これの続き。 「おはよ」 寝ぼけた頭に染み入る良い声だ。それがまたとろっとろに甘い声ってのがな。受け身に回ったのが初めてで、この人しか相手にしたことが無いから、この気だるい甘ったるさを抱える体を未だに御しきれないでいる。 ここで心地良さに甘えてうっかり寝ぼけたまま肌でも摺り寄せようものなら、朝っぱらから爛れた時間が始まっちまう。下手を打てば困るのは自分だ。正常な朝を迎えるためには、この居心地の良い腕の中から速やかに抜け出さなきゃならない。 うっかりするのはこの人のせいもあると思うんだけどな。なんだって野郎相手に、それも華奢でも美人って訳でもないこんな体を、まるでとびっきり繊細な美女でも扱うみたいにしてやたらと丁寧に扱うんだろう。男ならヤった後はどこか冷静になるもんだと思うんだが、この人は違うらしい。 与えられる熱に蕩かされて、無意識のその体温を求めてこの人に引き寄せられがちな俺が言うのもどうなんだって話だけどな…。 「ん…あー…おはようございます。…お、おお?」 どうにか体を起こそうとしたものの、体中の関節が言うことを聞かない。そうしてあっさりバランスを崩して倒れ込みかけたのを抱き上げたのも元凶である人で、とびっきりの笑顔でキスなんか仕掛けてきやがる。 「ん。はいはい。お風呂ね?」 「わぁ!え?あ、いや大丈夫です!おろしてくれ!」 「嫌」 「はぁ?なんでですか!」 「イルカ先生を洗いたいから」 真っ当なはずの抗議に真顔で返すのは反則だと思う。こっちが悪い気がしてきて折れてしまいそうになるじゃないか。大体洗いたいってどこをなんだ。想像するだけで恐ろしい。風呂は体を清めてくつろぐ場所であって、間違っても朝っぱらからヤっても掃除がしやすいなんて理由で情事にもつれ込むためのところじゃないはずだ。 張本人いわく、シーツを洗濯しようとする度に落ち込む俺を見かねてのことらしいが、落ち込んでる理由は洗濯物が増えるからじゃないんだということに関しては、まったくもって理解する気がないらしかった。 ただヤりたいだけなんじゃないのか。もしかしなくても。 「自分で洗います!自分で!」 「お風呂入ったらご飯食べてね?」 「食べますが!そうじゃねぇ!」 「…ここ、イルカ先生にも触らせたくないんだよねぇ…?」 どんよりと濁った瞳をぎらつかせて、酷使されてジンジンと違和感を訴える箇所に触れてくる。そんなことで上忍らしさを発揮しないで欲しい。まったくもって朝に似つかわしくない殺気に、とっさに声を上げていた。 「ヒィッ!な、なにすんですか!」 「え?何って?お風呂入ろうよ」 「そうじゃねぇ!ここ集合住宅なんですよ!殺気をしまえ!」 「え?あ、ヤダごめんね?」 怒鳴った途端、恥ずかしそうに微笑んで殺気を霧散させた。無意識なのか…。あとその夕方のスーパーで献立に悩む主婦みたいな言葉遣いは何とかならないんだろうか。顔はまごうことなき美形ってやつだと思うのに、こういう仕草がどこかしらたおやかというかなんというか。 まあかわいいんだが。 「あーもういいですから。ほら、降ろして」 そういうところでほだされる己を呪いつつも、どうにも強く言うことができなくてやわらかく言い聞かせてみたのに、今度は笑顔のまま速攻で却下された。 「駄目」 「だからなんで…!」 「大丈夫。ちゃんと綺麗にしてあげますよ」 ちゃんとが問題なんだろうがと叫ぶ間もなく口をふさがれて、風呂場に連れ込まれてからも結局色々されてしまったのも何度目になるだろう。 朝飯らしき美味そうな料理を次々と並べてくれる恋人は、あれだけ腰を使ったってのに軽やかに動きまわっている。対してこっちはもう椅子に腰かけていることすら苦痛な状態だ。だがうめき声でもあげようものなら欠勤させられかねない。 「いっぱい食べてねー」 「いただきます…」 おいしいし運動したおかげで腹も減ってるしご機嫌な恋人は朝から肌の色つやもよくて…って、問題はこの状態なんだよ!だから! どうやって言い聞かせようか頭を悩ませる間にも、せっせと親鳥が雛に餌を与えるようにせっせとおかずを食べさせようとしてくる。出汁が良く染みていて美味いこの煮物も、麺類好きを察知されたのかこの時期良く食事に付くようになった汁代わりのにゅう麺も、タイミングよく口元に運ばれて、せめて文句の一つも言おうとした口を塞いでくれる。それがまた美味いから文句も言い辛い。 大分腹がくちくなってきて、しょうがないからこの話は絶対に家に帰ってから徹底的にしようと腹を決めた途端、唐突にものすごく近くに恋人の顔が迫ってきた。 鼻は触れそうだし、やわらかくたわんでいる割に強すぎる視線が、こっちの目を覗き込む様に追いかけてくる。視線を逸らそうとしても無駄らしい。 「ね、24日休むよね?」 「…何の話ですか?」 こういうときのこの人は危険だ。さりげなく強引に自分に有利な方向に話を持っていこうとする。威圧感というよりは、その必死さと間近で煌めく長いまつげなんかに気を取られて引っかかりがちだ。 「休まないの?」 「あ、あの?」 そう。それからこれだ。泣きそうな顔。九割方演技だとわかっているのに、この顔をされると絶対に引っかからないと決めたはずの決心が、あっさりとグラつく。ただ駄々をこねているというよりは、決死のおねだりにみえるそれに、恋心ってやつがすぐに降伏したがるからだ。 「俺は休むから。…ねぇ。一緒にいてよ」 「うっ!そ、その、一緒にいたいのはやぶさかでもないんですが…!」 「休んで、くれる?」 上目遣いは卑怯だ。この人が本気を出した艶っぽい流し目が、色仕掛けだとわかっていても引っかからないやつはいないと思う。現に今すでに鼻の奥が熱く、興奮の証拠がじわじわと滴りかけている。 「あ、うそ!ティッシュティッシュ!はいどうぞ。ね、下向いて?痛い?大丈夫?」 手加減なしで仕掛けてくるくせに、こういうときは慌てて手当なんかしてくれるからつっぱねられないんだよな。はぁ…。しょうがねぇ。やってみるしかないだろう。受付のシフトが独身中忍教師を当てにしていない訳がないとわかっちゃいるが、恋人にここまで必死になられて無下にできる男はいない。 その先に待つのが今以上に濃厚な夜なんだとしても。 「…わかりまひた。いちおうかけあってはみまふ」 「ん。ありがと。嬉しい」 啄むような口づけが降ってきて、猫の様に頭を摺り寄せてくる。血の滲んだティッシュはてきぱきと交換され、鼻柱を軽く圧迫されている間に出血も止まった。 構えと全身で訴えるその姿は愛らしい。まあ中身は大型の肉食獣みたいなもんだけどな。 そういうところにも思わずときめいてしまうあたり、俺はもうとっくに後戻りできないところまで来ているんだろう。 「また鼻血が出るんでその…!それ以上は」 「あ、ごめんね?送ってく」 「いえそのだいじょうっうわああああ!」 結局、凄まじい速さで抱き上げられたまま移動させられ、その先で凄腕上忍付きで休暇申請をさせられたのは作戦以外の何物でもない気がする。 ******************************************************************************** クリスマスつづき。 |