白雪(適当)


 白く積もった雪で覆い隠されて、何もかもが目を射るような白さで塗りつぶされている。
 そこにあったものが何なのかなんて、きっと誰も気づかない。
「久しぶり」
 こんもりとした雪の塊を中に眠っているものを傷つけないように慎重にどけると、苔と氷に覆われた石が顔をのぞかせた。
 こうしてみると思っていたよりずっと小さい。あの頃は重くて重くて、乗せるのをためらうくらいだったのに。墓碑銘は子供の手で刻んだだけだし、そうしょっちゅう手入れに来られるような状況じゃなかった。風雨にさらされて、もうずいぶんと擦り切れて文字すらも読み取れなくなっている。
 忍術ってのはこういう時便利だ。火も水も印を結べば用意できる。子供だった俺がこっそりここを訪れて、亡骸を葬る穴を作り、そこにこうやって墓もどきを作った時も、今みたいに湯を作り、汚れを落としても、大した大荷物は必要ないから、誰にも気づかれたことはない。
 …たった一人を除いては。
「ね、まだ?」
「まだもなにも、今来たばかりですよ。だから家にいなさいって言ったでしょうが」
 寒さに弱い…ようにみえるだけなのは知っていても、この人はどうも見かけが生っちろくて、こんな雪の日に外に出しておきたくない。白い肌は雪景色に溶けてしまいそうで、その癖白い世界の中でも浮き上がって見えるほどの器量よしだ。
 できることなら家に閉じ込めておきたいくらいなんだが、そんなことを言うと嬉々として俺ごと閉じこもる気満々のこの人にはそれを伝えたことはない。本気を出せば俺一人、里から隠してしまうことくらい赤子の手をひねるよりも簡単に、それもためらうことなく実行しかねない。
 昔はもちろんだが、今となっては前里長だ。ご意見番もどきならいいよとうそぶいて、ちゃっかりかつての教え子を陰で支えてくれつつ、それなりに自由にふるまっていることも知っている。
 隠居自体はいつかはできたらいいだろうなと思っていたが、一種夢物語というか、きな臭い情勢が続いていたこともあって、まるで現実感がなかったというのに、ひっそりと手をまわした男のおかげで、随分と早い引退を迎えることになってしまった。
 周りに人がいないときはこうしてそばから離れないこのイキモノは、俺が望んでいようがいまいがかまわないと、緩やかに少しずつ、だが確実に俺をこの里から切り取ってしまった。
 やっとあいつから取り戻せたと閨で囁かれたときに、その執念深さに呆れたのは最近のことだ。教え子にまで嫉妬することはないだろうに。手ずから育てた子を慈しみ、何かと今でも手を貸してやっていると言うのに、これだけは別、なんだそうだ。
 嫉妬深くて他のことには自分の命ですら執着が薄いのに、なぜか俺に対してだけは異常なほど執念深い。  一人でここにこられなくなってしまったことを、今はもう受け入れている。でも、あの子はどう思うだろう。この冷たい石の下に亡骸だけを残していってしまったあの子は。
「これ、誰なの?」
「ないしょです」
 誰にもいうつもりはない。
 ここに眠っているものが誰なのかなんて、俺以外の誰も、知らなくてもいいことだ。
「ふぅん?」
 不満なのかそれとも飽きたのか、気のない返事を裏切るように、腕を引く手は緩まない。
 忍でもない俺たちが経を読むでもないから、少しだけ目を閉じて手を合わせた。ついでに、あの頃から俺に目をつけていたらしい男は、相変わらず傍らから離れようとしないことを苦笑交じりに報告しておく。
 答えはない。…もうとっくに目でみることのできないところにいってしまっただろう魂は、今もそこに存在しているだろうか。
 例えば、この人の失った親友たちのように。
「…いこ?」
「ええ」
 宵闇に紛れて抜け出してきたのに、この男は相変わらず目端が利く。冷え込みと空気の流れからして、もうすぐ雪がまた降り始めるだろう。
「…逃がさないよ?」
「そうですね」
 今はもう、逃げようとは思ってもみないんだが、この男にそれを告げるのはずっと先でいいだろう。
「おやすみ。またな」
「早く」
 冷たい指先に触れる男の手が暖かい。どこまでも見た目の印象を裏切る男だ。
 心配しなくても、あんな風に死んだりはしない。この年まで生き延びたから、多分天寿ってやつを全うできるだろう。
「浮気は許さないよ」
「あんたその言葉好きですよね。まあなんでもいいんですが、寒いんで、おでんかなんか買って帰りましょう?」
「…ま、いーけどね」
 ちっとも良くはなさそうに不満げにつぶやいて、男は握る力を強くした。こんな嫉妬深いのに捕まったら、雪の下に眠る人の名前を呼ぶ日は、俺の命が終わるときまでこないだろうか。
 白い白い亡骸を埋めたあの日のように、今度は俺の亡骸を埋めてもらえるだろうか。それとも先に死んだら食ってやるなんて物騒な文句のとおりにされるか。
 まあ、それも悪くない。そう思えるくらいには肌にも心にもこの存在が馴染んでしまった。
「さて、おでん、おでん」
「食い意地張ってるんだから。食べ過ぎたら運動増やすよ?」
 こんな爺になってまで、色事の誘いを断るのに苦労するとは思っても見なかったし、ここまで生き延びることも考えたこともなかった。なにより、このイキモノと番になる予定もなかったもんなぁ。
「あんた、変わりませんね」
「そ?ま、どうでもいいよ。早く」
 どうあってもあの子のそばから引き剥がしたいらしい。
 常にない必死さに絆されて、足を速めた。
 雪が降り始めている。またあの子の住処を白く白く染め上げてくれるだろう。
 まあ、死んじまったら後は生きてる奴らが納得できるようにしてくれればいい。
 空の器がそこに眠れなくても、きっと魂とやらがあるなら。
 …ああでも、それすらもこの男に食われてしまうかもしれないが。
 震えているのは、寒さのせいだけだろうか。
 いつか訪れるだろうこの生の終わりをこんなにも楽しみにできるのなら、多分俺の人生はそう悪いものじゃなかっただろう。きっと。
 二人分の足跡さえ消してしまう白い欠片たちに吐息すらも飲み込まれていく。握り締めた手のぬくもりに、いつの間にか溶けて混じってしまったのかもしれない。この強さも弱さも存在全てで俺を乞うイキモノに。そうでもなきゃおかしいもんな。こんなことを考えちまうのは。
 身を切るほどの寒さがどこか心地よくて、まるでこの男のようだと思った。

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適当。
イルカ先生の秘密シリーズ的ななにか。げんこうまにあうといいな!

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