おいてけ(適当)


「おいてけ」
 背後からその声が聞こえたとき、そういえばそんな妖怪がいると三代目からきいたことがあったなと思い出して、ヒヤリとした。
 まさか、な。
 聞き違いか、空耳だと思い込もうとして、だがどっと背を伝う汗に、己の動揺を悟って顔がゆがむのが分かった。
 とはいえ今は任務中だ。正確に言うなら依頼品はもう届けてきた後で、後は帰還するだけだが。
 おいていくべきものなんてなにもない。
 あの話ではたしか、釣ってはいけない堀で魚を釣って、持ち帰ろうとしたのがいけなかったんじゃなかったか。
 確かにすぐ側に淀んだ淵はある。だが釣りなんてしていない。里にできるだけ早く帰るために急ぎはしたが。足元が悪いせいで普段通らない道を、こちらの方が距離が短いからたまたま使っただけだ。
 足を速めてもさっきから少しも前に進んだ感じがしないのは気のせいだろうか。
 めっとりと湿気が肌にまとわり張り付く。そういえばどうしてここはこんなにも空気が重いんだろう。
 ここは、どこだった?
「おいてけ」
 遠かったはずの声が耳元で聞こえる。
 とっさに辺りを見回しても姿はなく、気配すら感じられない。
 驚いたのはそれだけじゃなかった。…それが聞き覚えのある声だったからだ。
「かかしさん?」
 かすれて、細くなった声に、我ながら違和感を覚えた。
 俺は、こんな声だったか?
「おいてけ。そんなもの、重いだけだろう?」
 応えてはいけない。そんなもの?今もっているのは腰に下げたポーチくらいのもので、中身だって携帯食と丸薬、それから巻物なんかの、忍が持ち歩くにはあまりにも当たり前すぎるものばかりだ。
 重いものなんてなにもないはずなのに、足が動かないことに気づいてしまった。
「おいてけ」
「いやだ」
 なにをおいていけと言われているのかも分からないのに、思わずそう答えてしまっていた。
「おいてけ、おいて、け」
 塞いでも耳の中から響くようなその声。
 ぐらりと世界が回る。
 幸いにして任務は完了している。ここで、俺が倒れても。
「駄目」
 声が、聞こえた。耳に響くのと同じだったはずのそれは、ずっと甘く響く。
「カカシさん」
「お前なんかに上げないよ」
 なによりも確かな体温に、誰かに、いや、早く帰りたかった理由に抱きしめられていることを知った。
「え?」
「帰ろう?」
 片目を赤く光らせた男が背後をにらみながら笑う。それだけでなにもかもが大丈夫だと信じられてしまうから不思議だ。
 そうだ。帰らなきゃ。
「やくそく」
「うん。守ろうとしてくれたんでしょ?」
 折角飯を食おうと言ってくれた人に、急な任務とはいえ待ちぼうけを食らわせたくなくて急いでいた。任務中の人にわざわざ気を遣わせる連絡をするのも気が引けて、だからここを。
 そうだ。急げば間に合うはずだったんだ。いつも通りの道でも。どうしてここを通ったんだろう。通らなければと思ったんだろう。
「あなたは本当に色んなものに好かれますねぇ」
 やれやれといった風に、男が笑う。
 それにつられて笑うと、背後の淀んだ何かが揺らいだ気がした。
「寝てていいよ」
 だからかもしれない。その言葉に安堵するとともに、意識を手放してしまったのは。
 もう一度だけ聞こえた、そんなもの、おいていけば楽になれるのにという言葉は、何かを惜しむように穏やかに響いた。


 結局、約束を守ることはできなかった。病院に担ぎ込まれてチャクラが殆ど残っていないことと、厄介な、だが正体がはっきりしないものに狙われていたらしいことの説明を受けた。
 …病院の無機質なベッドの横に、飯を一緒に食うはずだった人を貼り付けながら。
「すみません。助けていただいてありがとうございました」
「いーえ。あの道、普段使わないのに使ったんじゃないかって、思ったんですよね」
「ええと?」
「俺みたいなのは狙わないけど、何度か先生が、俺のだから四代目ですが、声をかけられてたのを知ってたんです。ま、あの人も食えない人だから近づけなかったみたいだけど」
「そ、そうですか…」
 化け物がいるなんて知らなかった。そういえば普段は急いでいてももっと道のいいところを選ぶのに、あえてあの道を選んだのはもしかして呼ばれたのかもしれない。
 もっとしっかりしねぇとなぁ。
「もうね。あんなのに取られてたまるかってんですよ」
「へ?」
 急に手を握られて、驚きすぎてとっさに間抜けな声を出していた。
「ん?ああ、だから。あなたはもう俺のモノなので。っていうか、そうするので」
 だからもっと自覚を持ってくださいね?
 口付けと共に告げられた言葉に、あの時と違う眩暈が襲ってきた。
 なんだそれ。見透かされてたのか、もしかして。
「退院したら色々しちゃうから覚悟しててね?」
 おいていけといっていた声と、同じはずなのにまるでちがう。
 そうか。コレを知っていれば、確かにアレには引っかからないかもしれない。
 おいてけといっていたのは、胸を満たすこの感情か。
「あの、俺、は」
「うん。真っ赤でかわいいけど、病人に無理させたくないから、しっかり休んでから教えてね?」
 のどの奥に詰まって出てこなかった言葉を、おいてこなくて良かった。
 ずっと言えなくて、重くて、だが捨てられなかったこれはきっと、どんな目に合おうが消えてくれないから。…それを受け止めてくれる人ができてしまったから。
「おやすみ」
 穏やかな眠りに引き込まれていく。
 あの声の主はこうなることを知っていたんだろうか。それとも俺がもてあましていたから引き取ってくれようとしたんだろうか。
 淀んだ淵に漂うモノに、おいてこなかったものに引き取り手が見つかったといつか伝えられたらいいと、そう思った。


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適当。
ようかいはかせだいすきでした。

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