澱み(適当)



「アイスとかどうですかー?」
「…とかってなんですか。何する気なんだアンタは」
「え?だって暑いって言ってたでしょ?」
「まあそうですが」
「アイスの方がすべり良さそうじゃないですか」
「すべり…?よくわかりませんが遠慮しときます」  なに企んでるかはわからんが、それがろくでもないことなんだろうってことくらいは分かる。
 じったりと暗く淀んだ瞳の奥が鈍く光っていて、こういうときは絶対に近寄っちゃ駄目だってのはたっぷり学習済みなんだよ。
 …まあうちに半ば住み着き始めている時点で俺の負けのような気がしないでもないんだが。
「クーラー入れるんでおかまいなく。それもって帰ってください」
ギリギリまでクーラーなしで耐えようと思っていたが、電気代よりも身の安全優先だ。
 冷えてくれば原因であるところの暑いって問題はとりあえずは解消される。
 原因がないんだから後はその危険物…ただのアイスのはずなのにそう見える物体ごと、この人にお引取りいただけばいいだけだ。
「…アイス冷凍庫に入れてきます」
 僅かに眉をしかめて、大人しく冷凍庫にしまっている。
 よし!これで大丈夫だ!多分。
 まだうろんな顔で俺を見ていることには変わりがないが、少なくとも異常な緊張感は僅かに緩んでいる。
 このまま畳み掛けるように俺の日常に戻ることも不可能じゃない。…はずだ。多分。
結果的に、アイスを持って帰ってないって事はまだ居座るつもりってことを俺は忘れていた。
「うへえ!つめてぇ!なにすんですか!」
「え。氷のほうがよかったんですよね?」
 まて。その選択肢はどこからやってきたんだ。一個も聞いてねぇぞ?
 頬に当てられた冷たい物体が、暑さに溶けて雫を滴らせながら男の手に収まっている。
 見る見るうちに小さくなって、畳にぽつりぽつりと雨のように水が散り、いささか古びて毛羽立った畳がそれをはじいてまるで宝石のように輝いている。
中々綺麗だ。掃除するのは面倒だけどな。それにしても溶けるのが早いな。室温が高すぎたか。クーラーをつけるいいタイミングだったかもしれない。…現実逃避くらいしたっていいよな。こんな訳の分からんイキモノ、俺の手に余る。
「あの。クーラー入れたんでいりません。暑いならどうぞご自宅にお帰り下さい」
「…駄目?」
 ここでなにがだって聞いたら負けだってことくらい、いくら鈍い俺でも想像が付く。
 駄目も何もないんだよ。アンタの突拍子もない行動のせいで神経をすり減らされるのはもう真っ平だ。
 まあ言えないんだけどな!俺、ただの中忍だし!コイツは奇行が目立つとはいえ里随一の忍だ。しかも顔もいい。とある不本意な状況下において、普段はやたらめったか厳重に覆い隠されているその顔を間近でしこたま目にする羽目になったときなんて息がとまるかと思った。別の意味でも羞恥で死ねると思ってたが。
 つくづく世の中は不公平だ。なんでこんな横暴なイキモノの存在が許されているんだろう。
「…氷もなしです。アイスは普通に食うもんです。書類が濡れるんであっちいっててください」
 だが当然男が引き下がるわけもなく、無言で側に立ち尽くしている。じんわりと背が冷たいのは、入れたばかりのクーラーのせいだけじゃない。この男の視線だ。かすかな苛立ちと、その奥に隠しこまれたどろりとした熱い…毒。
 触れるだけで焼け焦げて、それだけじゃ飽き足らず、きっと臓腑までその毒で腐らせるに違いない。
「じゃ、普通にやります」
 それならいいでしょうと、さも譲歩してやったとでも言いたげだが、普通ってのは男同士で寝ることを言わない。しかもなんでこんなにも偉そうなのか。まあ偉いんだが。実際。くっそう腹が立つ!
「やりません。仕事してるんですよ。帰れって言ってるでしょうが」
「…じゃ、強引にします」
 ぞっとした。宣言どおりこの男はいつだって俺のことを好きにできるし、好きにしてきた。
手が、伸びる。掬い上げるように顎に触れた瞬間、跳んだ。
 書類を机の中にしまいこみ、ついでに中に仕込んでおいたものをばら撒いて足止めする。
「なにこれ。あ。写真?」
 勝手に持ち出したアルバムからはがそうとするくらいやたらと欲しがっていた俺がガキの頃の写真を、たっぷり焼き増ししてもらってきた。…こんなにたくさん授業にでも使うのかと不審がられた分の効果は発揮して欲しい所だ。
「食らえ!」
 風遁に乗せた写真が一斉に舞い飛んだ。勿論男に向かって。
チャクラを乗せるとうすっぺらいそれは十分な刃となる。といってもせいぜいちょっと痛いくらいでいいとこ目くらまし程度にしかならんが今の俺にはそれだけあれば十分だ。
「すごい。いっぱいイルカせんせーがいる」
 …なんか喜ばれてる気がするのはおいておいて、とりあえずは…三十六計逃げるに如かず!
「ちょっと用事ができたのでさっさと帰ってください」
 窓から飛び出すとその暑さにくらくらした。まだ追ってはきていない。なら今のうちに距離を取らなくては。
「ふぅん?」
 笑うでもなく呟いたことに怯えつつ、俺は自分史上最高速度で逃げだしたのだった。
*****
「イルカちゃんじゃないか!」
「あ。おっちゃん!スイカ。いいのあるかな?」
「おうとも!甘いのが入ってるよ!持ってくかい?」
 そういって持たされたつやつやと輝くスイカは随分と大きくて当然重い。だが俺にはこれが必要だった。
敵は冷蔵庫と冷凍庫の隙間にある。…隙間があるからアレがやってきて訳の分からないモノをストックするに違いない。実際タイムセールに乗せられてついつい冷蔵庫を一杯にしてしまった時、男は普段何かと持ち込む土産物を何一つ持ってはこなかった。まあやられたことはやられたが。
…効果、あるといいなぁ…。
まあとにかく、冷蔵庫はこれでいっぱいになるだろうし、すでに既にアイスもたっぷり買い込んである。
なぜか俺が手を付けるなといえばそこだけは律儀に守るから、これで一時の安全は担保されたと考えていいだろう。
「スイカは入らないよね」
「…っ!?」
 もうちょっとぶらぶらして、場合によってはアカデミーの宿直室にでも逃げ込もうとしていたのに、見つかってしまった。入らないって、どういうことだ?
「きゅうりとナス…こういうのが好きなの?」
 ついでに買い込んだ晩飯の材料が気になるらしい。好きなのって、旬の果物と野菜を食ってなにが悪いんだ。馬鹿にされた気がして、だが構うとやっかいなことになるのがわかりきっていて、だから。
「スイカを冷やさなきゃいけないんで」
 逃げるように走りだしたものの、今度こそふりきれるかどうかというと疑問が残る。
 前は風呂上りにビールで一杯やってる間に忍び寄られてそのまま散々な目に合い、その前は演習場の点検も終わって直帰しようとしてたら茂みに連れ込まれてそのままやられて、その更にもっと前は。
 そうだ。最初は、受付で。
濁った目も、妙に緩慢な動きも任務明けで疲れてるんだろうと思った。
 手を取られたときも具合でも悪いんだろうと、医療班を呼ぶべきかどうかってことまで考えていたのに。
 引き倒されて頭打って呻いてる間に、乱暴にベストを脱がされ、アンダーも切り裂かれていたような気がする。
 トチ狂った上忍に当たったのは初めてじゃなかった。が、しかし大抵は一発分殴れば正気に返るし、女性らしい外見をしているわけでもない俺と勢いでヤって面倒で双方とも痛い思いをするより、綺麗な専門の女性にお相手願ったほうがいいですと諭せば大抵引いてくれた。
 だが今回は相手が悪かった。ぶん殴ろうにも反撃が許されるほどの隙もなければ、怒鳴ろうが喚こうがそれを聞くような耳ももっちゃいなかった。
後戻りが出来ない状況になってもなお片手で縛められた両腕はピクリとも動かせず、開かれた足の間をたっぷりと得体の知れない液体で濡らした後、最終的にはなるようになった。
忍の常で、始まってしまった段階で最悪の事態を想定していたから、相応の痛みを覚悟していた。若くてあまり男臭くないヤツから、怪談染みた体験談をたっぷり吹き込まれたことがあっただけに、むしろ拷問に耐えるような気持ちで腹を括った。
だというのに、むしろ意識が吹っ飛びそうなほどの…己の性別を疑いたくなるほどの快感を引き出され、終わったときは腰が抜けて膝も振るえ、ドロドロの体を無表情で清める男に怯える余裕すら残されていなかった。
中忍の体力を根こそぎ奪うほどの情交を、任務で疲弊しているはずの状況でこなしちまうんだから、なるほど上忍というのは正しく別のイキモノなのだろう。
どうせ労災だ。同情されることはあっても、特に白い目でみられることもない。逆を言えばこの男も罪に問われることはない。たまたま起こった不幸な事故として、これまでもこれからも幾度も繰り返されてきた些細なものとして極々事務的に処理されるだけだ。
様子が普通じゃなかったから感染と毒の移染なんかの最悪の場合に備えて病院にだけは行きたいところだが、一応の後始末らしきものはしてくれているとはいえ、流石にそこまでの手当ては期待できないだろう。
歩けるか?…いや、無理だな。手も足もしびれたように言うことを聞いてくれそうにない。
もがくことも嘆くこともできずに、ただひたすらになにもかもが面倒になって意識を手放した。
そうして目覚めたのは仮眠室で、おまけに隣に男が寝ていたときは、流石に世の無常さを嘆いたものだ。しかも一度こっきりと思って犬にでも噛まれたと思って忘れようとしたのに、何が気に入ったのか行為は一度で終わらなかった。
そうして、今に至る。
言葉はない。ただいつも仄暗い炎を瞳に宿らせて、こっちの意思など構うことなくやってきては搾取していく。突っ込んで出した後の始末を律儀にしていかれても、そんな気遣いはやってる最中にして欲しい。
体を使うことに否はない。任務ならいつでもありうることだ。経験がなかったからといって、これからもないかどうかってのは分からないしな。むしろただただ驚いた。こんな傷だらけの男の体に勃つなんてどうかしたのかと思うだろう?元々そっち系だとしたらいままで流してきた浮名はどうなってんだって話だし、俺を密かに静かに粘着質に追い掛け回すようになるまでは、そこここで女連れで歩いてるのを見ていたのに。
「外がいいの?暑いよ」
「うわぁ!?い、いい訳あるか!これから俺はスイカ冷やして食うんです!」
「じゃ、付き合います」
「結構です」
「…外、いやなんでしょ?」
「色々全部お断りしたいんですが」
 なんでいきなりしょんぼりするんだ。そんなに外でしたかったのか?いやしたいって言われても全力でお断りするが。
「じゃ、やっぱりここで」
「しません!帰ります!」
「はい。帰りましょ」
 …おかしい。なにがって色々全部おかしい。とはいえ、泣いても喚いてもこうなったら絶対にこのイキモノは引き下がらない。
「晩飯は冷やしうどんです。きゅうりとトマトと揚げ玉乗っけてあとネギも」
 だからこの食材は他の用途には使えないと主張したつもりだ。分かってもらえるとも思えんが、主張しないではいられなかった。
「ふぅん?揚げ玉いりません」
「…そうですか」
そうか。飯まで食ってく気なのかこいつは。腹がいっぱいになったら俺にちょっかい掛けないでくれるんじゃないだろうかっていう淡い期待に縋るしかもう道は残されていないようだ。
「油揚げ焼いたのも乗っけるんで。ミョウガも」
「へー」
「食ったら帰ってください。今日はまだ仕事も残ってて忙しいんで」
「手伝います」
「いらねぇって!」
「じゃ、仕事できなくなってもいいの?」
「よくねぇよ…」
 会話が成立しない。悲しいほどに。さてどうしたもんだろうか。
「入れるのは、また今度にします」
「そ、う、ですか」
 何をだという質問は当然のことながらしない。知らなくていいことは世の中にたくさんある。
 そうか。少なくとも妙な目に遭わないのなら、少しはましだろうか。
 思う様流されている己を自覚しつつ、スイカの袋を持ち直した。すぐにそれを男が横から浚うように持ち、このクソ暑いというのに側にくっついてくる。
 ああ面倒だ。こんなものと関わってもろくなことはないって分かってるのに。
「楽しみです。冷やしうどん」
「そうですか」
 相変わらず無表情なくせに、浮かれた気配だけを垂れ流すイキモノ。…帰ったら一番暑くて面倒な麺茹でを押し付けてやろうと決めた。ささやかな反撃など気にも留めないんだろうが、今はまだ無理だ。この何もかもをわかっているようでいて分かっていないイキモノと付き合う決心をするにはまだ。
「どこでしましょうか」
「暑いので、アンタがうどんゆでてください」
「はーい」
 少しも通じ合わない会話を自然にしてしまっている己に戦慄を覚え…それから、そっと手を握って微笑んだ男に、いつか一矢報いる日が来ることを祈ったのだった。


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適当。
どろどろした感じでひとつ。
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