―月夜
この日は珍しく見入りの良い仕事が入り、奪還するターゲットのおかげで遠出を強いられた俺達GetBackers。
奪還自体はすぐに終わったのだが(ま、当然だろ)帰りに渋滞のせいで時間食わされもう10時をとうに廻ってやがる。
まぁ、依頼主と会うは明日の昼1時。今晩くらいゆっくりしても構わないだろ……
ふとフロントガラス越しに月を見た。
満月よりちょい欠けてるくらいか。雲一つない綺麗な夜空。素直に綺麗だと思えるが……逆に綺麗過ぎて怖くなる。何か得体の知れない物に飲み込まれそうな、何かに縋らないと自分が消えてしまいそうな。
……はっ……何脅えてんだか。らしくもねぇ……
「ね 蛮ちゃん!月見しよう!」
「はぁ?季節分かってんのか?」
ったくいきなり何言い出すんだか……だいたい今の季節は梅雨で、おとついも大量に雨が降ったばかりだろ?
それに月見ってのは普通秋にするもんだろが。なーに考えてんだこの甘ちゃんは?
「月が綺麗だから見たいだけだもん」
頬を膨らませびちびちと両手を振り回して訴えてきやがった。
まぁ、こいつの短絡的思考でいくと『月見は秋にしかしちゃいけないなんて法律ないもん』とか考えてんだろ。
はぁ……人の気分も知らないで……
「ちゃんと掴まってろよ?」
「へ?ぅうわぁぁぁ?!」
一応忠告はしたからな。俺は急ハンドルで細い道の上、Uターンをかましてやった。
どうせ月見をするんならそれなりの所がいいだろ。
* * * * *
「うっわー……すっげー!」
Uターンしたとこからさほど離れていない小高い丘の上。まだ少し雨の匂いが残ってるが、ここなら建物に邪魔される事なく月見が出来るだろうと連れてきたわけだが……
車の鍵をかけたところで叫び声が聞こえてきた。ふと振り向くと銀次が草っ原に勢い良くダイブしてる。そのまま動かないと思ったらごろごろと転がり始めた。
……ぷっ……何してんだか。
「ガキだな…月見をしに来たんだろが」
ちょうど仰向けになった銀次を覗きこみながら言ってやった。するときょとんとした顔をしたがそのまま見つめるなんざ柄じゃねぇからさっさと横に座り込んでやった。
ずっとアクセルを踏みっ放しだった足を前に放り出すとかなり気持ち良い。そうして空を仰ぐと色ガラス越しに月が見える。冴え冴えとした白が淡い紫色になる。
藤の花みてぇだ……
「あれ?蛮ちゃん タバコは?」
俺の胸ポケットにはいつもの重みはなかった。タバコもジッポもすばるの中だ。
「吸わないの?」
……珍しいな。いつもなら「もっと本数控えてよ!」とか怒るくせに。
だいたい……
「灰皿がねぇから吸わねぇ」
「灰皿?」
「こんなに草が生い茂ったとこで灰なんざ落としてみろ
火事になっちまうだろ」
「あ そうか」
仰向けに寝転がり、ボケた返事を返しやがる。あまりにボケボケしてるからおもむろに鼻を摘んで引っ張ってやった。ちょっとしか引っ張ってないにも関わらず銀次は思い切りもがき始める。そこでぱっと手を放してやると振り回されていた腕がぱたりと下ろされた。
「何すんだよ!」
「ちょっと考えりゃすぐ分かるだろうが」
間髪いれずに放った突っ込みに銀次の頬がまた膨れてきた。
……見てて飽きねぇ奴。
ふと銀次の胴体に目がいった。特に何か考えての事ではない。ごく自然に……
「蛮ちゃん?」
……なんとなく銀次の腹の上に頭を乗せ、体を丸めてみた。
自分で言うのもなんだが……猫みてぇ……
……変な感じ。こんな事すんのはいつも銀次の方だからな。こういうのを新鮮とか言うのか?
……あ……何か気持ちいい……
「蛮ちゃん?どうしたの?」
「んー…別にー…」
どうしたも何も何気なくやった事だから別にとしか言えないってーの。だからまた黙っていた。
「蛮ちゃん?」
こうしてくっついているだけで何かから開放される感じがして心地良い。一枚の布越しに感じられる人の体温。心が和らいでいくのが自分でもわかる。
……涙が零れそうだ……
少し伏し目がちになっていると不意に銀次の手が頭に触れてきた。ふわふわと優しく撫でられ、その慣れない感触に少し身じろぐとそれは離れていった。また触れてくるのか、と待ってみたがちっとも触れてこず、俺はぼそっと声を漏らした。
「……手」
「え?」
俺としては手を触れたままでいてほしいと言いたいのだが、自分の性格が災いして上手く言えない。仕方ないので自分から銀次の手を掴みにいく。
抵抗がない事を良い事に捕まえた手を頬に触れさせた。触れた所が温かくなっていく。
「蛮ちゃん……」
「ん?」
「今日一日お疲れ様」
「……なんだよ いきなり……」
唐突に降ってきた銀次のすごく優しい声。まるで慰めるような音を含んだそれに俺は心の中がばれたような感じがして思わず声に棘を立たせてしまった。それなのに銀次がつっかかってくる事はない。その代わり……
「そのままの意味だよ」
「……う、わっ」
俺が掴んだ手をそのままに肩を掴まれ引き上げられた。そうして顔がぶつかりそうな位置で体を重ねると腰に腕を回してホールドしやがった。これじゃ逃げれやしねぇ……
それらの行動に眉をしかめていると頬にある銀次の手が動き、俺のサングラスを外していった。サングラス無しで見える銀次の琥珀の瞳は優しく見つめていて視線を逸らせなかった。
「……なんだよ?」
「……なんかね、蛮ちゃんの瞳を見たくなった」
その状態がすごく居たたまれなく、ぶっきらぼうに尋ねると幸せそうな声で答えやがる。
……けっ……つくづく甘ちゃんだな。
それでも顔を見る為両腕を銀次の胸元で立ててる俺もどうかと思う。呼吸を感じられる距離を保ち、顔はつかず離れずのまま。銀次の腕も腰に回されたまま。逃げられない訳ではないんだが……ま、逃げるんならとうに銀次にたんこぶの一つや二つ作ってとっとと逃げてるしな。こういう事ははっきりしないとつけ上がるからな、このバカは。
しばらくそうしてたんだが、途中からある事が頭を過ぎって銀次と目を合わせる事が出来なくなった。
……こんな事考えるのなんざ銀次の仕事じゃねぇか。
……今俺の頭にあるのは……柄にもなく…銀次とキスしたい……
………あぁーくそっ!何やってんだ俺は!!
「蛮ちゃん……言いたい事があったらはっきり言っていいよ?」
「……ん……」
んな事言えるか!!こっ恥ずかしい!!!
銀次の気遣いたっぷりの申し出に俺は心の中で発狂していた。……月は人を狂わすっていう迷信があるが……その影響か?
それとも……ババァが言ってた『魔女の血が騒ぐ』ってやつか。
……あー……鈍ちんの銀次が気付くわけねぇしな。観念して言うしかないか。しつこく何度も聞かれるってのも腹立つし……
「ごめん……蛮ちゃん聞こえなかった」
「……だから……口が……寂しいんだよ」
「???」
踏ん切りをつけて声に出してみたがあまりにも小さ過ぎて聞き返された。で、ストレートに言うのもなんだから少し含みをきかせて言ってみる。すると銀次が押し黙ってしまった。どーせちっこい脳みそでぐるぐる考えてんだろ。こりゃ期待出来ないな。
「……んと……どうしたらいいのかな?」
「……………」
……やっぱり。
予想通り過ぎる言葉に俺は突っ伏してしまった。やっぱこいつに期待すんのが間違ってんだよな。虚しい通りこしてむかついてきた……
「蛮ちゃん……あのさ……」
「……んだよ?」
俺が微かにでも怒っている事に気付いているらしく遠慮しがちの声が上からかかってきた。その声に俺は顔を上げる事なく返事をする。
「……キスしたい?」
ぼそっと、でもしっかり聞こえる銀次の声が響いてきた。……どうやら考え込んだ結果俺の考えと一致したらしい。
だが俺には肯定の言葉を出す事が出来なかった。
「…………」
「…………」
「…………」
嫌な沈黙が流れる。
その間俺達は少しも身動き出来ずそのままでいた。
「蛮ちゃ……」
痺れを切らせたのは銀次だった。少し脅えの入った声で呼びかけてくる。それでも俺は動けなかった。
さっきまでは『気付けよ!』とか思っていたんだが、分かってもらえた瞬間どっと汗が出てきた。体中が熱い。
「蛮ちゃん?……して……いいの?」
「……良くなけりゃこんな事言わねぇ……」
「でも蛮ちゃんいつも嫌がるでしょ?」
「だから今日はいいっつってんだろ?」
「…でも…」
「じゃあもういい…」
「あ!嘘!ちょっと待って蛮ちゃん!」
いつもは強引にでもしてくるくせに急に女々しくなりやがる。俺が先に折れてる時は必ずこうなる。
こういう時こそ強引にしてみろってんだ。
あまりにむかついてきたのでさっさと銀次の上から降りる事にする。いつまでも乗ってるつもりもねぇし……
腰に廻ったままの銀次の腕を解き、のそのそと降りかけた。が、解いた銀次の手に腕を掴まれ、また引き寄せられるかと思ったら体を反転させられた。どさっという音とともに目を開くと銀次が俺を上から押さえつけるように圧し掛かり、足の間に銀次の足を差し入れられている。
―どこで覚えたんだ?こんな押さえ方
俺の両手首を草の上に押さえつけ、額をコツンッと当ててきた。そうして視線をじっと合わせられ俺は思わず逸らしてしまう。
目を見られるのはあまり好きじゃねぇからほぼ条件反射だ。
それにもめげずに銀次はそのまま動かない。なんだか気まずくなりちょっと体を捩ってみた。……そんな程度で引く奴じゃねぇけど。
なんて事を考えてたらふっと額の感触が消え、銀次が口を近付けてくる。……してしまえばなんて事ねぇんだろうけど……するまでのこの間が俺にはいつまで経っても苦手で。自分の口に息がかかる頃には目を閉じてしまう。
―銀次の事女々しいとかあんま言えねぇな……この様じゃ……
「…ん…」
軽く触れてすぐに離れていった。普通のお子様向けのキス。なんとなく物足りないな……と思ったらまたキスをされる。何度か繰り返されると体がふわふわしてきて、すっげー気持ちいい……
軽かったキスが少しずつ深みを増してきた。それと同時に体の浮遊感も増してくる。さらに呼吸も荒くなって放される度に熱い息が漏れた。
いつもキスする時は仕事の合間とか運転の合間といった時ばかりだ。こんな風にゆっくりとした事はない訳で……どこか……柄にもなく嬉しかった。
−誰かに愛されるって、こんな気持ちになるもんなんだな。
周りの音が遠のいて互いの息遣いしか聞こえない。口の中がすごく熱くて、たまに聞こえる濡れた音がよく耳に響いた。
長いキスからようやく開放されると俺は一つため息をついた。少し酸欠になりかけてんな。息が上がってる。息苦しいけど、まぁしたい事できたから良しとするか。
息を整えようとしていると額にキスが落ちてきた。それに体がぴくりと反応を示す。急に別のとこされたらびっくりするっつーの……
俺の心を無視して銀次のキスが額、頬、瞼の上、顎。最後にもう一度唇に落ちてきた。どれも柔らかくて気を張る事のないキス。最後にしたディープキスもあまり時間が経たない内に開放してくれた。それからまた俺が呼吸を整えてると銀次は何もしてこなくなった。なんとなく気になって目を開くと銀次の琥珀の瞳と視線がぶつかる。何かに溺れたような……いつもと少し違う感じの瞳……
「……っ……んぅ」
「……蛮ちゃん……」
ゆっくりと降りてきたキスを受け止め、離れるかと思ったキスは微かに唇が触れる位置で止められ、掠れた声で名前を呼ばれる。唇が触れたまま話されると変な感じになる。また口づけられて今度はなかなか開放してくれなかった。角度を変えつつずっとくっついたまま……
やべ……くらくらしてきた……そうしてキスに気を取られていたら胸元に手の感触。それに思わずぴくりと反応してしまう。
なんか最近銀次の手が苦手……っつーか触ってほしくない?変に意識してしまうんだが……
そんな事考えてると銀次の手が腰の辺りに滑っていく。そこから上へと撫で上げ、また同じ所を通って腰へと降りていく。その感触に背筋がざわっと粟立つ。抵抗したくても舌を絡められてるから何も出来やしねぇ。こういう事する時って銀次は上手になる。それがちょっとシャクに触るが何も出来ねぇからどうしようもねぇ。
「……………」
「……ぅ……むぅ……」
未だに口を開放されずさすがに苦しくなってきた。体が火照ってきて、目尻に涙まで溜まってくる。息苦しい事を伝えようとTシャツを握ってんだが、当の銀次はお構いなしだ。
「……あ……」
「……蛮ちゃん」
ようやく口を開放されたら喉から細い声が出てきた。無意識とは言え、耳についちまったその声に眩暈を感じていたら首筋に生暖かい感触が触れてきた。それが銀次の舌だと分かったのは首に纏わり付いていた感触が鎖骨辺りまで降りてきた時だ。
片手は腰辺りを掴んだまま…もう片方の手がシャツの合わせ目に引っかかってきた。そのまま器用にボタンを外し、開いた服の隙間を縫って銀次の舌が這っていく。いきなりの事に絶句してたら銀次の両手がシャツのボタンを掴みにかかって……
―ガツンッ―
「っっっっっ!!!??」
声になってない声と鈍い音。
……俺は無意識に頭突きをかましたらしい……
「……ったぁ……」
俺の背後から間の抜けた声が聞こえてくる。どうやら向こうも突っ伏してるらしい…
―くそっ……銀次の石頭め!耳鳴りまでしてやがる……
「……蛮……ちゃん?」
「……………」
銀次が話し掛けてきてんのは分かってる。……でも今話し掛けてくれるな……
銀次の行動にも腹は立つんだが……何より自分のおとなしさに腹が立つ。何で俺はこういう事になると何も出来ねぇんだよ!
「あの……ごめん蛮ちゃん」
「何が?」
あ?何で銀次が謝ってんだよ?俺が頭突きかましたんだけど??
「あの……こう……いきなりこんな事して……」
「……あぁ」
そっちか。こいつの事だから本能に負けたってとこか?それが申し訳ない、と。ま、こいつらしいな。
「それよりも蛮ちゃん?」
「あ?」
打ったとこ大丈夫?痛くない?」
手が伸びてきて俺の前髪を少し上げさせて額を覗き見た。
この表情から読取れる言葉は「うあー……赤くなっちゃってる」ってとこか?
そんなに思い切りぶつけたか?
銀次の考えを読み取ってたら前髪を上げていた手が優しく擦り始めた。んなに痛そうか?
「痛い?蛮ちゃん?」
「……あんまし……」
「でもすっごく赤いよ?」
「……だったら弁償すんのか?」
「ほえ?」
俺の切り替えしに銀次は手を止めて考え始めたようだ。目が泳いでる。
「……俺……お金持ってない」
「……はあ?」
いや、確かに弁償っつったら金しか出てこねぇんだろうけど…俺達二人で一つの財布なんだから金を請求するわけねぇだろうが。
「一緒に働いてんだから金がねぇのは当たり前だろうが」
俺の指摘に銀次は納得したらしく照れ笑いを浮かべた。ったく……本当にバカ。
「え?じゃあ弁償って何したらいいの?」
「ここで胡座かけ」
許してほしいから何でもしますッ!な状態の銀次。せっかくだから有効に使わせてもらうぜ。罪悪感も拭ってやらなくちゃ……な?
ってな訳で芝生を叩きながら指令を出す。小さい頃やってみたかった事を銀次でやってみようと思ってさ。何て事銀次が気付くはずもなく、俺に言われた通り指定した場所で胡座を組んだ。
「……え?」
「そのままでいろよ?」
胡座をかいた銀次の肩に手をかけ、足の上に乗っかる。横向きに座り、座り心地の良いように自分で調節する。
ま、こんなもんか……
居心地を確かめて満足のいった俺はそのまま銀次の肩に頭を乗せる。すると無意識なのか銀次の腕が俺の肩に廻り支えるように抱きしめてきた。
「……蛮……ちゃん?」
「弁償代わりに罰則」
「へ?」
「罰として明日の朝まで俺ごと奪還物を守れ」
「蛮ちゃんごと??」
「そ。んじゃおやすみー」
「えぇ??」
俺の出した弁償代わりの罰則にうろたえ始めた銀次を綺麗に無視して瞳を閉じた。
瞼の裏に透ける月の光がいつの間にか心地よく感じられる。冷たく突き放したような青白い光。体に人の体温を感じられるだけでこうも違うんだな。
そっと薄目を開けて銀次を盗み見をしてみると、銀次は一人で百面相をしていた。少しの間眉間に皺を寄せて何とも言えない表情をしていたと思ったら、はっとし、少し青ざめる。そしたら次は今にもたれて腕を振り回しながら泣き叫びそうな顔をした。しばらくして急に真剣な顔をすると片腕でガッツポーズを作った。
―ホント見ていて飽きない奴
ほどなくして俺はまどろみに包まれそのまま眠りについた。珍しく夢のない深い眠り。ふわふわとして何も気に止めるものなどない。
……こんな眠りを俺は知らなかった。
* * * * *
余談―次の日の朝。すがすがしくてとても良い天気。一応罰則をきっちり果たした銀次に滅多に言わない誉めの言葉を与え体を伸ばすべく立ち上がった。
が、どうやら銀次の足が俺の体重を一晩抱えてたせいで感覚をなくしてた。
で、俺が立ち上がったおかげで足に血が通い始めたはいいが、痺れ始め更に立てなくなっちまった。突くとぴりぴりとするらしく、昼の12時までさんざん遊んでやった。
まさかこんな風になるとは思わなかったが、遊べたからいいか。
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