きっかけはパンツ(適当)


「どうしても、駄目?」
 潤んだ瞳から今にも零れ落ちそうな涙をその長いまつげに乗せて、縋るように袖口をつかんでいる男は、これでも上忍だ。それも飛びっきり上等な。
 ただし、腕だけならの話だが。
「駄目です」
 鉄壁の笑顔を保っているのは、この人が俺の笑顔を見るだけで上機嫌になるからってだけじゃなくて、そうでもなければ鬼のような形相で怒鳴りつけてしまいかねないからだ。
「…絶対、だめ?」
 ちょっと舌っ足らずにしゃべるのがずるいよなぁ。薄い色彩と着やせする体格のせいで、いっそ可憐にさえみえてくるから不思議だ。実際はしっかり鍛え上げられた体も磨き上げた忍術と体術、それから左目には借り物らしいが恐ろしく剣呑な瞳を具えている。図体も悔しいことにわずかながら向こうの方がデカイ。猫背であることを差し引いてもわかる程度には差がある。そんな男がどう考えたって弱いわけなんかないんだよな。
 ここで譲歩するわけにはいかない。上忍の多くがそうであるように、今息を詰めて苦しげな表情をしているこのイキモノも、目的のためなら手段を選ばず、身につけたすべての技術でもってことにあたるのが常だ。
たとえば今すぐにでも慰めたくなるような弱弱しいこの姿も、おそらくはすべて計算と考えるべきだろう。
「…なんでそんなものに固執してるんだか知りませんが、返してください」
 うっかり。そううっかりとはいえ、外から聞こえた子どもの悲鳴に気づいてあわてて飛び出したときにそれを忘れたのは確かに俺が悪かったと思う。言い訳を許してもらえるなら、受付所の夜勤用のシャワーに他の誰かが入ってくるなんて想像できるわけないだろ。泥をかぶった…というか、術の暴発で泥水をしたたかに浴びたのと、汗みずくなのを理由にシャワー室を借りただけだ。誓って言うが、他に気配を感じたら、あんな真似はしなかった。まあ同僚相手ならわからないが、彼は上忍だ。
 だが戻ってきたときにそれを握り締めたまま座り込んでいる上忍を見たときの俺の頭は疑問符と恐怖とでいっぱいになった。制裁というなら、それだけで十分おつりがくると思うんだ。
「だって、イルカ先生の一番身近にあったものですよね」
「…下着に対してそういう表現をする人を初めて見ました」
 そう。どんなに恋する乙女のように振舞われても、握り締めたものをいとおしげに撫でられても、そのシロモノが俺のパンツ(しかも使用済み)である時点ですべてが茶番に変わる。
「え?違うんですか?パンツの下に他のも着てるの?」
 くりんと首をかしげてみせるしぐさは小鳥のように愛らしくみえなくもない。だがその目がうっすらと血走ってみえるのは気のせいだろうか。それにちょっと鼻息も荒いし、なによりチャクラと殺気じみた気配のおかげで圧迫感がすごい。
「…パンツ以外着るもんなんかないでしょうが」
なんでだろうなぁ。こんなにもこの人が残念なのは。
やっぱり天はこの人に二物も三物も…まあとにかく忍としての才をたっぷりと与えた代わりに、でっかいマイナスも引っ付けてきたんだろうか。
「そ?よかった!」
 素直に喜ぶところじゃないはずなのに、嬉しそうに俺のパンツを握り締めている美丈夫。…なかなかメンタルにくる光景だ。
「パンツ、新品のがありますから、それを差し上げます」
 他人に下着を借りるってのは忍ならままあることではある。なにせ血や毒に汚染された服でうろつきまわるわけにもいかないし、時には丈夫な忍服すらもずたぼろにされるような任務だってあるしな。
 ご多聞にもれず、俺自身もそれを恐れてロッカーに常に新品が突っ込んである。ほとんどがお漏らし児童や水練の授業やなんかでびしょぬれになった同僚によって消費されてはいるが、それはそれだ。
 パンツをやるのはかまわない。新品なら。
「ありがとー」
 喜んだってことはパンツが欲しいのは現実的な面からの希望かと思いきや、さりげなくパンツを腰のポーチしまいこんで逃げようとしやがった。
「そうじゃねぇ。そっちのは返してください」
「えー?だって拾ったの俺ですし」
「いや、だって俺の名前書いてあるでしょう?」
「あ。ホントですね!」
 だからなんでそこで喜ぶんだ。もう付き合いきれん。むしろ付き合いたくない。記名するのはプール授業で取り違えが頻発した結果だ。安月給同士、同僚たちと買い込む品物が似通っちまうのはしょうがないことでもある。
「…もう、いいです。それは差し上げます。でも次からは着替えがなくなっちまうんでやめてください」
「はーい」
 餌を与えちゃ駄目だったんだ。獣は気まぐれでも何でも餌もらえるとなったらどんなに長い間でも待つし、ダイナミックなおねだりだってしてくるってことを、俺は理解しきれていなかった。


「イルカ先生」
「カカシさん。おうちに帰りなさい」
「えー?でもこのベッド名前書いてませんし?」
いやいやそういう問題じゃねぇだろ。と、一応は言ってみたこともあるんだ。ここは俺の家で俺のテリトリーで憩いの場所であるはずなのに、上忍はしれっとした顔で、そう?とか言いやがった挙句疲れてるんで寝かせてね?とかいってそのまま寝ちまいやがった。
Aランク任務帰りだと知っていたおかげでつい、そう、ついうっかりしょうがねぇなとそれを許した結果がこれだ。屁理屈ばかりやたらうまい上忍は、ここを己の巣にすると決め込んだらしかった。
「…風呂入って寝るか…」
「あ、お湯張ってありますよ。今日は火の国桜谷の湯です」
「え!」
 勝手なことすんなというべきか、超限定品の温泉の素をどこから調達してきたか聞くべきかで迷っている間に着替えを手渡されて風呂場に誘導されている。
 風呂に入りたいのは山々だが、こんなの続けてていいわけがない。とっとと追い出さないと。
そう心に決めて振り返ってみれば上忍がご機嫌で俺に張り付いてきた。おお?今までなかったパターンだな?
「イルカ先生にも名前書いてないよね」
 意味は理解できないまでも不穏さだけは感じ取って身構えたが後の祭りで。
 …風呂場ってのは声が非常に響く場所なんだということをひどい理由で思い知ることになった。


「…なんでこうなった…?」
 尻が痛い。痛いのに奇妙にざわついて、入り込んだ異物に確かな快感を感じた。中も外もぐずぐずのどろどろで、身動きするのもつらい。どうなってんだこれは。
「これでイルカ先生の全部が俺のモノですね。長かったなぁ」
「は?え?」
 長かったとか、俺のモノとか色々と聞きたいことだらけだ。だが満腹ですって顔でつやつやした獣上忍は、そのまま眠りに落ちようとしている。人に言えない部分をつなげたままで。
「や、ぬけ…!」
「俺の形になるまで駄目―俺のってちゃんと刷り込まないと!」
 俄然鼻息を荒くした男の頭の中身は豆腐かなんかなんじゃないだろうか。なに言ってやがんだこいつ。
「うるせぇ!格下で遊ぶのもいい加減にしやがれ!」
「遊びじゃないですよ?何言ってんの?他のやつにこんなことさせたら殺すよ?」
「は?こんなことって…こんなことしでかすやつがアンタ以外にいてたまるか!」
「そ?イルカせんせは隙だらけだから油断できないんだもん」
「…あんたしょうきですか…?」
 ぷりぷり怒った上忍により、何回戦目になるかわからない情事が再び開始され、当然のことながらずたぼろになった俺は、散々男をなじった。まあ温泉の素どころか温泉に直行されてまた同じような行動に終始されて死ぬ目をみたんだがな…。
 曰く、誰かにとられる前に俺のモノにしちゃわないと。らしい。
 そうやって人の生活に無理やり割り込んできた上忍は、今日の俺の家で大あくびをしながらベッドに転がっている。時々は上忍の家にお邪魔することもあるが、こんなに他人の家でのびのびくつろいでるってどうなんだ。ちなみにパンツも返却されていない。
「…くっそう…!せめてパンツくらい返せ…!」
 そう主張してみたところ、斜め上から随分とでかい態度の返事が返ってきた。
「えー?ま、イルカせんせが全部俺のモノだから考えなくもないけど、任務中に口寄せしてもいいならいいですよ?」
 それで諾とする中忍がいるわけないだろうが。
 不穏な上忍は今日も幸せそうに俺のつくった飯を食い、俺に風呂をいれ、食器を洗い、俺もついでに洗った挙句にむさぼっていく。
 どうしてこうなったんだろう…。
「はやく対外的にも俺のにしちゃわなきゃねぇ?」
 さんざっぱら突っ込まれてどろどろにされたあと、そうつぶやく男の声を聞いても震え上がることしかできない。何する気だおい。
「…なんでこんなことするんですか…?」
 泣き言交じりの台詞は我ながら非常に弱弱しく、男もまたそれを一蹴するかと思われたんだが。
「え?好きなんだもん。当然でしょ?」
 なんだそれ。初耳だ。当然じゃねぇだろ。色々と。
 でも、なんだこれ。嬉しい、のか。俺は。
 呆然と固まった俺を抱きこんで男がささやく。
「もうどこにも逃がさない」
 そうして憩いの我が家に上忍が住みついた挙句に、どうやら俺まで丸ごと手に入れるまであと少し。
 嘆きよりも己の感情の不可解さにほんの少しだけ涙を流しておいた。
 それすらもなめとった男に勝てるはずもないことを思い知りながら。

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適当。
HK2がおもしろかったので。あとあついので。

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