苦労人3(適当)


 ある意味権力を笠に着たこの人の我儘にはうんざりしていた。早晩耐え切れなくなるだろうとも思っていたさ。こんな状態が続くようなら一週間もしないうちにぶん殴ってでもこんな仕事は止めてやると言ってやるつもりだった。
 でもそれよりも…こんな状況を俺に敷いているくせに、叶わない前提でくだらないことを強請るのが猛烈に頭にきた。
 今までのだって全部そうだ。ちゅーだのなんだのくだらないことからそばから離れるなとかな。実力行使をしてきはするが、それが叶わなくてもちぇーなんて言いながら不満げなふりだけして、結局は追われるように仕事ばかりしている。  周りに聞いたところからすると、俺が来るまでは本当に馬車馬のようにひたすら仕事ばっかりしていたらしい。ふざける余裕ができたのねーなんて笑いながら言われたことについては納得できないが、あの人が…全部諦めたみたいに笑うのは癪に触って仕方がない。 
 他人事みたいに飯を食えと俺に言うあの口に、これをねじ込んでやるまで辞めてやるつもりはない。
「オイこらそこの火影様!口開けやがれ!」
「え?ああ。おかえりなさい」
 …なんでそこで笑うんだ。そんな風に嬉しそうにされると気が削がれる。
この捉えどころのない人のことを、俺は多分一生理解できないだろう。そんな人に腹を立てるだけ無駄なんだろうって、自分だってわかってるんだよ。
 わかってたって引き下がれないんだ。しょうがねぇだろ。
「火影様。正直に答えなさい」
「えーっと。はい。ちゃんとお仕事ならしてましたよ?」
 遊んでたりしませんと言い募りつつ、処理した書類の山は確かにさっきより随分と増えていて、要するにこの人はやればできる人なんだってことを教えてくれた。
 俺なんかがいなくたって、この人は平気だ。…そのはずだ。
 それなのにわざわざ呼びつけて何のかんのと理由をつけて拘束して、こんな態度を取る理由なんて知りたくもない。 …どうしようもなく追い詰められたときに伸ばされた手を取らないなんて選択肢は、俺にはないから。
「イルカ先生?」
「あんた、最近ちゃんと飯食ってますか?」
 頬がつぶれるくらい両手で挟み込んで間近でみれば、顔を半分隠していてもわかるくらいやつれているように見える。昔からほそっこくみえたが、それでもこんな風に弱弱しくはなかった。いまだに筋肉なんかは衰えちゃいなそうだが、明らかに生気がない。
 この人の我儘に振り回されているつもりで、この人のことをきちんと見えていなかったことが悔やまれる。無茶をする人だってことは知っていたはずなのに。
「…んー?ま、ほどほどにはね?」
 一瞬目が泳いだ。その上胡散臭い笑顔までセットだ。黒だなこりゃ。
「そんなことで嘘なんか吐きやがって…!俺を誤魔化せると思うなよ?」
 思わず手に取った箸を握り潰しそうになって、慌てて机の上に置いた。これがなきゃこの人に飯を食わせられないからな。まあ馬鹿みたいにたくさん買ってきたから、予備くらいはあるだろうか。とにかく急いで用意してもらったからそこまで頼んだ記憶がない。乱暴に包みを開くと、箸はともかくとして、惣菜と弁当の山が転がり出てきた。出る時には蓋を開けて並べるのに邪魔だったはずの書類が片付いていて、いつもなら嬉しいはずのそれが酷く腹立たしい。
 それがこの人がこんなになるまで無茶をした証拠だからだ。
「えーっと。どうしたのイルカ先生?お腹空いたの?買って来てくれたんでしょ?食べて?ね?」
「そうですね。口開けろ」
「え?え?」
「いいから黙って口開けろって言ってんですよ!ほら!」
 戸惑う人の口布を引っぺがして、嫌味なほどに整った素顔を見た。やっぱりな。この人とサシで飯を食ったのは随分前だが、あの時とは比べ物にならないくらい弱ったイキモノの気配がする。あの頃のアイツより酷い。ナルトはとにかく寂しがり屋で構って欲しくて無茶をする奴だったけど、こんな風に弱ったことを隠したまま死にそうになったりはしなかった。
「…えーっと。あー…これでいいの?」
 口を開けて、それからすぐに閉じられてしまった。奥に仕込み歯があったのは見えたが、あんな物騒なもん未だに仕込んでんだもんなぁ。この人は。こんなになっても。
 変なところで思い切りが良くて、何かあったらすぐ死を選びそうだ。そう思うだけでこっちは吐きそうなくらい気分が悪い。
「開けたままにしときなさい。いいと言ったら閉じる!」
「え、はい。えーっと。あー…んぐ!?」
「おら食え」
「んぐ、ん。…んく。ええと。イルカ先生?自分で食べるから」
「うるせぇ嘘つくんじゃねぇよ。口開けろ」
 取り澄ました笑顔で煙に蒔けると思うなよ?ほっとくと飯も食わずに我儘も…まあ言いはしたが、アレも適当なところで切り上げるつもりだったんだろ?どうせ。
 いい思い出になりましたって笑いでもするかもしれない。知らない間に弱って死にそうになるくせに。
 ああくそ。殴りたい。寧ろ怒鳴りつけたい。それよりもこの人をもっと太らせることが先決だ。こんなに弱っちい火影なんて様にならないと罵ったら、きっと飯を食うより福々しく見える術でも考え出しそうってことを簡単に想像できるのが嫌だ。
「あーそのセリフは別のシチュエーションで言って欲しいかなぁ。寧ろ言いたい?」
「黙って口開け」
「…あー…ん。これおいしいね」
「そうでしょうそうでしょう。俺の教え子のやってる店なんですよ」
「へー?」
「誰が止めていいって言いましたか?」
「あ、あー…ッアツ!あーでもうん。美味しいですよ。流石先生の教え子」
「俺は料理はからっきしなんです。あいつの家は親父さんが料理上手でね。任務中も飯ばっか作ってましたよ。大戦が終わって気づいたら忍を辞めててね。店開いてました」
「そうなの。良かったねぇ」
 無邪気に喜ぶその顔に、誤魔化しや嘘は見て取れない。忍が減ったことを喜ぶような人なんだよな。本当は。それがその子にとって良い道であるってことを優先してくれる。そんな人が火影でいてくれるんだ。
 …ああ、くそ。
「あんたが、そうしてくれたんですよ」
「え?俺?ああ、書類にサインしたかもしれないけど、流石に覚えてないや。ごめんね?名前はなんていうの?」
「そうじゃねぇ!あなたが火影になって、忍を引退するってのが普通になった。そうでしょう?」
「あーそれはほら、大戦が終わったからね。任務の数もそれなりに減ったし?人口減っちゃったからそっちの問題もあるし、総合的に考えたら…んぐ!」
 さも大したことはしていませんって顔で諭すように話すのが気に障って、ついついから揚げとだし巻きとをそのそういうときだけよく回る口に突っ込んでいた。
「だから、あんたは、ちゃんと火影やってんだよ!」
「んぐ!ぐ!げほ!」
 あ、まずい。流石に入れすぎた。
「あ、すみません!ええと。あ、あった!はいお茶!」
「ん、あー生き返る。ありがと」
 ペットボトルのお茶はたっぷり飲めるように一番でかいのを買い込んできたのに、あっという間に半分近く空になった。…もしかして水分すらとってないのか?朝、俺の淹れたお茶は飲んでたよな…?まさかそれから全然なのか?
 第一、何でお礼なんて言ってるんだこの人は。
「…俺のせいでしょうが。何で謝ってんですか」
「ん。あ、それはだって、イルカ先生がちゃんと火影やってるって言ってくれたからね。火影冥利に尽きるっていうか、ね?」
 相変わらずこの人が喜ぶツボはさっぱりわからない。
 わかんねぇんだからいいよな?お互いに。
 ごちゃごちゃ考えるより、この人がこんなに苦しいはずなのに、一人で無茶してるのを見てるだけなんて、俺には無理だ。
「飯食ったら組織図確認させてください」
「ええと。別に構わないけど、イルカ先生もご飯食べてちょーだいよ」
「もちろん食います。これからずっとアンタの飯は俺と一緒です」
「え!いいの!」
「そうでもしなきゃアンタ飯抜くでしょうが…?」
「…ごめんなさい」
 あまりにも大喜びって面で目を輝かせるから睨みつけてやったが、素直に謝ったので許してやることにしようか。
「火影様。覚悟してくださいね?」
 今後一切妥協は許さない。執務の効率化とこの人の休息は、俺が絶対に守る。今そう決めた。駄々をこねようがわがままを言おうが、そんなもの知ったことか。
 理解を放棄した途端、目の前が開けた気がするから不思議なもんだ。この人は多分少しもわかっちゃいないだろうけどな。
「えーっと。鋭意努力します?ね、イルカ先生お願いだからご飯食べてよ」
「食べますとも。…アンタも食べないとわかってんだろうな…?」
「ちゃんと食べます!」
 凄んでやったら妙に素直に言うことを聞いてくれたのが謎だが、まあこれで少しはやりやすくなるだろう。
 見てろよカカシ様。俺はやると言ったらやる男なんだ。
 密かにやる気の炎を燃やした俺が、致命的なミスを犯したことに気づいたのは、随分後になってからだった。


「だってこれからずっと一緒っていったもん」
 引退した日も当然のように、それも手作り弁当持参でやってきた元火影様は、そういってつやっつやの肌にキラキラと煌めく笑顔を添えて抱き着いてきて、そうしてそのまま居座った。俺の狭いながらも楽しい我が家に我が物顔で。
 狭いと言ったら家を勝手に用意され、勝手に引っ越させられたかと思えば、校長とやらの辞令まで持って来やがったんだぞ?それもこれからご意見番なんで宜しくねなんてセリフとセットで。
 でまあ、飯くらいならいいかと思って油断してたら、ちゅーだのなんだのが復活して、長らく我慢してたんだもんなぁなんて感傷でそれを許して…まあ、その。
 …この年になって、同性で元火影なんて恐ろしいモノと勝手に婚姻届けを出される羽目になるなんて思わないだろ。普通。
 事務方が大騒ぎしてるから何事かと思えばこれだ。しかもよりにもよって人手の多い時間帯に。もうとっくに里中に知れわたっているに違いない。
「もううぐ初夜ですね」
「うるせぇなに勝手なことやってんだ!」
 校長室にお茶をしに来るのはいつものことだが、茶飲み話にもならない話題を自分から言い出すってのはどういうつもりなんだ。やっぱりこの人のことはさっぱり理解できない。
「あ、晩御飯何食べたいですか?ラーメン以外で」
「…魚で」
 ラーメンは好きだが最近はめっきり行く回数が減った。この人の料理の腕がいいからな。特に魚料理が。自分が好きだからだというその料理数々は、玄人裸足のレベルだ。
 何をやっても器用なのはうらやましい。まあ変なところで不器用で無茶するのは相変わらずなんだけどな。
「ん。りょーかい。じゃ、待ってますんで早く帰ってきてくださいね!」
 弾む口調にご意見番の威厳などまるでない。飛んで跳ねて視界から消えていった厄介な男には、帰ったらたっぷり話し合わなければならないだろう。
 溜息は深く、先を思うと気が重い。
「まあ、言ってもしょうがない人だからな…」
 冷静であろうと茶をすすると、綺麗な茶柱が立っていて、少しばかり動揺の中にいる心を慰めてくれた。

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イルカ先生の受難。さらにちょっとだけつづき。

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