あやかし(適当)



「こっちだ!来い!」
知らない人だ。
声は鋭く尖っていて、半分しか見えない顔だって強張っている。
「イルカちゃん。どこ?どこに行ったの?」
後から俺を探している声は優しい。心配されているのが良く分かる。
泣きそうな声。この人の声が聞こえたから俺は…どうしたんだっけ。
ここは俺の家じゃない。
そんな事を今まで考えた事がなかった。どうして俺はここにいるんだろう。
「いいから、早く!」
「イルカちゃん…」
少しずつ後の声が近づいてきていて、そっちに行けばやわらかくて温かい腕に抱きしめてもらえる。
でも、俺は目の前で必死に手を伸ばしている人の手を取った。
だってこの人の方がずっと寂しそうだ。
握った手がびっくりするほど馴染んで、理由も分からないのにすごくホッとした。
「イルカちゃん!イルカちゃん!どこ!どこなの!どこだあぁああ!」
背後から聞こえる声から少しずつやわらかさが抜け落ちていく。
鋭く嘆きよりも怒りに染まり掠れて低くなっていく声から逃れるように、走った。
知らない人の手は俺を握り締めたまま放さないでいてくれている。
…肺が痛くなるくらい全速力で走っても、声との距離が縮まらない。
このままじゃ捕まる。
「逃げて。俺はいいから!」
「そんなことできるわけないでしょ!」
振り向かずに怒鳴る人から、キラキラしたものが零れ落ちた。
泣いてる。
なんで。
「…くそ!だってこのままじゃアンタまで!」
背後から感じるどろどろしたものが足にまで絡み付いてきそうなほど、声は近い。
俺を呼び、罵り、怒り、連れ戻そうとしている。
「それでも!アンタ一人で行かせるくらいなら叩き潰すまでだ!」
振り返った顔は涙でぐしゃぐしゃになっていて、顔の布もいつの間にか下げられていた。
とてつもなく綺麗なイキモノ。
…たしか、どこかで。
「かえせぇえぇえぇえ!」
「やだね!この人は俺のモノだ!」
つないだ手とは反対の手がぱちぱちとはぜながら凄まじい光を発している。
鳥がどこかで鳴いた。
バチンという音を最後に視界が真っ白になって、それから。
それからのことは何も覚えていない。
*****
「起きた!」
「あれ?カカシさん…?」
寝ぼけ眼でも恋人の顔を見間違えるはずもない。いつ見ても男前で眼福だ。嫉妬すら出来ないほど整った顔ってのが世の中には存在するんだと初めて知った。
なんだかすごく久しぶりな気がする。
頬に触れて頭を撫でて、それからぎゅっと抱きしめる。
なんかうん。幸せだ。
「もうなにやってんのよホントに…!」
どうやら怒らせてしまった様だ。
よくよく見ればどうやらここは病院。ってことは任務でヘマでもしたんだろうか?
「えーっとその。すみません。どうして俺はここに?」
「たちの悪いのに引っかかったんですよ。覚えてないの?」
たちの悪いの…ひっかかるたって記憶にない。
たしか女の人が泣いていて、それで…どうしたんだっけ。
「あ!そうだ!カカシさん迎えに着てくれましたよね!」
それは覚えてるぞ!たしか手を握ってくれて…それにあれは雷切だよな。
「…なんでそこだけ覚えてるのか謎ですが、そうですよ、あなたがふらふら森の物の怪なんかにひっかかるから、浚いに行くの大変だったんですよ?」
「へ?」
ぽかんとする俺に頭を抱えた後、カカシさんが説明してくれた。
どうも夏になると森に出る物の怪に、俺はかどわかされかかったらしい。
任務中に女の人を助けた記憶があると言ったら、それがその物の怪だったらしくて、放っておくと帰って来れなくなるところだったとか。
任務中に偶々通りかかった森に、そんなものが潜んでるなんて知るわけがない。事前にルートを調べた時だってそんな話は出てこなかった。
…でも、心配を掛けたのは事実だ。
「ごめんなさい」
「ま、許してあげますよ。あそこから引っ張り出せた段階で俺の勝ちは決まってたから」
大威張りで鼻を鳴らすから、少し驚いた。
子どもっぽい所があるけど、こんな風に勝ち誇ったように笑うのは初めてみた。
「へ?」
「アンタが俺を選んでくれなかったら、あそこから連れ出せなかったってことです」
「ああ、あのとき」
そうだ。不思議だと思ったんだ。壁に穴が空いてるのもおかしいし、あの時は知らない人だと思ったカカシさんが顔を覗かせたのに警戒もしなかった。
カカシさんの手を、俺は迷わずに握った。
「アンタがあんな女より俺を選んでくれたから」
あの泣きそうな顔でカカシさんが笑う。
胸が痛い。謝りたくて今度は俺がカカシさんの手をひっぱって抱きしめた。
「ごめんなさい。…それから、ありがとうございます」
このぬくもりに二度と触れられなくなる所だったと思うとぞっとする。
これはおれのものなのに。
「ん。…退院したらたっぷりアンタを抱かせてもらうから」
不穏な言葉すら心地良い。
そうだ。だって俺はずっとこの人に飢えていた。
あそこにいるときは何でこんなにすかすかするんだろうと思って、子どもみたいに知らない女に甘えて過ごしていたのに少しも満たされていなかった。
「望む所です」
目を閉じて誘うと噛み付くように唇が寄せられた。
あまりに熱心にむさぼられて、このままじゃここで持ち込まれそうだ。
そして多分俺もそれを拒めないだろう。
「はたけ上忍。うみのさんの具合はいかがですか」
ドアの向こうの声さえなければ、多分そうなっていただろう。
「…ちぇっ。時間切れ」
「ははは!…帰ったら」
「ええ。そりゃもう覚悟しといてください」
嬲られて座れて赤い唇で笑うから、それはこっちの台詞だとも言い損ねた。
…そうだな。帰ったら。
帰ったらそりゃもうすごいことをしてやろう。すぐには思いつかないけど。
あやかしなんかよりずっと魅力的で俺を捕らえ続けているこの男に。



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適当。
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