怠け者になったなぁと思う。いや仕事をないがしろにしたりはしていないのだが、どうしても私事を優先してしまうようになったのは確かだ。 「イルカせんせ」 「はいなんですか」 元凶が甘ったるい声で俺を呼んだ。 呼ばれた理由など分かりきっていたがあえて無視した。 やわらかくもない膝に懐く男がさっきからじぃっとこっちを見ていることにも、任務明けで転がり込んできた男を風呂場に放り込んで、洗い立ての頭を乾かしてやって、耳掃除もしてやっただけじゃ足りないんだということにも気付いていたが、そう簡単に思わせぶりな態度にのってやるつもりはない。 「イルカせーんせ」 「はいはい」 向こうもいきなりどうこうしてくる気はなさそうだ。 力で強いられれば勝負にならない程度の実力差はあるから、それはありがたい。 しばらくあやしておいて、少し落ち着いてくれればいいんだが。 …どうもじわじわと不穏な気配を放ち始めている所を見るとそれは難しそうだ。 「イルカせんせ」 「…もうちょっとでおわりますから」 この書類だけは今日中に片付けなくてはならない。 この人が帰ってくるだろうから出来るだけ前倒しにしておいたというのに、飛込みで舞い込んだ仕事が予想外に厄介だ。 あと、ほんの少し。終わったらすぐに隣の同僚に手渡せばいい手はずにはなっている。 気のいいやつで隣人になったときは馬鹿騒ぎや酒盛り雑魚寝も当たり前だったというのに、この人が勝手に住みつき出してからはそれこそ腫れ物にでも触れるように扱われているから多分きっと相当怯えているはずだ。 さっさと片付けてやらないとかわいそうだよな。 せっせと手を動かす。面倒なことを頼まざるを得なかった同僚への謝罪も考えながら、勿論すっかり駄々を捏ねる寸前までこじれた気配を滲ませている男をなでるのもわすれない。 指を齧っている所を見ると相当我慢させている。 いそがなきゃ。これ以上待たせると厄介なことになる。 ちゅくっと音を立てているのは、どうやらそろそろ限界が近づいているらしい男が、俺の手をとって一人遊びを始めたからだ。 ねっとりと赤くぬめったものが這う。軽く歯を立ててこっちを見ろとばかりに執拗に愛撫され、それはまるで、性器を模したようで…。 「指、しゃぶるような年でしたっけ?」 揶揄のことばにすらニヤつく男は相当飢えているらしい。 任務帰りでも無傷で元気だというのは結構なことだ。 …死線を潜ったせいでその有り余る欲の全てを俺に向けようとしないのなら。 「ゆびだけでがまんしてあげてるのに。誘ってるの?」 どっちがだと言った所で決着はつくまい。 求められているのは従順さでも抵抗でもなければ、かわいげのある反応でもない。 ただ、俺を欲しがっているだけだ。例えどんな態度をとろうと、この男はめげることも諦めることもしない。 思えばとんでもない生き物に目をつけられたものだ。もう随分と一緒にいる気がするのだが、最初はただの哀れな厄介者に過ぎなかった相手が、いまや伴侶といってそう間違いじゃないかもしれない。 「…誘ってますよって言ったらどうしますか?」 受付所で見せるようなとびっきりの営業スマイルだったのに、男の決断は早かった。 「食うよ。全部」 手首に指が食い込むほど力強くつかまれて、身じろぎするのも怪しいほどだ。 本当に、いつか食われてしまいそうだ。 いっそそれも悪くないと思う。身の内に取り込まれてしまえば終わることのない不安とも戦わなくてすむ。 帰ってくるだろうか。この傍若無人なイキモノから別れを望まれたら身を引く覚悟はあるが、この男以外に命じられたら従えない自信があった。 「…もうちょっとお預けです」 「ちぇー?」 また指を食み始めた男が太腿に懐いたまま股間に顔を埋めてきた。 不満げな態度を隠そうともしない。不埒な行為も少々度が過ぎる。 「お仕置きと、このまま素直に待ってからご褒美。どっちがいいですか?」 「ご褒美!」 よしよし。いい返事だ。釣られてくれているなら俺も乗っておこう。本気で正気を吹っ飛ばされてるときは、こうはいかないからな。 「それじゃ、待っててくださいね」 「…はーい」 不満そうだがご褒美という言葉に引かれたのか一応は大人しく指を齧っている。 痛いとでもいえば止めるだろうが、甘噛みに妙に必死になっているからまだ少しは保つだろう。 “ご褒美”が明日も休みを取ったことだなんて知ったら詐欺だと騒ぐだろうから。どっちにしろ手に入るならやっとけばよかったと言い出しかねないもんな。 多分、その顔をみたらきっと笑ってしまうだろう。不満げな顔でじゃれ付いてこられたら拒めるかどうか。 なにせかわいいからな。この人は。…まあ中身は大分ケダモノだがそこがよりいっそうかわいらしい。 つっと尻を撫でる不埒な手を振り払い、あやしながら、甘やかしすぎている己を少しばかり戒めておいた。 怠惰な生活は、どうやらしばらくは終わりそうもない。 ******************************************************************************** 適当。 ご意見ご感想お気軽にどうぞ。 |