ここは新宿の一角に建つ西洋風な洋菓子店。
 今日も大勢の客で賑わうその店は西洋の煉瓦造りの家に似せて作られていて、店内の雰囲気も木の温かみを基調に床を始め、壁、天井まで、隅々までその雰囲気を壊さないよう気遣われている。BGMにも気遣われヒーリング系の曲しか流れいていない。『癒しの店』とはまさにこの店のことを言う。
 更に店内の調度品は全て店長の手作りで同じ形は二つとない。それが更に女性をひきつけるのだろう。そして暖かい陽光をふんだんに取り入れたテラスもあり、この時期にはうってつけの空間が広がる。花も色とりどり飾られオランダ、と言っても良いかもしれない。
 そんな店のテラスに、一際客の視線を集める一組のカップル。普段ならばこのような店に入る事はまずないであろう……GetBackersの二人。

「蛮ちゃん、そんな顔してたらせっかくの美人が台無しだよ?」
「うっせー……どんな顔しようが俺の勝手だろ」

 ニコニコ顔の銀次に比べ、蛮はこの上ない不機嫌な声をしている。
 当然と言えば当然だろう。銀次はまだしも蛮にとっては大変居心地が悪いであろう、女性客ばかりの中何が楽しくて男二人で来なくてはならないのか、といったところだ。まぁ、原因はそれだけではないが……

 今蛮の前に座っている銀次はいつもの銀次と少し違う。
 いつものようなハーフパンツにTシャツではなく黒のスウェットに黒い詰襟の上着。第二ボタンまで開けた胸元にはシルバーアクセサリーと革紐が覗く。靴はもちろん紐靴ではなく、厚底の黒革ブーツ。腰に銀色のチェーンが三重ほどぶら下がり、赤いベルトが太ももの辺りに二本、膝下に一本巻き付き、更に足のラインに沿って垂れている。髪の毛もいつものあちこち撥ねているのではなく、ワックスで軽く後ろに流してある。
 いつもの雰囲気とは正反対な、いつもの蛮のような格好をしていた。ただ顔はいつも通りの人懐っこい笑顔である為、近づき難い雰囲気はない。

「ったぁ!いきなり蹴らないでよ蛮ちゃん!」
「顔が緩んでるからだ」

 銀次は蹴られた脛を抱え、涙目になりながら文句を言う銀次。が、目を眇めた蛮に一喝されまた顔を緩ませる。

「その顔に締りってもんはねぇのか?」

 呆れた口調で声をかける蛮に銀次はそっと指を伸ばし、髪の毛に絡ませる。

「だーって恋人がこんなに可愛いんだもん
 緩ませるなって方がムリ」

 絡ませた指をそのままに顔のラインに沿って手を撫で下ろして唇に辿り付いたところで蛮に手の甲を捻られた。

「なんで抓るの?!」
「むかついたから」
「あ、顔が赤いよ?蛮ちゃん」

 そう言った直後今度は頬を捻られて銀次は失言だった、と後悔した。
 銀次が常々気をつけている失言も今日の蛮が相手なら不可抗力だ。今視線を集めているのは銀次のせいだけではないのだから……
 今日の蛮は、知っている人が見ても蛮と分かるかどうか……
 髪型はいつものツンツンと撥ねている状態ではなければショートカットでもなく、また黒髪でもない。クリーミィモカで緩いカーブを描く長い髪は胸元まであり、目元まである横流しの前髪を時折掬い上げては面倒くさそうに後ろへと流す。右耳にはいつもの銀のカフスが付いているが、左耳はコーラルピンクの涙型をした小さなピアスがひっかかっている。黒のシースルーのフレアが付いたカーディガン、その下にはワインレッドのディテールが付いた膝丈ワンピースを着ている。胸元が広く開いていて、小さな王冠と鍵がついた銀のネックレスが白い肌の上で一際目立つ。左の手首にはワイヤーに真珠のみを使ったブレスレットがされ、指輪もいつもの威圧感があるものではなく、細い細かな細工を施されたものが左の薬指に一つだけ。靴ももちろん革靴ではなく、素足にヒールの低いミュール、その指元には淡いピンクのコサージュが付いていて、さらにそこから足首にかけて白い紐が伸び足首に巻きつけてある。顔にはいつものサングラスは掛けられてはおらず、淡い色でまとめられた化粧を施されている。
つまり、どこから見ても『美堂蛮』である以前に女性にしか見えないのだ。

「足痛ぇしなんかスカスカするし……」
「仕方ないよ、女の人なんだもん」
「お前がこんな注文するからだろが」
「男に二言はないんでしょ?」
「だからちゃんとしてんだろが」
「うん、よく似合ってるよ」
「嬉しくねぇって……」

 ……お分かり頂けただろうか?
 今蛮は銀次の罰ゲーム施行中により、女装をしているのだ。かなりの徹底振りを見せているのは協力者がヘブンとマリーアであると言えば納得いただけるだろう。しかも徹底振りは服装だけに留まらず、マリーアの手によって一日限りの胸まで移植されてしまっている。蛮にとってこれほどまで不快な事はないだろう。

「蛮ちゃん、無理に笑ってとは言わないから。せめて眉間の皺だけなくして?」
「……………」
「蛮ちゃん?」
「……わーったから。んな目すんな」

 今にも泣きそうな目をしてじーっと蛮を見つめる銀次。その視線に耐え兼ねた蛮はひとつため息を零し、折れた。そんな蛮に銀次は心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「あの……蛮ちゃん……もう一個……」
「あ?なんだよ?」

 まだ注文があるのか?とばかりに少し首を傾げる。よく見ると銀次の顔が微妙に赤い。

「腕組まないで……」
「は?」
「あのね……胸の谷間が……」

 銀次の言葉に蛮はふと視線を下へ下ろす。そこにはマリーアによって付けられた胸が、腕を組む事により『寄せて上げて』効果がついている。つまり谷間を強調した状態。
偽物にも関わらず、本物そっくりに作られたそれを銀次には直視しにくいようだ。その真意に気付いた蛮の頭に黒い角が生える。

「……なんだ?銀次 こんなんで盛んのか?」

 机に両肘を立てわざと身を乗り出す。すると腕を組んだ時よりも更に胸を強調させ、細めた瞳が楽しそうに光る。そして蛮の思惑通り銀次は思い切り視線を逸らせた。素早い反応の示し方に蛮は笑いを堪え切れずクスクスと控えめの笑いを漏らした。その蛮を銀次が恨めしそうに振り返る。

「……蛮ちゃん……」
「偽物だって分かってんだろ?
 なんでそこまで過剰反応になるんだよお前」
「……だって……蛮ちゃんだもん」
「何がだってか分かんねぇよ」
「だって蛮ちゃんに胸がって考えるだけで……なんていうのかな?
 盛る?」
「それを実行に移したら即スネークバイトかますからな」
「分かってるよ!俺だってそこまでバカじゃないもん!」
「ばーか、お前だから余・計・に、なんだろ」
「え!俺ってそんなに信用ないの?!」
「自分がこれまでにしてきた事振り返ってみやがれ」
「そんなにしてないよー」
「お前の脳みそ腐ってないか?」
「お待たせしましたー」

 今にも蛮の拳が飛んで来そうな雰囲気をウェイトレスの柔らかい声が中断させた。
 ほっと胸を撫で下ろす銀次を睨む蛮の前に注文した品々が並ぶ。
 いつものようにコーヒーが二つ。そして……

「こちら当店特性のパフェになります」
「は?」
「え??俺達パフェなんて頼んでないよ?」
「はい
 こちらのパフェは限定チケットをお持ちいただいたカップルのお客様にのみお出ししているものです」
「じゃぁ……」
「当店よりサービスとなります
 ではごゆっくり」

 さらっと説明を終わらせウェイトレスが去って行くのを見送る。そうしてから目の前に鎮座するカラフルな食べ物を凝視し始めた。

 カップル限定なだけあり、赤とピンクだらけのデコレーションがされている。
 苺にさくらんぼ、クランベリーが飾り付けられ、アイスの味も色を見る限りでは同じものだろう。それらの他にはポッキー(ストロベリー味)が三本とハートの形をしたクッキーが二枚。すくう部分がハートの形をしたピンクのスプーンが二本。
 ……言ってはいけないかもしれないが……これはどう見ても趣味の悪いバカップル専用の一品だ。全体的デコレーションの仕方はさすが人気店なだけあり可愛らしいが、店側の意図として「これを食べていちゃついてください」と言っているのがよく分かる。

「……ピンク一色だな……」

 蛮が呆気に取られた顔で感想を述べていると銀次の手がスプーンを取り、アイスを一すくい口へと運ぶ。

「うん、おいしいよ蛮ちゃん」
「……それはいいが……この手はなんだ?」

 更にすくったアイスが蛮の目の前に差し出されている。その先にはニコニコ顔の銀次。

―銀次がこの顔をする時はろくな事考えてねぇからな……
「あーん」
「やだ」

 即座に断る蛮に銀次は怯む事なく手を更に近付ける。
 こういう時の銀次は引く事を知らない。蛮が折れるまで頑として動こうとはしないのだ。

「蛮ちゃん?口移ししちゃううよ?」
「っ!」

蛮にとっては死の宣告に近い銀次のこの言葉。
周りの目もある上、今の蛮は銀次とかけっこをして勝てる訳がない。着慣れない服を着ているし、更にはミュール。いつものごとく走り去ることは不可能なのだ。

「ばーんちゃん?」
「………」

 こうなれば言う事を聞くしかない、と腹をくくり、そっと口を付ける。その際に少し伏し目がちになっているのを銀次はうっとりと眺めていた。その二人の光景は傍から見れば「ごちそうさま」って感じで……見てる方が恥ずかしくなる。

「ね?おいしいでしょ?」
「……もういらねぇ」

 とりあえず、目の前に差し出されたものは片付けたものの、その奥にはまだまだ残っているのが見える。銀次の笑顔がそのままである事がこれからまだ続く事を物語っている。

「えー?まだいっぱいあるよー」
―ほらきた……

 わざとにも素にも受け取れる声音。こういう笑顔を無敵スマイルとでも名付けるべきか……某ゲームの協力攻撃のようだ。
 想像通りの反応に蛮は眉間の皺を寄せる。

「俺が甘い物あんまり食わねぇの知ってんだろが」
「うん、でも俺一人じゃ全部食えないし……残すともったいない」

 蛮の逃げ道を確実に封鎖し、普段は出来ない事を満喫しようとする。蛮が照れ屋でこういった事が苦手である事を知っての上で実行するのだから蛮には腹立たしい事この上ない。
しかも今日は……

「蛮ちゃん俺に一日付き合うって約束したよね?」
「……………」

―どうしてこいつはこういうことなら頭の回転速いんだ

 駄目押しとも言える銀次の台詞。わざとだと分かっていてもどこか逆らえない雰囲気を持っている。これが雷帝であった証拠か……
 しかし蛮にも意地があるわけで……
 銀次のように甘い物大好き……ではない蛮。いくら二人分といってもその量は銀次なら軽くたいらげる量だ。それをわざわざ嫌な目をしてまで食べたくない。

「ん」
「ほえ?」

 じーと蛮を見つめていた銀次に蛮からアイスを差し出される。

「あーん」
「え!」

 ピンクのスプーンの上に桃の香りがするアイス。それを差し出している当事者が柔らかく微笑んでいて銀次はさらに驚く。
 恐る恐る差し出されたアイスに口をつけて反応を伺う。ちらりと上目遣いで顔を見るが変わりなく笑顔のまま……
 もう一度口元にアイスを運ばれ同じ事を繰り返した。ハテナマークを浮かべる銀次に蛮がようやく口を開いた。

「これなら食べれるだろ?」
「あ!そういう魂胆だったの!」
「あーん」
「蛮ちゃんも食べてよ」
「だからいらねぇっつってんだろが」

スプーンを差し出している逆の手で頬杖を付き軽く銀次を睨む。相棒になってそれなりに月日が経過しているのだから互いの好みも分かっているはずだ。それなのに銀次は蛮にどうしても食べさそうとしているようだ。
 いらないと言い張る蛮に銀次は少しも折れる様子もなく、自分も差し出す。

「だーめ!」
「なんだよ、俺の勝手だろ」
「蛮ちゃん最近痩せたでしょ」
「なっ!」
「この頃特に軽くなってるもん」

 真剣な視線が蛮を突き刺したまま動かない。蛮自身も季節の変わり目である故に最近食欲が落ちている事は分かっている。だが、それをこんな形で指摘されるとは思っていなかった。いや、むしろ鈍い銀次がそんなことに気付いているとは思わなかったという方が正しい。

「俺が気付いてないと思った?」
「………」
―正直に言えば思っていなかった。
 というか……そんな事心配されると思わなかった

 蛮のこれまでの経験上、自分の体の心配などされた事はなかった。邪馬人や卑弥呼と一緒の時は邪馬人の酒に付き合わされて何か食べるという事をしていたし、特に心配をするようなことはない。
 しかし今目の前にいる相棒はそんな小さな変化までも気付いているのだ。
 この事に蛮は何故か心が温まるのが分かった。そして心の底から感心をした。

「……そんなに分かるか?」
「うん」
「………」
「だって抱き上げた時軽いもん」

ゴッ

 銀次の放った一言に蛮の正拳突が見事に決まる。

「……痛ー」
「感心した俺がバカだった」
「えぅー」

 蛮の拳を顔面に喰らい鼻を押さえる。まだ殴った手が左だという事が救いだろう。
 その銀次を尻目に蛮はそっぽ向いていた。……が、おもむろにパフェをつつき始めた。

「蛮……ちゃん?」
「ん?」
「……大丈夫?」
「あぁ……クランベリーはそんなに甘くねぇから」

 パクパクと……とまではいかないが、普段は全く食べない蛮が食べている。
 これは嬉しい事なのだが、今の銀次にとって驚くべき内容でしかなかったりする。あの頑固者の蛮が自分から食べるなんて……

「早く食わねぇと溶けるぞ」
「え……あ……うん」
「……それとも食わせてもらわなきゃ食えないのか?」

 長いスプーンで赤いアイスを突きながらからかう色を含んだ声。いつもの蛮と代わりないその調子に銀次は少し安心していた。どういう風回しであれ、食べてくれているのだから。

「してくれるのなら」
「するわけねぇだろ」
「えー!……いいもん後で蛮ちゃんごと食べちゃうから」
「ゲホッ!?」

 この後銀次の頭にもう一個タンコブが出来たのは言うまでもなく……



―後日談

「蛮ちゃん あーん?」
「……んー」
「………何してんだ……お前ら……」

 ここは真昼のHONKYTONK。そのボックス席に奪還屋の二人が向かい合わせで座っている。簡単な依頼を済ませ、お互いにお疲れ様の意を込めてそれぞれに好きな物を頼んでいる。ので、いつものコーヒーが二杯。そして……

 フルーツたっぷりのパフェ。

 でそのフルーツたっぷりのパフェをつついている銀次が蛮にアイスを食べさせているのだ。
 情報屋も兼ねているこの店に士度がたまたまやって来たわけなのだが……最初に目にしたのがこの光景。

「あ 久しぶりー士度!」
「お……おぉ」
「何してるって見りゃ分かるだろ?猿回し」
「解りかねるから聞いてんだろが」
「見たまんまだよ?おやつの時間」
―そんな事聞いてんじゃねぇ!

 と声に出さなかったのは彼自身つい今しがた見た光景を忘れてしまいたいからだ。困惑の面持ちでカウンターに目を向けるとマスターはいつも通り新聞に目を向け、看板娘はどうやら買出し中らしい。
 そしていつもは見ない人影が一つ。

「こんにちは♥」
「……どうも」

 ふわふわのロングスカートに黒い髪。神の記述騒動で世話になったらしい、魔女マリーア=ノーチェスだ。

「……頭でも打ったのか?蛇や……いや……美堂蛮、は」
「ふふふ……無理しなくていいのよ?」

 花月からマリーアがどういう人物であるか粗方聞いているので、ビーストマスターである士度といえど、言葉遣いが気になってしまうようだ。

「何故あんな状況か聞きたい?」
「……出来れば……」
「うふ、正直ね。銀次君が蛮を気遣ってしてる事なの」
「気遣う?」
「蛮ね、季節の変わり目特に春から夏にかけての時期になると途端に食欲が落ちるの
 それで体調を崩すんだけど……今年は心配なさそう」
―なるほど……暑さに弱いわけか……それでやけに白いんだな
「ただあれが脅し無しで出来たら良かったんだけどね」
「脅し?」
「どうやら銀次君
 蛮の弱みを見つけちゃったみたいで……」
―どうりで……あのやろうが大人しくやるわけねぇからな

 マリーアの説明に納得をした士度が再度二人を見るとまた銀次が食べさせているところだった。差し出されたスプーンを咥える際に紫の瞳が細められて…唇から覗く赤い舌が艶かしい。
 はっと我に返り思わず見とれてしまった自分に舌打する士度の横でマリーアがくすくすと笑う。

「…………」
「ふふふ……
 蛮ももう庇護しなきゃならないなんて年じゃないから好きにしてもいいけど……
 無茶しないでね?好敵手は雷帝だから」

 そう言い残すとポールに「ごちそうさま」と言ってマリーアは店を出て行った。その後姿を見つめたまま士度はあっけにとられていた。士度にしては何故ばれているのか?といったところだろう。


 さて…ここで気になるのは銀次が見つけたという蛮の弱み。
 これが何なのか……語るのはまた別の機会。



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