―その時は突然やってきた。

 プトレマイオスを宇宙空間に漂う岩石の間に隠し、近くに敵影がいないか哨戒に出ていた。まだ傷が完全に治っていないから無茶はするな、とアニューに念を押されていたが、今の現状を考えると多少の無理もしなくてはならないだろう。

俺は…ダブルオーの中にいたはずだった。
なのに…目の前のこの空間は一体…?


ここ…は?
−せ………な…………
…え?
−…せつな…
−ロッ…クオン?
…刹那
−ロックオン!


「どぅわぁッ!?」
「ッ!??」

 はっと見上げた視界は突如として真っ白になってしまった。瞬きを一つすると今度は素っ頓狂な叫び声を聞く。身構えようとした刹那だったが、時すでに遅く。何か大きなものが覆い被さってきた。

「ってぇ……なんだってんだ……」
「……こっちのセリフだっ……重いッ!」
「お、悪ぃって……刹那?」

 ようやく乗り掛かってきたものが起き上がると見覚えのある色彩が飛び込んできた。青にも緑にも見える光彩、柔らかい曲線を描くミルクティーブラウンの髪、砂糖のように白い肌。
 唖然と見上げる刹那のヘルメットのバイザーを勝手に上げて、その隙間から頬を長く綺麗な指先が触れてきた。

「刹那……だよな?」

 鼓膜を震わせる低いテノール。甘い響きとともに触れた指先から伝わる熱。通った鼻筋も、射竦められそうな切れ長の目も、微かに開かれた薄い唇も。何もかもあの頃のままに目の前に存在している。
 未だに言葉を告げられずにいると、頬に触れていた指先が唇へ移動してきた。輪郭をなぞるようにつぅ、と動く感触に、刹那はようやく我に帰る。
 覗き込んできている顔を鷲掴みにして遠ざけると座席の後部に備え付けてあるキャンピングセットの中を漁り始めた。その中から目的の物を引き摺り出すとぶつぶつ文句を洩らしている男にずいっと差し出す。

「へ?」
「着ろ。」

 端的に告げられた言葉と差し出されたものを見て、自分が全裸である事にようやく気付いた男は苦笑混じりに「りょーかい」と呟いてシートの後ろへと回った。宇宙空間ではあるが、コクピットには多少の酸素はある。だが、それも充分ではないので宇宙服を早々に来てもらって酸素を補給してもらわねば窒息してしまうだろう。
それを横目で確認して刹那は通信を開く。

「こちらダブルオー。今からプトレマイオスへ帰還する。」
『こちらプトレマイオス。了解しました。気を付けて帰ってね?刹那。』
「あぁ……スメラギ。」
『うん?どうしたの?刹那。』
「俺が着艦したらみんなをブリーフィングルームに集めて欲しい。」
『何かあったの?』
「今は話せない。戻ってから……」
『……分かったわ。とにかく無事に帰ってきて。』
「了解。」

 淡々と会話を終わらせた刹那は通信を切ると上げられたバイザーを下ろし、操縦桿を握り直す。するとタイミング良く、着替えが終わったらしく座席の横へ移動してきた。

「みんな……いるんだな……」
「……いなくなったメンバーもいる。」
「俺以外にも?」
「あぁ……」
「……そっ……か……」

 囁くように吐き出された声を最後に沈黙が降りてきた。あの頃のメンバーで誰かが欠けている事にショックが隠せないのだろう。眉をひそめて前方を見やっている。横目でその表情を見ながら刹那は前方にプトレマイオスと見慣れた機体が一機見えてきた事に唇を噛んだ。恐らく同じ方向を向いているこの男の目にも写っているだろう。

「せつ……」
「プトレマイオスの近くに浮いているのはデュナメスの後続機ケルディムだ。」
「ケルディム。」
「パイロットは『ロックオン・ストラトス』。」
「え?」
「お前の弟を俺が連れて来た。」
「……ライル……か?」

 男の震える声聞いていると通信ランプが点滅している事に気付いた。こちら側は音声のみにして通信を開くと予想通りの顔が映し出される。

『哨戒活動ご苦労さん。今回は無傷なんだろな?』

 からかう調子の声と笑みに隣で体を震わせたのを感じた。その事へ特に触らず口を開く。

「傷を作るのが好きなわけではないし、毎回ケガしているわけではない。」
『そりゃそうだけど?あんた危なっかしいからさ。』
「余計なお世話だ。」
『ま、いいさ。で?音声のみにして通信してんのとミススメラギの指示は関係ある?』
「ある。デカイ拾い物をした。」
「ッ!」
『ふぅん?じゃ、お先に入らせてもらうぜ?』
「あぁ、またあとで。」
『セツナセツナ、ハロモハロモ』
「あぁ、ハロも。またな。」

 映像には映っていないがあの優秀なオレンジ色のAIの音声も聞こえてきた。きっと耳(らしきもの)をはためかせていただろう。
 通信をOFFにすると隣で深いため息が吐き出される。ちらりと見上げれば複雑な表情に笑みを混ぜた顔をしていた。

「お前さん……デカイ拾い物はねぇだろ。」
「間違っていない。あんたは小さくはない。」
「あぁ、はいはい。それにしても……」
「………なんだ?」
「まいったな……いくら双子っつてもまだまだ瓜二つだなんてな……」
「……そうだな……みんなあんたが生きてたのかと疑っていた。」
「そりゃあれじゃあ疑うわな。」

 くすくすと小さく笑うその姿に思わず目を奪われる。
 何もかもがあの時のままだ。
 共に戦場を駆け回り、僅かな温もりを分け合っていた4年前。普段はきりっと上がった瞳は笑う事によって柔らかく曲線を描いて細められる。綻んだ口元にふわりと揺れる髪。最後に見た彼は右目に眼帯をしていたはずだが、今目の前にいる男は両目は確かに開いていて出会った頃のように見えた。

「?どうかしたか?刹那」

 こうして誰よりも、もしかしたら本人よりも刹那の変化にいち早く気付くところも変わりない。
 見れば見るほどにじわりと胸に広がる熱と困惑に操縦桿を握る手が震えそうになる。
 そんな自分に叱咤して刹那は前に広がる空間をにらみつけた。

「着艦作業に入る。どこかに捕まっておけ。」
「了解。」



 静かに開いたコクピットの下。
 いつもならイアンやミレイナ、フェルトが出迎えてくれるが、スメラギに頼んだ通りブリーフィングルームに向かっているだろう。誰もいないしんとした空間になっている。ちらりと横を見れば同じように着艦したケルディムがあるだけでパイロットも整備の人間もいない。あの優秀なAIもいなかった。
 それを確認して小さくため息をつくと降りるべくウインチロープに捕まり、今だコクピット内にいる男に手を差し出す。

「降りる。捕まれ。」
「へ?一緒に降りるのか?」
「足を滑らせて落ちられても面倒だ。」
「なんで落ちる前提になってんだよ……」

 苦笑を浮かべながら差し出された手を握りロープを掴む手に己の手を重ねてきた。近づいた体に寄り添って背中に腕を回すと相手の腕も自分の背中に回ってくる。ゆっくりと降りていく間腕から伝わる重みと熱にとろりと瞳が下りかけた。記憶にあるそれよりもさらに回ってしまう腕に己の成長を垣間見た気がする。これは度々見ていた夢でも過去でもなく、現実で目の前の男は4年前のままで、自分は4年の月日を経て大人になった。時間の流れが確かにここに存在する。
 思わず力が篭ってしまった腕に気付いたのか背中に回された腕にも力が篭められた。

「……刹那……」

 格納庫の床に足が付きロープを放したのに背中に回った腕はそのままだった。それに困惑し瞳を上げると優しげな瞳とかち合う。そっと囁かれる名前に身動きすらとれなくなっているともう片方の腕も回され、互いの体がぐっと近づいた。

「……なに……」
「……でかくなったな……」
「そう……か……」
「あぁ、顔の距離がこんなに近い。」

 思わず顔を背けたのに男の手がわざわざ向きを直してくる。ヘルメットごしに見える顔はどこか嬉しそうで、どこか悲しそうに見えた。もし互いにヘルメットを被っていなければその唇が己のそれを塞いでいたかもしれない。いや、間違いなくそれが成されていた。2人の間を遮る透明な素材が憎い。ヘルメットごしにしか触れてこない手が歯がゆい。
 そのまま時間が止まったように動かない体を奮い立たせて柔らかな拘束から逃れるべく胸を両腕で押しのける。

「……みんなが待っている。行くぞ。」
「……りょうかい。」

 * * * * *

 リフトを握り廊下を進む間互いに無言だった。
 緊張をしているのか、戸惑っているのか……その理由は定かではない。ただ、目の前を行く記憶より僅かに大きくなったシルエットを追いかける。
 ふと手元に視線を落とす。
 宇宙服に包まれた手は確かにその服独特の繊維を伝え、つい先ほど腕の中に収めた細い体の感触を伝えていた。ぎゅっと握り締めれば微かに反発するグローブの感覚。とん、と足を付けば僅かに反発する床の面。何もかもがおぼろげに感じることなくありのままを体に伝えてくる。

−生きて……いるのか……

 まだ俄かに信じがたい状態ではあるが、確かに己は『ココ』に『存在』している。刹那の姿から何年か過ぎていることは容易に判断出来るが、その間自分が何をしていたか思い起こそうにも全くの白紙で……覚えていることといえば宇宙空間を漂う己の体。ふと視線を巡らせば光の翼を広げこちらに向かってくるエクシアの姿。あの機体に刹那を重ね合わせ青い地球を指差し全てを託した。それだけだ。
 そこまで頭の整理をしてふと気付く。……視界が広い。何気なく左手を顔の右側でひらひらと振ってみれば確かに自分の左手が見える。左目を閉じてみても見えるということは、自分の右目は健在だということだろうか。
 さらなる事実にため息しか出ずにふと前を向くと丁度刹那がリフトを放し扉の前に着地したところだった。どうやらブリーフィングルームに到着したらしい。

「………」
「……うん?」

 先ほどから至って平静を勤めているがじっと見上げてくる刹那はまたヘルメットのバイザーをミラーにしてしまったので表情が伺えず、何もかも見透かされてしまいそうでドギマギしてしまう。それを誤魔化すように小首を傾げれば緩く首を振ってタッチパネルを操作した。
 小さい音を立てて開く扉に吸い込まれるよう、刹那が入って行ったのを見て窮屈な首元を弛め、ヘルメットを脱ぎ去った。己もすぐ続くべきかと悩んだが先に刹那がなんらかの説明をした方がいいのだろうか、と踏み止まる。

「おかえり、刹那。」
「……ただいま。」

 開けられたままの扉から響く少し深みをましたようなスメラギの声に耳を済ませていると、少しだけ間を置いて刹那が返事を返している。4年前は返事するかどうかも分からないほどのきかん坊だったのに…と成長に淡く笑みを漏らしているとどうやら早速本題に入っていくようだ。

「それで……話とは何?刹那」
「………」
「着くなり至急って言われたもんだからこっちはパイスーのままなんだぜ?」
「俺も同じだからそれぐらい我慢しろ。」

 言葉を詰まらせてしまった刹那を無理矢理にせっつくような事はせずに軽口を叩けば刹那の鋭い返しが発せられた。そんなやり取りも出来るようになったんだなぁ、などともはや父親のような心境で聞いていると懐かしい声が響く。

「言いにくい事なのかい?」
「刹那……言ってくれ。」

 いつもの心配性な声のアレルヤに続き聞こえた柔らかな声に目を瞠る。戦線離脱してしまった頃辺りから雰囲気が和らいできた感じのあったティエリアだが、今の言葉は明らかにあの頃よりもずっと柔らかい音を持っていた。変わったなぁ、などと一人ごちていると意を決したのか刹那が口を開く。

「……さっき……ロックオンに言ったが……拾い者をした。」
「ひろいもの?」
「あぁ、なんでもデカイものらしくてな。通信でも音声のみだったんだ。」
「それでは、その拾得物はダブルオーの中か?」
「いや、連れてきた。」
「「「「連れてきたぁ!?」」」」

 イマイチ要領の掴めない刹那の言葉に色々突っ込んで聞いていれば『拾得物』を『連れてきた』という。思わず突っ込みを入れると刹那は事も無げに頷くだけだった。「おいおい……」と呆れたライルの声がする。

「連れてきたって……生き物なの?」
「マルチーズとか?」
「君はバカか。マルチーズがデカイわけないだろう?」
「それもそうか……」
「それ以前にこんな宇宙空間に犬がいるわけないだろうが。」
「あはは……」
「まさか……あのMr.ブシドーとかってストーカーじゃねぇだろうな?」
「あんなの連れて帰ったところで邪魔にしかならない。」
「うーん……それじゃあなんですかぁ?」

 痺れを切らしたミレイナが首を傾げて答えを促すと刹那はまた黙ってしまった。そんな刹那を心配したフェルトがそっと名前を呼ぶと俯きがちになっていた顔が上げられる。

「俺は……どうすればいいか分からない。」
「え?刹那?」

 微かに震えて聞こえるその声に室内がピンと緊張を帯びたのを感じ取った。廊下の壁に凭れたまま事の流れを静観していたが、扉の中から刹那が僅かに体を乗り出してくる。無言のその行動はどうやら入室の許可らしい。
 一つ呼吸をして腹に力を入れるとその扉の端を掴んで体を滑り込ませた。

「……ぁ……」

 最初に反応を見せたのはフェルトだった。ライルはまるで凍りついたように入ってきた人物を穴が開くほど凝視したままになっている。他のメンバーは目を丸くしてしばし見つめた後、慌ててライルを振り返り、そしてもう一度振り返る。
 前にも一度似たような反応をするみんなを見た気がする、と刹那がデジャブに囚われているとイアンの震える指が男を指差した。

「お、お、お……オマエッ」
「マジ……か?」
「ろっく……おん……なのか?」
「まさか……本当に?」
「……兄さん?」
「……えーと……」

 皆各々に何とか言葉を紡ごうとしているが、まったくもって上手く声にすることが出来ず、驚きのあまり声すら出せずにいるメンバーもいる。それらの反応をぐるりと見回し、彼は苦笑を浮かべた。

「ロックオン・ストラトスことニール・ディランディ。ただいま生還しました……でいいのかな?」

 なんとも申し訳なさそうに言うその言葉を皮切りに室内がどっと賑やかになった。
 涙を浮かべながら拳を見舞うライル、溢れる涙に動けなくなってしまったフェルトを優しく撫でるニールにラッセとイアンがその背中に張り手を食らわせている。痛そうに顔を歪めているところへ更なる追い討ちをかけるようにスメラギが泣き笑いの表情で頬を抓り上げ、その横でミレイナが楽しそうに嬉しそうにはしゃいでいた。鼻の赤くなったアレルヤと溢れる涙をこらえ様としているティエリアを纏めて抱きしめ背中を叩きあっている。

「こいつの処遇をみんなで決めてくれ。俺はそれに従う。」
「処遇って……刹那?」

 全員がニールを囲い、ひとしきり感情をぶつけた後、ポツリと囁かれた言葉。その言葉に反応したスメラギが振り返ればいつの間にか入り口まで移動しヘルメットを脱ぎ去った刹那がいる。だが、スメラギが驚いたのはいつ移動したかではなく、その頬に流れる涙だ。スメラギの硬直ぶりに他のメンバーも異変に気付き、ニールも振り返れば驚きに目を見張ることになる。

「刹那?どうしたんだ?!」

 部屋から出て行こうとする刹那に慌てて駆け寄るティエリアにも僅かに首を振ってみせるだけで、もはや言葉の一つも告げない。その様子に心配は募るばかりだ。先ほどまで普通に話していたはずだが、よくよく考えば、ずっとバイザーは下ろしたままで表情は確認していない。声もいつもと変わりなかったはずだが、こんな状態を見せられてはそれすらも疑わしい。
 なんとかティエリアの腕を解いて出て行こうとする刹那の横にニールが近づいてくる。

「何もなくはないだろ?」
「ッ……」
「お前さんが人前で泣くなんてよっぽどの事だ。何があったんだ?刹那」
「……〜ッ」
「刹那?」

 優しく、それでもどこか有無を言わせない響きを持つその声がしんと静まり返る部屋に響く。いつもかたくなに話さない刹那を解きほぐしてきたのはニールだ。だから今も大丈夫だろうと横に来ていたティエリアも少し下がり傍観し始めた周りに反した事態が起こってしまった。
 俯いてしまった刹那の表情を伺おうとニールが屈んだその時……

「……ば……」
「え?」
「ッ 万 死 !!!」

 ひゅッ……と鋭く風を切る音とともに刹那の腕が振り上げられたかと思うと、手にはヘルメットが握られている。それが確認できたと同時に滅多に聞けない刹那の大声と共に振り下ろされ、ヘルメットは目標を誤る事無くニールの横っ面へめり込んだ。
 微重力の影響もあり、ニールの体が軽く吹き飛ばされ壁へと叩きつけられる。いや、微重力でなくとも同じ結果だったかもしれないが……
 まさかの展開に室内にいたメンバーの誰もが口を閉ざし、背中へ冷や汗を滑らせていた。その間に刹那は部屋から飛び出している。しばしの時間、部屋を支配する沈黙。

「そ……それはティエリアの十八番だろーッ!!!」
「「突っ込むところがちがーうッ!」」

 がばりと上体を起こしたニールの第一声にライルとティエリアの声が綺麗に重なった。


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