しけった空気が鬱陶しい。今日みたいな嵐の前触れの、生ぬるい風が吹き荒れてる時なんて特に。 「カカシさん!お待たせしました!」 「ん。へーき。いこ?」 無防備な笑顔でほこほこついてきちゃうこの人は、この湿度と嵐のもたらす不快感とが理性の鎖を削り続けていることを知らない。 取って食っちゃいたいくらい好きなんだけど、同じくらい触れてはいけないイキモノだとも思っている。 だって、かわいい嫁さんと丘の上の小さな家で子だくさんのシアワセな家庭ってヤツを築くのが目標っぽいじゃない? 同性の階級が上で薄暗い過去しかない胡散臭いのに食われたいなんて、夢にも思っちゃいないはずだ。 人懐っこいこの人は誘いを断らない。 それをいいことにこんな日にも声をかけたのは明らかに失敗だった。 我ながら珍しく理性が薄くなっているのを感じる。普段なら好きだなんて感情をおくびにも出さずに、生徒思いのこの人が気に入るような、初めて持った下忍を案じる上忍師を装えるんだけどね。 っていっても、これまでも何度か失敗もしてるけど。感情豊かなこの人にとって、どこか欠けた平板な心しか持たない胡散臭い顔見知りの上忍は、時折酷く気に障る言動をしているらしかった。 わからないってことを理解できただけでも収穫だ。それでも欲しいと思う感情を殺せないのは問題だ。 こんなことなら任務をもっとゆっくり片づければ良かったか。要人の首を掻ききってくるだけの簡単すぎるそれを引き受けたのは、帰還をこの人のシフトに合わせるためだった。血生臭い報告書に眉を顰めたりしないだけの冷静さを持ち、ついでに内容にしては早すぎる帰還に無理をしたのかと問うてくれる思いやり深い人だ。 駄目だよねぇ?一から十まで違うのに。どうしてこんな思いを抱いてしまったのか。自分でも理解できない。 「嵐になりそうですね」 横顔に視線を奪われる。顔の造作が美しいかと言われれば、素直に肯定しづらい。男らしくそこそこ整っているがそれだけで、女のような華奢さもない。 それでも、澄んだ瞳と穏やかな笑みを浮かべたその表情から目が離せない。 「…危ないから、やめとこうか?」 誘ったのはこっちの方で、この人が上忍の誘いを断れないんだとしたら、こうして水を向ければ逃げるだけのしたたかさはあるはずだ。どうも真っ直ぐ受け止めすぎるきらいがあるから気づかれ難いが、中忍としてこの年まで生き残ってきただけの実力がある。読み間違えたりはしないはずだ。 任務に連れて行ったらきっと面白いモノが見られるだろう。情に流されるくせに冷徹さをも持ち合わせ、その癖こうして俺なんかに笑いかけられるんだから。 向けられるそれは慈母の微笑みにも似て、何もかもを受け入れて飲み込んで、溺れさせてくれそうな引力がある。 今は、駄目だ。だってねぇ。あなたがこんなにもおいしそうだもの。 「そうですね。俺んちにしましょう」 肯定されて安堵したはずが、次の言葉で思わず息を呑んだ。とんでもないことを言い出したよ。この人は。 「いいの?」 「カカシさん何食います?俺料理あんまり得意じゃないんですけど魚好きですよね?刺身とかでいいですかね?飯なら炊いてきてあると思うんで」 食うならあなたがいい。なーんてね。言えるはずもないけど。 「ねぇ、ホントにいいの?」 含みを持たせた言葉に気づかないのか、それとも気づいた上で笑っているのか判断がつかない。 それはすり切れかけた理性のせいか、それともこのむっとするような空気のせいだろうか。 「カカシさんちでもいいですけど?酒あります?」 「あるよ。…おいで」 誘う声が自分でもぞっとするほど異質な色があったのに、ぱあっと顔を輝かせるから不思議だ。 「っし!じゃ、つまみ急いで買いに行きましょう!この天気じゃ商店街もすぐしまっちまうだろうし」 いいのかなぁ。いいわけないんだけど、鼻歌交じりに急ぎ足で手を引くこの人を、振り払えそうもない。 「俺ばっかりじゃなくてさ、何食べたいの?」 「え?ああ肉ですかね?コロッケとかもいいですよね!からあげも。あと刺身はカカシさん用で。きゅうりと味噌でもありゃ十分ですよね?あ、米がねぇか。おにぎりでも買ってきますか?」 「ご飯なら炊いたげる。刺身でもいいけど魚焼こうか?煮物とかはどう?」 「美味そうですね!どこで買います?」 「いいよ。待てるなら作るから」 そうだ。それがいい。作っている間に少しは落ち着くかもしれない。日々の糧を己の手で賄うのには慣れている。一時期気を紛らわせるのに没頭したから、いっそ趣味と言っていいほどだ。 守るべきイキモノの腹を満たすために動いていれば耐えられるだろう。そう思ったのに。 「えー?それじゃ台風っぽくないですよ?色々こう、買い集めてこそこそ食うのが楽しいんです!」 この人のことだからこっちの負担を気にしたのかと思えば、予想外のことをきっぱり言い切られて、その勢いのまま商店街を突き進んでいく。 声をかけるたびに笑顔が返され、こんな日じゃ商売にならないと口々に言う店の主たちの好意が、ビニール袋いっぱいに詰められて腕にぶら下がる。二人してがさがさと安っぽく薄いビニールの音を響かせて、急ぎ足で買いあさるのは楽しかった。 こんなに食えるのかって量を手に提げているのに、引っ張りまわされるままにつないだ手は離せないでいる。 なんだろうね。この人。ホントスゴイ。 「お?そろそろ来そうですね。はは!カカシさんの髪の毛へたってきちゃいましたね!すげぇなぁ!顔小さいですね!」 まだ酒の一滴も飲んでいないのにこのはしゃぎようは何だろう。この天候のせいか?良くも悪くも忍としての在り様に慣れ切ってしまった身では、身を隠すのにはいいが、何かとやり辛いとしか思えないのに。 遠慮会釈なく触られると、紛れたはずの熱が戻ってきて困る。 「いそご?」 「ええ!」 手なんか振りほどいて一人で走った方が早いに決まってるのに、律儀に腕を引いたまま駆け出した人に引きずられるようにして、じんわりとぬかるみ始めた地を蹴った。 嵐の前触れが生ぬるく肌を濡らしても、舞い上がった心は落ち着きそうにもなかった。 ******************************************************************************** 適当。 嵐の前触れ。続かせるか迷い中。 |