梅雨


 折角の休日だ。いつもよりゆっくり起きて、普段なら到底不可能なゆっくり朝風呂につかるなんていう贅沢を堪能した。
 元々風呂は好きだ。そりゃ温泉にいけるなんてことがあったら小躍りするが、内勤の中忍は意外と忙しい。そんな時間などめったに取れるはずもない自分にとっては、温泉の素でも十分すぎるほど贅沢だ。足を伸ばしてゆったりなんてのは無理だが、たっぷりと湯を張った中に身を沈めると、じんわりと染み込む温かさに日ごろの疲れがすっ飛ぶような気がした。
 風呂上りにビール…といいたい所だが、コレは夕食にとっておこう。代わりに飲むのは牛乳にした。朝だというのもあるが、風呂上りにはなんといっても牛乳に限る。
 この習慣を真似てか、風呂上りに牛乳を飲むことにしてる教え子の一人を思い出して、苦笑した。そういえば最近牛乳を腐らせたという話を最近聞かなくなったから、下忍になっても心配ばかりかけてはいるが、少しずつ成長はしているんだろうとしみじみとした気分になった。たまには俺から会いに行くのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら一人悦に行っていたものの、流石に腰にバスタオルを巻いただけでは寒くなってきた。
春が来たかと思えば、あっという間にこの肌寒さだ。まあそれはまだいい。忍の身でこの程度の寒さに耐え切れないわけがない。
雨がふっているというだけで、憂鬱ではある。任務中でも足場が悪くなるし、気配も匂いも感じにくくなるからな。追っ手を捲くのは楽でも、自分が追う側になったときにはこれほど厄介なことはない。だがそれよりなにより湿気が厄介だ。
じめじめした空気が嫌いなのもあるし、何かと食料の足が速くなるのも悩みの種だった。野営中に兵糧が腐敗しかけたこともあって…あれはとてつもなく恐ろしかった。
如何に屈強な忍といえど、限界まで食い詰めたらケダモノと変わらない。腐敗しかけたものから消費していき、補充も見込めず、そしてあいにく獲物になるような動物も少ない土地だったから、最後の方には全員が全員なにもかもが食べ物に見えると言い出して、なぜかそれが酷く面白く思えて笑い出したら止まらなくなって、結局任務を終えてやっとまともな食事を取れた時は、全員無言でただひたすらに食事に没頭した。
そんなことを思い出していたら、途端に空腹を感じて大慌てで着替えを取りにいった。…そして、たんすを見てその中身が今これから履こうとしている下着くらいしか入っていないと気づいて愕然とした。 何度たんすの中身を見直しても、当然ながら増えるわけがない。原因は分かっている。
「そういやまた雨か…」
 昨日もおとといもその前も、そして確かその前も、つまりはこの所ずっと雨続きだったのだ。まあそれは梅雨時なんだから当たり前だ。…問題は、この洗濯物の山だ。
「何でこんなに貯まるんだろう」
 洗濯しそびれた結果、洗濯機の横に小山のようになっている。大半が忍服だから、適当に洗ってしまえばいいだけなんだが、仕事も忙しい。
 適当に洗うのはいつでもできると、この所天候が優れないことも理由にし、気づけば後回しにし続けて、着る物がなくなってから気づく始末。 冷静に考えてみればいつから洗濯していないか忘れるほどに時間が経っている。それだけ長期間洗濯を放棄していれば、たまるのも当たり前だ。
一人暮らしの気楽さにかまけて、ついついなにかとおざなりになりがちな己の生活を思って落ち込んだ。
「まあ、洗えばいいんだから、さっさと片付けるか!」
 誰が聞いているわけでもないが、気合を入れるために明るく振舞ってみた。…なんだかよりいっそう独り身の寂しさを噛み締めてしまった気がするが、それはそれだ。
 とっとと洗濯して、この自分の怠惰さを強調する目障りな小山を片付けてしまいたい。
この天気だから部屋干しになるが、乾燥機なんて洒落た物は勿論ない。だがそのときの俺は、こんなに大量の洗濯物を一度に洗えばどうなるかってことも思い浮かばなかった。
*****
 最後の一着を身に着けてからの行動は早かった。洗っては干し、洗っては干し、合間に久しぶりに冷蔵庫の掃除もかねて自炊もした。
 それが適当に余り物をごった煮にしたような雑炊を、鍋ごとかきこんだだけってのは、ご愛嬌だ。
 …で、全部干し終わって満足感に浸った瞬間、問題に気がついた。
 冷蔵庫の中は綺麗さっぱり空っぽ…とまではいかないまでも、大分片付いた。だが買出しにもいっていなかったせいで、ろくな中身がない。
 そして部屋はたっぷりの湿気で、とてもじゃないが普通に過ごすだけでも鬱陶しい。折角の休日だというのに、食料もなければ居心地も最悪の場所ですごすことになってしまいそうだ。
いっそ術で一辺に乾かしてしまおうか。こもりきった湿気は多少マシになるだろう。ただ、本来戦闘用に特化した忍術で、ただ乾燥させるだけというのは、意外と繊細な作業だったりする。つまりはそれだけ疲れるってことだ。
 こうなりゃ自棄だと気合を入れて印を組んだ。
 じわじわと温かい空気を作り出し、洗濯物から水気を飛ばす。部屋中干しきれないほどの洗濯物は、何とか乾いた服の山に変えることができた。
 …たたむの面倒だな。一瞬そんなことが頭をよぎったが、どうせならやはり片付けるべきだろう。 片っ端からたたんでたんすに突っ込んで、スカスカだった中身はあっという間にいっぱいになった。
「腹、減ったなぁ」
 一仕事終えた疲れでこのまま眠り込んでしまいたい位疲れている。
 後は買出しに…この雨の中出かけてまた洗濯物を作ることになるわけだ。 いっそ我慢してしまおうか。食べないからといって死ぬわけでもない。 そんな黒い考えが横切り、とりあえず雨脚が緩むことを期待して…いや、それを言い訳にしてたたみの上に転がった。
 せめてこの空腹感だけでもどうにかできないかと、兵糧丸に手をつけるべきか否かで葛藤していたときのことだ。
「ごめんください。イルカ先生いらっしゃいます?」
「カカシさん!どうしたんですか?」
 たずねてきた上忍は、自分の中で変わった人トップ3に入るが、いい人トップ3にも同時ランクインしている。手のかかる教え子を引き取ってくれたってことに加えて、何かと気遣いが細かいのだ。 今日も手に持っているものから、いいにおいがしている。
「これ、食べませんか?」
「え!でもこれ、カカシさんのでしょう?」
「二つちゃんとありますよー?もらい物なんですけど、一人じゃもてあましちゃって」
 そうか。この人こんなに気さくだけど、そういえば上忍だったっけ。腕はいいし性格ももちろんいい。そんな上忍なら貰い物を押し付けられても不思議はない。 …そしてなにより、俺は今自分の空腹に抗えそうにもなかった。
「ごちそうになります…」
*****
 たっぷり美味い飯を食って、何くれとなく話しかけてくる上忍と会話も楽しんで、いいこと尽くめだ。俺が男じゃなかったら惚れてるだろうな。この人に。気さくでいい人だよ本当に。
 一人感動していた俺は、知らなかった。上忍に洗濯している時から観察されていて、早晩空腹で倒れるだろうって所まで予測させていたなんてことを後から知って、憤死しそうになった。 …その後に好きすぎてどうにかなりそうなんですなんていわれて、付き合うことに同意したのは、もうとっくにほだされていたせいだけど。
 やっぱり変わった人だと思う。とても。
 家事なんでもござれな世話好きの恋人ができたおかげで、それ以来洗濯物がいっぱいになることはついぞなかったことだけを報告しておく。
 ベッドシーツ以外はな。


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