追いかけっこ(適当)

近寄れない。側にいるだけで壁を感じる人だったから、まさかこんなことになるなんて思わなかった。
「ねぇ。どうして逃げるの?」
「そんなの…ッ!逃げるに決まってんだろうが!」
殺気むき出しの男が手にしているのは俺ですら知っているタチの悪い毒だ。
「気持ちイイよ?ま、俺にはあんまり効かないけど」
冗談が過ぎる。
上忍でもそれを摂りこみすぎれば正気を失いかねないというのに。
「さすが暗部様ですねって言や喜ぶんですか?あんたは!」
追ってくる。それもつかず離れず、逃げ回る俺を楽しむように。
「喜ばないねぇ?あんあん鳴いてくれなきゃつまんないじゃない」
「お断りだ!」
誰があんなものを口にしたいと思うものか。
…その効果は嫌ってほど知っている。
昔四肢の自由を奪われて口に放り込まれたそれに、死にそうな目に遭わされた。
あの時の相手もこうやって俺を追い詰めて…。
「気持ちイイの、一番良く知ってるはずじゃない?」
「あんた、か…」
忘れた、逃げ切ったはずの過去が足元から忍び寄り、いつの間にか俺を捕らえようとしている。
あの日、任務を終えて里への道を急いでいた俺に襲い掛かった最悪の悪夢が。
俺はただ通りがかっただけだ。
この男の気配にすら気づけなかったし、里の目と鼻の先で敵がいる可能性も低いから油断していたのも事実だ。
舞い降りた殺気の塊に走り出すことができただけでも奇跡だった。
逃げ回り、追い詰められ、突然視界が赤く赤く染まって、それから…多分術を掛けられた。
自由にならない手足に圧倒的な力の差を思い知らされて、こじ開けられた口に甘く薄苦いこの毒を流し込まれたのだ。
火にあぶられたように熱を帯びた体に、強引にその欲望をねじ込んで、それに喘がされていることすらそのときは理解できていなかった。
意識が遠く、ただ快楽への欲求だけで頭が一杯で。
それを嗤いながら、男は何度も何度もその欲望で俺を汚した。
気まぐれに獲物を捕らえてなぶる猫のように、好き放題に使って、正気を失う寸前まで追い詰めて。
顔は知らない。その中身にふさわしいケダモノの面を付けていたから。
途中でそれが外された気もするが、そのときの俺はすでにドロドロに汚れ意識も曖昧だったせいでろくに覚えてもいない。むしろ覚えられないように何がしかの術でも使われたんだろう。
銀色の何かだけは、意識の底に沈んで。
開放されたのがいつだったかは覚えていない。自宅の布団に包まって震えている自分に気付いたときには、すでに報告書も提出されていたのだと後で知った。
…初めて上忍師だと引き会わされた時に感じた寒気はこのせいか。
「だって。普通にしてたらいつまでたっても俺のこと気づいてくれないんだもん」
あんなに求めてくれたのにと、寂しげにさえ聞こえた台詞にぞっとした。
「求めてなんかいない。…薬なんて使いやがって!」
最悪だ。あんなもの使って人の正気をすっ飛ばした挙句に使い捨てみたいにおもちゃにしておいて、今更訳の分からない理由で追いかけてくるなんて。
「薬、使わないなら、いいの?」
男が不思議そうにそう言って、小首を傾げた。殺気も嘘のように鎮まっている。
俺を追うのを止めた男を刺激するのも恐ろしく、慎重に距離だけは取って言い返してやった。
「当たり前だ。薬なんて使っておもちゃにしといて、あんた何なんだよ!」
「えーっと?ご主人さま、になるのかねぇ?欲しいものはすぐに印つけとかないと危ないでしょ?」
この男相手にまともな返答を求めた方が悪い。
それが分かっていてもぞっとした。
「だれが、ご主人様だ!」
「だって笑って欲しいし、側にいて欲しいし、怖い目にあわせたくないし。そしたらご主人様でしょう?」
本気で言っているのが分かるだけに恐怖よりは怒りが先立った。
「なら…アンタが犬になれ!」
我ながら支離滅裂な台詞だ。
そしてそれに得たりとばかりに微笑んだ男の方が…きっと常軌を逸している。
「そっか!それでもいいねぇ?側で守ればいいんだもんね!」
…そうして、俺はこの上なく上等な駄犬を手に入れたのだ。
時折千切れそうなほど振られている尻尾が見える気がするほど一心不乱に俺に張り付いて、周囲を威嚇するのに余念がない、毛並みだけは随分といい駄犬を。
…実際はどちらかというと振られているのは腰の方だというのは納得がいかないというかなんというか。
しつけは遅々として進まない。
が、最初よりはましだろう。
欲しいと思ったからなんて訳の分からない理由で人を襲うのはダメだと教えたら、お伺いを立てるようにはなった。
…聞くだけで断っても実行されるあたりはやはり駄犬なのだが。
「んー…幸せ…!ちゃんとかわいがってね?ご主人様」
散々人を貪ったベッドの上で、犬というよりむしろ猫のように長々と寝そべった男が、ご機嫌な顔で懐いてくるのは…残念ながら楽しいかもしれないと知ってしまった。
トラウマを封印するよりは、実際に罵ってやるほうがまだましだ。
それから…素直で従順で馬鹿な犬のほうが、きっと賢い犬よりかわいいってことだろう。
「ちゃんとしないと捨てるからな?」
撫でるその手を甘噛みする駄犬に、聞きはしないと分かっている命令を投げつけて、二度寝を決め込むことにした。
…日常なんてものは案外あっという間に砕け散るもんだとしみじみ思いながら。


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てきとうー
ねむいーねーむーいーねむい
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