怒りも嘆きも悲しみも。(適当)



「ねぇ。全部ちょうだい」
雨の中走ってきたのか。
わずかに息を乱しながら、びしょ濡れの男が懇願する。
「金なら腐るほどって程じゃないけどあるし、幸せにってのは無理だろうけど、気持ちイイとか、そういうのならいくらだって上げられる」
渡したいと、差し出されたものを手に取る気にはなれなかった。
そんなもの、いらない。
「だからさ、ちょうだい?あなたの怒りも嘆きも悲しみも、全部」
そんな風に言うのに、この人は俺のことを何一つ分かっちゃいない。
「体だけでも欲しいから、今日は逃がすつもりないよ」
不穏な気配。
立ち上るわずかな殺気染みたものと、興奮に光る瞳をもうみなかったふりはできない。
「恐くないの?」
ああ、恐いとも。
アンタに全部を明け渡して、そうして空っぽの自分だけ残されるのが。
欲しいと思うことすら罪だと知っていて、決して悟られまいと決めてからは、ずっと平凡でただひたすらに尊敬の念だけを抱く中忍を演じ続けてきた。
「抵抗、しないの?」
黙っているだけで、禁忌を犯しても欲しかったモノが手に入るなら。
「イルカ」
一粒だけ零した涙を唇で掬い取り、男が笑った。
ゆっくりと視界が傾いていく。
それから、与えられる全てを拒まなかった。
*****
「う…」
体中がきしむ。目覚めたのもそのせいか。
傍らにあるぬくもりが酷く恐ろしい。
やってしまった。もう戻れない。
一度でも手に入れてしまったら、二度と忘れることは出来ないと知っていて、全てを受け入れたというのに。
歓喜と痛みがないまぜになって、眩暈がした。
「おきたの?」
散々縋った。手加減などする余裕もなくて、爪を立てた腕にも、噛み付いた肩にもくっきりと痕が残っている。
嵐のような行為に溺れて、ケモノのような声を上げるばかりで碌な言葉も紡げずに、ただひたすらに喘いだ。
この人は、満足しただろうか。
望めばどんな女も手に入る。
同性で、階級も立場も違う。…こんな厄介ごとの塊のようなこの身を、少しは楽しんでくれただろうか。
「なんでもいいや。ねぇ。もう俺のモノでしょう?」
微笑みの中に不安が見え隠れしている。
はっきりと言葉にするのが恐くて、そのくせ手に入るかもしれないと思ったら、その欲望に逆らおうともしなかった。
俺の、罪だ。
「すきです」
決して告げてはいけないはずの言葉。
唇から溢れてしまった思いは、きっといつかこの人を苦しめる。
それが分かっているのに。
「やっといってくれた」
この世の幸福の全てを手に入れたような顔で笑うから。だから。
なにがあってももうこの人を手放せないのだと知った。

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適当。
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