あいのことば(適当)


囁くように名前を呼ぶのは、多分この人の癖だ。
密やかに甘やかに、自分と言う存在を指しし示す記号として呼ぶ以上の意味を込めて、飽きることなく熱心に繰り返されるそれに、いつの間にか慣らされてしまった。
寝ても覚めても耳に残る声に支配されているかのように。
少しでも思考に隙間ができれば、あの人がそれを埋める。
今は、まだいい。仕事に集中していればやり過ごせる。
たとえそれがあの人のことを考えないで済んでいるというより、優先すべきことで必死にあの人への思いを胸の奥に押し込めているだけにすぎないのだとしても。
「なに考えてるの?」
イルカ先生。
その声が全てを飲み込み、塗りつぶしていく。
「何も」
あなたのこと以外何も考えちゃいない。
なんて体たらく。
ふとした瞬間に気付く。いつの間にやら俺の中はこの人だけで一杯になっていることに。
内勤が長いとはいえこれでも忍だ。
任務にでることだってあれば、必要とあらば血を流すことをいとわない。
己の身すら武器にするのが忍だと理解している。
当然、要請されれば捨て身で戦うことを受け入れるだろう。
…願わくはそれが自分にとって大切な人たちでない事を祈る程度のエゴは許して欲しいけれど。
忍であること。
その誇りを捨ててなんかいない。
…だがこのままじゃいつかそれすらも取り上げられてしまうかもしれない。
俺と言う名の存在を全て、この男に明け渡す。
それは痛みでも恐怖でもあるのに、酷く甘い。
手を取られた。
作り物めいた美しさと、女のものではありえないのに細く繊細さすら感じる白い指の間に、己の手が収まっている。
忍の、幾多の戦いを潜り抜けた美しいとは言いがたい手だ。
その上普通の忍にはないペンだこまである。
…己の生業を悟られる可能性のある身体的特徴など、忍にとって忌むべきことでしかないが、本の少しばかりそれに誇りを持つことさえあるとはいえ、違和感の塊だ。
ああ、俺とこの人はこんなにも違うのに。
「イルカ先生。愛してる」
存在すら飲み込む呪い染みたそのことばに、何も考えずに溺れられる日を夢見た。


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適当。
ベタぼれなのは実はお互い様。
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