桜の木の下で(適当)



「春ですね」
桜舞い散る木の下で、男が笑っている。
さっきまでこの男が何をしていたか忘れそうなほどに純粋な笑顔で。
口を開こうにも身じろぎするのもおっくうなほど体力を使い果たしている。
春といえど、日が暮れれば冷えこむ。
どろどろに汚れた体も少しずつ冷え始めているから、早く家に帰らなくては。
酷使された体が軋んで悲鳴を上げているから、とても立てそうにないのだとしても。
そのすべてがこの男のせいだ。
とはいえ悪びれる様子もない。何を言っても徒労に終わるだけだろう。
「…っく…!」
どろりとあらぬところから滲み、溢れたモノは、己のうかつさを突きつけてくる。
月夜に照らされて白く浮かび上がる花たちの下にあるのはふさわしくないように思えた。
男もすぐにいなくなるだろう。
これだけ人を好き放題にしておきながら、花見をする余裕のあるイキモノだ。俺なんかで遊ぶのはもう飽きただろう。
できればそうしてもらいたい。
いつもよりずっと早く咲いた桜が綺麗だからと、そろそろ花見でもしようかなんて話もあったんだ。
だからこの里の外れの桜を見に行った。下見にもなるし、散ってしまう前に満開の桜をみたかったから。
受付を片付け、夜道を歩いていたときは、期待で浮き足立っていたように思う。
あの満開の壮絶なほどに咲き誇る姿を見ることが出来るのは一年に一度だけ。
そしてその桜は里の創設時のはるか昔からあるとさえ語られるほどの古木で、雄雄しくさえ思えるほどの大木でありながら、たくさんの花をつけるのだ。
その姿が早く見たくて、散ってしまってはいないかと不安で、自然と足は速まっていたかもしれない。
そうしてたどり着いた先には、これ以上ないほど咲き誇る桜の木があった。
急がなくては、花見の時期が終わってしまいそうだ。
一足先に十分に堪能させてもらうつもりで、遠目にも光をはじいて浮き上がっているように見える桜の元へ急いだ。
そこに、いたのだ。桜の木の下に。
外れとはいえ里の中だ。先客がいてもおかしくはない。
少しばかり残念に思ったのも事実だが。
…そうして手招きする白いイキモノに誘われるようにそこに足を勧めた。
それがまさか俺を食うつもりでいたとは思いもせずに。
「あぁ。もったいない」
太腿に無遠慮に触れる指先が、するりと肌をたどりながらそこにもぐりこんだ。
「んっ…っ…!」
「零れてる。…また一杯にしないと」
夢見る口調で男が笑っている。凄絶なほどの色を湛えながら。
ああ、食われる。もう骨のひとかけらさえ残っていないほどむさぼられたというのに。
「やめ、ぁ…!」
「ぜーんぶ。俺の」
笑いながら股を割り開く男にできた抵抗は、あまりにも小さかった。
かすれた声も押し返す腕も、まるでなかったかのように男は振舞い、入り込んできた他人の熱に、あっという間に飲み込まれる。
桜が降り注ぐ下にいたこのイキモノは、桜についた鬼だろうか。
「俺は、」
「こんな所にきたアンタが悪い」
詰る口調の割りに瞳も表情もそれを裏切るほどに甘い。望んだ肉を食い尽くせる喜びに酔うケダモノの顔だ。
熱くて、みっともないほどに息が乱れる。脳を焼くようなそれが快感だと認めたくなどないのに。
「っあぁ…!くそ…!ひっ!」
「きもちいいね。…ね、もっとちょうだい?」
やるといわずとも勝手に奪っていくくせに、甘えて強請る。
最悪だ。こんなイキモノに捕まってしまった。
身も、そして多分心も。
相手にとっては一夜限りの獲物でしかないだろうに。
「ふ、ぅ…!あ、そこ…!」
「ん、もっとあげる」
穿たれるものに心まで貫かれてしまったのかもしれない。
桜とケダモノ二匹。こんな夜にはある意味似合いか。
一人で狂うよりは連れ合いがいた方がいい。
…狂わせたのはこの男だというのが多少、いや大分業腹だとしても。
「さく、ら」
頭に降り積もる一つを縋るついでに手におさめると、それを奪うように指先ごと食いつかれた。
舐めとる舌の上を薄紅色の花弁が彩り、そうしてそのまま飲み込まれていく。まるで自分のようだ。
「アンタも全部食えればいいのに」
至極残念そうな声に、同意できたかどうか。記憶には残らなかった。
*****
「あ?」
「おきた?」
知らない部屋に、嫌というほど記憶に焼きついた男。
ということは、ここはこの男の部屋だろうか。
「あ…」
痛い。なんで布団に入ってるのに全裸なのかという問題はあるが、あんな所であれだけやり倒したんだから今更か。
少なくとも肌に不快感はない。捨て置かれなかっただけでもマシだと思うべきだろう。
「ごはん食べましょ?」
「…いえ、帰ります」
相手があまりにも普通すぎて逆にそういうことかと思った。
なかったことにすべきだ。あんな夜は。
少しは眠れたはずだ、なんとか歩けるだろうと期待した。…ぎしぎしときしむばかりで思うように動いてはくれなかったが。
「無理に決まってるでしょ?」
そして確かめる前に…これだ。
布団に押し戻された挙句に、押し倒されてもいる。覆いかぶさってこられると、本能的に落ち着かない。
「あ、の…!降りてくれませんか…?」
「なに?もっかいやってもいいならするけど、ご飯先でしょ?イルカ先生よく食べるもんねぇ?」
意図が読めない。桜の木の下で笑っていた生き物とはまるで別物だ。
穏やかで優しい知り合いの男。
あの鬼はもうどこにもいないのだろうか。
「帰ります」
傲岸に言い張ると、途端に男が表情を変えた。
「だめに決まってる。あんたもう俺のだって言ったでしょ?」
鋭い視線に安堵した。そうか。…これからずっと捕まえてくれるのか。この気まぐれがいつ終わるのかしらないが、少なくとも今は。
「…飯、食います」
「ん。…一杯食べてね?」
かりそめの穏やかさに身震いした。…歓喜で。
桜よりもずっと恐ろしく美しいイキモノ。魅入られた以上、最後まで付き合うしかないだろう?
圧し掛かるイキモノが口付けを落としてきたから、それに応えた。
いつまでも酔っていられることを祈りながら。

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適当。
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