ヴェーダとの交信が切れ絶望に駆られたが、スメラギの事前対策によってマイスターを含め全員が無事だった。用意していたプログラムも正常に動き一先ず危機を回避できたといってもいい。
 負傷したロックオンも右目が使えないとは言え数時間まえにカプセルから出ていた。その安堵感からフェルトは胸を撫で下ろし自室へと向かっている。非常事態に備え、休める時に休んでおこうと思ったのだ。

「…刹那?」

 ふと通りかかった展望室に誰かの姿を見つける。そっと入り口に近寄るとじっとガラスの向こう側を見つめている刹那だった。フェルトの中では今頃ロックオンの元にいるのだと思っていたので驚いてしまう。

「………」

 ぽつりと佇むその背中が何故か泣いているように見えて恐る恐る傍へと歩み寄る。横まで来るとやはり泣いてはいなかった。

「…大丈夫?」
「…何がだ?」

 そっと囁きかけるとゆっくり瞬いて振り返ってくれる。その表情はいつもと変わらないが『何か』を感じられて「なんでもない。」とは言えなくなった。フェルトには紅い瞳の中に後悔や悲しみといった感情が渦巻いているように見える。そしてとても苦しんでいるようにも。だらりと垂れた手を優しく掴み取り体温を分け与えるように両手で包み込む。

「刹那が…苦しそうに見える…」
「………」

 フェルトはいつだって刹那の感情に鋭い。どこか近いものがあるのか…ロックオンですら気付かないことに彼女は気付いてみせることもあった。じっと見つめて来るフェルトに刹那は視線を下げていく。柔らかく温かく包み込む両手に大きな手が重なって見えた。

「…俺は…戦うことしか知らなかった…」
「…うん…」
「ここにきて……仲間との絆を知った…」
「…うん…」
「…人を…大切に想う心を知った…」
「…うん…」
「でも俺は…奪うことしか…出来ない…」

 すぅ…と闇に呑まれていく声音にきゅっと握った手に力を込める。そうでもしなければ堕ちていきそうな刹那を繋ぎ止めておけないように感じたのだ。ガンダムのシステムダウンによる不測の事態から招いた出来事であるのに、刹那はまるでロックオンの目を傷つけたのは自分であるかのように受け止めている。フェルトの目にはそう映っていた。

「…そんなことないよ…」

 軽い言葉をかける気はない。けれども他にどう言えば分からず浮かぶままに紡いだ言葉でも刹那は顔を上げてくれた。その行動にほっとする。

「だって刹那は…ロックオンにたくさんの感情を与えてるように思うもの。」
「…感…情…?」
「刹那が来るまではね…笑ってたけど…どこか寂しそうだったもの…」
「…ロックオンが?」
「うん…」

 刹那がソレスタルビーイングに来たのはロックオンよりずっと後だ。だから刹那が来る前のロックオンを知っている。ずっと近くでその明るい性格に惹かれ…兄のように慕い…家族のように温かな存在に寂しさを癒されてきた。
 けれどフェルトは知っている。
 最後のマイスターとして刹那が合流してからの変化を。物腰の柔らかい人だがどこか一線を引いていたロックオンが、刹那だけはその線の内側に招いている事を。どこか憂いを含んでいた笑顔がとても柔らかなものに変わっていったのを。
 フェルトは知っている。
 刹那を呼ぶロックオンの声がとても優しいのを。
 そして分かっている。
 フェルトがその二人を見るのがとても幸せだということを。
 だから今彼女はとても寂しい思いをしている。
 好きな二人が一緒に笑い合っていないから…

「ねぇ刹那?」
「…ん…?」
「ロックオンがね…怪我したのは誰のせいでもないんだって。自分のせいだからって…微笑んでた。」
「………」
「だから…刹那が敵を食い止められなかったせいじゃ…ないよ?」
「…………ありがとう…」

 寂しげに微笑みそっと手を解くとふわりとその場を後にした。その背中を見つめてフェルトはぽつりと呟いた。

「どうして…すれ違っちゃうんだろう…」

 * * * * *

 どこへ行くでもなくふわふわと廊下を移動していると食堂から出てくるスメラギを見つけた。手にボトルを持っているからきっと酒を取りにきたのだろう。けれど栓抜きの類を持っていないことに首を傾げた。思わずじっと見つめているとこちらの存在に気付いたらしく、手招きをされる。少し戸惑いがあったが、どこか有無を言わせない視線が自然と足を動かした。

「ね…このところちゃんと寝てる?」
「今までと変わりないが。」

 そっと頬を撫でる指先に小さく首を傾げて素っ気無く答えると難しそうな表情を浮かべられる。

「でも昨日は寝てないんでしょ?」
「…仲間が…負傷したから…」
「………そうね。」

 言われた通り昨夜は一睡も出来ていない。ロックオンが負傷したというのもある。しかしぽっかりと開いた心の穴が苦しくて上手く眠れていないのもあった。それでも任務の為…戦いの為と誤魔化して無理矢理眠りにつこうと寝転んではいたが…結局は一睡もしていない。
 そして今…部屋にいても息苦しくて落ち着かなかったので艦内をふらふらと移動していたのだ。

「………」

 ゆっくりと俯いてしまった刹那を見つめてスメラギは複雑な表情を浮かべる。今目の前にいるのは会った頃よりずっと大きく育ったはずなのにとても小さな迷子の子供に見えた。その姿とこのところのロックオンの雰囲気を照らし合わせて自分の予想が間違っていなかった事を認識する。

「…刹那…自分の気持ちに正直にならないと後悔するわよ?」
「……何…?」
「彼は狙撃手なのよ?その生命線である利き目を負傷した。」
「………」
「それがどういうことか分かってるでしょ?」

 言い聞かせるように強めの語調で語りかけた。言わんとしている言葉の意味を正確に察したらしく垂れた手がぎゅっと握り締められた。

「彼のことだから今まで通り出撃するって言うでしょうね。」
「…っ…」
「いい?失ってからじゃ遅いのよ。」

 俯いたままふらりと歩き出した刹那の後姿をスメラギは何も言わずに見送った。そしてそっとため息をつく。

「…そんな事…させないけどね…」

 それはどこか懺悔にも似た響きを持っていた。

 * * * * *

「……で?」
「………」
「お前さんはいつまでそこにいる気?」

 部屋に戻ってからしばらく経ったが、じっと動かない気配にドアを開いた。開いた瞬間逃げられるのではと警戒していたが目標は動いていない。僅かに安心していつも通りに気さくな雰囲気を装い言葉を掛ける。そこに居たのは深く俯いた刹那だ。部屋に戻ってきた時は居なかったはずだが、いつの間に来たのか…廊下の壁に凭れてじっと動かずにいる。

「…俺の勝手だ…」
「お、やっと口きいたな。」
「………」

 茶化したような言葉を掛けると首に巻いたストールを顔の半分まで引き上げた。そのまままた微動だにしなくなる。無意識の内に辿り着いたロックオンの部屋の前でどうしたらいいのか分からなくなってしまったのだ。
 ぐるぐると思考に呑まれていく刹那に対してロックオンの表情は深い安堵に包まれていた。打つ手なし…と落ち込んでいたが、向こうから出向いてくれたらしい。このチャンスを逃すわけにはかない。

「ほら、さっさと入れよ。」
「…入る資格はない。」
「資格は関係ないだろ?部屋の主が入れっつってんだから。」
「………」
「担ぎ上げられたいか?」
「……やだ…」
「じゃ、さっさと来なさいな。」

 ふるふると首を振ると手を掴まれて引っ張り込まれる。無理矢理引きずり込まれるような強さもなく、すぐに振り解けたのだが引かれるままに部屋へと入っていった。後ろで閉まるドアに焦る心も湧きあがらず寧ろ迎え入れられてどこか嬉しくなっている。部屋に充満する彼の匂いが酷く落ち着かせてくれた。
 ふと弛む手の力に思わずその指を掴み取った。革ごしに感じる温もりに視界が滲んできている。

「…なんて顔してんだよ。」
「…いつもの顔だ。」
「出来てねぇよ。」

 突然握られた指に驚いたのか振り返ったロックオンが苦笑を浮かべている。その手が髪をくしゃくしゃと掻きまわしていった。

「…ろっくおん…」
「んー?」
「いなくなるな…」
「うん?なんだ?急に。」

 ぼさぼさになってしまったのだろう髪に手櫛を通して粗方整えたのか、今度こそ離れていく予感から頭に乗ったままの手を両手で捕まえる。そのまま引き寄せて頬を寄せた。大きく温かく包み込む手に縋りつくようにきゅっと指に力を篭める。

「………すき…」
「!」
「すき…だいすき…」

 ぽつりと囁かれた言葉にロックオンは目を瞠った。ゆるりと上げられる瞳が涙に揺れながらも真っ直ぐ見つめ返してくる。重ねられる言葉と共に瞳からはらはらと雫が流れ落ちていった。

「…うそじゃない…」
「………」
「ほんと…は…だいすき…」
「…刹那…」
「だから…いなくならないで…」

 小さく震えながらも必死に伝えようとする刹那に自然と微笑みが浮かんでくる。それは刹那が嘘じゃないと言ったとか、自分の直感が間違ってなかった安堵感からではなく…心から本当に大好きと言ってくれた事に幸せが込み上げてきているのだ。

「…戦うなとは言わないんだ?」
「…あんたを止めることは…できないと…思う…から…」
「…から?」
「おれが…守ってみせる…」
「…そっか…」

 即答される言葉に苦笑を浮かべてしまう。彼女は分かっているのだ。自分が戦いに出ずに居られない事を。そして戦いから遠ざけても今の状況では安全な場所など存在していないことを。だから自分が盾になるのだと言うのだ。その覚悟に痛みを訴えていた胸が和らいだ気がした。

「お前さんさ…俺が何の覚悟もなく離さないっつったと思ってる?」
「…?…」

 止め処なく溢れてくる涙を指先で掬い、赤く染まる頬にもう片方の手を沿わせる。涙に揺れる瞳がじっと見上げてくるのへ言い聞かせるように顔を近づけた。

「俺たちは互いに色んなものを失ってきただろ?」
「……」
「多くの命も奪ってきたよな。殺してなくても傷つけた人だっているだろう。」
「…っ…」

 言葉を紡ぐ度に刹那の瞳が後悔や懺悔の色を深くしていく。けれど伝えたいのはもっと別のことだ、と自由な腕でその体を抱きこんだ。

「でもな…そんな事、俺にとっちゃ問題じゃないんだ…ただ…お前さんと与え合いたんだよ。」
「……………おれ…と?」

 驚きに見開かれる瞳に自分の顔が映るのを見つめながら静かに頷いた。するとぷるぷるっと否定しようと首が横に振られる。

「…俺は…奪うことしか出来ない…与えたりなんか出来ない…」
「そんなことねぇよ。だって…」

 意味ありげに区切られた言葉に刹那はじっと続きを待つ。するとロックオンはゆっくりとはっきりと言い切る…

「俺が失うものはもうない。」

 その言葉に瞳が見開かれる。声が出せずにゆるゆると首を振ると小さく笑い声を漏らして深く抱き込んできた。弛んだ手から離れていった手が背に回されてぐっと近づけられる。

「俺にはもう…何もないんだよ。」
「…そんなこと…」
「あるさ。俺の心も命も魂も…ぜーんぶ…刹那に持ってかれたからな。」

 こつりと額を合わせ緩やかな弧を描く瞳が刹那を映し出している。吸い込まれそうな澄んだ色に紅い瞳がとろりと緩められた。そっと彼の右手が心臓の上に重ねられる。とく…とく…と早く打つ鼓動がその大きな手から伝わりそうで恥ずかしさに瞳を伏せた。すると開いてと懇願されるように瞼へ柔らかく口付けられる。急かされる様に何度も繰り返されるうちにゆっくりと開くと微笑みを浮かべたままのロックオンの顔があった。

「だからさ…刹那のすべてを俺にちょうだい?」

 とく…とく…早打ちする鼓動を手の平で感じながら刹那の答えを待ち続けた。
 怪我の功名と言っていいのか…刹那の作り上げた壁は彼女の涙と共に流れ去ったようだった。そうして紡ぎ出された言葉を、花冠のように繋げれば刹那を怯えさせていた事が見えてくる。彼女なりに悩み、対等になれないどころか…己に関わるせいでロックオンが何かを失う事を怖がっていたのだ。
こんな幸せがあるだろうか?
 相手に何も失って欲しくないと傷つくのも厭わずに距離を開いておきながら、精一杯開いた腕で必死に守ろうとしている。
 …なんて…愛しいのだろう…?

「…刹那…」

 そっと呼ぶ名さえも愛しく感じる。離れたと思っていた相手が実際はこれほど近くにいたのだ。悲しみから一転したこの喜びをどう伝えようか…
 見詰め合う瞳を反らせずにいると二人の間で握り締められていた小さな手が解かれ、そっと自分の胸に当てられる。その動作に驚いて瞬いているとそっと唇が開かれた。

「俺の全ては…ここにある…」
「……え…?」

 囁かれた言葉が上手く受け取れずに固まってしまうと、ぽふりと額が摺り寄せられた。猫が甘えるような仕草に心臓が跳ね上がる。

「俺の…心も…命も…魂も…」
「…せつ…」
「全部…ここにある…」

 ゆっくりと上げられた顔に己の顔を近づけると、呼気が触れるほどの距離でじっと見詰め合う。互いの瞳に互いの顔を映し出しているとそっと首に細い腕が巻きついてきた。引き寄せられるままに唇を重ねると柔らかく触れてすぐに離れていく。すると今度は黒く覆われた右目の上に唇が寄せられた。

「刹那…」

 首の後ろを掴み今度はロックオンから唇を寄せる。互いの温もりを分け与えて僅かに離れると瞳を伏せた刹那の表情が見えた。溢れる想いのままに再び口付けると今度はもっと深く重ね合わせる。

「…ん…」

 舌先で突付けばすぐに開かれる唇からおずおずと小さな舌が差し出された。いつにない積極的な彼女に驚きながらも寄り添えばもっととより深く合わせてくれる。

「…っは…」
「…刹那…」

 触れなかった時間を埋めるようにたっぷりと絡めあって離れる頃には刹那の呼吸が上がり、二人の間を銀糸が細く引いてぷつりと切れた。とっくに立てないほどに体の力が抜けた彼女を壁に押さえつけて涙に揺れる瞳を見下ろす。赤く染まった頬に唇を寄せてストールに指を掛けるとゆっくりと引き落とした。

「っ…ロックオン…!」
「だめ?」

 甘えたような言葉に頬が熱くなる。思わず反らしてしまった視線をおずおずと戻すと優しげな笑みに隠れた獣を見つけた。今までの触れ合いを考えると当然だろう。むしろよく今まで静観出来たかの方が感心するところかもしれない。それに…自身も望んでいなくはない。けれど…

「鍵…閉めてくれ…」
「?いきなり開けられるこたないだろ?」
「…邪魔されたくない…」

 さすがにいきなりドアを開く人間がいないのは知っているが、施錠して欲しいと言ったのは不在である事を伝える為だった。そんな刹那の考えを汲み取ったロックオンは顔がにやける自覚をしながらも頬に口付けてタッチパネルに手を伸ばした。

「……へっ…?」

 少し刹那から目を離した隙にその小さな手がベルトへと伸ばされていた。金属のぶつかる音を奏でながら緩めてしまうとティーシャツを引きずり出される。するとカンガルーの子供のようにもぞもぞと潜り込んで来た。

「なぁにやってんの?」
「………」

 素肌の上に滑る刹那の髪がくすぐったくて笑いが漏れる。声をかけてももぞもぞと動いていたがふと止まってしまった。何をする気なのか?とじっとしているとぺたりと手が沿わされる。形を確かめるように這い回っていたかと思ったら…ちゅ…と可愛らしい音と温かく柔らかな感触がした。一度だけかと思えば腹の上や脇腹へ移って行き、鳩尾まで上がってきたかと思えば鼓動を確かめるように左胸でじっと止まる。触れる肌や髪の感触から耳を当てているらしい。
 そんな刹那に笑みを浮かべるとベストを脱ぎ捨てて手袋も外してしまう。そうしてまるで妊婦のような膨らみを作っている刹那をシャツの上から撫でるとぴくりと跳ねたのが分かった。頭の辺りを一撫でしてその場に固定するように抱き込んでしまう。すると一瞬強張ったようだったが次第にその体から力が抜けていった。

「そのままいろよ?」
「?…ん…」

 半ば熱に浮かされたような声での返事を聞き、腕のリーチを大いに活用して黒い腰布を解く。しゅるりと布擦れの音にびくりと体を跳ねさせて毛を逆立てた猫のような驚き方をした刹那に笑いが漏れた。

「そこまで驚くこたねぇだろ?」
「〜〜〜ッ」

 過剰な反応をして恥ずかしいのだろう、額をぐりぐりと押し付けて怒りを表現している。ついでに離せと言いたいらしく沿わせていた手を突っぱねているが、簡単に離してやる気はなかった。刹那がシャツの中から出てしまわないようにと片腕で押さえ込みながら自分はするりと脱いでしまう。そして脱いだシャツをそのまま刹那に被せてしまった。


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