嵐の前触れ3(適当)


 結局、風呂場で自己処理も術を使うこともできなかった。
 風呂上りのご機嫌で陽気な中忍が、せっせとこっちを気にして声をかけてきたからだ。握り飯は何味がいいかだの盛り付け綺麗ですねだの、えらく楽しそうにひっきりなしに話しかけてきて、どうにかして落ち着きたくて、なんでもいいから先に食えばと言えば、から揚げ美味いですよだの、ちゃんと肩までお湯に浸かってますかとかね。もういい加減にしてほしい。風呂に入って落ち着きのなさに拍車がかかったのは確実だ。
 先に風呂に入れたのが仇になったか。…いや、多分これはもうどっちにしろ一緒だな。
 散々騒いだ挙句、やっぱり背中を流すと言い出したのにも驚いたというか、ある意味予想通り過ぎて頭を抱えたくなった。声だけで十分にその気になった己の欲望の印を見られたら、自分でもなにをしでかすかわからない。
 いいからちゃんと食べなさいといえば、素直に飯を食うのに集中してくれたみたいなのには助かったけどね。食ってる間中くっちゃべってることには変わりがなかったから、どっちにしろ逃げ道は立たれたも同然だ。こそこそこっちで何かしようものなら、確実に様子を見に来る。善意でいっぱいの瞳をして。
 この状態で萎えないって、我ながらどうなのよ。
 自問自答に応えてくれるものなどあるはずもない。いるのは切羽詰まった状況に気づかずに、楽しそうに嵐の夜を満喫している中忍だけだ。適当に体を拭いて、さっさとアンダーを身に着けた。肌を晒しているのがマズイ気がして焦った結果だが、その気になった下半身を隠すには足らない。ここでベストなんか来たら却って目立つだろう。あの人なら気にしないかもしれないけど、さっさと食卓についてしまえば少なくとも視界から外れるはずだ。収支突拍子もない行動をとるから、完全に安全とは言い難いけど。
 興奮を誤魔化すように乱暴に洗った髪から、絶え間なく雫が滴り落ちる。その冷たさが少しでも熱を冷ましてくれればなんて、望み薄なことを思いつつ、適当にタオルを肩にかけた。
「お待たせ」
 ポケットに手を突っ込むのは元々のくせで、だがそれなりに目くらましにはなるだろうと踏んでいた。
 …なんで俺の顔見て固まってるのかね。この人。
「…おお…」
「なによ?ちょっと、どうしたの?大丈夫?」
 呻くとも呟くともつかない声を出したかと思ったら、見開いた目がとっさに伸ばした手に視線を移した。
「なんか白いですよ?ちゃんと温まりましたか?酒だけじゃ駄目ですよ?飯もちゃんと食ってください!」
「えーっと。うん。ありがと」
 白いのは元々だし、子供じゃないんだから。よくわかんない人だ。促されるままに椅子に腰かけたら、当たり前みたいにして食料をこっちに並べなおし始めた。もっと強烈な欲がくすぶっているせいで、食欲なんてまるで感じない。とはいえ、餌食にするはずのイキモノの行動に毒気を抜かれて少しだけ気がまぎれた気がする。さっさと腹を満たして酒を飲ませて、それから…それから、どうしようか?
 意識が曖昧なうちに既成事実?一度で終わりになんかできるのかね。記憶操作でもしてしまえば、この素直で開けっ広げで…とても鈍い中忍は、何度だって食ってしまえそうだ。
 それの歯止めになっているのは、この薄っぺらい理性だけだ。その事実が酷く恐ろしくて、魅力的だった。
「はいどうぞ。これ昆布で、こっちが鮭です」
「ん。どーも。せんせは食べたの?」
「へへ!一個目は食っちゃいました!残りは酒飲んでからにしようかと。あ、からあげと、アジフライも。あとお浸しと、ええと」
 なるほど。締めみたいなもんだろうか。非日常を楽しんでいるようでいて、そういうところは普段と変わらない。いつもと違うのは、それが麺類じゃないってことくらいか。目の前で口に入りきらないものを頬ばっている姿なんか見せられたら困るんだけど。せっせと食料の味を報告してくれた割には、皿の上の食料はさほど減っていない。風呂場でも聞いたけど、多分どれが当たりか教えてくれているつもりなんだろう。豆だよねぇ。そういうところには気を回してくれるのに。妙に距離が近いのは、こっちを気遣って説明に夢中になっているせいなのは理解できる。だが、湯上りでうっすらと汗の匂いを漂わせた体を無防備に寄せてきて、って、まあしょうがないか。
 こっちの事情なんて知らないだろうこの人に、そんな配慮を求めること自体が間違っている。
 それなのにどうしてか、この人を責めるような気持ちが湧いて出るのは、言い訳を探しているからだろうか。
 この人を、嵐に紛れて滅茶苦茶にしてしまうための。
「ありがと。ちゃんと野菜食べなさいね?」
「ふぁい」
 少しでもそのよく動く口を噤ませたくて、冬瓜の煮物を押し込んでやった。この人おすすめのそれは確かに美味い。…モノを頬張らせるのは明らかに失敗だったけど。
 汁気の多いそれは口の橋から透明な液体を迸らせて、飲み込み切れなかったそれを慌てた舌が追いかけて上気した肌を這う。もごもごと少し苦しそうに口を動かしているのも、AVでも見せられてるみたいだった。
 情事の真っ最中のターゲットを抹殺する任務なんてしょっちゅうで、そんなもの見慣れているはずなのに、息が乱れそうになるのを食い止め切れていない。
 なにやってんだろう。俺は。
「…これ、もらうね」
「んぐ?ふぁい。ろーぞ!」
 おすすめのから揚げとやらを口に放り込み、握り飯にも乱暴にかぶりついた。とにかくこれを片づければ眠る理由ができる。
 腹が減っているから余計なことを考えるんですよと強弁するこの平和そうな中忍教師に、何度か総菜パンを食わされたことがある。受付にいけばこのイキモノがいるってことを忘れるくらい疲れはてていたときのことだ。誤魔化しきれずにあっさりつかまって、食うまで逃がしてくれないから、しょうがなく大人しく機械的に与えられた食料を放り込むしかなかった。腹が減っていたというより度重なる戦闘で理性が薄くなっていただけの身としては、食われたいのかと密かに毒づきたいくらいだったが、心配そうに食っているのをじっと観察されると無下にもできない。
 …今もやたらしっかり見られてるんだけど。なんなの。そんなに襲われたいの?
 理不尽なはずの怒りが制御できていない。今日はダメだってわかってたはずなのに、自分からこの事態を招き寄せた。後悔なんてしたくないのに、これがチャンスのように思えてきている。
 これも嵐のせいにしてしまえるだろうか。
「おいしい」
「へへ!そこのから揚げはおすすめなんです!今度また行きましょう!コロッケなんかも美味いんですよ!」
「ん。ありがと」
 なるほど。味の心配か。それとも白いだ何だと言っていたから、またそっちの方を気にしていたのか。
 何かと構ってくるのはこの人の癖みたいなものだけど、ここまで距離が近くて、挙句に逃走経路になりそうな窓さえ重い雨戸に閉ざされている。もっというなら扉を閉めた時点でそれなりの防御機構は作動済みで、それは俺の行動を妨げることはなくとも、侵入者…この人の行動ならいくらでも制御できるだろう。
 雨の音が遠い。…激しさを増しているのは風の吹き荒れ方からもわかるのに、そんなことすら気にならないくらい、目の前の獲物は酷く美味そうだった。
「酒も!ほらビール!」
「ああうん。それ飲んでいいよ。そっちの一升瓶。飲めるでしょ?」
 買い込んだビールより、明らかに飲みたそうにしていたから無意識に勧めていた。あからさまに顔を輝かせた人が、嬉しそうにコップに…それも、俺のコップの方にたっぷり注いでくれるなんて思いもせずに。
「っし!今日はとことん飲みましょう!」
「あーうん。でも俺はさっき飲んだし」
「あ、俺も飲みますよ!もちろん!」
 そういうなり、言葉通り用意しておいたコップになみなみと酒が注がれた。いや、いいんだけど。いいんだけどいいの?
 食ってくれと言わんばかりなんだけど。この人。
 コップを差し出されて思わず受け取って、それから身を乗り出したままの人も自分の分を手に取った。
「ん」
「かんぱーい!」
 宴の始まりを告げる声は喜びに満ちていて、その瞳を輝かせているのがこの嵐の夜だということが、欲にかみちぎられた理性にも言い訳を用意してくれる。
「ごめんね?」
 小声で零した謝罪は、一気に酒を飲みほしている中忍の耳には届かなかったらしかった。
 一夜の過ちで済めばいいけどねぇ?
「ふぃー…!うっめぇえ!」
 豪快に酒をあおった人は、頬を赤く染めたまま至極平和そうに笑っていた。

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適当。
嵐の前触れ。続きの続き。多分あと2回くらいになればいいな。

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