腹が減って仕方がない。 何が原因かはわかってるんだが…。 「あ、イルカ先生!ちょうどよかった!」 「おう!サクラ!どうした?」 元教え子に会うのも久しぶりだ。ここのところとある事情により自宅に引きこもっていたせいだが、その笑顔がやけにまぶしく感じる。我ながら少しおかしくなっているのかもしれない。元々の動機もおかしいんだから当たり前か。 おずおずと差し出された箱からは、ふわりと…最近嫌というほど嗅いでいる匂いがただよってきた。 「あのね!あの…チョコレートの試作品なんだけど、味見してもらってもいい?」 ああ、まだあの子を追いかけてるんだったな。色恋沙汰ってのはは先が読めないもんだが、これだけ一生懸命ならいつか叶う日がくるかもしれない。 少なくとも俺と違って、この子には望みがある。 「えーっと。先生で大丈夫なのか?ナルトとかじゃ…」 「えー?あいつ何食べさせても美味いってばよしかいわないんだもん!お父さんも!先生ならほら、大人の男の人だし、カカシ先生は甘いものは苦手らしいから」 なんとなくこの子らしいな。この行動は。 あの人に対する物言いはかなり辛らつだが、それでも一応気を遣ってはいるらしい。正直言って、チョコレートなんて見るのも嫌な代物になりつつあったが、そこはかわいい教え子からのお願いだ。叶えない訳にはいかないだろう。 「ありがとな。いただくよ」 返事をしたとたんささっと箱を開けて、キラキラした目でこっちを見てくるあたりもかわっていない。調理実習や薬学の授業でも、なんでもできるのよ!って顔するんだが、結果は心配でしかたがないみたいで、こうやって持ってきては様子を伺ってきたっけ。 もっと自信を持っていいんだぞと言ったこともあるが、それもこの子の良さでもあるんだよな。妥協しない負けず嫌いは、いつか大成するだろう。 口にしたチョコレートも口どけも洋酒の使い方もおそらく素人が作ったものとしてはかなり質のよい部類に入るだろう。甘くない辺りもきちんと抜かりなく思い人の好みを調べ上げたものらしい。 「美味いな。これ。酒の使い方も大人向けって感じだし、いいんじゃないか?」 サスケはこの手のものをそれこそ両手で抱えきれないくらい渡される子だったが、アカデミーを卒業してからとなると出会う機会も減るし、その他大勢より有利だろう。多分。それにサスケはつっぱっちゃいるが意外と思いのこもったものを無碍にできないところがある。くだらんとかいらんとか言う割りに、どうしてもと渡されれば断りきれないことが多い。 まあソレを俺のところに持ち込んで、薬物の確認にきたりするんだけどな…。賢いというか不憫というか。 とにかく、大人ぶりたいあの子に、このチョコレートはぴったりだろう。 そう言ってやると案の定飛び跳ねて喜びを表現していた。うーん少しは大人になったかと思ったけど、そういうところはまだまだだなぁ。 「ホント?っしゃんなろー!待っててね!サスケ君!ありがとうございます!先生!」 「がんばれよー!あとあいつはそっけないだろうけど、意外とちゃんとお前のこともみてる。落ち着いていけよ?」 「はーい!」 まあなんとかできるだろう。サクラなら。変なところ不器用なのが心配だし、ナルトはちょっとかわいそうだけどな。 「やれやれ」 食べ飽きた代物だが貴重な栄養分だ。兵糧丸ばかりじゃそろそろ限界なのも分かっている。 「美味かった。やっぱりああいうのがいいのかもなぁ」 作ろうと思い立って材料をみてから、チョコってものは意外と高価なんだと初めて知った。どうせ受け取ってもらえるかどうかも分からないし、さりげなく話のついでに、しかも思いを伝えずに渡すつもりでいるだけなのに、それでもどうしてももっといいものができないかと思索を重ねているうちに、財布の厚みは見る間に減っていった。 試作品は全て冷蔵庫に眠っている。アカデミーにチョコの匂いがし出す頃になったら、授業で作ったんですとでもいって押し付けるつもりでいたが、サクラが作り始めたんなら俺もそろそろ渡してしまった方がいいかもしれない。 バレンタインデー当日なんて、とてもじゃないが渡せる気がしない。それにそろそろこの行き場のない思いにけりをつけなくては。 何の因果だろう。惚れた相手が同性だなんて初めてのことだ。思いを殺しきれずにくすぶっているよりはと、その死に場所を用意するために思い出が必要だった。渡すだけだ。自己満足のために利用するのは心苦しいが、少しでいい、欠片だっていいから、よすがとなるものが欲しかった。…冗談でも気味悪がられるだろうか。 チョコレートの扱いに慣れてきた今、目下の不安はそのことだ。 「そういやナルトの術もあったなぁ」 変化の術は得意だが、女体変化はあまり経験がない。借り出されたときはそれなりに振舞えていたようだが、自信があるかと言われれば不安が残る。それに変化を見抜くあの左目にかかればすぐに正体をあばきだされそうだ。当日あの人が囲まれて騒ぎになっている頃なら大丈夫だろうか。拒まれるにしろ、捨てられるにしろ、少なくとも何もしないでいてもこじらせるだけよりはマシだというのは確実だ。 「ナルトがどうかしましたか?」 「え、あ、いえ!なんでもありません!」 なんでいるんだ!めちゃくちゃ油断してただろうが! …まあ怒られるいわれはこの人にはないんだが。俺が勝手に驚いただけだ。 「チョコの匂い。ああサクラの?」 「へ?あ、ああ!はい!そうです!味見をおおせつかりまして!美味かったですよ!あはははは!」 そうだった…!この人は鼻もめちゃくちゃいいんだった…! ばれるな。確実に。変化は駄目だ。となると…その前に受付でチョコくさかった俺にも気付かれてるよな…。もうこの際長期任務にでも行けばいいんだろうか。 この期に及んでジタバタあがく己を、せめて笑いとばすことができたらいいのに。 「…あっちの匂いのが好きだなぁ。イルカ先生が最近作ってるヤツ」 「う…!その!」 やっぱりばれてるじゃないか。ちくしょう。馬鹿なのか俺は。まあ馬鹿なんだが!後ろ向きなりに忘れようと努力した結果がこれってのはどうなんだ。 …もういいか。今で。試作品なら手元にあるんだ。弁当すら作る予算が怪しくて、とりあえず腹ふさぎにはなるだろうと適当に突っ込んできたヤツが。 「あ、でもしますね。匂い」 ふんふんと犬のように鼻をヒクつかせてうなじの辺りの匂いを嗅いできたから、これはもうわざとだろう。俺の気持ちに気付いているかってのは微妙だが、俺がここんとこチョコまみれの生活を送ってきたってことは完全にバレている。 ええいままよ!もっとできのいいのがあったとかうじうじするより、ここらで妥協してやっぱり駄目なんだと諦めてしまう方がきっと早く楽になれる。 「…食いますか?試作品ですが」 「いいの?」 「ええ。試作品ですけど」 最近作ったヤツだからさほど不味くはないはずだ。きっと普通に食ったらその辺で買ったものと大差ない代物は、だがしかし俺の処理できない感情と創意工夫だけはたっぷりと詰まっている。たとえば薬草酒を使ってチャクラ回復に役立つけど、薬くさくないようにとか、他にも色々。匂いが気に入ってくれたならそれだけでもがんばった甲斐があった。 かばんから取り出して、ラッピングまで無駄に丁寧に施したそれを投げるようにして渡した。割ときれいにできたやつでよかった。無難を目指して白っぽい箱に茶色いリボンを掛けたそれは、意外とそれっぽく見える。 「…試作品、ね。随分丁寧だけど」 「凝り性なんです」 嘘は言っていないぞ。嘘は。凝り性なのは本当だ。それが講じて勢いあまってオリジナルのトラップとか術式とかお勧めの悪戯とか、夏休みの宿題で提出しちまったこともあるからな。まああれは三代目の影響もあるが。 …それがこの人にできるだけおいしいと思ってもらうためだってのを言ってないだけだ。 「ふぅん。ああこの匂い。いいよね」 「そうですか。へへ!」 うん、うれしいな。やっぱり。だって好きなんだ。笑ってもらえたら最高だと思うくらいには。この顔が見られたんだから、もういいよな。がんばって忘れて…それか、それができなくても誰にも告げずに大事に思っていけるならそれで。 「で、試作品じゃないヤツは誰に上げるの?」 「あーえーっとですね。あ、あアカデミーの授業で、その」 妙に真剣な顔で詰め寄られると、さりげなくとぼけることすらできなくなりそうで困る。きれーな顔してんだよな。ソコも好きだ。ソコだけに惚れたわけじゃ、断じてないが。 「じゃ、できたのは誰に?」 「はは…食ってくれる人もいないんで、自分で、食べます」 ああやっぱり無理そうだな。どの面下げてこの人に渡せるって言うんだ。多分単なる興味で聞いてるんだろうが、ここであんたのためだなんて絶対に言えない。俺は臆病なんだ。ここで気味悪がられたら、多分罪悪感で死ねる。どこまでわかってるかわからないこの態度が怖すぎる。 「自分で?ホントに?」 こんなにしつこく聞いてくるのは珍しい。普段は穏やかでなんかこう…いつの間にかこっちが話しやすいようにしてくれる人なのに。 「あーそうですね。ナルトなら甘いもの好きだから食ってくれるかもしれませんね」 「へぇ?またナルト?」 半ばやけになって口にした言葉が、相手をこんなに刺激するなんて思わなかった。腕が痛い。唐突に静かに殺気だった上忍に掴まれているからだ。 …地雷踏んだか?俺の部下だと言われたのはそういえばさほど昔のことじゃない。そうだ。あれもあって、諦めたんだ。成長した姿を見せ付けられて、だからこそぶん殴られる覚悟で謝りにいって、拍子抜けするほどあっさり気にしてないと言われて、でもあのときから急に態度が変わった。 探るような視線に、監視対象に成り下がった己を自覚して、それでも性懲りもなくこの感情をもてあましていた俺が悪い。 あの子達の口から聞くあなたが気になって、直接会ってるうちにいつの間にかこうも厄介な感情を抱え込む羽目になっていたのも、全部。 「…申し訳ありませんでした」 それでも、どこか安堵している自分がいる。 やっとこれで、終われる。最低の終わり方かもしれないが、こうも疎まれて、その上でこの人を見ていられるだけで幸せだなんて言えない。それがどれだけこの人の気分を害するか、考えるだけでぞっとする。 帰ったらあのチョコは全部捨てよう。いやいっそ全部食うか。飲み込みきれなかったこの思いの代わりに。 この辺りは人がいないから、そんなこともできないくらいぼこぼこにされるかもしれないけどな。 「チョコ、まだある?」 「…は?」 「全部ちょうだい。試作品だけじゃなくて、本番のも」 「鼻血でますよ?」 茶化して誤魔化してみたものの、何いってんだこの人は。そんなにこのチョコ気に入ったのか。一瞬嬉しくなった自分が空しくなるだろうが。それにしてもこの人は感情が激すると分かりにくい行動を取りすぎる。もうちょっと落ち着けといってやりたい。 「出てもいいよ。ちょうだい」 「…いいですよ。全部あげます」 俺の差し出せるものなら全部やるよ。本当なら一番引き取って欲しいこの感情だけは手放せないだろうけど。 「じゃ、いいよね」 いいって言ってんだろうがしつこいぞと怒鳴りつけるつもりが、できなかった。 何素顔晒してんだ。あ、ほくろなんてあったんだな。っつうか往来で何やってんだ。 顔が、近い。 「好きなんですけど」 「…は、はあ。それならどうぞ。匂いの素になってる薬草酒もまだありますよ」 「なにそれにっぶ!」 「失礼な!」 いきなり人を捕まえてそんなこという方が悪いだろうと一瞬説教モードに入るところだったが、真剣にあきれ果ててますって顔と態度とため息まで突きつけられると俺の方がなんかやったんだろうかと冷や汗が滲み出してきた。だってなぁ。この状態で冷静でいられるわけがない。色々と困るだろうが!色々と!こんな近くにいるんだぞ?惚れた相手が! 襲われたらどうすんだとか、男相手に言ったら笑われるだろうが、この人くらいきれいなら懸想されたこともありそうなのに、どうしてこうも無防備なのか。 「そうじゃないの。好きなのはチョコだけじゃなくて、むしろ作った人の方なんですけど」 「あぁ?なにいってんですか?」 酔っ払ってんのかこの人。言うにこと欠いて好きとか…。同性の中忍捕まえて正気だろうか。俺だったら一瞬で真顔になる。 …いや、まてよ。本気である可能性…そういやこの人変わったもん好きだよな。パックンさん捕まえてうちの子って世界一かわいい犬だと思うんですとか言うもんな。愛されている自信に満ちた小型犬が腹出して寝てる姿は確かに愛嬌があったが、世界一かわいいかどうかは疑問に思った。とくにそのふごふごした鼻息に。ちなみにさんづけなのはパックンさん本人からの要望だ。 うちに後から来たんだからさんづけしろってって台詞は今考えると妙に意味深かもしれん。そのときはココでこの人が寝てるのかーとかふっと思ったりしたから、そんな不埒な思いに気付かれたかと、たまたま家に上がっただけだぞ。他意はないとか自分で言い訳しまくったけどな。…いやいやいや。ないよな。ないない。落ち着け俺。 「…ま、いいです。とりあえずチョコの日まで待つ気はもうないんで。全部貰ってからチョコもいただきます」 この妙にでっかい態度が、そういえば彼の忍犬ともよく似ている気がする。飼い主に似るって本当なんだなあと現実逃避だと分かっていて呆けていた。 だから、ゆっくりとその唇が重なる瞬間もわざとらしくした唇に歯を立てていったのも、良く見えた。 「…な、にすんです、か」 「や、ほんとにわかってないとか信じられなかったんだけど、ほんとにわかってなかったんですねぇ」 妙にしみじみと語るその手には、しっかりチョコレートが握られている。 俺の、作った。 「うわー!おい!どうしてくれてんですか!うおお!ちょっとまて!今何しやがった!」 諦めるはずだったんだ。それが俺のためでもこの人のためでもあるはずだった。自信がなくて逃げたのも事実だが、この人はいずれ火影との呼び声も高くて…その火遊びの相手ですら恐れ多いレベルの相手だ。俺じゃ駄目だろう。いろんな意味で。 「はいはい。じゃ、落ち着くためにもまずはイルカ先生の家ね。チョコまだあるんでしょ?」 「ありますが!そうじゃねぇ!いいか!あんた今なにしたかわかってんですか!」 「妙に卑屈で後ろ向きですよねぇ。若造が色々とこじらせてるようだぞってうちの子が教えてくれなかったら近々強姦するつもりだったんですけども」 「は?え?いやちょっとまて。強姦は許しませんよ!女性になんてことを!大体あんたならちゃんと口説けば誰だって…!」 「えーがんばってましたよ?でも落ちてくれないんだもん。しょうがないから体からかなぁって」 つかまったままの指先が熱い。 「それは駄目です。絶対に。それに自分の立場ってもんを…!」 「そうそう。そういうの、わかんないんですよねぇ。それ気にして死んじゃった人が親でしたけどね」 「…そういうことを言うな。自分が傷つくことを進んで言う必要はないんですよ」 「ん。そういうことはわかってくれるのにね。もういいです。あなたの恋人候補が誰でも、男なんて嫌だって言われても、押して押して押し捲ることにしたんで」 何かが吹っ切れたらしいすがすがしい笑顔。こんな顔を見たのは初めてかもしれない。強すぎる視線から目が逸らせない。どうしてこんなに苦しいのに捨てられなかったのか分かった気がした。 この強さだ。変に後ろ向きで変わり者なくせに、自分の信じるものに命を賭けちまうところとか、痛みなんて感じないって顔で誰よりも難しい任務を引き受けてなんでもないふりして帰ってきてくれるところとか、そういうのが全部、この稀有な人を守りたいとか、不遜な感情だって分かってるのにどうしても捨てられなかった。 「チョコ、食ってくれるんですよね」 「うん」 「…今諸事情により懐が寂しいので、本当にチョコしかありません」 「いいよ別に。必要なものは持っていくし」 「全部食ってくださいね。残さず」 あんたのために作ったものだからっていうのは、言わないでおくことにした。 …おかげで後になって素直に言ってくれなかったと散々詰られる羽目になったし、それ以前に、もう告白したから強姦じゃないと主張する馬鹿と貞操を賭けた戦いを繰り広げることになっただが。 夜の立場をかけてバレンタインにはお互いのチョコを交換することに決まったから、俺の部屋は未だにチョコレートの匂いに満ちているのだった。 ******************************************************************************** 適当。 ちなみに本気出した上忍のチョコが美味くて負けを認めて落ち込んで、慰めるていで寄ってきた上忍においしくいただかれちゃうと思います。 でも上忍は中忍のチョコのがおいしいと思ってたりして。惚れた相手の作ったもんはうまいということで。 |