 風邪を引くと人はどうも人恋しくなってしまうようで……今の銀次もまさしくその状態。蛮が立った瞬間どこかへ行ってしまう恐怖感に駆られてしまったのだ。そんな銀次を宥めると蛮は再びキッチンへと歩いて行った。銀次は気付いてはいないが、表情がとても柔らかい。

―確か卑弥呼もこんな感じだったよな……

 思い出していたのはそう遠くはない過去の思い出。
 銀次と奪還屋を始める前。工藤兄弟とともに仕事をしていた時の事だ。その時も今の銀次と同じように卑弥呼が風邪を引いた事があった。邪馬人が薬を買いに出ている間、蛮が横に連れ添っていたのだ。何か栄養のあるものを食べさせようと立ち上がると、卑弥呼が蛮の服をしっかり握り締めていた。どこか、すごく懐かれているような、甘えられているような。とても心地いい時間だった。
 その時間をまた、こういう風に味わえるとは思ってもみなかったのだ。何せ相手は銀次。本人には決して言えはしないが、正直病気になるなど考えてもみなかった。年中元気一杯な銀次が風邪。明日は雨だな、と微笑む蛮だった。

「銀次?起きれるか?」
「……うん……なんとか……」

 のそのそと上半身を起こした銀次の背中に蛮が枕を突っ込む。銀次の上体が安定したところで脇によけた盆を取り、ベッドの端に腰掛ける。膝の上に盆を置くと土鍋の蓋を開けた。ふんわりと温かい美味しそうな匂いが漂ってくる。

「リゾット?」
「あぁ、栄養あるし暖まるだろ
 嫌いか?」
「うぅん……蛮ちゃんが作ったものなら何でも好き♥」
「はいはい」

 ほくほくとした笑顔をする銀次に蛮は冷めた反応を返す。だがそれが蛮の照れ隠しであるなど、銀次はとうに承知済み。顔をふいっと背けられても銀次のにこにこ顔は変らなかった。
 百円均一で買った蓮華で一掬いしてふーっと息をかけて冷ます蛮。その光景に銀次が戸惑い始めた。

「え?」
「あ?なんだ?」
「蛮ちゃん……食べさせてくれるの?」
「熱でふらふらしてる奴が溢さずに食べれんのか?」
「……いえ……無理です……」

 もっともな点を指摘され深く頷き項垂れる銀次。確かに今、自分は熱でふらふらしていて……そのせいで水を飲みに行った時も、そのままキッチンで倒れてしまって蛮に発見されたというのに。もしこの状態で食べなくてはならないとなれば、間違いなくひっくり返してしまうだろう。
ふと視線を上げれば蛮がまだリゾットを冷ましている。少しすると蓮華の端を唇に当てた。

「おし、こんなもんだろ」
「ほえ?」
「あーん」
「!」

 まるでキスをしているかのようなその行為に見惚れていると蛮が蓮華を差し出してきた。お決まりの言葉とともに……
 蛮としては単に唇に当てても熱くない程度に冷ましていただけなのだが……

「あーん」
「……ぁ……あー」

 小さい子に食べさせるような仕草の蛮に、銀次は微かに頬を染める。とは言っても熱が出ている銀次の顔はもとより赤いので蛮に気付かれる事はなかったが……
 口をぱかっと開けると蛮が丁寧にリゾットを放り込んでくれる。至極優しい蛮の態度に銀次はどきどきしていた。

「味はどうだ?」
「ん……おいしい♥」
「そうか」

 もくもくと口を動かし始めた銀次を確認すると、蛮はまた一掬いして冷まし始めた。それをじーっと見つめながら口の中のリゾットを喉の奥に収めていく。するとまた蛮が蓮華の端に唇を当てた。

「あーん」
「あー……」

 指しだされた蓮華にぱくっと食いついたところで、するりと出されていく蓮華を視線で追う。ふと銀次の頭にある事が過ぎる。
 くるくると考えていると、蛮がまた蓮華の端に唇を押し当てていた。

「あーん」
「……あー……」
―これって間接キスになるのかな?

 口の中からするっと取り出される蓮華には確実に銀次の唇も当たっている。となると、やはり二人の唇が触れている、という事になって……

「こら」
「ぅん?」
「ぼーっとしてねぇでさっさと食えよ」
「んん」
「冷めすぎたらあんまり美味くねぇぞ」

 いつの間にかぼんやりしていたようで、次に差し出されていた蓮華に気付く事が出来なかった。慌てて口の中のリゾットを喉の奥に収めるとまたぱかっと口を開いた。
 それらを繰り返す事1時間弱。いつもよりゆっくりとした食事が終わる。蛮が空になった器をキッチンへと運んで行った。お腹一杯、幸せ一杯な銀次の前に再び蛮が戻ってくる。

「ほら」
「ほえ?」

 差し出されたのはお茶と……粉薬。

「……いりません」
「あほか。飲まなきゃ治らねぇだろ?」
「大丈夫だもん!寝てたら治るもん!」
「こら!」

 ぼふっと頭から布団を被り頑として薬を受け取らない銀次に蛮が蹴りを見舞う。といえどいつものような容赦のない蹴り方ではないが……

「大人しく飲め!」
「いやー!いやー!」
「苦くないようにオブラートへ包んであんだぞ?!」
「それでもいやですぅ!!」

 お茶と薬をテーブルに置き、たれて掛け布団に包まった銀次と格闘を始める。何としても薬を飲ませようとするが、頑なに掛け布団に包まったたれ銀次が出てくる気配は皆無。布団を広げて持っても布団の中央辺りにある丸い塊はぴくりとも動かない。

「……あっそ、分かった」

 そのたれ銀次に蛮が諦めた色を含ませた声をかける。ぱっと手を離し、掛け布団をたれ銀次ごとベッドへと落とした。汗の滲む額に張り付いた前髪をかき上げ未だに丸まっている塊に視線を落とす。

「じゃ、じっくり時間かけて治せば?」
「……蛮ちゃん?」
「治るまでずーっとお預けだかんな」
「えぇ?!」

 『お預け』に反応し、銀次ががばぁっと起き上がる。布団に潜っていたせいか、髪の毛はぼさぼさだ。暴れたせいか首まで赤い。

「お……お預け?!」
「あったりめーだろ?」
「なんで?!なんでぇ??!」
「病人とヤってうつされたくなんかねぇし」
「はぅッ!」

 ―ガーンッ―と効果音の付きそうな顔で再びたれてしまう銀次に蛮はふいっと背を向けた。テーブルに置いたお茶と薬を運ぼうと手に持つと……

「……蛮ちゃーん……」
「あんだよ?」

 銀次がずるりとベッドから這い出し蛮の腰へ腕を回す。ぎゅうっと抱きついて蛮の顔を見上げると、蛮は冷ややかな視線を下ろしてきた。銀次の表情は大型犬の表情になり、すりすりと縋りつく。

「お預けはいやー」
「知らねぇな。ゆっっっくり治すんだろ?」
「うぅ……飲むから。飲みますから。お預けはいやー」
「ちゃんと飲むんだろうな?」
「……はい……」
「……ほら」

 しょぼん……と項垂れた銀次に再びお茶と薬を渡すときちんと受け取った。ベッドの端に座り薬と睨めっこを開始する。が、なかなか飲まない。

「早く飲めよ」
「……あのね……」
「あ?」
「……蛮ちゃんの口移しがいい」
―ゴッ

 銀次の言葉に蛮の右手が閃いた。ぷくぅっと銀次の頭に大きなたんこぶが出来上がる。

「いたぁいぃ!」
「アホな事ぬかすからだ!」
「だってぇ……蛮ちゃんの口移しだったら飲めそうだもん」

 ぷぅっと頬を膨らませて上目遣いに涙を滲ませて見つめてくる。風邪をひいているのも理由に入るのか、今日の銀次はちっとも引き下がらない。じっと蛮の顔を見つめたままだ。
 しばらく続く睨めっこ……先に折れたのはやはり蛮だった。

「……今回だけだぞ?」
「うん♥」

 渋々に承諾を出すと、とたんに銀次の表情が輝き始めた。蛮はこの表情に弱いのだ。
 銀次から薬とお茶を受け取ると、グラスに口を付ける。銀次の視線が刺さるがこの際気にしてなどいられない。口にお茶を含むと銀次の首に腕を回す。すると癖なのか、蛮の腰に腕が回された。蛮が銀次を見下ろすとにっこりと笑みを返してくる。期待してます、と言うその頬を一度抓ってやる。

「いひゃいよ蛮ひゃーん」

 びよーんと引っ張ってぱっと離すと、まだ含んでいない薬を口にいれる。すると間を置かずに唇を重ねた。
 舌を差し入れ口内に侵入するとその口の中へ薬を押し込む。その後すぐにお茶を流し込むと銀次の喉が鳴った。含んだお茶を全て流し込み、飲み込んだことを確認すると役目は終えたのでさっさと離れようした。が、銀次に阻止される。

「っん……むぅっ……」

 離れようとした矢先、後頭部を押さえられ、更に深く唇を重ねられる。開いたままの口内に舌が差し込まれ、あっさりと絡め取られてしまった。熱のせいか、いつもよりも熱い舌と息に蛮は呼吸を詰まらせる。
 くちゅっと卑猥な音を立てて舌を蹂躙され、思考が朦朧としてきた蛮の体からは力が抜けていく。乱れる呼吸をそのままに歯列をなぞり舌を絡め取られた。舌をキツク吸い上げられればくらりと眩暈が起きる。
 存分に味わったところで、ようやく唇を開放されるといつの間にか蛮の体はベッドに沈められていた。

「口直しのデザート♥ごちそうさま♥」
「……この、バカ!」

 にっこりと満面の笑みで見つめてくる銀次の顔を鷲掴みにすると、体勢をひっくり返して銀次をベッドへと沈める。

「薬飲んだんなら大人しく寝やがれ!」
「はーい♥」

 怒鳴ると大人しくベッドへ潜り込んだ銀次にため息を漏らす。ベッドの下に落ちた掛け布団を銀次の上に広げて絞りなおした濡れタオルを額に乗せる。
 お茶が入っていたグラスをキッチンに運び洗い物を済ませると、銀次は安らかな寝息を立てて眠っていた。ようやく静かになった銀次を見て笑みを溢すとベッドの横へ腰掛けて読みかけの本を手に取る。
 耳に届くのは自分が捲る紙の音と、風に遊ばれるカーテンの音。穏やかな時間がゆったりと流れていく。
 たまにはこんな日もいいかもしれない、と蛮はもう一度笑みを溢すと読書に没頭し始めた。


 夕方になって眠りこけていた所を銀次のディープキスで起こされるなど夢にも思ってはいなかっただろう。



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