「これで、おしまいにしませんか?」 今日を選んだのは最後の抵抗だったのかもしれない。 悪あがきと知りながら、どうしても言えなかったから。 「んー?そのウソは笑えないですよ?」 身にまとう白地に赤い文字が記されたその衣を纏う人は、きっと何も知らない。 最後に見る姿がこれだなんてな。笑いたいのに泣けてくる。 似合う、よなぁ。そりゃあそうだ。この人は強くて、悲しくなるくらい強くて、それにどこまでも耐える人だ。 一人になんてしたくないが、俺にはもう時間がない。 昨日最後だからと自分に許し、一人でたっぷり泣き喚いておいたから、絶対に今日は泣かないともう決めている。 こうやってその指に触れるのも最後になるんだな。 笑顔を絶やさないのはせめてもの意地だ。笑った顔が好きだと言ってくれたから、思い出なんてものにすら残れなくても、この人が最後に見る俺がみっともなくちゃしょうがないだろ? 「…ありがとう、ございました」 扉の向こうから差し込む日が眩しい。これからこの人は里人を守るために長として立つ。 …だから俺は邪魔になる。そう判断した上層部を俺は恨めない。 誰よりも何よりもそのことを気にかけてきたのは俺だからだ。 身を引けと言われて、多分ほんの少し、だが確実に安堵したのは、ずっとずっとこの罪悪感から逃れたくてたまらなかったせいだろう。 この人を、気持ちの上ではもうとっくの昔に裏切ってたってことだ。 死ねと言われれば頷くつもりでいたのに、里を抜けろと強いられるとは思わなかった。さもなくば、罪人として処刑するとも。 罪状などいくらでも作れると言った老人たちが、ご意見番や当代様の目を掠められるのは、こうして代替わりでごたごたしている今だけだからだろう。人質はいくらでもいるとみせられた写真には、俺の生徒たちが写っていた。 …追われれば逃げおおせることなど出来ないだろうことを考えれば、結果は同じかもしれないが。 里がどんなに境を失くし、和平を声高に叫んでも、裏切り者を罰することなく解放するなんてのはありえない。 別れ話をする時間なんて作らないでくれたら良かったのになぁ。差し込む逆光が強すぎて、折角の晴れ舞台なのに良く見えねぇよ。 未練たらしく追わせたりしないと、約束してくれた。記憶を奪うための手はずも整えてあると。 …なら、この人が苦しまないようにしてくれと頼む以外、俺になにができただろう。 写輪眼のないアヤツからなら簡単だってのは同意できないが、少なくとも足止めくらいにはなるだろう。 心配だった元教え子もすっかり育って、里だけじゃなく、世界を救った英雄として何不自由なく暮らしていける。 もう一人は里を飛び出して行っちまったとはいえ、サクラがいればいずれ戻ってくるだろう。 親は、泣くかもなぁ。そっちに行ったらたっぷり詫びるから、待っててくれるといいんだが。 こうしてみると身近な人たちの殆どが慰霊碑の下にいるんだな。俺も。 今まで突っぱねてきた一番の脅し文句はもう使えない。あいつは英雄になっちまったし、だから生徒を使ったんだろうが、そっちももう手を回した。 …だからこれは俺の意思だ。どんなことがあろうとこの人を好きであることは変えられないと知ってしまってから、ずっとこんな日が来ることを覚悟していた。 「しょうがない人ですねぇ?わがままなんだからもう」 抱き締められて零れそうになる涙を唇を噛んで堪えた。大事な衣装だ。汚してしまわないようにしないと。この人は案外そういうところは適当だからな。 「…わがまま、聞いてもらえませんか」 「うん」 肯定か否定か、どちらとも取れる返事と一緒に口付けが降って来る。 ああくそ。我慢できなくならないように、ずっとこの人を拒んできたのに。表向きは忙しくなるでしょうと親切ごかして、本当は俺に残ったこの人の欠片が、処分されるときに下手に利用されないように。 「ほら、もう時間ですよ。遅刻魔はもう卒業してください」 いつもの口調で追いたてたせいか、意外と素直に離れてくれた。 光の中に溶ける様に消えた背中は、湧くような歓声に迎えられた。 これを、どうしても聞きたかった。最後の口付けが震えるほど嬉しかったことも、緊張のせいか指先がほんの少し冷たかったことも、消える瞬間まで覚えていよう。 「…うみのイルカ中忍」 闇から溶け出すように獣の面が浮かび上がった。お目付け役に暗部か。どんな特権振りかざしたんだか知らないが、どこまであの連中の手が伸びてるのかを考えるとぞっとする。 「分かってるよ。あんたらがどうしたいかはどうでもいい。…子どもたちに手を出すな」 「ええ。もちろん。…その装備で行くんですか?」 何も持たないことを見咎められたらしい。命じられたのはこのままここを抜け出して、手薄な大門から里を出ることだ。それ以上のことは何も指示されていない。処分するつもりの厄介ものにはそれで十分だったと見える。 だが流石に何一つ荷を持たない俺は、滑稽に見えたんだろう。 「ちょっと花見に行くならこんなもんだろう?こっちの方が疑われない」 抜ける理由はコイツらが勝手に考えてくれる手はずだ。殆どはそのままに、だが本当に大事なものだけは何一つ残さずに整理してあるあの部屋が、もしかすると焼き尽くされてしまうのかもしれないことを、ほんの少しだけ惜しんだ。 「…なるほど、ね」 どうせ殺す気だろうに律儀なことだ。抜けるまで見守られても、かえって不審なだけだろうに。 「あの人を苦しめたら承知しない」 それだけ言い置いて扉を閉めた。歓声はいまだ止まず、式典はあの場で行われる。あの人が戻るまでには時間がかかるはずだ。それでも気ばかり焦って息が上がる。不審がられない程度に素早く移動しなきゃならないってのに、足が上手く動いてくれなかった。 いや、違う。歩いても歩いても同じ場所にいる。 罠か。どうしてわざわざこんなところで。 「…なら、どうして、先輩を置いて行くような真似をするんですか?」 「っ!」 さっきの暗部だ。なんで追ってきたんだ?先輩って…。 「アンタ、誰だ」 「僕ですか?高圧的で横暴な先輩に無茶振りされて休暇返上で働かされてる可愛そうな後輩です。よくあんなのと付き合ってられますよね。イルカ先生」 この声、さっきは分からなかったのに、今は分かる。この人は、七班の隊長でもあった…。 「ヤマトさん…?」 「あ、覚えててくれました?さっきはちょっと邪魔が入ったので誤魔化してたんです。もうゴミ掃除は終わりましたし、ここは僕の顔を立てて戻っていただけませんか?」 「え?」 「困るんですよー!先輩って我侭じゃないですか。しかも八つ当たりすごくって!あなたが身辺整理みたいなことしだしたから、捨てられるくらいなら火影やめちゃうんだからってごねるし。そりゃもう僕たち迷惑してるんです」 「あー…それはその、ご迷惑を…」 なんだそりゃ。そんな駄々こねてたのかあの人は。迷惑な。って身辺整理って程じゃない、よな?不審がられないように殆どのモノはそのままだ。あの人に関するモノだけは隠してきたけど。 最後にその上で散ろうと決めていたから。 「知ってます?あの人、アナタへのプレゼントに術仕込んでるんですよ?ありえないですよね?場所が移動したってぎゃあぎゃあ喚いて、それが里の外だっていうから探知タイプ全員駆り出されて、任務に支障も出たんです!」 「うっ!すみません!」 あの人から貰ったものだけは誰にも渡したくなくて、術で封じて地に埋めた。殺されるつもりの場所には桜が咲いていて、遠くからでも里を見渡せる。だからそこに俺の恋を、俺の全部を埋めて終わらせるつもりでいた。 …冷や汗が滝のように背を流れ落ちて行く。いつからばれてたんだ。 「拗ねて拗ねて、おまけに暴れてもう手がつけられなくてね。それでこんなことになった原因を探らせたんです。あ、僕の部下には先輩みたいに無茶はさせてませんよ?誤解されたら困るんで言って置きますけど」 部下ってことは七班じゃないよな。…この人、暗部の隊長クラスか。 凄腕の上忍を、後輩だからと顎で使うその態度は、できれば説教の一つもしてやりたいところだが…。 「それ、で。どこまでアナタは知っているんですか?」 「ほぼ全部です。僕ってほら、先輩と違って穏健派なんで、殆ど痛めつけてないですよ?きちんと恐怖による支配で…ああ、教え子を人質にしたっていうのは、ちょっと胡散臭いと思ってたんですけどね」 「な、んで」 「いやー先輩から耳にたこができるくらい聞いてるんですよ。色々。アナタならそんな卑怯な真似をされたら、絶対に素直に聞いたりしない。アレならあなたでも勝てる相手だ。正々堂々と喧嘩を売ってくるはずですよね。もし無理だと判断しても、少なくとも五代目か、側近であるシズネさんになんとしてでも助けを求めるはずだ。間違っても脅しに唯々諾々と従って、子どもを犬死させるリスクは踏まない。…だから裏に何があったのか聞きだしてからネタバラシするつもりだったんですけど」 「けど?」 「タイムオーバーです」 何かが弾けるような甲高い音と共に、動けないでいた体を拘束されていた。 「式典終わりましたよ?わがままってなぁに?イルカせんせ」 この腕を、体温を間違えようもない。この人が、俺の唯一の。 「せんぱーい。言質とって、身柄も拘束済みなんで、僕もう帰ってもいいですよね?」 「時間があったら一発やってから式典でたんですけどねー?」 「五代目様も随分とお怒りなんで、先に処分されちゃいそうでしたけど、一応止めておきました」 「最近忙しくて全然いちゃいちゃできないんだもん。今日はたっぷりしましょーね?」 「あ、うみの中忍の不審な点についてはまだ聞き取り終わってないんで、先輩ががんばってください」 「ん?テンゾウ。いたの?」 「…先輩…まあいいんですけどね。その人、脅されてただけじゃないみたいですよ?」 「ふぅん?優秀な部下を持つと幸せだねぇ?」 「お礼は形でお願いしますよ。…では、僕はこれで失礼します」 掛け合い漫才のような会話が終わると、溶ける様にその姿が見えなくなっていた。取り乱していたとはいえ、気配も感じ取れないなんて、流石暗部だ。 「あの!ありがとうございました!」 届かないと知って投げかけた礼に、背後の男が不満げな唸り声を上げた。 「アイツになにかされませんでした?ああ見えて手が早いし、根暗だし、自宅なんてジオラマ屋敷って言われてるし、手作りのミニチュア家具とか作っちゃうんですよ?そこに人形並べてにやにやしてるんです」 「すごいですね」 「それにね。酔っ払うと絡むんです。ねっとり。付き合わないほうがいいですよ?」 まくし立てるようにあの人の言を信じるなら、後輩であるはずの人を貶すのは、多分いつも通りの嫉妬だろう。二度とこんな風に聞くことはできないと思っていた。 「…お礼、しねぇと」 そうだ。これで助かった。俺を殺そうとした連中は多分あの人たちの手で処分されるだろう。子どもたちだって無事で、それからこの人はずっとこうやって側に…。 「あんなのにお礼なんていいのに。ま、したいっていうなら俺からしておくから。…ねぇ、泣かないで?」 「ああくそ!気のせいです!みんな!」 なんだ。俺の覚悟はこんなに脆かったのか。目が熱い。頬がぬれていることは分かるのに、泣いていることには言われるまで気付きもしなかった。 この腕が好きだ。声が好きだ。心配してくれる優しいところも、慰めるために必死になってくれるところも好きだ。 駄目だ。きっともう手放せない。 あんなに辛い思いをして、絶対に戻らないと覚悟を決めたはずなのに。 「…ごめん。気付けなくて。新居の家具はアレに相談して一からデザインさせちゃうし、お風呂はもちろんヒノキですよ?」 「…は?」 「相談しないで決めちゃったことが多くて…後からどうとでもできるから任せちゃっただけなんだけど、壊れてもいないのに交換すると、もったいないって気にするでしょ?」 「な、んの、話だ?いや、話ですか?」 「新居と引越しです。あ、でももう引越しはしちゃった!ほら荷物綺麗にまとめてあったから丁度いいかなーって」 「荷物なんてそんなもん」 大事なものは何も残しちゃいない。俺の部屋にそっくりそのままおいてきた。ふらりと家を出たと判断できるよう、益体もないガラクタと、それからどうせ死ぬならいらなくなる預金通帳とか、母ちゃんと父ちゃんが唯一残してくれた形見の指輪とか、そんな風にいらなくなるものばかりを置いてきた。 本当に最後まで大切にしたかったモノは、俺の死体が転がるはずだったところに一切合財埋めておいたはずなのに。 「ぜーんぶあの桜の木の下に埋めたでしょ?ま、それで何かあったのはわかったんだけど裏切り者を洗い出すのに手間取っちゃってね。…怒らないでくれます?」 「なんで、どうやって」 「そりゃ俺の恋人ですもん。狙われるのは必定ってやつでしょー?…こんなヤツとじゃイヤ?俺といるとこういう目に何度も遭うかもしれないし。ま、今更逃がしませんが」 茶化すような口調で、だが最後の一言だけは食らいつかれそうなほどの鋭さで言われた。そうだ。この人はそうやって寂しい子どものフリで俺の懐に収まって、すっかり全部を食いつくしてしまったことを、俺はいつから忘れていたんだろう。 「見張り、いつから」 「見張りって言うか、お守り代わりに色々ねー?」 取れませんよ?中に刻んだから。 耳元で囁く声の甘さにぞっとした。怒っている。何にって…多分、俺に対して、だ。 「…子どもたちは、無事ですか?」 「とーぜん。反逆者はほら、今日はお祭り騒ぎで丁度いいでしょ?里人の前で見せしめーなんて血なまぐさい真似するより、搾り取るだけ搾り取ったら処分します」 そういう性格だと俺は知っていたはずだ。慎重で、臆病だと感じるほどで、だが一度敵と認識したら容赦しない。 …一度手に入れたモノを、易々と手放したりもしない。 それが震えが繰るほど嬉しいだなんて、気付きたくなかったのに。 「なら、俺の、処分は」 「処分?ああ、今回の潜入任務の報酬として、アカデミーから俺の側近に格上げしちゃうんで。もちろんお断りはお断りです。六代目火影からの最初の命ですよー?嬉しい?」 「は?や、ちょっと待ってください!なにいってんですかアンタは!」 側近は…事務作業ができてある程度強いやつがいいから、大抵は特別上忍がなる。三代目は将棋や碁の相手ができて、甘味に詳しいからか俺を重宝してくださってたけど、なんで俺なんだ。 「あと、俺を守るためとは言え、恋人をないがしろにした罪は、今日体でたっぷり支払ってもらいますね?」 「は?うわっ!っ!なにすんだ!」 耳を舐められて齧られて、勢い良くベストのジップを下げられた。 往来というか、廊下でなんてことするんだと喚く前に、そこが最初の部屋だったことに気付いてしまった。あの面の男が現れたときから、術に嵌ってたってことか。 「一回やったら新居の風呂の使い心地を確かめてもらって、そこで一回やったら今度はベッドの寝心地は朝までしっかり確かめてね?」 そういって俺を押し倒した男は、返事を待たなかった。 その場で服も脱がずに一回どころか意識が飛ぶまで嬲られて、馬鹿でかい風呂場で目が覚めたときには湯船に浸かりながらつっこまれて、ぐったりした俺に連れ込まれた寝床で抗う余力はあるはずもなく、宣言通りたっぷりやり倒されてしまった。 もう指一本動かすのも億劫だ。 「悩んでたことが馬鹿らしくなりました…」 「イルカせんせって単純なのに悩むの好きですよね?ま、いいんだけど、もう心配させないでね?」 胸に吸い付いて痕を残しながら、男が笑う。そこら中、笑えるくらいこの男が残した痕と、それから人に言えない体液にまみれたままで、しかも腕はずっと掴まれたまま離されることはなかった。 逃がさないよと、何度もそう言ってくれた。 まだ胸は痛むけど、気が狂うほどの罪悪感は大分薄れた気がする。何をしても無駄だと体に叩き込まれてしまったから。 これからもずっと変わらないんだろう。逃げても、この人は追ってくる。 それが泣きそうなほど幸せだと、一生言うつもりはないけれど。 まあ言わなくても好き勝手するだろうしな。 「…鋭意努力いたしますよ。六代目」 「そりゃどーも。で、火影夫人でいいんですかねー?肩書き」 真面目な顔でトチ狂ったことを言い出した男には、力の入らない体で拳骨を落としておいた。 言えない言葉の代わりの口付けとセットにして。 ******************************************************************************** 適当。 しがつばかちこくぎみ。 ご意見ご感想お気軽にどうぞ。 |