ニールが来なくなって三日目。
いつもは軽く済ませていた掃除を徹底的にした結果、今日まででやりきってしまった。さすがにフローリングのワックスまでするのは気が引けるが、ガラス拭きはしたので室内がかなり明るく見える。またしても手持ちぶさたになってしまった刹那は自室に入るとベッドの上にころりと寝転がった。
「………」
ぼんやりと天井を見上げていたが、不意に両手を掲げてみた。その腕を曲げて緩く輪を作ってみる。それは小さく、自分の体の中にすっぽりと埋もれてしまう大きさで…
「…にぃる…」
ポツリと呟くと両腕で顔を覆い隠した。
* * * * *
六日目。
公園に行き、すっかり大きくなった猫と一緒に木陰で涼んでいた。予定では明日帰ってくるはずなのだが、時間がなかなか過ぎてくれない。無意識に寂しさを醸し出してしまっているのだろうか?猫達はぴったり寄り添って鼻先を擦り付けては存在を主張しているかのようだ。お礼にと手の届く範囲にいる猫の頭を撫でたり、喉元をちょいちょいとくすぐったりしてやる。
「………!」
猫の気配にばかり気を取られていると突然手元が暗くなった。驚いて顔を上げると逆光の中に懐かしく感じる色彩がたたずんでいる。目を瞬かせていると聞き覚えのある声が降ってきた。
「まさかと思ったけどやっぱりいた。」
「…にぃる?」
「うん。ただいま。」
にこにこと微笑みかけてくる顔は変わらないはずなのに、何か違う気がしてじっとみつめてしまう。
「…帰ってくるのは…明日だと…」
「予定が早まったんだ。」
すとん、と横に腰を下ろすと刹那の手にじゃれ付いていた猫が鼻をひくひくと動かしながら寄って行く。ニールが鼻先に手を広げると少しの間嗅ぎ回りすぐに頭を摺り寄せていった。その態度に笑みを深めるとひょいと抱き上げて頬擦りをし始める。
「…?…刹那?」
「え?…あぁ、いや…その…おかえり。」
あまりに凝視し過ぎてしまったらしく不思議そうに振り向かれて言葉に詰まってしまった。しかし、言うべきだろう言葉は伝えられたので良しとする。ニールはというと珍しく言葉に詰まった刹那に疑問を感じながらも、直後に見せられたふわりと花が咲くような笑みに満足して微笑み返した。
その遣り取りをじっと見つめているのが猫だけではない事に…2人は気付いていない。
* * * * *
都心部に並ぶビル群の中にこれと言って特徴のないコンクリートの建物が一つ。目立つ看板を掲げているわけでもなく、正面玄関の上に建物を所有している企業の名前が書かれているだけだ。玄関の自動ドアを潜り抜ければ正面には受付が設置されている。そこには緩やかなウェーブを描く金髪に少し垂れ気味の目に知的な眼鏡を掛けた妙齢の女性が座っていた。特に迷う様子もなくまっすぐと近づいて行けば己の存在に気付いたのだろう、顔を上げて微笑みかけてくれる。
「あら…おかえりなさいませ。今日は随分遅かったですね?」
珍しい、と言わんばかりの声に話しかけられた方は苦笑を浮かべる。
「それはイヤミ?」
「いいえ?ただ部長が苛ついてらしてから。」
「あ〜…やっぱり?…」
「いつもなら苛つかせてしまう前に帰っていらっしゃるでしょう?だから珍しくて。」
「うん…まぁねぇ〜…」
「?何かあったんですか?」
帰って来るのが遅かったというだけでも珍しいというのに、先ほどから随分と言葉の切れが悪い。いつもの彼女、スメラギ・李・ノリエガからは全く想像の出来ない様子だ。あまりに珍しい事だらけの彼女に尋ねてみれば苦笑を返された。
「ちょーっと…ねぇ…」
「はぁ…」
「ま、とりあえず『部長』にフォローしてくるわ。」
「…えぇ…そうですね。なるべく早い方がいいと思いますよ。」
「ん、ありがと。」
ひらひらと手を振って受付から奥にあるエレベーターへと向かう。ボタンを押せば扉はすぐに開いた。向かう先の階を押さえてスメラギは壁に凭れかかる。じっと一点を見つめているようでその視線の先にあるものは見ていない。深い思考の中で彼女なりの答えを出しているのだ。数秒と言う間に答えを弾き出した彼女は静かに開く扉の向こうへと踏み出す。
「…随分ゆっくりとした昼食ですね?」
「あ…ティエリア…」
フロアに足を踏み入れたところで予想通りの人物が仁王立ちで迎えてくれた。肩で切り揃えられた髪を僅かに揺らして眼鏡をきらりと光らせる。
「そんなに店が混んでいたのですか?」
「いや…そんなことは…」
「だったら寄り道ですか。」
「あー…うーん…」
「連絡の一本も入れられないような所だったんですか?」
「そのぉ…」
「まぁまぁ…ティエリア…そのくらいにしておいて…」
「………ふん。」
メラメラと燃える瞳でずっと睨みつけていたのはティエリア・アーデ。今到着したフロア全体を仕切る部長の任に付いている。その彼をおっとりとした口調で宥めてくれたのはアレルヤ・ハプティズム。がっちりとした肢体に不釣合いなほど人が良く、この建物にいるメンバーで唯一ティエリアを宥められる人物だ。この所『仕事』が立て続けに入っていたので居てくれたのは運が良かったとしかいえない。
「ところで…どうしたんですか?スメラギさんが何の連絡もなしに戻ってこないなんて…珍しいですね?」
「うーん…ちょっとねぇ…」
「原石でも見つけたのですか?」
「え!そうなんですか!?」
「さっすが…鋭いわねぇ。」
「あなたの行動を予想するなど容易いことです。」
「あら、そう。」
きっぱりと言い捨てられたスメラギは苦笑を浮かべるしかない。彼との付き合いもさほど長いわけではないはずだが…人を見る目と洞察力は一品のようだ。
「それで?何を迷っているんですか?あなたに時間の感覚を失わせるくらいに『良い原石』だったのでしょう?」
「そうなのよ…でもねぇ…」
「「でも?」」
「あと4年ほどは待たないといけないかなぁ…って。」
「4年?!」
「子供なのですか?」
「うん。片方。このところ気になって目付けてたんだけど…」
「だったらもう片方だけでも連れて来たらいいじゃないですか。」
「…ダメなのよねぇ…」
「理由を教えてください。でなければ納得出来ません。」
スメラギの見つけた『原石』が子供だったと言うことはさほど問題ではないらしい。ティエリアもアレルヤも何故連れてこなかったのか、という事の方が問題としている。けれど、連れてこなかったのにはスメラギなりの理由があるらしく渋っているようだ。
「それがね…子供の方は…今はまだ可愛い子犬にしか見えないけど、あと2年ほどで獅子に変われそうなのよ。ヘタに私たちが手を出さなくてもね?」
「なるほど…自然に育った獅子の方が価値はあるでしょう。」
「じゃあもう片方は?」
「その子がべったり守ってるのよ。」
「「守ってる?」」
意外な言葉にティエリアとアレルヤの声が重なった。獅子になる子供が『守られている』ならまだしも『守っている』というのだ。
「うん。眠った黒豹をゆっくりと自分が育つのと同じように覚醒させようとしてる。」
「子供の獅子に眠れる黒豹…なんだか…すごいね…」
「…あと最低2年ですか……いいでしょう。その間にこちらの準備を整えておきます。」
「そうね。時期が来たら一気に駆け出せるようにしておくのがいいわね。」
情報と意見の交換を終えて満足したらしい、微笑み合う2人の表情を見てアレルヤは一つため息をついた。この2人がかみ合うと無敵以外の何でもないだけに、横から何を言おうと聞き入れてもらえないのだ。本格的な準備に掛かるという事はこれから忙しくなるだろう。自らは一番下っ端に当たるのだからかなりの仕事量になるに違いない。そんな予感に苦笑しながらもアレルヤは『原石』の2人に会えるのを心待ちにしていた。
* * * * *
いつものように部屋へと上がらせて飲み物を手に戻ってくると満開の向日葵のような笑顔をしたニールが仁王立ちになっている。首を傾げつつ手に持った盆を机に置くと背中に回していた手が挿し出された。
「じゃーん!」
「?…なんだ?」
至極楽しそうな声と目の前の代物にぱちくりと目を瞬かせる。
「刹那にお土産!」
「…土産?」
「うん!昨日は本当に会えるとは思ってなかったから持ってこなかったんだけど。」
「はい!」と受け取るように言われて両手を差し出すとそっと渡される。それを目の高さまで引き上げてじっと見つめると、窓から差し込む光にきらきらと輝いて見えた。丸く、箇所によって青にも水色にも見えるガラス珠の中にひらひらと風に遊ばれるように藍色の花が踊っている。その周りを緑、金、白といった丸いビーズがキラキラと光っていた。
「…綺麗だな…」
「ホントに!?」
「…嘘を言ってどうなる?」
「や…まぁ…うん。」
ほぅ…と溜息を漏らすように口から零れ出た言葉にニールがぱぁッと笑顔を咲かせる。訝しげに首を傾げるとほくほくと嬉しそうに座るのでいつもの通り向かいに腰を落ち着けた。机に置いてしまうのが勿体無いように思えて手に乗せたままもう一度じっと見つめているとニールがにじり寄ってくる。
「これさ、地球っぽいだろ?」
そう言ってくるりと周りをなぞるので改めて少し高い位置に掲げてみてみる。
「…あぁ…なるほど…海と透けて見える雲…といったところか?」
「そうそう!でさ。これ、刹那!」
「……………」
そう言ってびしりと指さしたのは中央でゆらりと漂う藍色の花だ。一体何故そんな発想が出てきたのか、と思わずしかめっ面をしていたが、掲げたガラス珠を見上げるニールは気付かなかったようだ。
「…花が…俺?」
「うん。浴衣着た時も思ったけど…刹那って青系が似合うよな。」
「………そうか?」
「絶対そう!黒髪も肌も、瞳の色も映えてすっげ綺麗だと思うんだ。」
どうもこの発想には付いていけそうもないのでこれ以上追求も反論もしないことにしておく。何よりもニールがとても嬉しそうだから、という考えも浮かんだが「まぁいいか…」と片付けてしまった。そうしてじっと見つめているとふと一つ脳裏に浮かび上がってくる。
「ならばこの周りに浮かぶのはニールだな。」
「…はい?」
今度はニールがしかめっ面を作る番になってしまった。刹那の指が示すのは花の周りを囲うように浮かんでいるビーズだ。じっとしばし睨めっこをしてみるがそれらしい理由が思い浮かばない。ふと掠めた事といえば小さいという事くらい。しかし、刹那の性格を考えれば背が低いとか自分と比較して小さいとかいう事は言いそうにない。なんたってまだ自分は成長期だし!と少し勇気付けたところでますます首を傾げてしまい、刹那と違ってストレートに疑問をぶつける。
「…どのへんが?」
「例えば…」
首を傾げつつぐるりと刹那へと振り返るとそっと指を動かしていくつかあるビーズの内の一つを指差す。
「緑はニールの瞳と同じだし…」
「うん。」
「白は肌の色に近いだろう?」
「んー…うん。」
そう言われてみれば分かるかも…と納得の意を告げるように頷く。しかし最後の『金』という色彩は己にはない、とニールは続きをじっと待った。
「金は…」
「金は?」
「ニールの髪の色。」
「?…俺の髪は茶色だぜ?」
「あぁ。」
これには納得しかねる、と更に疑問をぶつければ刹那の表情がふわりと動いた。
「ニールの髪は太陽に透けると綺麗な金色の光を放つからな。だからこれはニールの髪の色だ。」
「……そうなの?」
「あぁ。とても温かな色合いで…好きだな…」
「〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
緩やかに細められた瞳、柔らかな曲線を描く唇と眉にニールは息を止められたような衝撃を受けた。ニールの視点で分かりやすく表現するなら『天使の微笑』。おかげで顔中が熱くて思わず机に突っ伏してしまう。きっと今、顔面は真っ赤に染まっていて、刹那が見てしまえば熱でもあるのか?と更に額をくっつけられてしまうやもしれない。嬉しいような苦しいような事態を招いてしまっては本当に心臓が止まってしまうので、それを避ける為の行動だ。しかし刹那にはそんな事分かるわけもなく…
「?どうした?」
「ん…や…だいじょぶ…」
「??そうか?」
首を傾げるものの、ニールが手を翳して大丈夫だと主張をする為あっさりと引くことにした。その代わり机の上に置いてうっかり転がり落としてしまうのはマズイと思い、出窓へと置くべく立ち上がる。それを伏せた腕の隙間からニールが伺っていたのだが、刹那が気付くわけもなく…きっと無意識だろう、今にも鼻歌を歌いだしそうな笑みを浮かべて大切そうに飾っている。
−……超ド級な天然の誑しだ…
顔が熱いだけでなくバクバクと早打ちする心臓に呼吸まで息苦しくなり、なんとか治めようと必死になった。それでも刹那から目を離せずにいると、置く位置が定まったのだろう…刹那の手から離れたガラス細工は太陽の光の下できらきらと光を放っている。その輪郭をまるで手から離すのが寂しいかのように刹那の指先がなぞった。
−……………なんか……
その姿がまるで置き去りにされた子供が親に繋がる小さな希望を見つけたかのような…切ない気持ちが湧き起こるものだった。やっと手に入った小さな光を…大切に…壊さないように…と消えてしまうかもしれない不安に戸惑いながら手を伸ばさずにはいられない…そんな光景にニールはゆっくりと顔を上げた。
両手を広げてそっと差し出した。いつもならほんの少しの動きにも敏感な刹那は、全く気付く様子もなくガラス細工に魅入っている。広げた手の中に刹那を包み込むようにほんの少しだけ指を折り曲げて…ぎゅっと手を握り締めると再び突っ伏した。
−…俺が…もっとでかくて…もっと…大人だったら…
ちらりと見上げた先で刹那はまだガラスと向き合ったまま。その姿を見つめてニールはきゅっと眉間に皺を寄せる。
−刹那を抱き締めて…大丈夫だよ…って言ってあげれるのに…
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
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