疲れた。しみじみとそう思うのは年齢のせいだろうか。 山をなす書類も、押し付けられる意味があるのかないのかわからない雑多な会合の予定も、勝手がわからないものばかりで息が詰まる。 頭が、それから使いすぎた眼が、鈍い痛みを訴えるのも常態化してきている。これじゃ早晩倒れるだろう。自覚していながら、時間がないことを理由に己に休むことを許せないままでいる。 長いことチャクラを食ってくれたあの赤い瞳…写輪眼はもうない。両目ともに同じ色になった瞳で世界をみることができるなんて思っても見なかった。 そしてそんな目になっても痛みに悩まされるなんてこともだけど。 「六代目。こちらの書類に決済をお願いします」 「あー…そこ、おいといてくれる?」 うんざりするような書類の山に、また一つ山が増えた。運んでくる方は自分の手元から書類が離れるんだからいいんだろう。でも、受け取るこっちはたまったもんじゃない。 今が正念場だってのはわかってる。復興と再建と、ついでに他里との交流事業に技術の発展まで全部一度にこなそうって方が無理だ。無理だけどやらなきゃならない。なにせ跡継ぎがちょーっとばかり頭の中身が心配なナルトだからね。 あいつは戦闘能力や人との信頼関係を築く性格はともかくとして、事務書類はてんで駄目だ。自頭は悪くないはずなんだけど、環境と性格かな?時々鋭いこというくせに、基本的な集中力ってモノに欠けている。側近に据えるつもりで鍛えてるシカマルの飲み込みは早いが、あの子だけに任せるってわけにもいかないでしょ。それに今は治世うんぬんより人脈作りと里同士のパイプ役を担ってもらってるから、こっちを手伝わせるような余裕はない。砂の姫君とうまくいってくれたら助かるから、一緒になって仕事してもらえるのは正直助かるしね。将来を考えれば必要な投資だ。 サクラもなぁ。いずれ医療系の中枢に据えようとは思ってるんだが、できればビシビシナルトを止めて欲しくもあるんだよな。っていっても、今はそれどころじゃないだろうけど。 サスケとそれからナルトの腕を治すっていきまいて、綱手姫と一緒になって研究漬けだ。アレをひっぱりだすのは容易じゃないだろう。それに…今だけかもしれないしね。サスケはいつまでも里にいようとはしないだろう。不器用なヤツだから。 他に事務系のサポート役なんて買って出てくれそうなのは…いないな。イズモとコテツも復興関連に振り分けてるし、紅も子育て中だ。ゲンマも技術部門についてもらってるし、他に心当たりなんて…ん。やっぱりいないな。 あぁ。手詰まりってヤツか。これが。 せめて茶の一杯でも飲もうか。それが書類仕事の手を止める言い訳にすぎないとしても。 痛みを訴える頭をなんとかなだめるためにこめかみをもみつつ、茶入れに手を伸ばしたとき、コンコンと遠慮がちなノックの音が耳に届いた。 「どーぞ。開いてるよ」 ちょっと雑になったのは、これで一杯のお茶すらも口にできなくなりそうだとうんざりしたからだったんだけど。 「失礼します。六代目…うわっこれ!その顔色!なにやってんですか!」 ああ、いた。いたね。そういえばこの人が。意識的にはずしておいたのは、この人も教育関連で中心になって動いてもらってるからっていうのと、あとは。 「…お仕事、かな?」 こうやってへらへら笑って誤魔化せないか試してみるくらいには、この人にこんな姿を見られたくなかったからかもしれない。 「…お茶、入れます。それからこちらの机と椅子、お借りしますよ」 「え?はあ。どーぞ?」 この人何か用があったんじゃないの?書類もなにももってないみたいだけど。ああでも、手元に何か持ってるか。なんだろ。ちょっとイイ匂いがする。なんていうか、おいしそう?そういえば飯なんて食ったのいつだっけ。里にいるのに空腹を兵糧丸で誤魔化すなんて、暗部やってた頃くらいだよ。全く。 ちょっとばかり情けなく思いつつ、思わぬ訪問者から視線ははずさない。相変わらずりりしい顔してるよね。でもこの人もやっぱり疲れてる。そりゃそうか。他里との教育水準のすり合わせとか、留学だなんだって、なんでもかんでも持ち上がるもの全部担当者に丸投げしてる状態だ。指示は出すけど決まったことには口出ししない。裏がありそうなら別だけど。 そうやってみんな良く動いてくれてるんだから、俺が投げ出すわけにはいかないでしょ? 「はいお茶です」 いい声。そうやってはきはき喋って、よく動くその唇に、口付けたいなんて言えないね。汚しちゃいけない人だと知っていたのに、どうして惚れてるだなんてことに気づいてしまったのか。我ながら度し難い。 「ん。ありがと」 素直に受け取って一口だけすすると、熱くもなくてちょうどいい温度で、味も絶妙だった。俺が入れるとお茶だなって思う程度だったんだけど、結構いい茶葉使ってるのね。まあいきなりお湯ぶち込んで飲むだけだから当たり前か。 感心しながら一杯空にしている間に、なにやら手にした包みを広げていく。 この人がこうやって動いているのを見るだけで、さっきよりだいぶ頭痛が楽になった気がするんだから、我ながら現金なもんだ。 「はい。食べてください」 「え?」 一瞬真剣な顔で包みを開く人に集中しすぎていたかもしれなかった。いつの間にか広げられた包みの中央には、美味そうな匂いの通りに、丁寧に作られたらしい弁当がおかれていた。 「お茶のお代わりです。ゆっくりしっかり噛んで食べてください。毒見が必要なら俺が」 「いやそんなのはいらないけど、なにこれ。どうしたんですか?」 丁寧なのは丁寧なんだが、よく見ればお重は年季が入ったモノで塗りはともかくとして、金が少しはげているところがある。野菜なんかも切り方は丁寧なんだけど、店でやるようなのとちょっと違うっていうか。これってもしかしなくても。 「俺が作りました。あんた飯食ってないでしょうが!」 「え。はい。ごめんなさい。え?でもなんでわかったの?」 「…いいから、食べてください。その間にこっちを何とかしますから」 気迫に押されて頷いて、食べ始めてみれば思った以上に空腹だったらしい。腹を満たすものを求めるままに、必死で箸を動かしていた。 「おいし、かった。ごちそうさま」 味付けも美味い。この人、料理なんてできたんだ。一楽一楽ってそればっかりなイメージがあった。…それ以上、知ろうとしてこなかった。 欲しいと思ってしまったものからは距離を取るようにしていたから。 相手が計算高い女ならまだしも、双方同意の下で、なんてのは望むべくもない関係だ。思い余って一度だけでもと思わなかったこともないが、下手にこっちの階級が上だと、強要するつもりなんてなくても相手にとっては命令になりかねない。 なら、見ているだけでと決めてから、そういえば随分とたったんだな。静かに見ているだけだった人が、今は書類をせっせと整理して…え?ちょっと待った。なんで?なにしてんのこのひと。 「ああ、おいといてください。うちで洗います。こちらの書類から処理してください。こっちは不備があるので送り返します。こっちは資料をお持ちしますので少々お待ちください」 …山が減ってる。どういうこと? 「ええと、イルカ先生は今日どうしたの?」 「休みです」 書類から顔も上げずにきっぱりと言い切られると同時に椅子に座らされてサクサク書類の説明をしてくれる。つみあがる物の順番も整理してくれたらしい。読みやすいし、付箋で細かい説明がついてるからいちいちこっちで下調べする必要がなくなった。 なにこれ。すごいんだけど。三代目も五代目もやたらとこの人を呼びつけてた理由が今になってわかった。これはズルイでしょ。っていうか、知ってるなら教えてよ。でもまった。ちょっと待った。ホントに待った。この人はここにいちゃいけない人なんじゃないの? 「って、ねぇ。ちょっと待って。休みなのにどうしてお仕事してるんですか。帰って休んでくださいよ」 「そっちこそ。休みなんていつ取りました?」 「え?えーっと?ま、俺、火影ですし」 実際歴代の火影も大体そんなもんだ。化け物クラスの上忍がなることが多いってのもあるけどね。そもそも休みなんていちいち覚えていない生活は、物心ついたころからずっと続いている。勝手が違う分疲労もすごいけど、そういう意味では今更だ。 「うるせぇ。さっさと書類片付けて今夜は付き合ってもらいますよ!」 「…はい」 仮にも火影相手にこの態度って…。そしてその気迫に逆らえない俺ってどうなの? そのくせ今夜は付き合ってもらうって言葉に少しばかり浮き足立って、思った以上にやる気になっちゃうところが我ながら哀れだと思う。 ナルト絡みかそれともサスケの減刑嘆願の件かな。それともアカデミーでなにかあったのかもしれない。 …それでも、いい。この人のそばにいるだけでがんばれる気がするから。ただ健気、というよりは執念深い己を疎ましく思う。 大丈夫。まだ我慢できる。里の最高権力者になんてなりたくなかった。この人をどうこうできる力が今俺にはある。そのくせどうせこの人には逆らえやしないんだ。 …大丈夫だ。まだ。 言い聞かせる言葉は上滑りして、書類と、それから継ぎ足されるお茶に、どこから調達したのか握り飯までついてきて、逃避もかねて書類に集中したのが良かったのかもしれない。 「もしかして、終わった?」 「今日の分は、ですが。各部署に指示を出してきます。よろしいですね?」 「え?なんの?」 「こんなずさんな書類を回すなということです。連絡系統も整理したので明日には徹底させます」 そういって差し出された紙にはアレだけの書類を整理しながらいつ書いたのかと思うほど緻密な指示とわかりやすい図までついていた。 「すごいね。ありがとう」 「いいえ。アカデミー所属の忍なら、これくらいできて当然です」 そういえば、この人教師だったんだっけ。熱血先生のイメージが強すぎて、こういうことも教えるんだってことを忘れていた。部隊長クラスだもんね。中忍だし。アカデミーは優秀な人材がそろってるって、頭ではわかっていたつもりでいたけど、実際に見せられるとこれは確かにすごい。戦時のバックアップにこういう人材は貴重だ。是非一度見学にいかないと。 それにしてもちょっと怒ってる?書類の処理が遅れて迷惑でもかけた?最近来る日も来る日も書類仕事に追われすぎていて、日時の感覚がちょっと怪しいんだよね。どうしよう? 「…ごめんね?」 とりあえず謝ったっていうのがばればれだったせいだろうか。深い深いため息をつれてしまった。 「何を謝ってるんですか?」 視線が強すぎる。まっすぐに俺を射抜く揺らがない瞳に酔ってしまいそうだ。 「…んー?ほら、休みなのに仕事手伝わせちゃったしね。夜、どこがいい?おごりますよ。なんてったって今の俺は火影ですから」 茶化した態度で誤魔化したつもりだった。だってねぇ。この人に正面からぶつかりあったりなんかしたら、俺はまたおかしくなる。変な態度とりたくないんだ。これ以上この人に幻滅して欲しくない。近寄れもしないくせに何いってるんだって話だけど、カッコいい上忍は無理でも、中継ぎの火影としてたいしたことはできなくても、せめて、ちょっとだけでいいから認めて欲しかったのかもしれない。この人にだけは。 「…そうですか。じゃ、俺の家にご招待します。飯は仕込んできてありますんで」 「え?」 「布団も上等なの仕入れてありますよ。風呂も広いところを借りたので」 「え?え?」 「酒は禁止です。風呂入ったらすぐ寝てください。朝も起こします。飯も食ってもらいます」 「…うん」 さっきから飯の話ばっかりなんだけど。なんだろう。…心配してくれたってこと?ちょっと嬉しいんだけど。 ああでも、俺ってば狼だよ?いいの?…ま、この人はそんなことなんて少しも考えてもみないんだろうけど。 「ほら、いきますよ」 「…はーい」 伸ばされた手に素直に自分の手を重ねた。 男前に笑った人に少しだけ甘えさせてもらう覚悟を決めて。 ******************************************************************************** 適当。間に挟んでみた。 中忍は上忍が火影になったのに恋人ひとつ作らず仕事ばっかりしてるのであきらめるのをあきらめたかもしれないという話。 |