紙切れ一枚分のウソ


映画館のチケット売り場は閑散としていた。
そりゃそうだ。まだ開いたばかりだし、ここは前売り券だけの売り場だから。
「いらっしゃいませ!こちらは前売り券売り場となっております!お客様の…」
朝っぱらからやたら愛想の良い店員は、流れるような口調で俺にチケットの説明をしてくれている。
ま、下調べはきっちりしてあるから、説明はいらないんだけど。
「じゃ、それ、2枚下さい」
「はい!こちらですね?…あの、大人2名ですか?」
「はいはい。大人で」
子どもたちを誘うのも手だけど、それは今回の作戦が上手くいったらの話だ。
「では、5百両になります!」
「じゃ、これで」
「ありがとうございましたー!」
最後まで商魂たくましい笑顔に背を向けて、俺は目的の場所に急ぎ始めた。
これで、作戦の要は手に入れた。
普段の自分なら映画なんて任務でもなければ早々見ない。
他人と一箇所に集められて身動きのとりにくい状態ってのは、俺にとっては結構きついからだ。
気配の密集した中では、どんなに無視しようとしても誰が何をしているか手にとるように分かってしまうから、無駄に疲れる。
それに、こんな内容の映画のためになんて絶対に。
…有名な監督が撮ったという、分かりやすい感動と恋愛が売りのその映画は、あの人が見たがっていたものだ。
それを知ってしまったから、俺は。
「引っかかってね?イルカせんせ」
手の中の薄っぺらい紙切れを勝利への切符に変えてみせると決めたのだ。
*****
目的の人物が近づいてくる。
夜勤明けでこれから家に帰るために、少し疲れを滲ませた足取りで着実にこっちに向かって。
感情のコントロールは勿論、演じることも忍なら当たり前に出来る。
…ま、この人もこの人が育てた子どもたちも、真っ直ぐすぎてそういうのは得意じゃないみたいだけど。
今、俺の頬に伝う涙は、ある意味ホンモノだから。
あからさまになりすぎないように気をつけながら、うつむいていかにも前を見ていない風を装って、そっとあの人の前を横切った。
遠目に俺を見つけたときから、ずっと逡巡していた気配は、今は戸惑いと驚きと…それから心配で染まっている。
多分家に帰るはずだっただろう足音は、予想通りすぐに引き返してくれた。
「あ、あの!カカシ、さん?」
優しい人。
欲しいなんて思うことすら怖かったのに、映画なんてものを切欠に近づこうとする奴らが山ほどいるのをみたら、いてもたってもいられなくなった。
俺はこの人にふさわしくないなんていいながら、欲望だけは真っ直ぐにこの人だけに向かっていて、結局は臆病者のいい訳だったってことを思い知った。
自分が、この激情を押さえ込めるはずもないってことも。
「イルカせんせ…?」
一世一代の演技。お願いだから騙されて?
俺が欲しいのはあなただけだから。
涙を零したまま、ぼんやりと愛しい人を見つめた。
涙が邪魔だ。この人が良く見えない。
でもその表情を見なくても、その感情は手にとるようにわかった。
「カカシさん、言いたくなかったらいいです。何か、あったんですか?俺に何かできる事はありませんか?」
引っかかってくれた。
後は慎重にこの人を…優しすぎるこの人を追い詰めるだけ。
「俺、これ…」
あのチケットは2枚ある。それを見せられてなんとなく察してくれたらしい。
「あ…」
この声にだって欲情するのに、この人はいつだって無自覚だから。腹が立つ位気付かないくせに、そこら中で誘惑して回ってるのをもう見たくないから。
「無駄に、なっちゃいました」
涙を適当にぬぐって微笑めば、多分この人なら誤解してくれるはずだ。
「その、えっと…!でもまだ始まってないですし!間に合いますよ!他にだれか…!」
慌てて慰めてくれる隙だらけな人は、きっと最後まで騙されてくれるはずだ。
余りにも予想通り過ぎて涙が出そうだけど。
「じゃ、じゃ、一緒に見に行ってくれるんですか…?」
感動なんてモノは早々簡単に手に入らない。
あの有名な監督が作り上げた偽者なんかよりずっと、俺がアナタを騙し続けるから。
だからお願い。あなたを頂戴?
祈りと懇願を瞳に込めて、わざとらしくないように口布を下げて素顔を晒した。
一瞬息を呑む音がして、それから…チケットと俺の顔とを交互に見ながら目を白黒させている。
「俺、ずっとその映画見に行きたいって思ってたんです!でも、カカシさんならきっと他に一緒に見に行ってくれる人がいるんじゃ…?」
結局俺の顔を見てるって事実に耐えられなかったのか、イルカ先生はうつむいたままぼそぼそと語尾を濁らせた。
ま、耳まで真っ赤だからどんな顔してるかなんてわかっちゃうんだけど。
「イルカ先生、俺と一緒じゃイヤ?」
不安の篭った俺の声に、イルカ先生は慌てて顔を上げて言ってくれた。
「そんな!…行きましょう!一緒に!」
「ありがと…!」
最初の罠には掛かってくれた。
後は…逃がさないように追い詰めるだけ。
優しくて大切な人。たとえ騙してでも欲しいから。
「俺、予定合わせますから!えーっと!?とりあえず今からどこかで予定とか色々話しましょう?」
「はい」
優しい微笑みを手に入れるために諦めないと決めて。
映画の見所を一生懸命に話しながら、俺の様子を心配そうに見守ってくれているイルカ先生に心の中で謝りながら、 どうかこの紙切れ一枚分のウソを許して欲しいと願った。


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映画前売り券ゲット記念にそっと放置してみるってばよ!
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