博士と執事の後日談−
青年はジャケットのボタンを閉めながら音もなく階段を下りていた。自室として使わせてもらっている部屋は、主の部屋の真上に位置する場所にある。気配を察知する事に敏い主は物音に対して非常に敏感だ。音を立てずに速やかに起床して身支度を整えるとまず浴室へと入った。初日には分からなかったが、主は起き抜けにシャワーを浴びる日課があったようだ。目覚ましの為だという。
なので、彼が一日で最初にする仕事は入浴の準備。冷えたタイルに静かな流水音になるよう注意しながらお湯を流して温める。手の甲で念入りに確かめて満足のいく温かさになったところで脱衣所に戻った。棚からタオルを取り出して小さなカゴに着替えとともに入れていく。それを洗面台の横に置くと部屋から出る前に指差し確認をした。抜けていないことに納得いくと廊下を早歩きに進んでいく。次の仕事は主を起こす事だ。
「……」
扉の前で服と髪を正して一つ深呼吸をすると、ドアを三度叩く。数拍置いて入っていった。
「おはようございます。本日は思わしくない天気でございます」
カーテンを閉じた部屋は薄暗い。けれど配置も広さも把握した部屋はつまづくこともなく歩くことが出来る。まっすぐに窓へと寄るとカーテンを開け放った。自室で見た通り、空は曇天。予報では昼頃から雨が降るらしい。
「……ん……」
晴れた日よりは多少暗いが、先ほどよりも明るくなった部屋に主の呻き声が漏れる。薄い上掛けを盛り上げて寝起きの微睡みに抵抗するよう、もぞもぞと動く様子が可愛い。しばらく見つめていると気だるそうな顔が覗く。のそり、と差し出された手にすぐ傍へ膝をつくと恭しく取り上げて口づけを落とした。最近になって恒例になった朝の挨拶だ。始めは握り返すだけだったのだが、寝起きの表情に不満が見え隠れし、思考錯誤の末に辿りついた答えだった。
「……はよぅ」
「はい、おはようございます」
満足そうに薄く浮かぶ笑みが褒め言葉の代わりだった。この年になってこの可愛さは犯罪だな、と笑顔の裏で平常心を取り繕う。起き上がるのに合わせて立ち上がると脱ぎ捨てられていた上着を肩にかけた。起き抜けの気だる気な動作と生肌はかなり目の毒だ。
「……シャワー」
「はい。準備は整っております」
「ん」
まだ完全に覚醒していないだろう舌っ足らずな声を聞きながら一緒に部屋を出る。これが青年、東方仗助の一日の始まりだった。
* * * * *
昼過ぎ。資料として使っていた書類のファイリングを手伝っていると来客のベルが鳴り響いた。作業を途中で切り上げて玄関へと向かっていると窓を雨が叩き始める。早く客を招き入れないと濡れてしまうな、と心持ち早足で辿り着きドアを開けた。
「お待たせしました」
「!?」
玄関前に立っていたのは、承太郎の愛娘の徐倫だった。てっきり父が出てくると思ったのだろう、鳩が豆鉄砲を食らったような表情になっている。
「こんにちは、お嬢様」
「へ!?」
「お父上でしたらただいま書斎におられますよ。どうぞお入りください」
「あ……はい」
事態が飲み込めず言われるがままに入ってきたその手に大きな袋が握られている。
「お荷物をお持ちしましょうか?」
「あ、大丈夫。自分で渡すから」
「かしこまりました」
ということは承太郎への土産だろうか。袋の表面に並ぶ英字を見るとどこかの店の名前のようだ。エスコートするように前を歩き先ほど出てきた書斎に戻ってくるとノックをしてから声を掛けた。
「博士、お嬢様がいらっしゃいました」
一言声を掛けてから返事を待たずに扉を開ける。なぜなら返事は分かり切っているからだ。
「どうぞ」
「あ、ありがと」
「お茶をお入れして参ります」
「あぁ、頼む」
徐倫が入ると仗助は入れ違いに出てキッチンへと向かった。そろそろ一息入れるにもちょうどいいし、承太郎のリクエストでケーキも焼いてある。出すにはうってつけだな、とティーセットの他にもケーキを運ぶ準備を始めた。
一方、書斎では閉じられた扉を徐倫がぼんやりと見つめていた。
「よく来たな」
「あ、う、うん。突然来ちゃってごめん」
「構わない。ちょうど山を越えたところだ」
「そっか……」
話しかけてきた父の声にぱっと振り返るとソファー前のローテーブルから広げてあった書類を移動させていた。手伝おうか?と聞く前に片付いてしまい所在なさげに立つのみになってしまう。するとソファに腰かけた承太郎が隣を指し示した。座りなさい、という事らしい。どのくらいの距離で座ったらいいだろう?と考えつつ、なるがままに、と座ってみたら思ったより遠くて自分の度胸のなさにしょんぼりしてしまう。そんな徐倫の心境など知らない承太郎は首を傾げつつ、なぜかしょんぼりしているように見える彼女の頭を撫でてやった。
「あのさ……」
「うん?」
「さっきの誰?」
「あぁ、初めて会うんだったな」
とりあえず何か話を、と思った途端、今しがた見た見知らぬ人物が頭に思い浮かぶ。自らに課せられた使命から人を傍に置きたがらない父がこんな近くに誰かをいさせるなんて意外にもほどがある。もしかしてSPW財団の人かとも思ったけれどももっと雰囲気が柔らかい気がした。親しいのかな?と更なる疑問に首を捻る。
「んと……父さんの友達?」
「いや、叔父だ。お前からしたら大叔父になるか」
「……大叔父???」
「あぁ、ひいじいさんの息子だからな」
「つま、り……おばあちゃんの兄弟?」
「弟だな」
「若ッ!!」
初めて知った親戚の存在に驚きが隠せない。しかもよくよく聞けば年は父よりも下で徐倫の方が近いという。徐倫がうんと小さい頃、日本に行った際に色々とあって仲が良くなったらしい。けれど酷い違和感が湧き上がってきた。先ほどの二人に対する対応の仕方だ。親戚で、父の叔父である彼がなぜあんな話し方をしているのだろう?
「失礼します。大変お待たせをいたしました」
「あぁ、御苦労」
うん、やっぱり変。
大きなトレイにティーセットとケーキを乗せて入ってきた男はローテーブルにそれらを広げる。最後にポットへ茶葉を放り込むとカバーをかぶせた。さらに一緒に持って来ていた砂時計をひっくり返すと次はケーキの切り分けへと移って行く。綺麗に盛りつけられた皿を徐倫へ、承太郎へと渡すと最後に自分の分を取り分けて向いのソファへと座った。
「紅茶はもうしばしお待ちください」
「仗助」
「はい」
「徐倫に自己紹介してやれ。混乱している」
「かしこまりました」
再び立ち上がると恭しく一礼をする。その仗助に徐倫も背筋をぴっと伸ばして向かい合った。
「初めてお目にかかります、お嬢様。
わたくし、東方仗助ともうします。博士の執事を務めさせていただいております。以後お見知りおき下さいますよう、よろしくお願します」
「!執事!?」
「はい、秘書も兼ねておりますので仕事のスケジュールも管理させていただいております」
「本当はいらないんだが、本人たっての希望でな。仕方なく、だ」
横に座る父のうんざりとした顔を見てまた目の前の青年へと向き直る。今聞いたとんでもない情報が信じられないながらもゆっくりと脳内に染み込んできた。執事、秘書……
「ずるいわ!」
「は?」
「え?」
ぎゅっと拳を握りしめたと思えば意外な言葉が叫ばれる。これにはさすがに成人男性二人してきょとんとするしかなかった。きっと目尻が吊り上がったかと思えば、勢いよく承太郎へと顔を向けて言い放つ。
「私もハウスキーパーになる!」
「「……」」
決めた!とばかりに立ちあがると拳を強く握りしめ言いきった言葉に承太郎は眉間へシワを寄せた。何かがいろいろ飛んでいる気がする。落ち着かせようと手をかざしながらも自分の脳内でも何とか整理しようとしているのか、米神に指が押し当てられていた。
「徐倫?……何がずるいと感じてそこに考えが至ったんだ?」
「だって娘である私ですらずっと傍にいれないのに、お、お、おお、じ?」
「仗助で構いませんよ」
「ん。仗助は四六時中傍にいるんでしょ?親族でも執事って仕事が務まるんなら私だってやりたい!」
とんでもないことを言い出した娘に眉間のシワはより一層濃く刻まれていく。仗助の時ですらここまで困惑はしなかったのだが、実の娘に、となると破壊力は大層変わってくるようだ。なんにせよ、仗助とはまったく立場が変わってくる以上、早々に諦めてもらわねば、と慎重に言葉を選びとる。
「いや、まて。こいつと同じ職に就いて私のところに来るというのがどういうことか分かっているのか?」
「分かってるわ!心身共に仕事をこなしてもらう為に些細なことまで気を配る仕事で!」
「そこじゃない」
「じゃあ、何?」
「こいつの仕事は親族関係、及び血族関係を捨てて従事する事だ」
「大丈夫よ!私にだって出来るわ、そんなことくらい!」
「そんなこと、か……」
まだ続きそうな説得の言葉に耳なんか貸すもんか、と言わんばかりな徐倫だったが、承太郎の瞳が切なげに揺れて思わず肩を跳ねあげてしまう。急に黙ってしまった父にどうしたのか、と警戒心も顕に表情を覗くべくそろりと屈もうとした。しかしそれよりも先に承太郎の顔が上げられる。
「徐倫」
「な、なによ」
「私はお前に『お父さん』とだけ呼ばれたい」
「うっ」
あ、落ちた。
じっと成り行きを静観していた仗助は表情には一切出さずに苦笑を浮かべていた。あの威厳に満ちた気難しげな人間が切なげな表情で寂しそうに言葉を告げてくる状況に、実の娘でも抗えないようだ。むしろ、抗える人間がいたら見てみたい。ただ、質が悪いと思うのは、当人は至って無自覚でやっているところだ。寂しそうな顔しないでください、と以前言ったら至極不思議そうな表情をされてしまった。今や懐かしい思い出だ。
もし承太郎自身が断り切れないようなら仗助から何かしら言葉をはさんで諦めさせようと考えていた。それこそ、自分一人で賄えているので必要ない、とか。少し厳しいとは思うが、数年ごしにようやく手に入れた場所だ。娘であろうと欠片ほども譲る気はない。
「……分かった。仗助は特別なのね」
「そうだな。代わりは誰にも務まらない」
「そっか」
しょんぼりとはしているが最終的に折れた徐倫は力なくソファに座り込んだ。尖らせた唇が未練たらたらだ、と言わんばかりの雰囲気だ。仗助もソファに座りなおし、紅茶がちょうどいい頃合いになったので注ぎ始める。その向いでは承太郎が徐倫の頭を優しく撫でていた。
昨日買い物に出た時に見つけたというヒトデやクラゲといった海の生き物のぬいぐるみを土産に持ってきていた。ぬいぐるみの紹介が終わると承太郎が無表情の中にもそれらを手にとりつつ、嬉しそうに瞳を細めて見せるのを紅茶とケーキを楽しみながら眺める。そんな穏やかな時間を過ごしていた徐倫もそろそろ帰る時間だ、と席を立った。
「じゃ、また来るわ!」
「あぁ、気をつけてな」
あっさりとした別れの言葉を交わし合う親子を見ていた仗助はふとある案を思いついた。けれどいきなりこの『案』を申し出るのは厚かましいかもしれない、と踏みとどまる。
見送りをする為に、と彼女と一緒に玄関まで付いて行く。そろりと盗み見た彼女の表情は予想通りまだ少し未練が残っていた。せっかく父と思う存分、近くで過ごせる希望を見出したのに速攻で潰されてしまったのだからしょうがないのだが。可愛い女の子にそんな表情をさせて、自分でも居場所を譲らない為とはいえ、少し大人気なかったかな、と反省してしまう。
それでも精一杯の笑みを浮かべて玄関から出ていく彼女に仗助は今しがた思いついた案を実行しようと思い立った。
自分の居場所を欠片も譲ることなく彼女が喜び、かつ父娘間の蟠りを軽減させる方法。
「お邪魔しました。お父さんの事よろしくね」
「はい。かしこまりました」
「それじゃ……」
「お嬢様、一つよろしいでしょうか?」
来た時よりも少し淋しげな笑顔になってしまっている徐倫を引きとめると、にっこりと笑みを浮かべた。
*****
「……帰ったか?」
「はい。送迎を申し上げたのですが、断られてしまいました」
「そうか」
見送りにしては少々時間を取っただろう、また玄関口でぐずったのではないのかと危惧した質問に笑顔で答えた。すると安堵の息が吐き出される。けれど、あまり気の晴れていないような様子に首をかしげた。
「ご心配ですか?」
「あぁ、いや……」
言葉を濁す様子にただ黙って見つめていると机に肘を付いて物憂げな表情になる。
「あまり傍にいてやれなかったし、徐倫自身が己を守る力を持った今ならお前みたいに受け入れてやるのもいいかと思ったんだ」
「では、ハウスキーパーとして受け入れますか?」
仗助自身が反対だ、といくら喚いたとして、主の決定は絶対。そうである以上は承太郎が徐倫を仗助と同じように受け入れると決めてしまったらその決定に従う他ない。しかしそれならばそれで仗助も覚悟はせねばならない。内に燻る嫉妬を隠し通し、円滑な人間関係を築けるように、と。
確認のように聞いてみたけれど、承太郎はすぐに首を振った。
「いや、絶対にしない。徐倫に言った言葉に偽りはないからな」
「……左様でござますか」
憮然とした雰囲気で言う承太郎に仗助は笑みがこぼれた。彼女に言った言葉、『徐倫には父とだけ呼ばれたい』。それは不器用ながらに、情がないだの、親らしくないと言われようと、彼女の父親であり続けたい承太郎の本音であり、わがままだった。
「それにさっきも言った通り、お前の代わりは誰にも務まらない」
「お褒めに頂き光栄です」
更に自分の仕事ぶりを認めてもらえる言葉をもらって喜んでしまう。きっといつも貼り付けている執事の笑顔よりも素の自分に近い顔になっているんだろうな、と思っていると、承太郎の表情が少し不機嫌になった。どうかしただろうか?と首を捻る。
「……」
「?いかがいたしましたか?」
「お前、ちゃんと意味が分かってないだろう?」
「?はい」
曖昧に返事を返すと呆れかえったため息が吐き出されてしまった。おや?とさらに首を捻る。これはこの家に勤め始めてから最大の失態になるかもしれない。何か引っかかる部分はないか、と先ほどからのやり取りを思い浮かべるが特に思い当らなかった。背筋に冷や汗を流していると承太郎は先ほど中断させたファイルを手に取って捲り始める。
「今夜、寝る前に部屋へ来い」
「かしこまりました」
ファイルの整理を再び開始してしまった彼から受けた端的な指示に素直に頷きつつも心の中で首を傾げ続けた。
* * * * *
風呂から上がった仗助は鏡の前で悩んでいた。寝る前、という事は軽い用事を言いつけられるのだろうか。そうするとそれが終わり次第就寝するのだから、髪型をセットする必要はないだろう。けれど上げる事を前提に伸ばしてある髪はこのままでは非常に邪魔だ。ふむ、と少し考えて簡単にひとまとめにして括り上げることにする。
「失礼いたします」
ノックの後、部屋に入ると枕元のランプに照らされた承太郎の姿が見えた。さらに入った仗助を見た途端、眉間にシワを寄せられたように思う。
「…………」
「いかがなさいましたか?」
「仗助」
「はい」
何が気に障っただろうか?素直に尋ねるとぶっきらぼうな声で呼ばれてとりあえずすぐ傍まで移動していった。するとやはり眉間にくっきりとシワをよせた不機嫌極まりない、といった表情になっている。
「お前のその胡散臭い執事の仮面が取れるのはいつだ?」
「胡散臭いとは心外です。これでも恩師から高評価を得た表情ですから」
「で?いつだ?」
「……そうですね」
これは承太郎なりの誘い方なのだろうか?けれど、だからと言ってあっさり執事の仮面を取るのは子供扱いをされそうでいやだった。それでなくとも、この仮面のおかげでようやく承太郎のすぐ横に立てている感覚があるのだ。同等とまではいかなくても昔のように無様に慌てふためくことはない。
けれど今、ベッドにもぐっている彼を目の前にそれではフェアではないことに気づいた。以前彼の言っていた言葉を思い出す。
−ベッドの中じゃ、博士も主人もない
となるとやはり自分もベッドに入れば執事ではない、ということだろう。問題は、『執事』が『主人のベッド』に入る理由をどう作るか、だ。ベッドのすぐ傍でじっと立ちつくし、その『高い境界線』を見つめる。ふと承太郎の顔を見ると、早く答えをよこせ、と目で語っていた。
「……例えば」
これ以上引き伸ばしにすると主の機嫌は降下の一途を辿るだろう。となると、翌日も不機嫌そうな顔で対面することになってしまう。出来るならそれは避けたい。一日中あの鋭い瞳に向き合うのは少々キツイのだ。
何かないかと考えを巡らせてふと一つの案を思いついて、にっこりと笑みを浮かべる。
「一人寝が寂しいので抱き枕になれ、とおっしゃるとか」
「……ガキか、俺は」
「お気に召しませんか」
予想通りのツッコミに笑みが深くなる。あとは何があるだろう?と再び思考に耽るべく視線を飛ばすと、その視界ががくりと傾いた。
「ッ!!?」
咄嗟についた両腕の間に承太郎がいる。彼の体の上に乗り上がった体にするりと太腿が押し付けられた。さらに背中へと両腕が回されて間近にとろりと揺らめく瞳が見える。
「……で?」
小さく首を傾げられるその仕草に胸が痛いくらいにきゅっと締め付けられた。次いで小さく笑いが漏れてくる。
「相変わらずの力技っスね」
「お前が勿体ぶるからだろうが」
「そんなつもりはなかったんスけど」
「いいや、意地が悪いにも程があるってんだ」
久しぶりの砕けた会話はぽんぽんと弾んでたった今漂っていたはずの甘美な空気を綺麗さっぱりと流してしまった。それでも楽しいのだから構わないと思ってしまうのだから色々と手遅れだろう。
「はは、でもほら」
「ん?」
「ご飯にありつけるなら極限までお預けした方が美味いじゃないっスか」
「……お前も相変わらずの犬っぷりだな」
「でもお利口になったっしょ」
撫でて撫でて!とおねだりする子犬のように首へと擦り寄るとため息が零される。それでも手はちゃんと撫でてくれるのでますます嬉しくなった。
「頑固と吐き違えてんじゃねぇか?」
「いやいや、そんなことないっスよ〜?」
首元に埋めた顔を少し上げて耳の付け根に口付けるとぴくりと肩が跳ねた。そのまま舌を伸ばすと柔らかな耳たぶに穿たれたピアスを口に含んで舐り始める。ちらりと盗み見た表情は良く分からなかったが、頬に赤みが差したように見えた。執拗な舐め回しから逃げるように身を捩るから名残惜しげに口付けを送って離れると、今度は顔中に軽いキスを散らせる。閉じられた瞼から頬を伝い下りると、開いた唇から舌を差し入れて絡め取った。
ふ、と小さく吐く息を飲み込み深く重ね合わせると口内を蹂躙していく。舌同士を擦り合わせ、気まぐれに歯列を撫で上あごを擽るとくぐもった声がこぼれた。
「……どこまで……いいっスか?」
「……そこ」
「?」
散々唇を味わい、まだ離れがたいけれど、と下唇を食みながら伺いを立てる。するとベッドサイドの抽斗を指された。なんだろうか?と開いてみるとローションとスキンの箱がある。
「あ〜……はい、準備は万端ってやつっスか」
「文句あんのか?」
「いいえ〜、ぜ〜んぜん」
照れ隠しにしかめっ面で睨む承太郎に小さく笑いを零すと、本格的に蹂躙する為に腰から胸元へと手を滑らせていった。
*****
躯中に口付けを落とし、いとおしむように撫でて気まぐれに歯を立てた肌はほんのりと桜色に染まって行く。相変わらずの敏感さをもつ肌を堪能しつつ、秘められた菊華をローション塗れの指で暴き立てた。最初の頃こそ、久し振りの指の侵入を阻んでいたが、1本、2本と増え、中を撫で摩る間に柔らかく咲き綻んで行く。
「ッぁ、ふ、ぅんっん!」
「痛くないっスか?」
「んっ、ぅう」
素直に返事を返してくれないのは分かっていたが、聞いてしまった。そっぽむかれるかな、と思っていたら首をコクコクと振ってくる。そんな小さな変化に関心と感動を覚えつつ、埋めた指を引き抜いた。久しぶりに見る承太郎の媚態のせいでこちらもかなりギリギリである。
「は、ぁ……」
「力、抜いといてくださいね」
大きく割り開かせた足の間に体を滑り込ませる。ひくつく菊華に欲望を押し付けると、潤んだ瞳が見上げてきた。震える唇に己のそれを寄せて、腰を押し進める。
「ッひ、あ、ぁあ!」
「ん、っく!」
思ったよりもすんなりと受け入れられた肉棒は奥へ奥へと招きいれられる。びくびくと背を反らせて啼き叫ぶ様を見ながらぞくりと震える背に腰を更に突き出して全てを収め切った。足の付け根や下腹にしっとりと濡れた肌が密着する。割り開かれた躯が馴染むのをじっくり待つ間に眉間に寄せられたシワや、きゅっと閉じた眼尻、紅く染まる頬に唇を寄せた。ぎゅうぎゅうと絞め付けてきていた菊華がゆっくりと綻んできたところで頬を滑り耳へとたどり着く。
「動いていいっスか?」
「っ……」
そっと囁きかければ肩がぴくっと跳ねて震える睫がゆっくりと持ち上がる。涙に潤む瞳に自分を映し出してゆるりと細めると両腕を差し出してきた。その腕が首に回されるのを待って腰を引くと勢いよく突き上げる。
「ッんぅ!」
耳元で弾む声を聞きながらまた一つ打ちつける。くぐもったままの声に苦笑を浮かべると両足を掬いあげた。躯を重ね合わせた時はいつもそうなのだが、承太郎はなかなか声を上げてはくれない。必死に唇を噛みしめぎゅっと眉間にシワを刻みつつ耐えようとするのだ。
しかし、こちらとしてもその意固地になる態度を突き崩すのが愉しい。甘い声を上げる瞬間はいつもとろとろに溶けて乱れた時なのだから。
「ん、っく、ふぅ、んんぅ」
単純に突き上げていた動きから中を押し広げるようにじっくりと引き抜いては腰を回しながら埋め込む動きへと変える。するとじれったいのか、むずがるような声で両足を擦り寄せてきた。それでも同じ動作を繰り返していると肩にぎりっと爪を立てられる。どうやら機嫌を損ねたらしい。
ご機嫌とりにすぐ目の前にある首筋へ唇を滑らせて、腰を密着させたまま揺さぶると足がぴくっと跳ねる。その反応を確認すると掬いあげた足を左右へ思いきり広げさせて前側を思いきり擦り上げた。
「あ゛う!」
途端にびくっと跳ねる躯を押さえつけて同じ場所に狙いを定めて腰を振るった。
「やぁっ!じょ、すけっ!そこはっ、あ!」
「承太郎さんの、好きな、トコ、っスよ、ね」
「ち、ちがっ、あぅ!」
打ちつける度に同じ所を擦り上げるようにしてやると、強くしがみつきながらも身悶え突き立てた肉棒をぎゅうぎゅうと絞め付けてくる。首元に額を擦り寄せて無駄な抗いを見せているが零れ落ちる声に艶が出てきた。
「ぁふっ、ん、ぁあっ」
「きもち、いいっス、か?」
「はっ、ぅんっ、い、いぃ!」
あぁ、堕ちてきた。ぴくぴくと跳ねるばかりだった腰が動きに合わせて蠢きだす。より深く咥えるように、より強く擦れるようにと動く腰に仗助も昂ぶってくる。内腿が痙攣を繰り返すようになってきたからそろそろイってしまいそうだな、と気付いた。ぎゅっとしがみ付く腕に今回も啼き叫ぶ表情を堪能出来なかった、と少々残念に思いながら、鼓膜を震わせる甘い声に背筋をぞくぞくと震わせる。
「ぁあッ、あ、も、もぉっい、くぅっ」
「じょ、たろ、さんッ」
「あッ、あッあぁあぁぁぁぁッ!!」
嵐のような快楽の波から解放された二人はただただ荒い呼吸を繰り返しながら寄り添っていた。幾分早く落ち着きを取り戻した仗助が汗で張り付く黒髪を梳きながら、額や頬に唇を寄せていく。擽ったそうにしながらも甘受する承太郎に腕を回して抱き寄せた。
*****
「……仗助……」
「なんスか?」
熱に浮かされた掠れ気味の声が耳を擽る。甘さを残した声が心地いい。そんなことを感じながら顔を覗き込むとじっと見つめられていた。
「お前だけだからな」
「え?」
「俺の傍においとく奴の話だ」
「……は、ぁ?」
「徐倫が転がりこんできたらこんなことしてらんねぇだろ?」
そろりと上げられた足が仗助の腰に絡み付いてくる。さらに甘えるように擦り寄せられて言葉に隠された本当の意味を理解した。
「ッ!」
「鈍い奴」
一気に顔が熱くなる。思わず叫びそうになった声はなんとか手で塞げたが、向けられる承太郎の目に浮かぶ呆れた色はどうにもならなかった。
徐倫に言い聞かせていた承太郎の言葉には、二人きりでないと思う存分こうして抱き合えない事への危惧が隠されていたのだ。仗助でないといけない一番の理由。仗助が特別である理由。密やかな艶を含む言い回しをしていたのを今頃になって気づき、盛大に焦ってしまう。
「そ、そんなの……真昼間から考えてられないっスよ!」
「ふぅん?昼間の俺には色気がねぇのか」
「違うっス!そうじゃなくてっ……だからっ……」
「だから?」
「仕事に支障が出ないように頑張ってんですっ」
「……そうか」
必死に言いつのると残念そうではあるが引き下がってくれた。やれやれ、と額に滲み出た汗を拭きとっていると頬杖をついた承太郎が小さく首を傾げる。
「明るい内からお前に可愛がられるのも嫌いじゃなかったんだがな」
「っぶ!!」
若い頃に仕出かした突っ走り具合を引き合いに出されて思わず吹いてしまう。そんな仗助を承太郎は至極楽しげに眺めていた。
「そっ、そんなこと言っちまいますか!」
「あぁ。少しは素直になっただろう?叔父さん」
終いには綺麗な笑みを浮かべて滅多に使わなかった呼び方まで使ってくる。結局この人には敵わない、と赤くなっているであろう顔を両手で伏せながら唸り続けた。
「っ〜〜〜今言った事、後悔しますよ」
「へぇ?」
「絶対後悔させますからね!」
「そいつは楽しみだ」
「覚悟しといてくださいっ!」
くつくつと彼らしい余裕のある笑い声にひとしきり宣言を言い切ると、まだ笑い続けるその唇にかみついた。
* * * * *
「仗助っ!!」
「これはこれは……おはようございます、お嬢様」
「大好きッ!!」
「!?」
書斎の扉を壊しかねない勢いで開け放った徐倫が力の限り仗助に抱きついてきた。これに対してびしりと固まったのは仗助ではなく、承太郎の方だ。表面上ではあまり変わらないその表情は、仗助から見たら困惑一色に染められている。
「……おい?」
「あ、ごめん、お父さん。仕事中なのに」
ようやくと言った体で声を絞りだした承太郎に対して徐倫はまだ興奮冷めやらぬ雰囲気だ。腕も変わらず仗助に巻きついており、離れる気配がない。
「いや、それよりだな」
「あ、この状態?んとね、仗助にすっごく感謝したくて。その現われっていうか?」
「あぁ、あれですか」
「そう!あれ!!メアド交換してよかったわ!!!」
「お気に召して頂けてよろしゅうございました」
「……」
ようやく自分の存在に気づいたかのような徐倫だったが、すぐにまた承太郎には分からない会話を仗助と始めてしまった。拗ねたりなんかしていない、とは思うものの、眉間に皺を寄せ、目つきが鋭くなっている自覚はある。
そんな承太郎の様子に気づかないわけのない仗助は回された細い腕をやんわりと離すと時計を確認した。
「お嬢様、そろそろ昼食になりますのでご一緒してはいかがでしょう?」
「え!いいの?」
「そいつが提案するなら遠慮する事はない」
「やったぁ!じゃあ私も手伝うわね!」
スキップ交じりの軽い足取りで書斎を後にした徐倫を見送った仗助と承太郎は互いに沈黙を保っていた。けれど、背中にちくちくと突き刺さる視線に、先に音を上げたのは仗助だった。
「……博士?」
「なんだ?」
呼びかけに返される声はいつもと同じ言葉なのにとても低い音の響きを持っているように聞こえる。けれど聞いておきたいことは聞いておこう、と意を決して口を開いた。
「どちらに嫉妬しておられますか?」
「難しい質問だが、あえて言うなら両方だ」
「光栄でございます」
当人の素直な気持ちを聞かせてもらって仗助も徐倫ほどではないが浮かれてしまう。
「それでは、昼食の準備に入りますので、適度に切り上げられてリビングへお越しください」
「分かった」
自身の職務を全うするためにも時間通りに食事を完成させる為に部屋を後にした。きっと一人になった承太郎は今頃、組んだ両手に顔を押し付けて深い溜息を吐き出しているだろう。
「(う〜ん……さすがにあれをそのまま見せるわけにはいかないよなぁ)」
廊下を歩きながら仗助は腕組みしつつ悩んでいた。
先日、徐倫とメアドの交換をした。当初の目的としては上手く父との距離を詰められない彼女と主である父とのクッション材の役割を担うためだ。徐倫ばかりの片思いに思えるが、承太郎も父と娘の距離感や扱いをどうしたらいいのかイマイチ掴めておらず、困っていたりする。面と向かっては相談してはこないのだが、彼の態度を見ていれば分かってしまうのだ。
とりあえず、クッション材役として承太郎特有のお堅い見た目が少しでも緩和するようにと今朝画像を送った。その画像というのが、昨日彼女がお土産と称して持参したイルカのぬいぐるみを抱き込んで眠る承太郎の寝顔だ。早朝に熟睡している承太郎をこっそりと撮っておいた。こういう穏やかで可愛い一面もあるよ〜、という意味を込めたのだが、とんでもなく気に入ってもらえたらしい。仗助としても満足の限りだ。
しかし、今問題が発生した。承太郎の方だ。
当人は、そんなことない、と断言するだろうが、なにげに淋しがり屋な彼はつい今しがた仲間はずれになってしまった。その上に娘の気を引いたものも気になるだろう。間違いなくあとで質問攻めの刑だ。
「(隠し撮りしたようなもんだし。何か別のものを撮っといて画像だけ偽装しておくか)」
端的に画像を送って気に入られた、とだけでは終わるまい。どんな画像だったか気にするのは目に見えている。それが承太郎のあの無防備な姿では間違いなく照れ隠しのオラオラが発動すると思われた。なので何か他の画像に……そう、たとえば承太郎に雰囲気の似ている猫の画像とかならば徐倫とも話が盛り上がったとしても隠し仰せそうだ。目の色や髪の色が同じにしておけばきっと問題ない。
だとしても徐倫の協力がいるだろう。承太郎の照れ屋な部分も含めて辻褄の合うように口裏を合わせよう、とキッチンへ急いだのだった。
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