春、獣を拾う話


「ねぇねぇ。今度こそ良いでしょ?」
 獣の面をつけた男が子どものように袖を引く。
 強請る中身は面の模る獣とそう変わらない。そういえば今は春だったのだとため息を吐かされた。
「全然全く欠片も良くありません!」
 戦場で擦り切れた精神を癒すために、人肌の温もりを求めて部下に無体を強いる馬鹿がいることはいる。
 それが同性であることも珍しくないが、大抵それは見目の良いまだ子どもの域にいるような、雄を感じさせない外見の者ばかりだったはずだ。
 それがなにがどうなってか知らないが、この任務地に派遣されて以来、何処からともなく沸いて出たこの暗部に延々と付きまとわれている。
 それも卑猥な要求つきで。
「気持ちよくするよ?初めてでも痛くしないし!」
 懐柔しようとやたら熱心に話す言葉はウソくさいし、そもそもそういう問題でもない。
 痛みはもちろん好きなわけがないが、それよりなにより。
なにが悲しくて、わざわざ男と。それも顔もみることができない相手と寝なければならないんだ。
 油断するときわどい所に触れてくる手を振り払い、できるだけ視線を合わせずに歩いた。
 鉤爪つきの物騒な装備を身につけているくせに、妙に小器用に快感を探ってくるのが恐ろしい。暗部というのは、そんなことにまで手練なのか。
「何度も言いますが、俺はそういうのは間に合ってます。他をあたって下さい!」
 大体この男は暗部なのだから、慰安にそれなりの女が用意されているはずだし、それが気に入らなくても、いくらでも強い男に惹かれたくノ一たちが相手をしてくれるはずだ。
 ましてやこの男は若そうというか…行動が子どもっぽいからかもしれないが、もしかしてもうすぐ18になる俺よりも年下なんじゃないかと思えるほどだから、この年でそこまで優秀ならそれこそ引く手数多だろうに。
「ヤダって言ってるでしょ?もー強情なんだから!」
 強情なのはどっちだ!
 そう叫びたくなったが、ぐっとこらえた。呆れたとばかりにため息を吐かれて苛立ちはピークに達していたが、相手にする方が面倒なことになる。
 それでなくてももうすでにこの男に付きまとわれているせいで、くノ一からは嫉妬と怒りを向けられ、男たちからは同情と…それからありがたくないことに付きまとう男と同種の興味を持ったらしい視線まで向けられている。
 早く同じ部隊の天幕に帰りたい。…目覚めるなり横で勝手に俺に張り付いていた男を発見して悲鳴をあげたこともあるから、そこすら安寧の地とは言いがたいのだが。
「…これから飯なんです。お願いですからほっといてくださいよ…」
 割り当てられたのがほぼ哨戒だけだとしても、熱っぽい視線を延々と浴び続けるなんてごめんこうむりたい。
 飯はゆっくり落ち着いて食うものだ。これでは戦闘が始まる前に精神が擦り切れてしまうかもしれない。
「…しょうがないなぁ…」
 やっと、この台詞を聞くことができた。
ひとしきり付きまとった後、同じ暗部に引きずられるように去っていくか、それともこの台詞を聞くまで男が俺から離れることはない。
やれやれといわんばかりの声だったとしても、開放の瞬間への期待の方が大きかった。
「では、これで」
 足早に立ち去ろうとしたつもりだった。
 残念ながら足は一歩も前に踏み出すことはなかったけれど。
「強引なのもありだよね!」
「今までも十分強引だろうがああああ!!!」
 荷物のように担ぎ上げられたまま移動する俺の叫び声が森の中に木霊して、おかげで仲間たちは俺が昼飯を取りにくることができないってことを把握したと後で言われた。
 生ぬるい笑顔を浮かべて「ちゃんととっておいたぞ!肉団子!」なんて言われても、帰り着くまでに強いられた行為のせいで、喜べるはずもなかったのは言うまでもない。
*****
「だって一目ぼれだったんだもん!」
 そう言って擦り寄る男と、なぜか俺は同じ毛布に包まっている。
 断じて同意した覚えはない。覚えはないのだが。
「すっごく気持ちよかった…!」
 嬉しそうにいう男に、その点ばかりは同意せざるを得ない。男としての矜持はずたぼろだ。
「何で…!あんなトコにあんなものが入るなんて…!」
 そして気持ちよくなってしまったのが何より屈辱的だ。男はウソはいわなかったが、それは何の救いにもならない。
 ずくずくとうずく所から溢れ出るモノが、現実を突きつけてくる。肌に散った夥しい数の紅い痕は執拗な行為を物語るようだ。
「入るよ?だっていっぱい解したし濡らしたし。怯えちゃってしがみついてくるのもかわいかった…!」
 うっとりと目を細める男の顔は、さも満足ですといわんばかりで腹が立つ。
 …そしてそのせいで俺は重要な事実に気づくことができなかった。
「うぅぅ…」
 寝床に突っ伏して動くこともできず打ちひしがれる俺の背に、男は性懲りもなく痕を残している。
「…足りないなー…?出発まで時間あるし、あと3回くらいならできるかなぁ…?」
「無理に決まってるだろうが…!そもそもアンタ暗部の癖に任務じゃないことに現抜かしすぎだろう!」
 そう。男は暗部だったはずだ。こんなにアホでもずれきっていても、俺の抵抗など簡単にいなされてしまうほどに実力差があった。
 暗部…なにか大事なことを忘れているような…?
「ちぇー?でも初めて貰っちゃったもんね!もー気が気じゃなかったの!かわいいのにふらふらしてるし!でももう大丈夫だから!俺のだって印もいっぱいつけたし!」
 頭が沸いた男の台詞はこの際どうでもいい。蕩けそうにやに下がった顔も…そう、顔が…。
「ぎゃあああああ!?…っつー…!」
「え?なに?どうしたの?怖いものでも見た?」
 背を撫でる手に今更ながら顔を上げるのが恐ろしくなった。
 怖いものならある意味現在進行形で視界に入ってきそうだ。
「なんで、あんた、面」
 恐怖のあまり途切れがちになった台詞に、男は楽しげに答えてくれた。
「え?だって邪魔でしょ?いちゃいちゃするのに。それともそういうプレイも好きなの?」
 きゃーきゃーとなぜか嬉しそうに喚く男に、思わず詰め寄っていた。
「プレイじゃねぇ!なんでアンタ顔見せてるんだ!ほいほい!暗部のくせに!」
 自分の存在ごとってことはないにしろ、記憶の方は十中八九消されてしまうだろう。…今夜の記憶は消された方がありがたい気もするが、里に帰っても襲撃してきそうな男を警戒すらできなくなるかもしれない。
「あ、大丈夫。既成事実もできたことだし!正式に俺のモノになってもらうから!」
 朗らかな宣言。…得体の知れない恐怖がひたひたと足元から這い上がってくる。
「モノ…?アンタのモノって…!?」
「安心してお嫁に来てね?甲斐性あるし、留守がちだけどその分ちゃんと満足させてあげられるし!」
 そう言って尻だの腰だのを弄ぶ男に、俺はとんでもないことになっているのだと自覚せざるを得なかった。
 同意なんて欠片もしてないのに、この男が暗部で、顔なんかみちゃったというかみせられたせいで俺は…俺は…!
「う、ぎゃー!」
 …悲鳴もかわいいなんて言われてさらに散々な目にあったのは、男の目が腐ってるせいだと思う。
***** 
「寄るな!」
「えー?なんで?ヤダ」
「ヤダじゃねぇ!洗濯物が干せねぇだろうが!」
「乾燥機買わせて?そしたらいっぱいしてもシーツ簡単に洗えるし雨降ってもできるし、俺が留守で腰が痛くても…」
「黙れ!」
結局、任務が終わっても当然のような顔をして里まで、しかも俺の家まで男は着いてきた。
だから…同居人ということで己を納得させるほかなかった。
 乾燥機は魅力的な提案だが、動機が不純すぎて危険だし、こうい提案にうっかりうなずくと、元々激しい夜の運動が、ますます激しさを増すのは体で学習した。
 ぼろっちい扇風機が修理の甲斐なくその動きを止めたときも、クーラーがあったら涼しいなんて男の甘言に乗せられて酷い目に合ったからな。
「ちぇー?いいもん。勝手にくっつくから」
 拗ねてるんだか甘えてるんだか分からないことを言いながら、男が腰の辺りにしがみついてきた。酷使したばかりの腰は痛むが、意地でも男の相手はしてやらない。
 こんなのが暗部で上忍で年上で、しかもなんだか二つ名まであるなんて…世の中理不尽だ。平凡な中忍の平和な生活を乱す権利なんて誰にもないはずなのに。
 見かねた三代目に呆れ顔で説教された位には、男の暴走は目に余る。
 それが段々日常となってしまったのが何よりの恐怖だ。
ちらちらと顔色を伺いながら、股間に向かって小器用で不埒な手を伸ばす男の頭を叩き、洗濯物を干していく。
この部屋に住み始めたとき、前の住人から受け継いだ洗濯機は、古くて水流の調節などできる訳もない上に音もうるさいが、どんなにどろどろに汚しても綺麗にしてくれる。繊細な洗い方ができないだけだとしても、やはりもう少しがんばってもらおう。
「なんで、アンタは」
 思い出したように、ふっと問いかけてみたのは、何度目だったか。
いつものようにふざけた男にうやむやにされて終わるだろうと予想していたのに、今日は違った。
「アンタがどこまでも真っ直ぐで折れない刀みたいに思えたから。側に置いたら守ってくれそうじゃない?」
 だから欲しかった。
 つぶやきは半分寝息に消えた。任務帰りのくせに荒淫に励んだせいでどうやら体力を使い果たしたらしい。
「俺は、お守りかなんかなのか」
 モノ扱いされるのはいつものことだからとはいえ…思ったより腹が立たないのが不思議だ。
 俺も忍だということだろうか。
 眠りの海に沈んだ男からの答えはなかったが、この男を守るものが自分なのだと思うとなぜか少し誇らしいとさえ思えて。
「まあ、いいか」
 受け入れてやろう。この男を。…欲しがりで甘えたで、それから…強くて脆いらしいこの馬鹿を。
 俺が一世一代の決心を固めているとも知らずに、男はふにゃりと酷く幸せそうに笑った。


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