とりとめのないはなし(適当)



「濡れてるよ」
「あ、はい。どうも」
濡れてるってそりゃそうだろう。コレだけ激しい雨の中走ってきたんだ。濡れない方が不思議だ。
伝令にわざわざチャクラ使って水をはじく余裕なんてないし、下手にチャクラを気取られて消されたら、自分だけの問題じゃなくなる。上忍様のように潤沢なチャクラがあれば話は別なんだろうが、俺は中忍だ。ホンの少しの快適さのために、味方の安全や任務の達成を天秤にかけることなどできやしない。
少しばかり苛立ったのは、旗色がいいとは言えないこの戦場で、この男だけはいつも飄々としていたせいかもしれない。
なにスカしてやがるんだってな。…まあ八つ当たりも多分に含んでることは、自分でもみとめちゃいるが、それでもやっぱり無理なもんは無理だ。
おざなりに手持ちの手ぬぐいで頭を拭い、男に向き直った。つい視線をそらしてしまったのは、苛立ちを悟られたくなかっただけだが、この男はそんなものを気にしないような気がした。
自分の割り当ての天幕に帰ったら着替えればいいだけだ。男の言葉も命令以外は聞き流せばいい。
…たとえ友が大怪我をしていて忍としてやっていけるか分からない状態になってるとしても、俺は、俺は…任務を投げ出すことなんてできないんだから。
伝令用の巻物の中身を俺は知らない。確認しろと言われていれば別だが、俺に期待されていたのは逃げ足の速さと、万が一襲われても機転が利く方だから、必ず伝令としての役目を果たすだろうってことくらいだ。
「ん。ありがと」
礼などいらない。それが任務だっただけだ。
だが極僅かだがこの男への怒りは凪いだ。冷静になった、とも言うか。
友が傷つけられたのは、この男が来る前のことだ。劣勢を覆す切り札として、テコ入れのために投入されたこの男が、今まで誰が怪我をしたなんて細かいことを知りはしないだろう。
己を恥じる余裕はまだない。敵の動きは神出鬼没で、負傷者を里に運ぶこともままならない。早く、早く。気ばかり急いて、鬱屈した思いのままに刃を振るい続ける日々は、少しずつ理性を奪って、本能ばかりが購いを求めている。
…そんな都合よく事が運ぶ訳じゃないって分かってるはずなのに。
「…それでは、俺は下がってもよろしいでしょうか」
これ以上この男の側にいたら、みっともなく泣いて縋ってあいつを助けてくれっていってしまいたくなる。
確かに指揮官がこの人に変わってから派手に動くことはなくなったが、それが何らかの策に準じたものであることはわかっているのに、感情のままにこの人を困らせてしまいたくなっちまう。
アイツには婚約者がいて、ソイツも俺の友達だ。でもそれは、この人にもこの戦場にもこの任務にも、一欠片だって関係ない。
頭で分かっている事が、少しも心に溶けていかない。
静かに男の指示を待つ。決して目を合わせないように頭を下げて。
永遠とも思えるほどの時間、ふわりと頭に触れるモノがあった。
「…明日。明日で終わらせるよ。耐えろなんて言えないけど、さっさとケリつけて里に帰ろう?」
わしゃわしゃと頭をなでてくれているそれが、この人の手なんだと気付いて驚きのあまり声も出なかった。
ただ頭を上げて男を見つめてしまって、そのときに見た男の顔が…自信と、それから全てを圧倒するような笑みを浮かべていたことだけを覚えている。
「なんだってします。いくらでも命じてください」
アイツと、アイツを待っているあの子のためにも。傷ついた仲間のためにも、なんだってする。
その空回りしてたであろう決意を、男は笑わなかった。
「…そ。じゃ、作戦は朝発表するからしっかり寝ておいて。で、全部終わったらここ戻ってきてね?…絶対に死ぬな」
「はい!」
捨て駒にされるなら分かる。所詮成りたての中忍だ。それもある意味いわくつきの。
碌な指示もなく敵陣に置き去りにされることも、死んでくれといわれたことなら幾度も繰り返されて、もうなれた。
でも、死ぬなといわれたのは初めてだった。
「ゆびきり」
「え?あ。はい」
差し出された小指に小指を絡ませて、俺よりほそっこく見えたこの人が、スラリとしたきれいな指をしていることと、それから俺よりも手が大きいことに始めて気づいた。他人の体温。弱りきって力なく冷えていくものばかりに触れていたから、その指が驚くほど熱い事に心が震えた。命を分けてもらえたような気がした。
「じゃ、明日。絶対だからね」
「はい」
約束は裏切られることばかりだったけど、俺は絶対に裏切らない。
たとえぼろくずみたいになってたってこの人のところに絶対に戻ってくる。
びしょ濡れで疲れ切っているのに、今夜は眠れそうになかった。
この興奮の源は、帰れることへの期待だけじゃない。あの人に、期待されている。
例えばそれが危なっかしい新人に対するリップサービスだろうが構わない。膠着したこの戦場をたったの一日で終わらせる…あの人なら、それができる。
なら、それだけで尊敬するには十分だ。
それだけじゃ済まなかった感情が、今胸を破裂させそうなほど溢れ出してるんだとしても、それは任務には関係ない。…俺の生きる力にはなっているけれど。
「着替えて、眠って、そんで、絶対に帰る」
いつの間にか勢いを失った雨が、上気した頬を冷やしてくれるのが心地良かった。
*****
「おかえりなさい」
誰よりも殺し、誰よりも守った男が、嫣然と微笑んでいる。
いや、同じ男相手ににそのたとえが適切なのかって言われりゃ俺だって疑問に思うが、この人は別格だ。
戦い方も頭の回転も、それからその美しさまで全部が。
「ただいま、帰還しました」
血にまみれた体は近くの水場でおざなりに洗い流してきた。この人の寝床を汚したくなかったんだ。あれだけ戦っても、この人は綺麗なままだ。
圧倒的な強さってものを目の当たりにして、うらやましいなんて思いさえ湧いてこない。
ただひたすら感動した。この人は、凄い人だ。負傷者だけは先に帰還を始めていて、残っているのは、俺やこの人のように戦闘に加わった仲間だけだ。体を休めるのと、先行した仲間を追うような残党がいたら狩るために残されて、それもきっと明日になれば撤収できる。
だから、俺がこの人に会えるのも今夜だけだろう。きっと。
「怪我、してない?」
「かすり傷だけです」
「うそ!どこ?見せて」
驚くほど声を荒げた男に抗えなかった。特に一番大きな肩口の怪我を入念に改められ、ため息まで吐かれて申し訳なさに身を縮こませることしかできない。
「あ、あの。たいしたことはないんです。アナタこそ大丈夫なんですか?」
「俺は無傷。ああもう!こんなんなら帰せばよかった!でもそしたら会えないし!もう!」
「ええと、あの。ごめんなさい」
そうか。少なくともどんな事情でも、会いたいと思ってくれていたのか。なら、この怪我を隠し通した甲斐があった。…怪我人は容赦なく帰還させられたから、自分でこっそり手当てした後、なんでもない顔で誤魔化したんだ。
「ん。いいの。あのね。今から凄く恥ずかしいこというつもりなんだけど、聞いてくれる?」
「え。あ、ええと、その、別に構いませんが、俺でいいんですか?」
恥ずかしいことってなんだ?背中がかゆいけどかけないとか?一体なんなんだろう。白い肌が薄赤い。もしかして、風邪とか?
問い詰めたいのを必死で堪え、男の言葉を待った。
「あの、ね。好きなの。かっこつけたいってだけでこんな戦い方した訳じゃないんだけど、怪我なんかさせたくなかったし、一緒に里に帰りたかった」
「え」
「…ま、悪いことは考えてたけどね。無傷で帰ったらヤれるかも。とか。でも怪我人相手に無体を強いるのは流石にありえないから安心して?あ、でも里に帰ったら狙うからそこは覚悟しといてちょーだい」
「は?」
「そんな隙だらけだと怪我人でも襲うよ」
「えええ!いやあの!俺はですね!」
「男なのも天然なのも男前なのに可愛いのも知ってるよー。この戦場にいるってのは知らなかったけど」
「ええと?え?え?」
どういうことだか良く分からんが、これは告白…なのか?
「俺は片思いこじらせすぎてて、今大分危ない人なの。いつ強姦魔になるかわかんないから、里に帰ってもきちんと自衛してね?窓際にパンツ干すのも危険だから」
「はぁ」
自衛って、どうしたらいいんだ。つまり、その、そういう意味でこの人は、俺のことを。
どうしたらいいんだ。考えても見なかった。
ただ、その、この人が好きってことだけで頭が一杯だったから。
「…わかってないみたいだから、ちょっとだけ、ね」
困ったように笑う顔がすっと近づいてきて、顔を覆っていた布が下ろされる。
なんて綺麗な顔してんだ。この人は。
やんわりと温かいモノが唇に触れて、ちろりと赤く湿った舌がなぞるように舐っていった。
「ふ、あ」
「食われたくなかったらもうちょっとしっかりしなさい」
「あの、もっとしっかりはしたいんですが、その」
「なに?でてかないなら食っちゃうよ」
「それは、望むところです」
目を剥いて驚くことなんて、この人にもあるんだなぁ。
しみじみとそう驚いていられたのは一瞬だった。
「知らないから。全部食われて泣いても喚いても手遅れだよ?」
「どうぞ」
欲しいのはあんただけだと思うなよ。とは流石にいえなかったが。
その夜、俺は気が狂いそうなほどの熱に押し流され、息の仕方を忘れそうなほど口付けされて、男の熱を受け入れる苦痛と快感と悦びを知った。
「好きすぎてどうにかなりそうなんだけど、幻でもなんでもいいから一生手放させない」
そうして、その宣言どおり、里に帰り着いても男は俺を離さなかった。
「イルカ」
「なんですか」
「ちょっとこっち」
ベッドの上で膝を叩く男が、なんとも言えない厭らしい笑みを浮かべている。
誘いに乗るのはやぶさかじゃないが、そんな顔すら様になるのが癪だから、もうちょっとだけ焦らしたい。
焦らした分だけしつこくなるから、適当なところで切り上げなきゃまずいんだが、それはそれだ。
「あとで。コレ干すまで駄目です」
笑ってやると一瞬怯んでぽーっとした顔するのがおもしろい。俺なんかこの人と比べたら少しも綺麗なところなんてないのに。
洗濯機の中で、昨日の情事の名残が回っている。脱水のランプが点滅して、あと少ししかこの甘ったるい時間がないことを教えてくれる。
熱に溺れるのも、こうしてじゃれあうように過ごすのも、奇跡みたいなものだと思う。
「早くね?晩御飯は俺が作るから…いいでしょ?」
「はいはい」
そんなもの欲しげな顔しなきゃいいのに。俺まで釣られて欲しくなるじゃないか。
こらえ性のないのは実はお互い様だということを悟らせないために、視線をそらしておいた。甲高い音で洗濯が終ったことを知らせてくれた働き者の機械のおかげで、多分そう大して不自然じゃなかったはずだ。
「干すの、手伝う」
「…変な事すんじゃねぇぞ」
「お布団の中でするから外ではしないよー?」
「っ!」
にやにや笑うな。畜生。結局はこの男には敵わない。惚れた弱みと笑わば笑え。
触れられるだけで骨が溶けちまったみたいにくにゃくにゃになっちまうのは、とっくの疾うにこの男にはバレてしまっている。
「アンタに、触れるってだけでおかしくなりそう」
肩口に顔を埋めてくふんと甘い息を吐く。眩暈にも酩酊感にも似た幸福は、夜は干したてのシーツで出来るねなんていう下世話な台詞を聞くまで続いたのだった。



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適当。
はつこいのようなそうでないような。子カカイルにしては育ちすぎか。
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