あれは……耳鳴りがするほど静かで、空には雲一つない、晴れた日だった。
 訳もないのに泣きそうになる……思わず耳を塞ぎたくなる……そんな日。
 心臓を鷲掴みにされて息も上手く吸えないような、そういう感覚が俺を襲ってた。
 ずきずきと疼く胸を押さえて床に丸く蹲る。長い前髪が顔を覆っていて、表情はきっと見えない。

―じゃり……

 砂を踏みしめる小さな音が聞こえてきた。
 特に何もしないでいると気配が間近に寄ってくる。それでも反応をしなかったら急に体の上に何かが落ちてきた。

「っ!!?」
「わっ?!」

 何事かと思ってがばっと起き上がると素っ頓狂な声が聞こえた。ふと視線を移すと体の上から服がずり落ちる。見慣れてきた上着。雷小僧のだ。

「びっくりした……」
「………」

 声がした方を見ると腰を抜かしたらしい雷小僧がへたり込んでいた。……これでだいたい何が起きたか分かる。寝転んだ俺を見て雷小僧が上着をかけたんだろう。

「……余計な事すんな」

 少し睨み付けて上着を投げ返す。すると小僧の顔が少しむっとしたような気がした。不貞腐れながらも腰に上着をくくり付ける。

「……辛そうだったからかけただけだろ?」
「それが余計な事だっつってんだよ」



 眉間を寄せながらぶっきらぼうにそう言われた。ぐしゃっと前髪を掻き上げて遠くへ視線を投げる。……なんだか遠い存在になった感じ。
 ついさっきまで小さく、頼りの無い雰囲気を纏ってたのが嘘みたいだ。
 これが美堂くんなのか、それとも強がってるだけなのか……そんなの俺には分からなかった。
 でもなんだか……俺が独りにされてるみたいな錯覚に陥って……

「!」
「……………」

 片足を立てて座りなおした美堂くんの所に静かに近付いて、背中合わせに俺も座り込む。無言のまま……近付く事に許可なんか取らない。
 理由はどうであれ、今俺は美堂くんのパートナーになったわけだから、こんな事でいちいち許可なんか聞いてたらまともに仕事なんか出来ない。



 まだ疼きが治まらない胸をこっそりと押さえながらあさっての方向を向いて座りなおす。そんな弱っちいとこ見られるなんざごめんだからな。
 けど……
 突然雷小僧が背中に寄り掛かってきた。重い、ってわけじゃねぇけど……人の体重はしっかりと感じ取れる重さ。薄いシャツごしに体温が伝わってくる。
 ……耳を澄ませば………鼓動の音が聞こえた。

「…………………」
「…………………」

 ただ無言で座り込んでた。雷小僧も何か話すわけじゃない。俺からもこれといって何も話す事もないし……
 風だけが緩やかに通り過ぎていく。



 広い広い……一人で立つには広すぎる世界。『無限城』が今まで俺の『世界』だった。
 けど……そこから一歩踏み出してしまうと、なんて……広い世界なんだろう?<って感動した。
 でもそれと同時に不安になった。
 あまりの広さを前に、俺はちっぽけすぎて……何かに飲まれてしまいそうな気分になる。
 ここに、仲間は誰もいない。
 たった一人。一人っきり……

 背中を寄り添わせてるだけなんだけど……どうしてか一人ぼっち、っていう感じはなくなってた。広い世界に座り込んだのは俺一人じゃなくて……
 美堂君も……
 ………一緒……



 胸が疼く理由がわかったような気がした。『何か』に押し潰されそうになってたんだ。
 ただ……その何かってのを俺としては認めたくなくて、知らないふりをした。
 置いてけぼりにされた小さい子供のような感覚。

 それより何より……雷小僧がくっついてきたあとは胸の疼きが消えうせていったから、その事に多少なりとも驚いてたんだ。どこか居心地のいいその体温。
 ……でも……甘えたく、ない。



 不意に背中に感じてた体重が離れていった。途端に俺は後ろへと転がる。

「わ………っと……」

 ころんとひっくり返り後頭部を打たなかった事に少し安心をして上を見上げると美堂くんの視線とかち合った。
 ……ちょっと呆れてる感じ。

「……何やってんだ」
「……だって、美堂くんがいきなり離れるから」
「何か?離れる時はいちいち伺いをたてなきゃなんないのか?」

 どこか突き放したその言葉。音。
 きっとそれは美堂くんの生い立ちに関係あるだろうと最近考えるようになった。
 ……だから、最近はあんまり腹が立たない。

「……そんな事……ないけど……」

 ぽつっと零してゆっくり体を起こす。
 ふと視界の端で美堂くんが淡く微笑んでるのが見えて……

「!」

 慌てて振り返ったけど、美堂くんはすでに背中を向けてた。
 ……見間違い……だったのかな?



 背中を雷小僧の視線が突き刺さる。たぶんさっきちょっとだけ笑ったのに気付いたんだろ。
 ま、自分でも笑ってるのに気付いて慌てて背中向けたんだけどな。

 ふと空を仰ぎ見る。
 空には雲一つない……晴れた日。
 訳もないのに泣きそうになる。思わず耳を塞ぎたくなる。そんな日……

 に……なるはずだった。

 隣に人がいる。人の重さが感じられる。
 たったそれだけなのに……もう、苦しくも泣きそうにもならなくなった。

 少しだけ軽くなった心を抱いて俺は歩き出した。
 1・2mほど進んでから振り返る。
 するとまだ座り込んだままでぼんやりと俺の方を向いてる雷小僧がそこにいた。
 ちょっと意地の悪い笑みを浮かべる。

「……置いてくぞ?」
「え?……あ!ちょっ、待って!!」

 一言だけ言葉を漏らして再び歩き出すと雷小僧の慌てた風な声が聞こえてきた。次いで追いつこうと駆け出す音も聞こえる。

 今日で最後かもしれないな。


 青空を見上げて孤独を感じるのは。


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