空っぽの部屋はある意味壮観だ。大げさじゃなく文字通り壁紙も床さえもはがしてコンクリート製の基礎だけになっているこの部屋は、生家を出てからずっとここは自分の住まう場所であり続けたから、随分と長いこと世話になったものだ。 機密の問題があるとかで、家の隅から隅まですっかり調べ上げるという話は聞いていたが、ここまでするものだとは思ってもみなかった。 壁紙にいつぞや忍犬たちの誰かがつけた傷跡も、痺れる手で装備を外そうとして取り損ねたクナイを落として穴をあけたフローリングも、その痕跡さえ残さずきれいさっぱり消えてしまった。 あの人の匂いも。 もっとも、元々薄すぎたそれは、自分の錯覚かもしれなかったけれど。 「寂しい。なんてね」 感傷に浸る時間をもつことは許されていない。確認のために見たいと望んだことすら難色を示されたほどだ。護衛とも監視ともつかぬ状態でつけられた後輩たちが、この我が家だったところに入り込んでこないのは、遠慮をしているのかそれともしつこくここを見たいと粘った俺に対する警戒か。おそらくはすぐにしびれを切らすだろうことを思うと、あと少しで文字通り追い立てられるようにして部屋を後にせざるを得ないだろう。 しょうがない。今までだってそうやって何度も殺してきた感情だ。心を軋ませるを寂寥感は、慣れ切ってしまった物理的な痛みよりよほど堪える。 「先輩。そろそろ時間です」 「お急ぎください」 「…ん。わかった。ありがとね」 ここへ向かうことを望んだ俺の後押しをしてくれたのはこいつらだ。そうでもなきゃ、あの海千山千の狸たちが、そうやすやすとこの身を開放しはしない。 それが本気になった先輩は厄介ですよなんてセリフだったとしても、最後まで見届けられたことを思えば些末なことだ。 気が向いたら酒でも差し入れてやろう。それができれば、の話だけど。 「手を」 「こちらへ」 どうやって調達したのか、転移の術陣まで用意してあった。これを制御できるのは上忍か特別上忍クラスだろうから、この高等忍術を制御するために誰かが泣きを見たんだろう。現役暗部の、それも隊長クラスのを振り切ってここから逃げるのは確かに多少骨が折れる。どうやら一瞬の隙も与えたくないらしい。 「今更逃げたりしないから安心しなさいよ」 軽口は本心からのものだったというのに、面の奥から鼻で笑う音がやけに大きく響いた。 「先輩。それに関してだけは安心できません」 「戦場以外の先輩は何をするかわかりませんからね」 言いたい放題だね。まったく。かわいい後輩たちのためにこれからまた一つ諦めなきゃいけないものが増えそうなんだけど。 ま、今更か。全部。 「そういう口利いちゃっていいのかなー?もうすぐホカゲサマになる相手なのに?」 「「…申し訳ありません」」 素直でよろしいと笑ってやるつもりだったのに、本気で肩を落とされたらこっちが戸惑う。 流石に暗部の査定に私情なんか挟まないよ。五代目じゃあるまいし。第一いきなりお前も賭けろなんて言って強引に馬券なんか買わせたくせに、当たったら八つ当たりで高ランク任務押し付けるなんて鬼だよね。流石の俺もあの時のテンゾウには同情したっけ。ついでにもうちょっと先を読む目を養えとも思ったけど。 言い過ぎたかと反省しようとした耳に、唸るように低く掠れた声が飛び込んできた。 「本当に、申し訳ありません。我々の力が及ばず」 「先輩が里を率いてくださることは確かに喜ばしいですが。…あなたに背負わせるものが大きすぎることもよくわかっています」 なるほどね。それでか。…なんだかんだで愛されてるんじゃないの?俺。 この信頼を捨てることはできない。里を支える礎になることを喜べはしないけど、この身にできることならば、なんだってしよう。 例えば、大切な人への思い一つ殺すことくらい、今更なんてことない。 「ありがと。…これからも頼むよ」 「はい」 「もちろんです」 うん。がんばろう。あの人もきっと幸せになるだろう。そのための平和を作るためのこの立場なら、悪くない。 「じゃ、行こうか」 「…はい」 闇が深い。妙に胸元が寒いのは、昔は馴染んだはずのその空気のせいだろうか。 月さえもない夜の闇に紛れて、薄青く光る円陣に足を踏み入れて、目を閉じた。 一瞬だ。里長のあるべき牢獄めいた場所につくまでの、一瞬だけ。面影の中の人の笑顔だけを形見にして、誰にも知られずに死なせるはずの恋を悼んだ。 ******************************************************************************** ドナドナ上忍。多分つづくような気がします。仕事の山タイムのおかげで体力と心のエネルギーが足らないので、どなたかカカイル愛を叫んでいっていただけますと嬉しいです。 |