「ちょこあげる」 「お、おお?ありがとな!」 子どもの小さな手のひらには不釣合いなほど大きな箱が重そうに見えて、とっさに受け取ってしまった。真っ赤なハート型の箱に、銀色のリボンが掛かっている。 これは所謂バレンタインチョコというものではないだろうか。しかも随分と高そうなシロモノだ。 「えーっと。これ、どうしたんだ?」 この子どもがアカデミー生だったらそう悩まないですんだんだが、こんな綺麗な銀髪の子は記憶にない。しかも綺麗な顔をしている。これだけ目立つ生徒がいたら、うっかり忘れるなんてことはありえない。 そんなほぼ初対面の相手にこんなモノを渡す理由…まあ多分人違いか、それとも誰かの悪戯かってとこだろう。 悪戯なら悲しいかな職業柄良くあることだし、本格的な嫌がらせでもこの場では引っかかってやって後から中身の安全性を調査すればいいだけなんだが、人違いだったらコトだ。食っちまったチョコは元には戻らないからな。 だからこの子を怯えさせないように聞き出すつもりだったんだが。 「…だ、だめ?これじゃヤダ?でも、でもこれおいしいって」 泣かれた。…子供らしくない泣き方だ。 息を詰めて堪えようとしているのが良く分かる。動揺を抑えきれずに僅かに寄せた眉も、静かにぽろぽろと零れ落ちる涙も、俺の罪悪感を甚く刺激した。 「駄目じゃないぞ!ただほら、な?先生はあんまりこういうものを貰わないから、別の人に渡す物なんじゃないかと思ってな。ほら、あんまり泣くと目が溶けちまうぞ?」 慌ててポーチをあさって、ハンカチなんてしゃれた物は持ち歩いていないから手ぬぐいを引っ張り出して、抜けるように白い肌にそっと押し当てた。 驚かせてしまったみたいだが、目を見開いたせいか、おかげで涙が止まってくれたから、こっちとしては少しばかりホッとした。 「…あの、俺、は。このチョコ、イルカ先生に上げたくて」 「へ?」 俺になのか。これ。子どもが買える様な値段じゃないはずだぞ?同僚のくノ一の皆さんがそりゃもう目の色変えて選んでたカタログには、俺が普段買ってるチョコよりゼロが3つは多かった。それもたった6個とかそんなもんだったんだ。この大きさだと一楽スペシャル10杯くらいイけるんじゃないか? 素性も良く分からない子どもがこんな遅い時間に一人でいること事態マズいってのに、謎がまた一つ増えてしまった。 そして今更だが、この子かわいいけど男の子、だよな?華奢だが俺って言ってるし。 ってことは、このチョコの本来の意味を理解していないのは明白だ。 「…だめ?これじゃイヤだった?」 「そ、そんなことないぞ!おいしそうだな!そ、そうだ!折角だから一緒に食おうか?な?そうしよう!」 良く分からんがこれ以上この子を悲しませたくない。 しかしこんな恐ろしい物を一人で食っちまう勇気も持てなかった。なんていうか、一定以上高い食い物は食ってるだけで罪悪感を感じる方だ。それもこのわけの分からない状況でってなると、余計にこんな子どもが相当な苦労をして手にいれただろうチョコを、美味けりゃ何でもいいって舌の俺がばかすか食ったら悪い気がしたんだ。 「…それって、イルカ先生がチョコ、くれるってことですよね?」 「え?あ。まあ、そうだな。えーっと。チョコ、嫌いか?」 何でそんなに不安そうな顔してるんだか知らないが、嫌いな食い物だってんなら話は分かる。 だがほそっこい首がもげるんじゃないかって勢いで、首を横に振られた。 「そっか。ならいい。えーっと。あけちゃうけど、いいか?」 「ん。開けてください」 なんかこの言葉遣いに聞き覚えがあるんだよな。銀髪って所も同じで、なんだか微笑ましくなる。あの人も変なところ子どもっぽいし、妙に懐っこいし、…そういやこんな風にいつもちょっとだけ不安そうにしてる。 あー。そうか。あの人の縁者、か?両親はいないってことしか聞いた事がないが、いとことかならいてもおかしくないもんな。 なんだか縮んだあの人と一緒にいるみたいで楽しくなってきた。 折角の恐ろしい値段のする有名で美味しいチョコだもんな。楽しんで食わないともったいない。 意を決してみれば、果たして恐れていた通り、開けた箱の中身は12個もチョコが詰まっていた。 どれもこれも細かい細工がされていて、ふんわりと漂う香りからして俺が普段食ってるようなのとはえらく違う。 …確か1個で餃子一皿より高いシロモノがこれだけ入ってるってことは、すさまじい値段がするんだろうなと思うと、勝手に冷や汗まで滲み出てきた。 もしこの子が自分で買ってきたんじゃなかったら、土下座して親御さんに謝ろう。この子が必死で溜めたお小遣いをすっからかんにする勢いで使ったんだとしたら、買っちまったもんは返品できないだろうからなんとかしてお小遣いとか…うぅ…! とにかく心臓のかたどった箱に収まった心臓に悪いシロモノは、美味そうなことは確かだ。食ってみるのが先決だ。そういうことにしておく。 「…イルカせんせ?」 小首をかしげる所まで一緒ってのがな…。ま、まあしょうがねぇ。乗りかかった船だ。腹を括ろう。 「いただきます」 思わず手を合わせてから一際目立つ真っ赤なハート型のチョコを口に放り込んだ。途端、ふわりと舌の上で溶けたそれは、チョコと、それから洋酒の香りと共に甘く香り、飲み込む最後の瞬間まで口の中に繊細な味わいを残して消えて行った。 普段駄菓子ばっかり食ってる俺でも分かる。ため息が出るほど美味い。高いのも通りだ。 こんな美味いもん一人で食ったらバチが当たる。 「美味い。ありがとな!…えーっと。どれがいいか?お、同じのってのはないんだな…?酒が入ってないのはどれだ?」 今気付いたが皆違うんだな?子ども向けの味にはしてないにしても、酒が入ってないのはないんだろうか?添え状みたいな紙にはやたらと細かく何かが書き込まれているが、産地がどうとか俺にはさっぱりわからないものだった。 「イルカ先生はどれが好き?」 にこにこそりゃもう飛びっきりの笑顔でそんなことを言うんだ。まだせいぜい入りたてのアカデミー生くらいの子どもだってのに。そのけなげさに胸が苦しい。 「よっし!ちょっと待ってろ!…これだ!」 わけのわからん材料の名前は分からなくても、鼻には自信がある。一番酒の匂いがしないのを選び出して、勢い込んで子どもの鼻先に差し出した。 「え?」 「わっ!おい!溶けちまうから、ほら口あけろって!」 「う、うん!」 ひょいっと放り込んだチョコは何とか無事子どもの口の中に収まったようだ。目を白黒させながら口をもごもごさせている。 俺はといえば手にくっついたチョコがべたべたするから適当に舐め取って、さっさとちり紙で拭いておいた。すごいな。こんなちょっとでも美味い。変なところに関心しつつ、子どもの様子を伺った。 「な!滅茶苦茶美味いだろ?…っておい?顔真っ赤だぞ?」 いやでもさっきのは酒の匂いはしなかったはずだ。なんだ?何が駄目だったんだ? 大慌てで理解できなかった添え状を読み込んでみたが、芳醇なうんぬんかんぬんってのはなんとなく分かるが、ジュレってのはなんなんだ? 「チョコ、おいしかった、です」 「そ、そっか。良かったな!」 なんだびっくりしただけか?良かった!このチョコ美味いもんなぁ。そりゃ驚くだろう。 「あの。…ホワイトデーに、お返ししますね」 「え?っておい、まだチョコ残ってるからちょっ!」 つむじ風が吹いて一瞬だけ目を閉じて…次の瞬間にはその姿はどこにも見えなくなっていた。 「…ゆゆゆゆゆうれい?…ってそんな訳ねぇな…」 わざわざ高級チョコ買い込んでくる幽霊なんざ聞いたこともみたこともない。 「…どうすんだこれ」 まだ10個もある。捨てるなんてもったいないまねはできないが、あの子が戻ってくることもなさそうだ。 少なくとも、ホワイトデーまでは。 「…ホワイトデーって、何返せばいいんだっけか…?」 駄菓子や和菓子ならまだしも、この手の菓子には詳しくない。どこぞで情報を仕入れなければならないだろう。 警戒すべき状況のはずなのに、どこか浮き足立っている自分に少しだけ驚く。 でもなぁ。アレは、あの子は悪い感じはしなかった。ただ物凄く必死だっただけだ。こんなものを貰う理由はないんだが、どこかでなにかを勘違いしたにしろ、俺がチョコ食っただけであんなに喜ぶ子に、何かを返してあげたかった。 「っし!待ってろホワイトデー!」 財布の中身は心許ないが、少なくともあの子が喜んでくれるものを贈りたい。 そう決意しつつ、丁寧に真っ赤な箱の蓋を閉めた。 あの子の勇気を無駄にしないために。 1ヵ月後、銀髪の上忍に拉致されて、ホワイトデーのプレゼントとやらに上忍本人を貰ったなんてのは…笑い話にもならないが。 用意しておいた動物の形をかたどった細工飴に大喜びしてくれたから、ケツの痛みやら1ヶ月悩みぬいたことは…とりあえずしょうがねぇかってことにしておいた。 ******************************************************************************** 適当。 チョコは中忍が悩みつつ毎日1個ずつ食べたとか、買い物に必死だった上忍が、うっかり自分がどんな格好してたか忘れてたとか、ホワイトデーに書く…かもしれません。 ご意見ご感想お気軽にどうぞ。 |