―8―
残された蛮は自らの腕で視界を塞ぎ沈黙を守っていました。その腕が微かに震えています。
「……あいつ……」
小さく震えた声が絞り出されました。
「一発殴ってやる!!」
頬を朱に染めがばっと上体を起こすと急にがなり始めました。何が気に障ったのか、叩きつけた右手の下で床が抉れました。
蛮が咆えているのを全く知らずに、銀次は再び不動と対峙していました。先ほどの中庭で不動は爪を器用に使い真紅のバラを弄っています。その表情はどこか面白がっているようでした。
「このバラはてめぇの大事なものか?」
「うん、前までは」
「前?」
「今は側に蛮ちゃんがいるから……
それがどうなろうと俺は構わない」
バラを見下しつつ吐き出すように呟かれた言葉を聞き、不動は声を上げて笑い出しました。爪先で弄っていたバラを無残に切り裂き銀次の方を振り返ります。
「はははッ!とんだお笑い種だな!
腕を犠牲にして守ってやったのにどうでもいいものとは!」
「蛮ちゃんは知らないんだ
今俺が一番大事にしたいものがこのバラなんかじゃないって事」
「……で?……その大事なもんが無駄に傷つかないよう隠したってわけか」
「そうだ」
「くっくっくっ……いいぜ……その胸糞悪い考え方…<…br>
切り刻む楽しみが増えたよ……」
「悪いけど俺……そんなに柔じゃないから」
「そういう事は俺を倒してから言うんだなッ!」
吐き捨てるように言葉を紡ぐと不動は喜々とした表情で襲い掛かってきました。それを真っ向から迎え撃つように銀次が構えます。
遠く……雷が弾ける音と金属の擦れ合う音が蛮の耳に届いてきました。先ほどの中庭で衝突が始まったのでしょう。
その音の合間にバラが散っていく音が聞こえるようで蛮は無意識に体を震わせました。いつまでもこんな所でいるつもりはない、頭では分かっているのですが、焦りは判断力を鈍らせ目の前の扉を開く事が出来ないで居ます。
「ちッ!開きやがれッ!!」
ノブを掴みいくら引こうとしても扉は頑なに閉まったままです。右腕を負傷していなければこんな扉すぐに破壊出来るのに!……その考えが過ぎった時一際大きな雷鳴が耳に届きます。
「ッ……くそ!!」
余りの歯痒さに扉を両手で叩き付けました。そのままノブまで滑り降りると膝をついて凭れかかります。
―キィ……
「……あれ?」
くらりと突然上体が傾きました。それとともに小さな音を立てて扉が動きます。思わず蛮はその場で正座をしてしまいました。そっとノブを掴んで捻るとゆっくり押します。……すると扉はいとも簡単に開いてくれました。
「……外開きかよ……」
思わずその場で脱力してしまいかけましたが、再び雷鳴と金属音が聞こえ、蛮は弾かれたように駆け出しました。
手摺を乗り越えて下の階の踊場に着地します。それを2・3度繰り返すと下に下りる階段が終わってしまいました。窓の外に視線を投げるとまだまだ高さがあるようです。
「対侵入者用のつくりってわけか……ったく……こんな時に!」
愚痴を零しつつも蛮は下へと降りる階段を探して駆け出しました。窓の外では時折雷光が見えます。階段がなかなか見つからず焦り始めた蛮の耳に穏やかな問いかけが聞こえました。
「どうかしたのか?美堂」
蛮のすぐ側から雨流の声がしました。空中に靄が現れたと思うとそれは人を象り三人の男が現れます。
執事トリオです。
「もっといいネーミングはなかったのかよ……」
「いいだろう?分かりやすくて」
「あー……はいはい」
「それで……何をそんなに急いでいるんです?」
「早く雷小僧んとこへ行きたいんだよ!」
あまりに切羽詰まった響きを持つ声に三人は顔を見合わせました。とこか異常な雰囲気を感じ取ったのでしょう。
「だったらこの通路を使うといい」
そう言った花月を蛮が漸く足を止めて振り返りました。三人はふわりと壁に近付くとその場に座り込みます。
「十兵衛……俊樹……」
花月の声に答えるように二人が頷くと床と壁の間に手を差し込みました。そのままぐっと持ち上げます。すると壁に穴が現れました。
「ちゃらちゃらっちゃら〜♪」
「だーっしゅーつーこ〜う〜」
「その41」
「あぁ?」
どこで打ち合わせたのか、三人でびしりと手の平を翳すとそれぞれの担当文句を叫びました。対照的に蛮は呆気にとられています。
「この通路は滑り台状になっているから楽に到着する事が出来る」
「……なるほど……それならいちいち階段を探さずに済むわけだな」
満足したように頷くと蛮は片足を穴にかけました。これで滑っていけばすぐにさっき居た場所へ行けるのです。
「……ところで美堂くん」
「あん?」
今まさに飛び込もうとしていた時花月が穏やかな声をかけてきました。蛮としてはさっさと行ってしまいたいのですが、服の裾をしっかりとつかまれてしまったので何事かと振り向きます。
「もしかしてどこか出たい場所とかあるのかい?」
「……中庭だけど」
「え!?じゃあこの穴はダメだ!」
「はい?」
蛮の答えに正座をしていた花月は慌てて穴を閉じてしまいました。その慌てように一抹の不安を感じた蛮は訝しげに隣へ視線を投げました。そこにも花月と同じように正座をしている盲目の男、十兵衛がいます。蛮の視線に気付いたのか正直に答えました。
「この穴の出口は雷帝のプライベートバスへと一直線だ」
「ぷらいべーとばすぅ??」
「美堂が雷帝と仲直りするのに丁度いいと……」
「ちょーっと待て」
「「「ん?」」」
おかしな事を口走り始めた三人に蛮は待ったをかけました。どうやら何か誤解しているようです。
「俺は別にあいつと喧嘩なんかしてねぇぞ?」
「え?だってテラスで折り重なってたじゃないですか」
「無理に隠す必要はない……無理矢理迫られたんだろう?」
「そして一端逃げて決意を固めるのでは……」
「なんの決意だ……なんの……」
「だから銀次さんを受け入れる決意」
「なんでそんなもんしなきゃならねぇんだよ」
「照れる事はないぞ美堂
腕を無理矢理捩じ上げられて犯されたのだろう?」
「あんなに激しかったじゃないか」
「激しいって……何がだ?」
「扉を叩く音」
「ありゃ単に扉が開かなかっただけだ」
「あんなに軽い扉が?鍵も壊れてるしすぐ開くはずだけど……」
「………」
「……扉を引いてたんだな……」
「……ぅ……」
「……なるほど……」
「美堂くんにそんな可愛いところがあったとは……」
「うっせー!!それよかとっとと中庭へ続く穴を教えやがれ!!」
図星を指されて顔を真っ赤にした蛮が怒鳴りました。扉を必死に叩いていたのには違いないが、そういう風に取られているとは思ってもみなかったのでしょう。
「銀次さんのいる所へ行きたいって言って
中庭を目指すって事は……銀次さんは」
「……中庭でふざけた野郎と戦ってるよ」
「……そう……」
「しかし雷帝なら大丈夫だろう」
「いんや……相手はサトリを使う奴だ。気を抜けばこっちがやられる」
「分かった……すぐに案内しよう」
「待て花月」
先へ進もうとした花月に十兵衛が声をかけます。長い廊下の途中にある曲がり角で立っていました。
「中庭への出口はこっちではなかったか?」
「そこは違うぞ筧 少し戻った所にある左の曲がり角の方だ」
「え?この次の曲がり角を右じゃなかったっけ?」
「………」
見事にばらばらの場所を示す3人を蛮はただただ黙って見つめるのみでした。果たして無事に中庭に着くのだろうか?という不安が脳裏を掠めます。
「曲がり角にある脱出口ナンバーは419のはず」
「419!?一体いくらあるんだその脱出口とやらは!」
「今確認されているだけで600近い数だ」
十兵衛の冷静な答えに蛮は軽い眩暈を覚えました。たしかにそれだけの数が存在すればキチンと場所を覚えられないのも無理は無いでしょう。
頭痛を押さえるように額に軽く手を置きました。ついでに後ろへ下がり壁に凭れかかります。そうしている間に三人は各々が思う通路へと行き、穴の番号を確かめていました。
「……403……ここは違ったのか……十兵衛は?」
一番最初に確認出来た花月が小さく舌打ちをしました。穴に彫ってある番号を指先で触れつつ番号を確かめていた十兵衛のもとへと走り寄ってきます。
「4……1……0……違うようだ」
「じゃあ俊樹の所かな?」
ふと顔をあげると雨流がようやく入口を開けて番号を確認する所でした。少し間を置いて突然雨流が倒れてしまいました。
「俊樹!?」
「どうした!?雨流」
「……4……18……」
「……一番違いか……」
蛮はそんな三人のショートコントから目をそらすとふと足元を見ました。よくよく見てみると壁にうっすら四角の溝が出来ています。まさかな、と訝しげに思いつつも床と壁の隙間に手を差し入れて意外に重い板を持ち上げます。穴の入口をよく見ると数字が彫られてありました。
「……419……」
「あったんですか!?」
「むぅ……そんな所に!」
「雨流俊樹……一生の不覚……」
―誰か穴の場所を書き留めておいたらどうだ?
と思った蛮ですが、あえて口には出しませんでした。余計に虚しくなる気がしたからです。
―続く
―収録後
B:こんなもんが他にもあるんだよな?
K:えぇ、何せ600近くありますから
B:ってことは600近い出口があるってわけだ
U:同じ部屋に出るものがいくつもあるからな
ただ出口は暖炉の中だったりシャンデリアの上だったり
酷い時には電気スタンドの中というのもある
B:……それ物質的に無理じゃないか?
J:いや……それよりももっと酷い出口が……
B:電球の中とか?
K:それならいいんだけどね……
B:いい方なのかよ……
J:出口が断崖絶壁の途中というものもある
B:それって一発あの世行き?
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