この人のことを俺で一杯にしたいなぁ。 多分切っ掛けはたったそれだけ。 「はいどーぞ。できましたよ。ちゅーして?」 「しません。仕事をするのは当たり前でしょうが。それにこっちの山の処理がまだですから」 「ちぇー?」 「ちぇーじゃねぇ。さっさとやれ」 「はーい」 構って欲しくて仕掛けた悪戯は十分に功を奏している。この人の中は今俺で一杯だ。里を統べる長としてじゃなく、我儘で子供っぽい…そうだな。多分友達くらいには思っていてくれるかもしれない。 少なくともこの人の考える身内に入れてくれたのは確かだ。笑顔は大安売りする人だけど、こうやって激しい感情をぶつけてくるのは大切だと思うモノだけだから。 あの子はすっかり育って伴侶も見つけた。アレがこの人の腕の中で大事に大事に守られていたあの頃と違って、今ならこの人の一番になれるかもしれない。 そう思ったら矢も楯もたまらずって…ま、ちょっと勢い余っちゃったかもしれないけど。 「…完璧ですね。ああ、ちゃんと飯食ってくださいよ」 憎まれ口を叩くのと同じ口で、この人は俺を気遣ってくれる。飯、飯ねぇ?この忙しさでそういえば一番後回しにしがちなことかもしれない。だってひと時たりとも無駄にできないもの。 そういえば今日は少なくとも昼食をとった記憶はない。窓の外の太陽が沈みかかってるってことは、随分この人にも無理をさせてしまった。 この人の性格からいって、ここに留め置けるのはあと数日がいいところだろう。それ以上ここにつなぎ留めようものなら、相手が火影だろうと何だろうと、殴ってでも出て行ってしまう。というか、もうすでにイイのを食らってしまった後だ。罪悪感か、それとも必死で駄々をこねたからか、一応はまだそばにいてくれるつもりみたいだけど、次にこの人が決意を固めてしまったら、それを覆すのは限りなく不可能に近い。 ま、そういうところに惚れたんだけどね。 「イルカ先生が一緒に食べてくれるなら食べようかなー?」 「冗談言ってる場合じゃないでしょうが…。ちゃんと食わなきゃいつか倒れますよ?」 せめてものおねだりは、この人に危機感を感じさせただけに終わったらしい。大事な大事な里を維持するための書類作成マシーンだからね。今となっては。 殺人マシーンって呼ばれてたこともあったらしいけど、根本は変わっちゃいない。必要な結果を導き出すために作り上げられた、最良の機械。それが俺だ。 中身が人間だって、自分ですら忘れがちなんだもんねぇ。周りだって配慮している余裕はなかっただろう。ま、大分里も落ち着いてきたから、ここまで酷いのは今だけのはずだけどね。 あいつに引き継ぐまでには省力化が図れるはずだ。そのためにここに据えられたようなもんだし、第一あいつは書類仕事はさっぱりだから、その辺を補える側近も準備しておくつもりだ。強さは折り紙付きなんだけどねぇ…。それさえなければとっくに火影になってもらえたはずだ。 そうしたら…どうしただろう。この人は。もう少しちゃんと見て貰えただろうか。 最高権力者であることを盾に無理を強いている身で、そんなことを考えてるってのも、この人に知られたら怒られるだけじゃすまないだろうなぁ。 「あ、イルカ先生はちゃんとご飯食べてね?みんなが心配しちゃうでしょ?」 この山を片づける頃には日付が変わっているかもしれない。休憩を取って欲しくて言っただけなんだけど、書類が一瞬浮かぶほどの勢いで、机に拳がたたきつけられた。 「…うるせぇ。アンタもだ!」 「え?あ、うん」 ええと、結果オーライなんだけど、怒らせちゃった? 肩を怒らせながら執務室の重い扉を叩きつけるように閉めて出て行ってしまった。あーあ。もっと怒った顔も見たかったのに。上手くいかないもんだね。 「ごはん、ね」 このところ包丁どころかクナイさえ握れていない。今なら刺客が来ても一発…なんてことは流石にないと思うけど。護衛も粒ぞろいだし。 早く帰ってきてくれないかなぁ。あとちょっとだけ、あいつにこの椅子を譲るまでは死なないでいるつもりだから。 そこから先のことなんて考えるほど頭は働いてくれなかった。どんなに書類仕事に溺れていても、戦い方を忘れてしまうこともないし、失った記憶も奪った記憶も消えてはくれない。 願わくばあの人には、いつまでもこの里で笑っていて欲しいんだけど。 ぼんやり椅子に腰かけたまま堆く積まれた書類の山を処理していく。…直後に背後に揺らめく怒りの炎を引き連れた人が、大急ぎで飯を山ほど調達してくれるだなんて思いもせずに。 ******************************************************************************** イルカ先生の受難。ちょっとだけつづき。 |