やみのなか


 年が明けたばかりだってのにな。
「おーい。生きてるかー?」
「あー…いちおう、な」
 わずかな空気穴だけしかない穴倉の中で息を殺し、存在を気取られぬように火も使わず、一分の気配も感じさせないようチャクラを押さえ込む。つまりは忍の目でも役に立ちそうもないほどの暗闇に、隣にあるはずの気配すら感じ取れない状態でじっとしている訳だ。
こうして他愛のない会話をするのも、互いの正気を手放さないようにするためにやっているようなものだ。だからこそ最低限に…陽が暮れたときと陽が昇ったときだけに限られている。
 一応体内時計は毒でも食らわない限り狂わないような訓練は積んでいる。とはいえ、日の入りと日の出は完全に感覚に頼っているから、それも正確かどうかも怪しくなりつつある。
 三日目までは余裕があった。というか三日やそこらでおかしくなるようなら中忍なんてやってられねぇ。食料も水もあるこの状況なら、今まで経験してきた任務より楽だと言える。だが三日を過ぎてから少しずつ感覚の狂いを感じるようになってきた。…お互いに声を掛けるタイミングがずれ始めたからだ。俺と、一緒の任務に借り出された同僚。どっちが正しいか確かめる手段は俺たちにはない。外に出たら答えはでるが、代わりに任務の達成も命も危うくなる。外には躍起になって俺たちを探し回っている敵がうようよいて、彼らを刈り取ることも依頼に入っているから下手な真似をするわけにはいかない。
 食料が尽きてからなら一か八かの手も打てるが、残念ながら手ごたえからすると後七日は保つ。
「早く来てくれねーかなぁ」
「ホントになー…」
 ここに盗み出した依頼品を持って閉じこもっている間に、別動部隊が追っ手を片付けてくれる手筈になっている。休暇中に任務を振った詫びに、とびっきりの忍を差し向けてくれるなんて安請け合いをした五代目の、胡散臭い笑顔が脳裏に蘇る。アレは賭け事をしてるときと同じ顔だった。危険度の高い任務だということは、奪取と潜伏だけでAランクになっている辺りから察しはついてたが、綱手様が余計なことを考えていたとしたら、Aランクどころじゃないんじゃないだろうか。
「寝る、か」
「そう、だな」
 寒さより暗闇より休暇がフイになったことの方がずっと辛い。今頃温泉にゆっくりつかって、この所俺を悩ませ続けていた現実からつかの間でも逃避できていたはずだったのに。
「うぅ…!」
「イルカー…流石にちょっと静かにしとけー」
「…すまん」
 好きだとか言われてもどうしたらよかったんだ。流石に差がありすぎて、友達とまでは思ってなかったけどな。
それでも、いい人だと思ってたのに。
 暗闇は恐くなんかない。…引きずり込まれたその闇で、何をされたのか思い出すのが嫌なだけだ。岩の間に身を横たえて瞳を閉じた。目を閉じているだけだ。自分がまだあの時の闇の中にいるからじゃないなんてことを、何度も言い聞かせながら。
*****
「イルカー」
 名を呼ぶ声よりも、肩に触れたものに驚いて目を覚ました。
「え。ああ。もう、か」
 ヤバイ。感覚が完璧におかしくなっている。昨日まではほんの少しの誤差だけだったはずなのに、俺は完璧に眠り込んでいた。それだけ疲労していたともいえるんだが。
「お前さ、最近疲れてたよな」
「なんだよ。急に」
「だからさ、休暇返上なんてことになっちまって…」
「あー気にすんなって。温泉旅行がフイになった分、特別手当たっぷりふんだくるから」
「なら、いいんだけどよ。ホント無理すんなよ?」
 顔は見えないが、多分いつもみたいに仏頂面しながら心配してくれているに違いない。いいやつなんだよな。ホントに。
「大丈夫だって!でもありがとな!」
 そうだ。俺は大丈夫なんだよ。今までも、友だと思っていたヤツに裏切られても、囮に使われても、部隊ごと見捨てられても、いつだってどんな最低な目にあったって、こうして自分の足で踏ん張って生きてきたんだから、なにがあったって平気だ。
 俺は何も失っちゃいない。まあ未経験だったことを強引に経験させられたのは事実だが、俺の大事な人に何かあった訳でなし、生きて行けるとも。
天井からパラパラと石くれらしきものが落ちてくる。なんだこれ?土と、岩。…それの意味に気付いた途端、一瞬で全身に緊張が走った。空元気も元気のうちだとばかりにデカイ声を出しすぎたのかもしれない。…気付かれたか、それとも救援か。
「どっちだろうな?」
「わかんねぇ。…けど、俺のせいだったらすまん…!」
「あー気にすんなって!あっちだって依頼品壊したくないだろうから、そう無体な真似はされないだろ?」
「でも!うわ!」
 能天気さを装ってくれる同僚に言い返そうとした途端、いきなり視界が白くなった。天井の一部が砕かれて、そこから手が伸ばされる。
「お?イルカ先生じゃないっすか。そっちも受付の人っすよね?へー?」
 この態度。この声。目はいまだ明るさになれずにいるが、間違いようもない。
「不知火特別上忍!」
「ゲンマさん!」
 まさに救いの神だ。久しぶりに吸い込む新鮮な空気に、眩しさのせいだけじゃなく涙が出そうだ。同僚をひょいっと持ち上げてくれた力強さにも感動した。体を伸ばすくらいのことはしていたものの、せまっ苦しい暗がりの中でできることなんて限られていたから、体を自由に動かせるってことがとてつもなく嬉しかった。…嬉しすぎて思わず二人してゲンマさんの手を握ってくるくる回るくらい興奮していた。
 この任務の立て込み具合で、あの人が来るはずがないと思いたかったものの、もしかしたらとずっと怯えていたから尚更だ。
 なんていい人なんだ!ゲンマさん!
「良くがんばった。やー。こんなに熱烈歓迎されると、カカシさんじゃなくても変な気起こしそうだわ。…ってまあ冗談ですけどね?」
「触っちゃ駄目でしょ?ねぇ」
「…ッ!」
 ぎゅうぎゅう背後から抱きしめてきた体温には覚えがあった。ホンの数日前、いきなり人を掻っ攫った挙句に暗がりで好き放題にしたのは…この人だ。
「なん、で」
「はたけ上忍まで!綱手様本気だったんだな…!」
 無邪気に喜ぶ同僚が、今は憎い。どうしたらいいんだ。この人から逃げるつもりだったのに。
「恋人が無茶な任務引き受けたってきいたら当然でしょ?」
 にっこりと笑った顔も目も真剣そのものだ。だからこそ、恐ろしい。
「恋人になんてなった覚えはありません!」
「いーえ。もー駄目でしょ?だって」
 その先は、聞きたくない。
「嫌だ」
「強情っぱり。逃げても追うし、俺のモノにするって言ったでしょ?」
「嫌、だ」
「それが嫌なら、今すぐ殺していいって、言ったじゃない」
 そうだ。歌うように楽しそうに、研ぎ澄まされたクナイを俺に握らせて、その白い喉笛を晒して見せた。
 そんなこと、できるわけないだろうが!
「嫌だ」
 壊れたテープレコーダーのように、同じ言葉しか吐き出さない俺を、男がうっとりと見つめている。
「だから、ねぇ。もう戻れないよ。アナタはもう俺のモノ」
 子守唄のように優しい声は、術よりも毒よりも俺を縛る。いっそ息の根を止めてくれと叫びだしたくなるほどじわじわと追い詰めてくる。
「イルカ?おい?」
「行くぞ。ってことで、カカシさん。後たのんます」
「んー?じゃ」
 暗がりの中にいるときよりもずっと恐ろしい。そうだ。闇は怖くなかった。恐いのは、すべてを俺の塗り替えてしまうこの人の。
「や」
「いいよ。拒んでもうらんでも呪っても、それでも離さないだけだから」
 酷く穏やかな声で微笑む男が、俺を捕らえる。その穏やかさがニセモノである証明に、痛みを感じるほど強く抱きしめながら。
「カカシさん」
「好き」
 聞きたくない言葉をたっぷり注ぎ込まれて、足が竦んでも瞳を閉じても、もうどこにも逃げられない。絶対に聞きたくなんてなかったのに。好きだなんて、これでもう永遠に言えなくなった。
「アンタが、頑なところも好き」
 体温と言葉とが染みこんで、指先すらも自由にならない。狂って行く。頭も、体も…心も。
涙でぼやけた視界の向こうで、男が酷く満足げに笑っていた。



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