後朝(適当)


「遊ぶなら付き合うよ?」
ふらりと舞い降りた男は遊里に相応しく派手な女物の着物を羽織りっていた。
漂う香に混じるのは精の匂い。
今まで何をしていたのかあからさまに示すそれに顔をしかめた。
「いいえ。間に合ってます」
無意識に面に手をやった。
決して正体を明かしてはならない。
この部隊に入るときに契約したことを忘れてはいない。
約束は守られるものだ。破ることなどありえない。
…それがたとえ上官だったとしても、決して。
「ふぅん?堅物だねぇ。相変わらず」
くすくす笑いながら男が煙管を向けた。
娼妓が男を誘う仕草だが、この人のどこにも女らしい所など見受けられないのにも関わらず、それは酷く扇情的で。
…こうしてからかわれるのにも慣れたはずの自分の背筋を震わせるのだ。
「…隊長」
呆れたとばかりに零したため息は己の緊張を解くためでもあった。
この人の前で虚勢など通用しないが、それでも。
…それでもこんな風に弄ばれるだけでいるわけにはいかないのだ。
「はいはい。わかってるって。任務でしょ?」
「本日子の刻より開始です」
夜も始まる前から女たちに愛される男には、随分と酷な話だろう。
任務は昨日終わったばかりで、自分もそれについていた。
報告を済ませるなり次をねじ込まれるというのは、この手の任務に慣れきった身でもうんざりする。
特にこの人は、何気ないふりで無茶をするから心配だ。
…そんなことを言えば増長するから口にしたことはないのだが。
「そんな顔するなら」
「は?」
顔。顔なんて出しちゃいない。この面は長らく素顔を隠し、一目見れば覚えられてしまう特徴的な傷をもわからなくしてくれている。
普通は隠すべきそれをあっさり晒すこの人は、それだけ名も売れてしまっているからだ。
面倒なのだと聞いたこともあった。それでも一応は口布だけは外さなかったが、今は素顔を惜しげもなく曝け出している。
目の毒だ。同性の色気なんてものは、毒にしかならない。
「そんな瞳するならさぁ。見せてよ」
そっちこそそんな目で見るなといいたい。
大体この人は自分のことに無自覚すぎるんだ。
誘うようなフリでけだものの瞳をする。食ってやるからこいといわんばかりのそれに晒されて、喉笛を差し出すような真似、誰がするものか。
自分がそんなことをしていると言う自覚もないだろうに。
そんなの…ただの食われ損だ。
面白がった男の据え膳になる位なら、こっちが襲うことを選ぶだろう。
こんな剣呑な男を組み敷きたいとも思わなければ、返り討ちは確定だから、挑もうなんて無茶な真似はありえないけどな。
「できません。それが規律です」

ばっさりと切って捨てたそれがくどき文句のつもりだったと知るのは任務が終わってからのこと。
思いつめた顔で「顔隠してたらやっていいの?」なんて言い出すとは思わなかった。
挙句、俺が目隠ししてもいいだのなんだの…常軌を逸している。
「好き。もうね。自分でも執念深すぎると思うけど、頭ん中、ずーっとアンタだけなのよ」
このまんまじゃ気が狂う。
そんな泣き言をいう男に肌を許したのはきっと気まぐれだ。
それと、タイミングもよかった。
詰め込まれた任務には理由があった。それが最後の任務だったからだ。
希望していた職に就けることはありがたかったが、補充が早々ある部隊じゃない。つまりはこの所詰め込まれがちだった任務は、全て俺が抜けるせいだ。
最後の任務にこの男の呼び出しを担当したのは、責任を感じていたというのもあった。
一人で片付けてもよかったが、それでは万が一のことがあれば男に責が行く。
…止めておけばよかった。そうすれば絆されることもなかった。
「さがす、から」
腰を押し付けながら男が切なげに囁く。
慣れない行為に軋み、痛みを訴える体を切り裂きながら、誰よりも痛みに満たされた顔で男が熱を吐き出した。
何度も、何度も。
そうだ。部隊長が異動を知らないはずがない。
素顔を見たかったと苦しげに零すから、一度だけ。
情交を終えて身支度を整え、目隠しを外して男に口づけた。
「さようなら」
鋭い光は深い影を産み、夜明けを背にしてたつ顔はどうせろくに見えなかっただろう。
今日から、新しい生活が始まる。
背に縋る視線を振り切って窓から飛び出した。
闇の中でこそ輝く男には、二度と会うことはない。
それを悲しいと思っていることなど、きっとすぐに忘れる。
こんな恋に、気付いたときには終わっていたような恋など、きっとすぐに。
頬を伝うものがこぼれるに任せ、逃げるように走った。
この涙は朝日がまぶしいせいだと自分自身を騙しながら。
*****
男が酷く執念深い事を、俺は忘れていた。
家を変え、姿も変えた。
いつも下ろしていた髪をきっちりと高い位置で結わけば印象は大分変わる。
ましてや印すらもうないのだ。
日々を平凡な中忍の顔で過ごし、元々薄すぎると称された闇の匂いはもはや嗅ぎ取れるはずもない。
「ねぇ。わからないと思った?」
嬉しそうに笑う男に組み敷かれた時、俺が感じたのは多分ただ単純に驚愕だった。
男がその身に纏うのは闇色の服であるべきだ。白い装甲も鍵爪もない。そんな姿でいることに酷い違和感を覚える。
「ど、なた、ですか…!?」
おびえる中忍の顔で隙を伺った。
人違いだと突っぱねればいい。
きっとそれ以上は聞けないはずだ。
「アンタもうまんまだね!思った以上。分からないと思ったの?」
ウソが下手なとこまで変わってない。
服越しに伝わる体温に、ジワリと肩口に滲む水気。
泣いているのか。…ならば慰めなければ。
「泣かないで、下さい」
「ん」
撫で心地は相変わらず柔らかい。ふわふわしたびろうどのような毛は、あの日と同じ。
「柔らかいですね」
間抜けな台詞はごまかしにすらなっていなかっただろう。
「言えないならそれでいい」
でも、アンタ俺のね?
しがみ付く腕の力が強くなった。
死んだはずの恋が叫ぶ。
抗うことなど無意味だとでもいうように。
ああ、こんなもの、全部忘れてしまいたかったのに。
何も言わずに背に回した腕を合図に、痛みさえ感じるほどの激しさで男が唇を奪った。


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適当。
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