私の養父。
何でも私の父親のはとこらしい。
そんな遠い遠い親戚が、私を拾ってくれた
唯一の人だった。
その人の名前を
榊太郎といった。
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3 -inizio-
ピアノの大会で優勝したことは数知れず、プロからも絶賛されるその腕前。
彼の弾くピアノはもし本当に「天使の唄」がこの世に存在するのならきっとこんな感じだろうと思わせるほど、美しくそして時に激しい。
私が彼に引き取られて間もない頃は、暗い部屋に閉じ篭りきりだった私のために彼は毎日、毎晩ずっと私のためにピアノを弾いてくれた。
口下手で感情表現の苦手な彼は、私がどうすれば心を開いてくれるのか分からなかったのかもしれない。
いや、それ以前に子どものあやし方なんてものを知らなかったからそういう手段に出たんだろう。
けど、私は結局彼に笑顔を向けることは無かった。
彼の音は美しすぎて、綺麗過ぎて
私には似合わなかった。
そんなこんなしているうちに、彼は大きな所でピアノを弾くことをやめ、今ではどこかの学校で音楽の教師をしているらしい。
金持ちの道楽とは正にこのことだと思う。
彼・・・太郎さんは私が帰ってくるたびに、私に説教する。
私が家に帰るのはランダムで、一週間帰らなければ、一ヶ月以上帰らないこともある。
けれど、必ず彼は玄関の前か、今日のように私の部屋の前に立っていて、私をこの居室に私を呼び、この今座っているソファに座らせ、コーヒーを差し出す。
もしかして、私にセンサーでもしかけているのだろうか、とあまりにも私が帰ってくるときにはきちんと待ち伏せしているため不安になったこともある。
時には、あまりに完璧過ぎる彼を見て、彼は人型ロボットなのではないかと疑ったことすらある。
そして・・・・
もう一つ。
「もしかして彼は毎日・・・・・・・」
一瞬そう思いかけたが、そんなことはあるわけが無いといつも最後まで考える前に私はその考えを打ち消していた。
他人の私のために、そんなことをするはずもない。
可愛い素直な少女だったら、それも可能性としてありえるかもしれないが、私のような生意気で言うことも全く聞かない、可愛げのかけらもない女にそこまでする馬鹿はいない。
実は私はもうその答えを分かっている。
私が帰るのは必ず体を売った後。
だから帰るのは明け方近くなのだ。
つまり、彼が朝起きる時刻と私が帰ってくる時間が重なる。
単にそれだけなのだ。
けど、私はそれを止めることはない。
一日でも惜しいから。
早くたくさんお金を集めて、この家を出て行って
一人でも暮らしていけるようになりたい。
本当に馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。
彼が私のために待っていてくれるなんてありえないことなのに、少しでもそれを期待してしまっている自分がいることが、愚かしくて情けなさ過ぎて・・・・
無条件で私を抱きしめてくれる腕なんてありはしないのに。
「、聞いているのか?」
私の思考を遮るように、太郎さんの声がいきなり耳に入る。
自分の馬鹿な想いを感付かれないように私は眠そうに欠伸をして、ぼんやりとした頭を誤魔化した。
「はいはい。聞いてますよ。もう、寝て良いですか?」
私の馬鹿にした態度に彼は全く表情を変えることなく話を続けた。
「病気でもうつされたらどうするつもりだ?」
「さぁ?病院に行けば良いんじゃない?」
「死の危険性のある病気だったらどうする?」
その言葉に私は一瞬目を見開き、そして口元を歪めた。
「死ねば良いんじゃない?」
次の瞬間、私は目の前に火花が散った気がした。
口の中に鉄の味が広がる。
頬を叩かれたと気付いたときには、もう片方の頬も叩かれていた。
今まで口でなら何度も怒られてきた。
が、殴られたのは初めてだった。
私は最初に叩かれた左の頬だけ押さえ、俯いたまま上目遣いに睨み付ける。
彼はそんな私の行為に全く眼に留めようともせず、私の頬を叩いた右手を見つめたまま
話し始める。
一瞬、彼の瞳に少し影が帯びたような気がしたのはきっと気のせいだろう。
「お前には学校に通ってもらう。」
「無駄だって分かってるでしょ。今まで何度も色んな学校に通ったけどどこも長続きしなかったじゃない。もう、無駄なことばかりさせないでくれない?」
太郎さんは自分の右手から視線を外すと、ゆっくりとソファから立ち上がった。
ソファの軋む音がやけに耳に残った。
「お前には私の勤める学校『氷帝学園』に行ってもらう。」
「だから、どの学校でも関係ないって。つまらないものはつまらない。絶対長続きしない。」
その言葉に太郎さんは口端を上げて不適に笑みを浮かべた。
ドキッ・・・
一瞬、胸が高鳴った。
カッコいい男なんて見慣れているはずだし、男に何の不自由もしてないはずなのに・・・・
不覚にも彼の顔に眼を奪われてしまった。
長年彼とは顔を合わせてきたが、彼が笑みを浮かべた姿を見たのが初めてだったからかもしれない。
氷のような男でもこんな表情をするんだ・・・。
それか、もしかしたら私の前ではそういう表情を見せないだけで普段の彼はいつも微笑んでいるのかもしれない。
そう考えると、少し胸がチクリと痛んだ、
が、私はそれに気付かないことにした。
「今回は私も色々と考えてみた。お前が学校に飽きることが無い方法をな。」
「どういうこと?」
「私とゲームをしようじゃないか。」
彼の言葉に私は眉を顰める。
「ゲーム?」
「そうゲームだ。」
「一体どんなゲーム?」
無視を決め込んでいた私だったが、予想だにしない答えに私は思わず問い返してしまう。
そして、そんな私の態度に彼は、笑みを濃くした。
「お前は、男子生徒として氷帝学園に通うんだ。」