「ハッピーハロウィン?」 ケモノの面をつけた男が囁く。 たしかに化け物染みちゃいるな。漂う血臭からして、べたつく赤い液体はホンモノだろう。 「風呂入って来い。布団が汚れる」 寝入ってしまう前で良かった。少なくとも布団が汚されるのは防げた。 …汚したとしても上忍らしい分厚い財布が、すぐに新しいものを揃えてくるってのがわかっていたとしても、だ。 「はぁい」 やけに聞き分けがいいが、それを詮索するのもやぶへびになりそうで、大人しく風呂場に向かう男を見送った。 床は無事とは言いがたい。 男から滴り落ちる赤い液体に、それから無遠慮に土足であがりこまれたせいでこびりついた泥や落ち葉らしきものなんかで酷く汚れている。 十中八九、わざとだろう。マーキングとやらを好む男は、俺の体だけじゃ飽き足らず、住処であるこのおんぼろアパートにもやたらと痕跡を残したがる。 一度毒でも盛られてたら撒き散らされることになるんだと説教してみたこともあったが、ちゃんと選んでいると胸を張って言われたらそれ以上言う気力が失せてしまった。 だからこそ、今回の妙な態度のよさを、素直さに喜ぶ事ができないでいる。 ぼろ雑巾で床を拭き、血液専用の洗剤も使って磨く。拭いた布はもちろんゴミ箱直行だ。男がなんでもなくても、俺がイチコロなんて可能性は十分高いからな。 「あ、きれいになってる」 洗い立てですっかりつやつやになった男が不満げに零した。 いつの間にか風呂から上がっていたらしい。気配がしないから気付かなかった。 血の匂いがしないのは結構なことだが、服を着ない癖ってのはやっぱりもう治らないんだろうか。 タオル一丁でも様になるのが癪に障る。それが直に気にならなくなるだろうことも。 「ちゃんと拭け。服は着ろ」 「だって汚れちゃったし?それにほら…」 不埒な指先がパジャマのズボンにかかる。 抵抗はしなかった。これから強制的に運動させられるのに、無駄なことに体力を使う余力はない。 「ふ、…ぁ…!」 持ち主を裏切り、弄ばれた性器は久しぶりの刺激に涙を流して喜んでいる。 いつも通りにこのままベッドに後戻りするんだろうと思った。 そしてそれは当たったが、珍しいことにおまけがついてきた。 「トリックオアトリート。お菓子はいいから、アンタをちょうだい?」 かわいこぶりやがって畜生。小首かしげて言えば俺が何でも言うこと聞くと思ってるんだろ。 そう詰る余裕ももはやない。…どうせ断っても同じことだ。 「甘いものなんて、ねぇよ」 「ああ、嫌いだし、いらない。…でも、アンタは甘い気がする」 それは俺が嫌いということなのか。これだけ頻繁に…まあ今回のように間が開くこともあるが、勝手に家に上がりこんでは肌を合わせていくというのに。 腹が立って蹴り上げてやろうとした足を掴んだ男が、そこにぬるりと舌を這わせた。 「っぁ!」 それは酷く卑猥な光景で、作り物めいた銀色の男がまるで…まるで異国の物語に聞く人の生き血をすする化け物にも似て、妙な焦燥感が湧いてくる。 「おいしい。アンタの甘さだけは」 うっとりと目を細めているくせに、その癖どこか飢えを感じさせる光をたたえている。 悪戯もお菓子も一緒だな。どっちにしろ俺がこの男に与えられるものはそう多くはない。 この体も、伝えるつもりのない思いも、もうとっくに全部この男のものだ。 「物好き」 「そ?」 唇が重なった。…赤い赤い唇に食まれて舐られて、まるで食われているようだ。 「もうとっくにアンタのもんだろ」 苛立ち紛れの敗北感漂う悪態に、男がその作り物めいた綺麗なツラをいびつに歪めて笑った。 「うそつき」 その悪態の意味を問うことはしなかった。 呼吸を奪うほどの口付けに世界が少しずつ遠のいて、あとはこの男でいっぱいにされるだけだ。 「言ってよ」 強請る言葉に諾と答える日は一生来ないだろう。 …そうして突っぱねている間は、追いかけてくれるかもしれないという打算など、この男に教えるつもりはない。 与えられる熱はいつだって乱暴で一方的で、それから切なげな瞳は咎めるように潤んで俺を見ている。 おれだけを。 それににんまりと笑った俺は、果たしていつからこんなに人でなしになったのか。 俺を狂わせるイキモノに縋りついて、その吐息さえ奪うように、少しの隙間も許さずに溶け合って、何度も何度も上り詰めて。 そうして…小さな声で、それでも好きだと囁く男が、たまらなく愛おしかった。 ********************************************************************************* ペーパー再録。 |