苦労人(適当)


  家路は遠い。驚くほどに。
 こんな立場になって舞い込んだ任務は、やはり以前の通りとはいかなくて、気疲れするばかりで体を動かすことなど皆無だった。
 側近といえば聞こえはいいが、要はアカデミーの世話係の方が近いような立場だってのにな。六代目も酔狂が過ぎる。アカデミー教師をアカデミーから引き抜いたって、中身が急に変わる訳でもないのに。書類仕事が早いということ以外に役立てたことなど思い当たらないが、本人は過ごしやすくなったとご満悦で、俺がアカデミーに戻れる日は遠そうだ。
「あーあ。腹減ったなぁ」
 里へと続く道を照らす太陽は赤と金とを混ぜ込んで地平線に溶けて消えつつあり、茜色から鈍く沈んだ紺碧の混ざり始めた空はぞっとするほど美しいが…残念ながら腹は少しも膨れない。
 あの人と同じだ。えらく器量よしな当代火影は、その美しい顔に笑顔とそれを隠す布とを張り付けて、ただの中忍に酷い無茶を強いる。
 腹芸ができる方でもない身では、国と国との仲立ちなど手に余る。三代目の教えがなければまともに話をまとめることすらできなかっただろう。
 結果はそれなりと自己評価しているが、それを上役がどう判断するかはわからない。
 いっそこのまま戦忍にと、思わない訳じゃない。平和になったと称されるこの世界には、まだまだいくらでも火種が燻っている。激減と言っていいほど減った類の任務ではあるが、その分過酷さを増して闇に潜っただけだとも言える。
 つらつらと考えているだけで足が重くなるのは、それを許してくれそうもない人の顔が、それでも笑顔だろうことが簡単に想像できるからだ。
「イルカせんせ。おかえりなさい」
「うお!カカシさま!」
 背後から抱き着くなと言っても、そういえばこの人の直弟子もいつまでたってもこの癖が治らなかったなぁと溜息が出そうになった。
 想像通りの笑顔で、いやむしろもっとはしゃいでいるようだ。
 そしてこの人はこんな風でも火影で上忍で…英雄だ。それも生きて帰ってきた。
 不敬だと見とがめられて、厄介ごとに巻き込まれるのは御免だし、この人自身を傷つけたい訳でもない。ここはこらえるしかないだろう。
「様は止めてってば。ね、もう帰れるの?」
「ええと、そうですね。あなたに報告書を提出すれば、ですが」
 とはいえこんなところで報告書の承認印を押すことはできない。執務室から抜け出すのは先代様の専売特許だと思ってたんだが、俺が居ないときはもしかしてこんな風にふらふらしてるんだろうか。それならシズネさんや護衛の暗部の皆さんが必死になって俺を引き留めるのも頷ける。由々しき問題だ。尤も、引き留めるというよりは命令という名の鎖で俺を執務室につなぎ留めているのは、今目の前にいる火影を名乗っているはずの男なのだが。
「そ?見せて?」
 見せてと差し出された手はともかくとして、もう片方の手にはちゃっかり決済印が握られている。里の外だってのに貴重品持ち出して何やってんだこの人は。
「…見せてじゃありません!なんでこんなところにいるんですか!」
「お迎えに来たんですよ?」
 しれっと言うなり、懐にしまい込んであった報告書を奪い取られている。実戦から離れたからと言って腕は大戦中とさほど変わらない。考えたくもないが俺が鈍ってるってのもあるんだろうけどな…。
 ざっと目を通したようにしか見えないのに、すでに決済印を押されたそれは、白い鳥に変えられて里に帰っていく。いくらなんでもやりすぎだ。
「なにやってんですか!ここがいくら里から近いって言っても、一応機密文書でしょう!」
「んー?大丈夫大丈夫。顔見せがメインだし、内容も打ち合わせ通りだから」
「顔見せ?」
 なんだそりゃ。聞いてないぞ。聞いてたらこんなややこしくて堅ッ苦しい任務は全力で断らせてもらってたはずだ。だから言わなかったんだろうけどな!ちくしょう!
 大体顔見せなんてしてどうすんだ。他里との連携を図る計画は着々と進んじゃいるが、わざわざ世話役もどきの顔なんざ見せる必要なんてないだろうに。元々すぐにアカデミーに戻れるっていうから引き受けたんだ。書類がたまってどうしようもないから助けてなんて言われて断れなかったのもあるが、長期的に拘束されるならいっそ引退した方がマシだ。
 茶を入れて、書類をさばいて一日が終わるのなんて、もううんざりだ。俺はアカデミーで待っていてくれる子供たちの笑顔がみたいんだ。
 里の最高権力者の、なにがしか含みのある胡散臭い笑顔なんかじゃなくて。
「あ、そーだ。イルカ先生からのサイン貰ってなかったね。ここお願い」
「え?あ、すみません。えーっと…って、オイ待てコラ…!なんですかこれは!」
「婚姻届けですね」
 ここでしれっと流せると思ってるのか。この人は。悪びれない顔で紙きれをひらひらと見せつけてくる辺り、反省もしていないようだ。
 ああ、この人が火影じゃなかったら、火影岩まで吹っ飛ぶ勢いで一発くれてやるのになあ。
「…ちょっとそこ座りなさい」
「はい。あ、イルカ先生もどうぞ?」
 腰かけるのにちょうどいいサイズの石に、白いズルズルした長衣のまま腰かけた現役の火影様が、当然のように膝を叩いている。
 今日の俺は疲れていて、おあつらえ向きに監視さえ巻いてきたらしい六代目のおかげか、人っ子一人通らない。
「カカシさん。今すぐ一発殴られるのと、今すぐ戻って仕事をするのと、今すぐ謝るのとどっちがいいですか?」
「今すぐイチャパラですかね?」
 今までにない真面目な顔でいうことがこれか。人をおちょくりやがって…!なんだってこんなことをするんだろう。この人は。
 そういえば昔ナルトもよく言ってたっけなぁ。カカシ先生は口がうまいからイルカ先生も気をつけろってな。
 …ごめんなぁ。ナルト。先生はもう手遅れみたいだよ。口車に乗せられてホイホイ執務室になんか行かなきゃ良かった。書類の山に埋もれて青息吐息に見えた人を放っておけないだなんて思わなければこんな目にあわなかったのに。
「っし。じゃあフルコースってことでいいですね?」
 そう告げてから拳骨を固めた俺は大層かわいかったのだと後になって火影様は語った。
 それが思いっきり脳天に気合を込めた一発をかましたからなのか、そのまま執務室まで引きずっていって、届いていた俺の報告書を改めて処理させたからなのか、それとも謝らねぇと知らねぇぞと、自分でも何を言っているのかわからないような脅し文句のせいなのかは定かじゃない。
 定かじゃないがしかし、頭のネジがさらにとっぱずれる原因になった可能性は高いのかもしれない。
 つまりは事態は悪化しつつある。
「イルカ先生。キスしてください」
「イヤです。仕事しやがれ」
「イルカ先生がちゅーしてくれたらがんばります」
「しません。仕事しないような奴にくれてやるもんはひとっつもありません」
「…後でしてくれる?絶対?」
「仕事の内容によります」
「してくれなかったら暴れるけどいーい?」
「良い訳ねぇだろうが。さっさと仕事しなさい。そうじゃないと知りませんよ…?」
「…オシゴトガンバリマース」
 この人をこうしてしまったのは過酷な任務を繰り返したせいなのか、それとも火影という重圧のせいなのか、はたまた俺の下した鉄槌のせいなのか…。
 今も頑張ると宣言した端から、無言で膝に懐いて撫でろと強請っている。無言なのは、以前撫でろとしつこく寄ってきたからうるせぇと怒鳴りつけたらこうなった。つまりは俺の言うことを聞いていることは一応聞いているということになるのか。ちなみにこのおねだりを無視して受付に書類を届けに行ったら本気で拗ねて、暗部の皆さんが土下座で俺を迎えに来るという醜態を晒したのであきらめて撫でるしかない状況だ。
 着実に追い詰めてくる辺り、流石上忍。無駄なことに労力を使うんじゃねぇと言いたいが、言ったところでやめないんだろうな。この人は。なにせ里を統べる存在なんだからな。こんなんでも。
「カカシ様」
「んー?なぁに?」
「仕事しろ」
「はーい。しょうがないなぁ。イルカ先生のおねだりならがんばりますかね」
 火影がこれでいいんだろうかというセリフを吐き捨てはしたが、この人は執務室の机に収まるとそれなりに仕事をこなす。いや、歴代一真面目かもしれない。三代目も飽きると受付を冷かしたりしてたし、五代目に至っては隙を見せると賭場に逃走するからな…。そもそも聡明な人だ。記憶力だって良い。それがどうしてこうなっちまったんだろうな…。
「こちらとこちらの山が今日中で、こちらは目を通してください。こちらは明日までですが、今後の見込みからするとできれば今日片づけた方が良いと思います」
「ん。ありがと」
 視線も上げずに書類に向かう姿をみていると、尊敬に限りなく近い何かが戻ってくるのを感じ取ることができるのに。
「…残念すぎる…」
「ん。なぁに?ご褒美の時間?」
「まだです。ええ。全然まだです。仕事してください」
「はいはい」
「はいは一回です」
「はあい」
 いつ戻れるんだろうなぁ。アカデミーに。奇行の原因も暗部の皆さんに探ってもらわないと。
 とりあえず、目の前に堆く積まれたこの書類の分別が終わるなら、だけどな。
 溜息を淹れたての一杯のお茶で誤魔化して、右手にペンを持った。
 理不尽なこの状況から、いつか抜け出せると信じて。

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イルカ先生の受難。

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