白く白く(適当)


ここは、戦場だ。
ある意味任務よりずっと過酷な、人々の、とりわけ殺気だった女性たちの群がるその店。
下調べは十分にした。そのためには金も人脈も惜しまなかった。
ただどうしても自分の手で手にいれたかったから、脅すことも奪ってくることも代わりに手に入れさせることもしなかった。
といっても、正攻法でここに潜り込めると思えるほど甘くはない。
犇く目の釣り上がった女の群れの中に混ざりこむには、女に化けた所ではじき出されるのが関の山だ。同じ女で、もしかすると同じ男を狙って敵になるかもしれないなら、排除しようとするのが当たり前、力で何とかできるような物じゃないと、後輩からも口をすっぱくして言われている。
変化の腕には自信があったが、後輩曰く、綺麗な女ほど危険なんだそうだ。普段している自分をベースにした変化では、場合によっては小さなその店が破壊されかねないと、何故か震える声で必死になって言い聞かせてきた。
かといって、そのままの姿で行くのは論外だ。チョコを買ったという事実はあっという間に広まるだろう。悲しいかな己の評判が口に昇らない日がないほど顔が売れてしまっているのだから。
俺が欲しいのはバレンタイン当日限定品とやらで、販売する数が少ない。つまり早いうちから並んでおかなくてはならない。だがここは忍の里。下手に目立てば渡す前にあっという間に噂になる。そうなれば後はいつも通り、成りすましや余計なちょっかいが増えて確実に厄介事を招く。最悪の場合あの人に他の女が好きだとでも勘違いをされかねない。真顔で祝福でもされようものなら、あの人に自分が何をするか…良くて監禁、完全に飛んでしまったら、恐らくは意思を奪うことくらいはしてしまうだろう。そうして抱いて抱き潰して、俺だけを見るようにしてしまう。きっと。
そんなことをしたいわけじゃない。ただ彼が欲しいだけだ。
実際俺を名乗る男が現れたことは一度や二度じゃすまないし、それらと、それに便乗して関係を迫る女たちを処分した数を思えば自ら禍の種を撒く気はしなかった。
どうしても、あの人に告げたい。かといって、毒の耐性がバケモノ並の上忍から、手作りの食べ物を受け取るなんてありえないから。
あの人はもしかすると受け取ってくれるかもしれない。でも、おそらく周りは食べるなと忠告するだろう。きっと食べて味の感想をなんて暢気なことを考えて、それでも周りの心配も無碍に出来なくて悩んで…そんな風にあの人に余計な苦しみを与えたい訳じゃない。
思いをどうしても伝えたい。だってもう我慢できなくなりつつある。いつか暴走するのなら…告白だけでもあの人を苦しませてしまうかもしれなくても、いっそあの人に終わりにしてもらいたかった。
厄介な男に目をつけられたことを、あの人はだがそれでも真摯に悩んでくれるだろう。だからこそ、他に砂粒一粒分だって、苦痛を与えるつもりはない。他者の介入など論外だ。
あの人は食べるのが好きで、ラーメンが一番みたいだけど和菓子を中心に甘い物も好んでいるのを知っている。チョコも飴玉なんかと一緒によく駄菓子屋で買いこんで、アカデミーのデスクに突っ込んであるのも知っている。ときどきは頑張った子どもの口に放り込まれるそれを、どれだけ欲しいと願ったことか。
甘い物なんて嫌いだ。でも、あの人から貰えるのならきっとホンの一欠けらだって美味しい。それをあの人の欠片だと思えば、命を賭してでも手にいれたいと願うだろう。
どうしても、受け取って欲しい。いらないと言われたら食べるだけでも食べてもらえばそれでいい。
こじらせすぎてしまった思いは、出口のないことにもはや耐えられそうにもないから。
あの人が俺じゃない誰かに微笑むだけで吐き気がして、報告書を提出する一瞬、手が触れ合うだけで凶暴な欲望が膨れ上がる。そんな日々を終わらせてしまいたい。いや、そうしなければいずれ忍ではいられなくなる。私欲のために力を振るえば。それはもうただの狂人だ。
…一番恐ろしいのは、それが許されるだけの地位に俺がいることだ。玩具のように下げ渡されるだろうあの人を手に入れて、歓喜するだろう己が簡単に想像できる。そうなる前に世間が受かれ騒ぐこの時期に便乗して、いっそ引導を渡して欲しかった。
だから調べた。あの人の予定はもちろん、あの人を狙う連中のことも、口にすることなど殆どない菓子のこともなにもかもを。そう、この店の主はチョコレートを何よりも愛しているが、かつて生き別れた兄弟を思うがゆえに、身寄りのない子どもたちのために寄付をするほど、子ども好きであることも。
チョコを手に入れるために任務よりも必死になって早朝から店に並んだ。それでも前に並んでいるのは事前に泊まりこんでいた3人。そして俺の購入予定である限定品は10個だけ準備される。
だがこれだけでは安心できない。この店では購入制限というものがなく、先に並んだ人間が大量に買い込めば、後に並んだ人間がどう足掻いてもチョコは手に入らないのだ。
失敗だった。子どもが深夜にうろつくと不審がられるからといっても、もっと早くここに来るべきだった。
「何でガキがここにいるの?」
「だーれーのお使い?ここはアンタみたいなガキがくるところじゃ…あ、でもかわいー顔してるじゃない?」
にちゃにちゃと粘つくように笑う女が不快でも、ここで騒ぎを起こせばおしまいだ。
店主は、並び始めた人間に必ず挨拶をする。それが日課であり彼の誇りでもある。
いかにも臨戦態勢の女に混ざる子どもは、さぞや目を引くことだろう。丁度血縁との繋がりを失ったころと年頃の似た子どもに、目を惹かれないはずがない。
勝率は悪くない賭けだ。だがそれでも不安で不安で、これが手に入らなければあの人に渡す勇気すらも失ってしまいそうで知らずのうちにそれが顔に出ていたのかもしれなかった。
「なにこのガキ気持ち悪い」
「そーよ。お母さんのお使いかなにかかもしれないけど、あんたみたいなガキは下手したら死ぬわよー?ここ凄く人気なんだから!」
「あの。でも。どうしても欲しいんです。どうしても」
それ以上のことは言わなかったし、言えなかった。だが小うるさい子どもをからかうのに飽きてくれたらしい。
「あーそー。変なガキ」
「ねー?何個買う?今年は」
「引っかかってくれそうな男って少ないわよねー?三代目の息子って、確かもう女いるもんね?それも上忍―!」
「そーね。はたけ上忍もねー。顔も収入もいいんだけど、ハードル高そうだし」
「今年こそ受け取ってもらうわよ!知ってる?この店のこと調べてたんだって!」
「またガセじゃないのー?まあ私はゲンマさんとライドウさん一筋だからいいんだけどー?」
「なによ全然一筋じゃないじゃない!」
「いいでしょ!アンタみたいに10個も20個も買わないわよ!」
「あーもうさっむーい!まだあかないのー?」
「チョコのためだししょうがないでしょ!」
「うーん。ほんっとどうしようかなー?」
…五月蝿い。だが理解できた気がする。こういう連中がいるから、チョコは売れるんだろう。きっと。
俺みたいな真剣そうなヤツはほとんどいない。前に並んでいる浮ついた女か、何かの雑誌らしき物を眺めて騒いでいるような連中ばかりだ。この店を選んでよかっただろうか?全部試食してもらって、一番評判がいいのを選んだのに。
「いらっしゃいませ!…おや?」
扉が開いて、中からでてきた店主はすぐに俺に気付いた。
「ちょっと!まだ入れないの?」
「開けなさいよ!」
「ああ少々お待ち下さい。…おちびさん。どうしたんだい?ここはチョコレートのお店なんだけど、あーその。君のお小遣いじゃ」
「お金。あります。これが欲しいんです。どうしても」
商品名を書いた紙を見せ、必死すぎて掠れる声を、だが店主は笑わなかった。むしろ一瞬泣きそうな顔をして、それからすぐに俺の手を取ってくれた。
「小さな子がこんな寒い中外にいるのは関心しないよ。ほらおいで。ああ、他のお客様ももちろんご案内させていただきます。お一人ずつゆっくりお進み下さい」
手を引かれて店に入る。もちろん並んでいた他の客たちもぞろぞろと後を追った。
「はい。これだね?」
「は、はい!これ!えっと。お金はこれ!」
ちゃんと金額を確認してから封筒に入れてきてある。手渡して中身を確認した店主が、丁寧に箱を渡してくれた。レシートと一緒に小さな飴玉までのっている。
「ありがとうございました」
きちんと背筋を伸ばして笑う店主に、一瞬で非難が殺到した。
「何でそのガキが先なの!」
「私たちの方が早く並んでたのに!」
確かにそれは正当な権利だろう。ただどうしてもこれを譲ることはできない。
いっそ幻術でもと思い始めた瞬間、店主が俺の頭に手を置いて笑った。
「ああ申し訳ありません。この方は事前に保護者の方からご連絡を頂いているんですよ。私の知人でしてね。ぜひうちのチョコを食べて欲しくて、お使いをお願いしたんです。お代もいただいておりますし…申し訳ありません」
前々から泊り込んで大量に買い込む客を苦々しく思っていた。というのも事前に調べてある。この店はまだ新しくて、ここを建てるときに出資した連中に、経営方針を握られてさえいなければ、本当に喜んでくれる客にだけチョコを作りたいのだとぼやいていたってことも。
「まあいいけど!そっちの20個!」 「私はこれ!2個ね!」 「はい。かしこまりました」 慇懃に頭を下げて、だが手だけは素早く動いている。
騒いでいた女たちも、無事手に入ったチョコを渡すことで頭が一杯らしい。おかげで俺のことなどどうでも良くなったようだ。
「あ、あの!ありがとうございます!」
「いいえ。…そのチョコ、喜んでもらえるといいね」
頭を撫でる手は大きくて優しい。あの人に少しだけ似ている。顔じゃなくて、その瞳が。一瞬走った悲しみの色に、喪失の痛みを見て苦しくなる。
あの人も、時々こんな顔をしている。
それまでは大らかで暗いところなんてない人だと、俺とは一生関わらないタイプの人だと思い込んでいた。
でもそれを見てしまったらもう駄目だった。その一瞬で囚われて、欲しいと、ただそれだけで一杯になってしまった。
「あの。本当にありがとうございました!」
群がる女の向こうで笑顔で手を振った店主に、人生で殆ど始めての本気の感謝をした。
これであの人に告げる事が出来る。どろどろとしていて決して綺麗じゃない。俺の中を満たすこの苦しみと欲望を。


あの人を探し出すことに集中しすぎて己の姿を忘れてチョコを渡してしまい、結果的にきちんとした告白もしそこなったなんて我ながら何をやってるんだろうと思う。一瞬思いも受け取ってもらえたと先走って、でも自分の手が小さいままでしくじったことにそのときになってやっと気がついた。
でも、受け取ってもらえた。それにそんな気はないんだろうけどあの人も確かに俺にチョコをくれた。
なら、後は…1ヵ月先の勝負に勝つしかないでしょ?
「イルカ先生」
何を渡そう。白い物ならなんでもいいとか、渡す物によって意味が違うとかって話だから、慎重に、絶対に意味を間違えないモノを渡す必要がある。
「ホワイトチョコ…はちょっとね。大福も団子も良く食べてるけど」
悩みは深いが心はほんの少しだけ余裕を取り戻している。
甘い一欠片が俺に勇気をくれた。普段は絶対に口にしないけど、あの人がくれたから。
もしこの思いが成就したら…いつかあの店主にも礼にで行こう。
「何に、しよう?」
呟く言葉に混じる吐息にあの人のくれたチョコの香りが、うっすらと残っている気がした。


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適当。
ふわっと続き。
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