ああ、腹減った。ねみぃ。…疲れた。 疲労で鈍ってグタグタの頭に、その単語たちだけをいっぱいにしながら、イルカは柔らかい布団の待つ (あいにくとイルカには、家族も恋人もいないので、それ以外のものはない。飯も今朝用意しておかなかった。) 己の巣に、帰巣本能だけで向かっていた。 アカデミーでの残業につぐ残業で、イルカは疲れ切っていた。明日が休みだからといって、残業のラストスパート をかけた結果、今日などおそらく日付が変わるまで働いてしまった。いくら中忍とはいえ、こう連日の残業では、 気力も体力も底をついてしまっている。 頭はぼんやりしていたが、とにかく家にたどり着くために、イルカはふらふらしながらもと足を動かしていた。 と、何故か前に進まなくなった。 おかしい。 「あれー?」 「イルカ先生。お疲れですね。」 誰かが何かをしゃべっているが、誰だろう。大体疲れてるの知ってるなら、ほっといて欲しい。眠い。ひもじい。疲れた。 「そんなイルカ先生は、俺の所へご招待です。」 「ごしょうたい?」 そう呟いた時には、すでに目の前にうまそうな飯が並んでいた。 食欲を誘う香に、眠気に負けていたはずの腹の虫が騒ぎだす。 きっと夢だ。頑張って働く俺へのご褒美にちがいない。…夢だったらコレ食べちゃってもいいよな。 恐る恐る手をのばすと、その手にそっと箸が手渡された。 そのままがつがつと目につくはしから平らげていく。詰め込みすぎて、のどを詰まらせそうになると、背中を優しく撫でられ、 ちょっとのど渇いたなーと思うと、コップに入った飲み物が手渡された。しかも、イルカ好みの冷たい緑茶だ。 一心不乱に食べ続け、気がつけば、皿はいつの間にか片付けられており、しばらくぼんやりしていたら、 そのまま風呂場まで案内された。 「食べたばっかりだから、長湯はダメですよー。」 と言われ、入った風呂場は、イルカがいつか自宅にも欲しいと思っていた檜風呂。湯加減も熱めで最高だ。 もちろんおお喜びで入る。長湯はダメといわれたが、気持ち良すぎて、このまま寝ってしまいそうだ。 夢の中でも眠くなるもんなんだなあと不思議に思いながら、顔が湯舟に浸かりそうになったとき、 「ほらやっぱり。長湯はダメっていったでしょ。」 と、まるで、昔、今は亡き母に言われた時のように、怒ってるのと呆れてるのと笑ってるのを全部混ぜたような、 柔らかい口調で言われた。 そのまま子どもでも持つように、脇に手をつっこまれて、 「イルカの水揚げー。」 などと言われながら引き上げられ、タオルで拭かれて、寝間着を着せられた。 またぼんやりしているうちに、最高にふかふかの布団に包まれていた。薄くて軽い。気がつけばまた眠気が襲ってくる。 しかし、正に至れり尽くせり。何て素晴らしい夢なんだろう。 明日になったら、どっかその辺の道端で寝ているのかも知れないが、こんなに居心地がいいのだから、 今日はこのまま寝てしまおう。 「お疲れ様。さ、寝ていいですよ。」 と背中を優しく撫でられながら、イルカは今度こそ幸せな深い眠りに落ちていった。 ***** 「おはようございます。」 ここはどこだ。道端じゃなさそうだし。というかその前にこの人は誰だ。 目の前にはニコニコと笑う見知らぬ銀髪の男。悔しいことに男前だ。 それにしてもここが自分の家や、その辺の路地裏などではない以上、…昨日のは夢じゃなかったのか…。 「申し訳ありません。ご迷惑を!」 とっさに中忍根性丸出しで謝ってみた。 「んー。いいんですよー。イルカ先生を勝手に連れてきちゃったのは俺ですし。」 「はあ?」 連れて来られた???それに俺をイルカ先生と呼ぶということは、俺を知っている。…俺を知っていて、尚且つ銀髪… =ひょっとしてカカシ先生???そういえばこんなに逆立った銀髪の人は、カカシ先生以外に見たことがない。 ということは、覆面の下はこんなに男前というか、整った顔をしていたのか…。 それは置いといて、…知らない人に拾われる以上にとんでもないことをしてしまった…。イルカが呆然としていると、 カカシが顔を覗き込みながら、話しかけてきた。 「じゃ。朝ごはんにしましょう。イルカ先生は和食派?昨日は遅くに食べたから、おなか減ってないかな? とりあえずご飯とお味噌汁と、おかずはお漬物と焼き魚とか煮物とかのりとか和え物とかがあるけど。洋食の方が良かったら、 パンとシリアルなんかも準備できますから、遠慮しないでね?」 首をかしげながら、カカシがイルカに言った。焼き魚に煮物にのり…イルカの朝食など、良くて晩の残り物で、酷いときなど、 炊いた飯にしょうゆとバターをぶっ掛けてかきこんでいることもある位だ。 「あ、あの、俺は何でも食う方なんで、なんでも大丈夫ですから!それに和食大好きです!…というか、その、 お邪魔してていいんですか?」 昨日はどろどろに疲れていて思考力が地を這ってたし、しかも夢だと思い込んでいたので、とんでもないことをした かもしれない。 この上忍があまりにも弱ったイルカを哀れに思ったのだとしても、そんなイルカに対してこの待遇はありえない。 …それともそんなにも哀れを誘う格好だったのだろうか…? 「良かった。今日の魚は新鮮なのが手に入ったから美味しいですよー。イルカ先生なら、いつまでだって うちにいてくれていいんですよ。さ、そんなことより、食べて食べて。」 食卓に案内されると、昨日のように美味そうな飯があり、見るだけでヨダレが出てきそうだ。 昨日のが夢でないのなら、テーブルいっぱいの料理を平らげたはずなのにもかかわらず、また腹が五月蝿く音を立て始めた。 イルカは目の前の飯を食うことに意識を集中しているうちに、そもそもなぜこんなことになったのかを考えることも 忘れてしまった。 ***** 「はたけ上忍!最近中忍飼い始めたってホントですか?!」 仕事終わりに上忍への書類提出確認を頼まれて、上忍待機所に向かっていると、何かとんでもないことを聞いてしまった。 飼うだとう?!生き物を飼うってのは、風呂入れてやったり、飯食わせてやったり…。 衣食住全てに渡って責任負わないといけないんだぞ!それをあろうことか中忍を飼うなどと軽々しく!大体人間を飼うなどとは 何事だ! そう憤ったイルカだったが、一部の単語に引っかかった。カカシ先生に飼われている中忍=飼われているということは一緒に すんでいる=一緒に住んでいる中忍=俺だ。……ちょっと待て。俺、今カカシ先生に飼われてる??? イルカは焦りながら最近の出来事を反芻し始めた。…あの日、カカシに朝食を食わせてもらった後、 自宅へ帰ろうとしたイルカだったが、そのままカカシに引き止められた。 「ちょっと待ってくださいね。」 といわれて素直に待っていると、カカシはさっと忍犬たちを呼び出してくれ、動物好きなイルカが大喜びでその忍犬たちと 遊んでいる間に、 「お昼ですよー。」 と、見た頃もない珍しい料理を振舞われ、それがまた物凄く美味かったので、がつがつ全部食った。 で、その後、その料理がどこの料理かという話などをして、珍しい術の書かれた書なども見せてもらい、それがあまりにも おもしろかったので、夢中になって読んでいるうちに、またカカシに今度は、 「おやつの時間ですよー。」 と言われて、美味そうな水饅頭などを振舞われ、大喜びで食べてしまった。 そのうち腹がいっぱいになって眠くなってきたら、 「お昼寝しましょうか。」 といわれて、またいつの間にか干されていたらしく、更にふかふかになってお日様のにおいのする昨日の布団に逆戻りして、 そのままカカシと一緒に寝たはずだったのに、気が付いたら日が暮れていて、また夕飯を出されて、何の疑問も持たずに 沢山食べて…。 そんでまた初日の夜みたいにまた、眠ってしまったんだった。 そもそもあの日以来一度も自宅に帰っていないことに、イルカはたった今気付いた。 自宅に置いてあったはずの資料や書類などもいつの間にかカカシ宅に運び込まれており、待遇のよさにおぼれて、 しっかり住み着いてしまっていた。 最初は何度か帰ろうとした気もするが、気が付くとカカシが美味いものや面白いものを差し出してくれるので、 それに夢中になっている間に、うっかり帰ることを忘れてしまっていた。 そんなこんなで、もう半月はカカシ宅に居ついてしまっている気がする。 …ヤバイ。ものすごくヤバイ。どうしよう。早いうちに出て行かなければ、世話になっているカカシに不名誉なうわさが たってしまう。 でも、もうあの飯がなくなったら生きていけない。あの風呂もあの布団も…。それに、あのあったかい腕も。 そうだ、なんでもっと早く考えてみなかったんだ…。どうして家においてくれているかも分からずにこんなに長いこと…。 上忍の気まぐれとかかもしれないのに…。 あの優しさもほんとは全然俺のものじゃないのかも…。 イルカが激しく凹んでいると、カカシがさらっと言った。 「んー別に飼ってないよ?」 どういうことだろう。会話の流れからして、カカシがイルカを飼っている、というか、中忍のイルカが恐れ多くもカカシ宅に 住みついていることに、他の上忍が怒ったのではないのだろうか。 つまり、カカシは普段その辺の平凡な中忍…例えばイルカのような…をかまうような性格ではないのだろう。 カカシもてっきり遊びのつもりだと答えるだろうと思っていたので、イルカは混乱した。 「俺はね、イルカ先生が欲しいだけ。今は餌付けして俺以外になつかないようにしようとしてるんだけど…。 あの人、人気あるし、子どもと老人にもてるし、色々心配なんだよねぇ。」 物憂げにカカシが語る。 衝撃の新事実発覚…!イルカはいつの間にか上忍に狙われていたらしい。でも目的が分からない。欲しいって、 ペットとどう違うんだ? …イルカが考えるに、むしろ待遇はペット以上だ。普通いくら可愛いペットでも、あそこまでかわいがるだろうか…。 毎日風呂だの飯だの用意してやって、寝る前には子守唄が付いてくることもある。一緒に寝てやって、遊びにまで付き 合ってやって、仕事場まで迎えに来てくれる。…それに…。イルカがつらつらと考えていると、カカシはさらにとんでも ないことを口にした。 「ホントはね、捕まえたらどっかにつないどこうかと思ったんだけど、そんなことするの、可愛そうでしょ?だから、 とりあえずうちに居ついてもらおうと思って。…でもねー、最初の頃はあんまり帰る帰るって言うから、やっぱりどっかに 閉じ込めちゃおうかなって思ってたんだけど…でも、最近やっとうちに帰るって言わなくなったのよ! 寂しがりやさんだからねー。あの人。思いっきり甘やかしたら、俺のものになってくれるかなって思って。」 確かにイルカは寂しがりやだ。一人でいるより仲間とわいわいやっているほうが楽しい。それにこれでもかこれでもかと 甘やかされている…。 そのせいでイルカはもうきっとカカシなしには生きられない。うちに一緒に帰って、何をするにも一緒に過ごして、 例えつらいことがあったり、寂しくなったりすることがあっても、すぐに抱きしめてくれる腕があった時間を経験して しまったのだ。それを失う…。もうそんなことはもう考えられない。 つなぐなどというのは初耳だったが、大事なことは、これからもカカシはイルカと一緒にいてくれるらしいということだ。 不安になりつつもそう思っていると、 「そんな!はたけ上忍…。あの中忍のどこがいいんですか!いつもへらへら笑ってるだけで、仕事も内勤ばっかりで…、 全然はたけ上忍にはふさわしくないわ!」 カカシにイルカのことを問い詰めていた上忍(声からして、くの一のようだった)がショックを受けた様子でカカシを なじり始めた。 へらへら笑っているとは心外だ。内勤の仕事をバカにされるのも腹が立つ。外の任務がなければ忍びの里はなりたたないが、 里の内部を支える忍びも重要なのだ。現にイルカはアカデミーと受付所を兼任しているが、そこで働く忍びがいなければ、 里の機能は維持できない。 「そんなんだから、イルカ先生のよさが分からないんじゃない?ま、ライバルは少ない方がいいから許してあげるけど。 …もう、消えて?」 その瞬間、待機所の外にいたイルカでさえ動けなくなりそうな殺気を感じた。 イルカは腰を抜かしそうになったが、中にいたくの一耐え切れなかったらしく、待機所から飛び出してきた。 くの一は、イルカが扉の外に立っていたのを見つけると、思いっきり 「バカ!!!なんであんたなんかに!!!」 といわれたが、イルカも相当混乱しており、事態を把握しきれない。 そのごちゃごちゃになった頭でも、このままここにいたらカカシに見つかってしまうことだけは分かっていたので、 イルカは全速力で逃げ出そうとした。 「あ。やっぱりイルカ先生だったのね。」 猫の子でも掴むように首根っこを持ち上げられて、イルカはパニックに陥った。 「うわー!すみません。すみません!こ、このまま逃がしてください!地平線がちょっと俺を呼んでるんです!!!」 混乱のあまり、言い訳が意味不明になってしまったが、今この上忍と話すと、何を言ってしまうか分からない。 …ほんとに捨てないでくれますかなんて言ってしまったら、どうしたらいいのか…。 「だーめ。聞いてたでしょ。どこにも行かせない。うち帰って、ご飯食べましょ。そろそろ迎えに行こうと思ってたら、 変なのに絡まれちゃったの。お迎え遅くなってゴメンね?」 カカシはやはりイルカと一緒にいてくれるようだ。…だが、いつかカカシに捨てられるたら、イルカはどうしたらいいだろう。 今まで一人で生きてきたのに、もうこの人なしでは生きていけないかもしれない。 …いつか要らないと言われるなら、今のうちに離れてはくれないだろうか…。イルカが自分から離れることはできそうにもないし。 「あーもう。何考えてるんですか。余計なこと考えなくても大丈夫ですよ。だってもうイルカ先生は俺なしじゃ 生きていけないでしょ。ずっと一緒にいますよ。」 カカシがそっとイルカの顎を救い上げて言った。その目は先ほどの殺気を放ったとは思えないくらい、穏やかで優しい。 「そんなコト言って!いつかどっかに捨てたりしませんか?あと、俺をおいていったりとか…。」 言ってしまった…。カカシがなんでもないようにずっと一緒なんて簡単にいうから。 「だから捨てませんって。イルカ先生のことが好きなのに、そんなにもったいないことはしません。」 カカシが本気で言っているのが分かる。分かるからこそ信じられない。 今この上忍はイルカのことを好きだといったのだ。 「…おいてくっていうか、心配なら、絶対にイルカ先生より先に死にませんって約束しときましょうか?」 さらに、カカシがなんでもないことのように言った。危険な任務が多い上忍のなかでも、トップクラスで難しくて、 危険な任務ばかり引き受けているくせに。そんなことは信じられない。 「うそつき。」 そんなことは信じられない。 「うそにする気は全くありません。イルカ先生ほっといたら、すーぐに誰かに拾われちゃうでしょ。そんなのは許せないの。 …だから、他の人に尻尾振っちゃだめですよ。」 一瞬先ほどの殺気のように鋭く冷たいものを感じて、とっさに身構えてしまったが、そのままカカシにぎゅっと 抱きしめられた。この上忍は、見た目は白っぽくて冷たそうに見えるのに、意外に体温が高く、温かい。 「ね。イルカ先生。俺のものになって。」 優しい声でカカシが囁く。この上忍は優しいばかりではないことは身をもって思い知った。だが、 「はい。」 と返事をしてしまった。その執着ですら欲しいと思ってしまったので。 「じゃ、同意も得たことだし、きっちり俺のものになってもらいますね!」 先ほどとは打って変わって、爽やかに微笑んだカカシに、イルカはそのまま持ち帰られた。 そのあと散々、恥ずかしくて、気持ちいい思いをするはめになったが、カカシが幸せそうだったので、 イルカも幸せだと思うことにした。 ***** あれ以来イルカはずっとカカシ宅にいる。時々残業などでおそくなると、カカシからやっぱり閉じ込めようかなーなど といわれたりするし、時々カカシが地下倉庫で何かごそごそやっていたり、受付所などで他の人間と話しこんだりすると 夜大変な目にあったりするが、そこそこ幸せな生活を送っている。 …こういうのも愛というのだろうか? 幸せそうに眠るカカシを見つめながら、そう、思ったりした。 ********************************************************************************* 変な話。 |