目の前に広がる懐かしい景色。
銃を抱え、走っていく自分を見つけ出した時、全身が震えた。
……この直後に起きる事を知っている。
同じ過ちを繰り返さない為にも……この時の自分を止めたい。
小さな手に握る銃を取り上げて何もわかっていない自分に叫びかけた。
ちゃんとした幸せを手放さないように、親に幼い自分を預けて……
これで……救われるはず……
その小さな願いは鳴り響く銃声によって打ち砕かれた。
視線を下げた先にあるはずの銃がなくなっている。
「ッ!」
振りかえった先の闇から浮かび出てくる……立ち尽くした小さな自分。その手に握られた銃。
「過去によって変えられるものは、今の自分の気持ちだけだ。」
また……救えなかった……
その思いに溺れる中……鼓膜を震わせる声に肩がはねた。
「ほかは何も変わらねぇ。他人の気持ちや、まして命は……」
苦痛に満ちた声音。自分にかけられたものである以上に彼自身を攻めているように聞こえた。
それでも……
「お前は変われ……変われなかった俺の代わりに。」
背中ごしに語りかける声が心の底から震え上がらせる。
もう一度だけでもいいから……と願った声。
二度と聞くことが出来ないと絶望した声。
たとえこれが夢であったとしても構わない。
……聞きたかった……
「っ……」
詰まる喉に上手く呼吸が出来なくなる。ぎゅっと手を握り締めて溢れそうになる涙を耐えるので精一杯だった。
どれくらいそうしていただろう?背後で小さく笑う声が聞こえる。
「変わって欲しいけどさ……俺に懐いてくれるのは変わらなくていいんだけど……」
震える肩をそっと抱き締められて引き寄せられるままに体を寄り添わせる。目の前で組まれる指に胸の奥がきゅうっと絞め付けられた。大型犬が懐いてくるように肩越しで頬を擦り寄せてくる。柔らかな肌に触れ溢れだす涙が止められなかった。つぅっと流れる涙に気付いたのか、唇を寄せて拭い去っていく。手袋に覆われた手がそっと顎を掴み上げ、後ろへと引き寄せていった。
自然と振り返らされた先にいるのは最後に見た姿で……
右目に眼帯を当て緑のパイロットスーツに身を包んだ『彼』だった。
記憶の中と同じ優しい笑みを浮かべた彼の瞳に己の顔が映っている。体ごと向き合わされて頬を擽る唇は何度も触れてきた。
見てしまえば……消えてしまうかもしれない恐怖が徐々に溶けていく。
「……ロックオン……」
欲張ってもいいのだろうか?とそっと名前を呼ぶと深められた笑みに魅入られる。じっと見つめていると涙ばかりに沿わされていた唇が己のそれに重なってきた。
「……名前……」
「……え……?」
柔らかく唇だけで食むような優しい口づけを何度か施された後、小さな声に閉じた瞳を開く。そこには笑みが苦笑に変わってしまっている彼がいた。
「名前……忘れられたのかと思った。」
「……そんなこと……ない……」
「なかなか呼んでくれなかったじゃん。」
「……呼びかけたら消える気がしたんだ…」
小さく拗ねて見せる彼から少し気まずげに視線を反らした。弱り切った心が無意識に求めただろう、彼は……接触しようとしても光となって消えてしまう気がして自分からは何も出来ずにいる。願望から生み出されたのなら、せめて見るだけでもいいと思ったのを気付かれたくなかったし、淋しかったと話すのもまだ恥ずかしかく感じる。こんな時くらいとは思うが、やはり性格のせいか、話したくなかった。
「お前さんは相変わらず無欲だねぇ……」
苦笑を浮かべる彼にそんなことない、と言いたかったが、傍を走り抜けた影に気を取られてしまった。慌てて視線で追えば、銃を抱きか掛けた自分が走っていく背中が見える。
「ッまて!」
「刹那。」
一瞬にして思考を囚えた幼い自分に手を伸ばし、その腕を掴もうとした。けれど伸ばした手をつかみ取ったのは自分のそれよりももっと大きな、彼の手。遮られた先で幼い自分はまた闇の中へと走り去ってしまう。
「離せ!ロックオン!」
「刹那。これは過去なんだ。」
「しかし!」
「囚われるな。」
「ッ!」
両肩を掴み無理矢理振りかえらされて諭すような言葉を投げかけられる。子供の頃のようにじっくりと言い聞かすような声音にぐっと堪えた。
「過去に囚われて未来を見失うな。」
「……みらい……俺の未来とはなんだ?」
「……刹那……」
「ただ独りで歩み続けることか?あんたのいなくなった世界で独り生きることか?」
「………」
「俺には戦い続けることしか出来ない!守りたいものも守れず、救いたい命も救い上げることも出来ない!戦い続ける世界を止めることも!!」
堰を切ったように溢れだす言葉が止められなかった。
4年前からずっと囚われていた事が今でも己を鎖で繋ぎ捕らえている。自分がガンダムになれればすべてを変えられると信じていたあの頃。それは今も変わらない。あの時には変えられなかった世界を。今また同じ道を歩もうとする世界を、変えることが『彼』との、ニール・ディランディとの約束だったはずだ。
その約束を果たせず、また何も救えない自分は戦うことしかできなかった。
「違う道をともに歩きたかったあんたはもういないじゃないか!」
今なお繰り返す輪廻のような戦いの中で、自分の知らなかった温もりや心。気持ちをすべて教えてくれたのは目の前に立つ『彼』だった。その『彼』を失った自分に、果たして『過去に囚われない未来』などあるのだろうか?
「あぁ、そうだ……俺も『過去の人間』だ。」
低く放たれた声に肩が跳ねた。俯いた顔を上げることが怖くて地面ばかりを映しこむ。
「……過去を振り返るなとは言わないよ。」
「……」
「お前さんが守りたかった人も、命も、心も、みんな……何一つ失われていいものなんてないんだ。」
優しく鼓膜を震わせる声に涙が次から次へと溢れかえり、頬を流れては茶色の地面に黒いしみを作り出している。ゆっくりと紡がれる言葉にかつてオペレーターをしてくれたクリスや、プトレマイオスを操縦していたリヒティ……身体的な面で色々とサポートしてくれたモレノの顔が思い浮かぶ。
「でも俺は……後悔してない。」
「……」
「あいつを撃つ事は誰にも譲れなかったんだ。」
「……死んでしまっても?」
「あぁ。……もちろん死ぬつもりなんかなかったさ。でも……」
「……でも……?」
「あいつの呪縛からお前の過去を解放したかった。」
「!」
「他の誰でもない。『俺が』そうしたかった。」
弾かれたように顔を上げた先にあった彼の顔は真摯に胸の内を物語っていた。何が何でもあの男を撃ち墜とそうとしていたのは、彼の家族の仇討ちだとばかり思っていたのに。今になってそんなことを打ち明けるのは……ずるい……と声に出せないまま刹那の胸に突き刺さった。
「頼むよ……刹那……」
「?」
「俺みたいにならないでくれ……」
「……え……?」
「最期まで……過去の因縁に捕らわれ…仇を討つことだけに命を費した……俺みたいにはならないでくれ……」
「……ろっくお……」
そっと伸ばされた手は胸元に沿わされる。途端に跳ねる鼓動に気恥しくなるが、それでも顔を…目をそらせなかった。
「……ここに……まだ『俺』はいるんだろ?」
「……ん……」
「大事に……ずっと抱えてくれてるんだろ?」
「……ん……」
近づいてきた顔が更に近づき、こつりと額を合わせられる。胸を覆う大きな手に己の手を重ね合わせて与えられる温もりに瞳を閉じた。
「……一緒に……変われなかった俺も『変わらせて』くれ。」
「……」
「過去の為に戦うんじゃなくて…未来の為に『戦わせて』くれ。」
焦点が合わないほどの至近距離にある彼の顔は苦痛に満ちていた。囚われるなと言っておきながら、誰よりも過去に囚われていた自分。そんな己と同じ道を歩みそうな刹那の姿が苦痛でならないのだ。過去ばかりを振り返り戦わないでほしい。その願いが込められた言葉に刹那の心が震える。
「……ろっくおん……」
そっと名前を呼ぶと碧い瞳が開かれる。片目でも尚美しく輝く瞳にそっと手を伸ばした。柔らかく頬を包み込みゆっくりと顔を近づけて口づける。
「……刹那……」
「……過去ではなく……」
「……うん……」
「……俺たちの未来の為に……」
「戦わない未来の為に……」
「連鎖を……断ち切る……」
「あぁ……お前さんになら出来るよ……」
背中に手を回されて体を密着させられた。夢の中だというのにどこまでも温かな腕にもっと縋りたくなる。……けれど……
……歩みを止めることは出来ない。
「……ソラン……」
「……にぃる……」
「いつもここにいるよ。」
「ん……待っててくれ……」
深く抱き込まれて包まれる温もりが…変われないかもしれない不安も、また失うかもしれない不安も……ゆるりと溶かして行ってしまう。4年前……いつもすぐそばにあったこの腕は、幼い自分を守っていてくれたのだと実感した。
* * * * * *
「ッ刹那!」
「……まり、な……イスマイール?」
ふと開けた視界いっぱいに写る女性の顔に、誰なのか判断出来ると途端に全身を貫く痛みで呻いてしまった。右肩を抑え思考すら蝕む痛みに顔を顰めると支えるように体を寄り添わせてくれる。その温かさに彼を重ねてしまった。
「無理をしないで……酷い傷なのよ?」
起こした上体を再び寝かしつけられると汗で貼りついていた髪を掬い上げてくれる。傷のせいで発熱しているだろう、息苦しさに浅い呼吸を繰り返していると泣きそうなほどに歪められた顔が見えた。
「……どうして……?」
「……え……?」
「……おんなのこ……なのに……どうして傷だらけになってまで……戦場に行くの?」
その言葉にふと自分の格好に気がついた。パイロットスーツの下に来ていたインナーもスーツ自体も着ていないのでほぼ裸に近いのだが、丁寧に巻かれた包帯の上にタンクトップを着せられている。けれど体のラインはそのまま出ているし、包帯が巻かれているところからきっと全部脱がされていただろう。
「行かなくては……」
「……え?」
「女であろうと……人として……戦い続ける……」
「でもっ……」
「みんなが……仲間が戦っているんだ……」
「……刹那……」
「……信じる未来のために……」
まだ耳に残る声音に重ねてつぶやくと、マリナはそれ以上なにも言わなくなった。もっと体を大切に、大事にしてほしい。そう物語る瞳が胸に刺さるが、この歩みを止めることなどできない。
都合のいい夢だった。けれど……確かに彼の心を抱えた自分がここにいる。
ならば……
自分は変わらなくてはならないのだ。
夢の中で聞いた彼の言葉は…きっと真実だったのだから……
彼の想いを……願いを……かなえなくては……
その意思が刹那に力を与える。
遠い空の上で戦っている仲間を思い、霞む意識の中、体を起こしてダブルオーの元へと歩いていく。その歩みを止めることなく、支えて手伝ってくれる手に心を癒されながら……
「……マリナ……」
「なに?」
「また……歌を聴きにくる……」
ウィンチロープを握りダブルオーに乗る直前、そっとつぶやいた言葉に彼女は微笑みしっかりと頷き返してくれた。彼女の後ろにいる心配そうな表情をした子供たちの顔を見て上昇していく。なんとか操縦席にたどり着き、起動させると、ダブルオーはすぐに答えてくれた。
「……帰ろう……ダブルオー……」
浮き上がり、体に圧し掛かるGに傷が圧迫される。痛みが増しながらも目標を誤ることなく入力してもらってきた痛み止めを肩に打ち込む。わずかに引いた痛みに息を漏らしながらそっと胸に手を宛がった。
「……変わる……変わってみせるから……」
小さく呟いた声は風を切る音にかき消されてしまった。
10/12/22 脱稿
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