「お前・・・・・また何か侑士を怒らせるようなことしたのかよ?」
3日。
私と忍足先輩が初めて関係を持ってから3日間。
その間の私と忍足先輩の様子を見た、向日先輩の感想が
それだった。
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36 -arcano-
「!!コレも頼むわ。」
そう言って、忍足先輩が私に向かって投げたのは大量の洗濯物。
さすがに全てをキャッチするのは不可能で。
私はその中のいくつかを頭から被ってしまう。
『プッ・・・・ダサッ・・・・』
『調子乗るからよ・・・・・』
『さすが忍足先輩・・・・』
『本当にお似合いの格好ね・・・・・・』
頭から洗濯物を退け、地面に散ばった洗濯物を掻き集めている私の耳に入ってくるのはたくさんの罵倒だった。
けど、だからどうって訳でもない。
人を馬鹿にすることでしか自分の価値を確かめられない彼女達も、何も言わずにただ見ているだけの彼らも・・・・
そして、この状況を作り出した忍足先輩にも。
別に怒りも悲しみも、何も持たなかった。
クスッ・・・
不意に聞えた、唯一無視する気になれない笑い声に私は少しだけ視線を上に向けた。
そこにいたのは、思った通り、とかいう女とアリスとかいう女。
彼女達の口が異口同音に声にはならない声を作り出す。
別に読唇術に長けている訳じゃないが、彼女達が言う言葉が何となく予想出来ていたからだろうか。
彼女が言っていることはすぐに分かった。
『ざ』 『ま』 『み』 『ろ』
彼女達は深く口を歪ませる。
相変わらずの汚い笑みに、私の方こそ思わず笑ってしまいそうになってしまった。
別に忍足先輩とセックスしたことなど私にとっては何でもないことだ。
幸福感を感じるはずも無く、ましてや誇りに思っているなど絶対にあるはずが無い。
だけど・・・・
― もし、今私の全身には忍足先輩の付けた跡がある・・・・と知ったらやアリス・・・・いや・・・・・他のマネージャー達は一体どんな顔をするのだろう・・・・・?
きっと彼女達はこれ以上ないというほど醜い顔で醜い言葉を口にしてくれるに違いない。
それも面白い趣向だと思った。
彼女達が何を考えようと、何をしようと、どうでも良いが、それでもそれなりに楽しませてくれる。
彼女達が私をどんな目で見ているのかなど、すぐ分かった。
ここまで感情が露なのも珍しいと思うくらいに。
頭の中で考えていることや、腹の中の黒さは超能力者でもない私には分からないけど、激しい感情だけは直感で感じ取れた。
彼女達・・・・・いや、この場合は「アリスと」の二人に限定した方が良いかもしれない。
とにかくこの二人から感じるのは
嫉妬
だった。
一体、彼女達が私の何処に嫉妬する必要があるのか分からない。
最初はただ、私を見下しているだけだった。
それがいつの日からか、彼女達の眼は嫉妬へと変わっていた。
それも激しいくらいの・・・・
「・・・・・ヤバッ・・・」
私は口元を押さえて俯く。
それからすぐに、洗濯物を集めるスピードを上げると、さりげなく彼女達に背を向けた。
― 思わず笑いそうになった・・・・
こんなに愉快なのは久しぶりだ。
だって、
こんな私に嫉妬してくれる人がいるだなんて思ってもみなかったから。
この学校に来るまでは絶対に無かったことだから・・・
『もし、一日誰かと入れ替わることが出来たとしたら誰と入れ替わりたいですか?』
と聞かれ、例え選択肢が『 』しか無かったとしても
『 』と答える人間などこの世に一人としているはずが無かった。
ソレは謙遜でも、自分を卑下しているのでもなく。
それが事実なのだ。
だから・・・。
とアリスが一体何を嫉妬しているのかなど知らない。
幸福の中、暖かく・・・優しく育てられた彼女達が、私のような泥まみれになりながら・・・地面に這い蹲りながら生きてきた人間に嫉妬しているという事実が可笑しくて、馬鹿馬鹿しくて・・・・・・楽しくて仕方が無い。
実は前々から思っていたことがある。
― もしかして、あの男達を私に向かわせたのはこの二人なんじゃ・・・・・・?
何か根拠があるわけではないけれど、何でか確信があった。
そう思う前までは、跡部部長だとばかり思っていたのだが。
彼女達と考える方がしっくりと来た。
もし、本当にそうだとしたら・・・・
あの悪夢のようなデキゴトも私の心を興奮させてくれる。
それ程までに私に対して突き動かす感情があるのだ。
初めは誰かに嫌われるのが恐かった。
親が私を『要らない』と言い、私は一人ぼっちになった。
誰もいない場所で、誰もいない一人の時間を何日も何日も過ごした・・・・
そして、私は気付いた。
一番恐いのは『無』だと・・・・。
いてもいなくても良い存在・・・
誰の目にも留められない、石ころのような存在。
それはある程度は楽で良いかもしれない。
けど、ある時点から本当の恐怖が訪れる。
私はこのまま誰にも気付かれないまま死ぬんじゃないかと・・・・・
自分から動かなければ、明日にはこの世の全ての人間に忘れられてしまっているのでは無いかと思った。
自分を知っている人が誰もいないという恐怖。
一人の方が楽だ。
群れるのは嫌いだ。
それは今の私を覚えてくれている人がいるから言える事。
どんなに群れるのが嫌いだとしても。
それでも誰か一人くらい私のことを覚えていて欲しかった。
そんな想いを抱いていたのは随分過去のことであまりよくは覚えていないけれど、よく考えると、援助交際を始めたきっかけはそんなところにあったんじゃないだろうか・・・・
だけど、それは時間の経過と共に薄れていき、今ではお金のためだけにしている。
でも・・・・・
時折一人になるとふと蘇る。
あの頃の恐怖が・・・・・・
そして、今も。
彼女達のせいで不意にその恐怖が蘇ってきていた。
けど、今回に限っては、過去を思い出し恐怖を感じると同時に安心もしている自分がいた。
彼女達は私がいなくならない限り、決して私を忘れることはない。
私は彼女達の中にしっかりと存在を刻んでいるのだ。
だったら・・・
私は向かってくる彼女達を喜んで受け入れよう。
卒業までのつかの間の遊戯を楽しもう。
彼女達は私に『優越感』という新しい感情を与えてくれるだろうから・・・・・
例え、一時の感情だとしても。
これ以上ココにいると、本気で笑い出してしまいそうで・・・・
俯いたまま、わずかに口元を歪ませると、私はその口元を隠すようにして掻き集めた洗濯物を抱え、半ば逃げるようにしてその場から走り出したのだった。
∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽
その日の部活終了後。
私がすでに立ち去った部室では、私のことが相変わらず話題になっていた。
「忍足先輩・・・・最近跡部部長化してますよ。」
そう鳳が言ったのがきっかけだった。
「どこがだよ?侑士は『あーん?』とか『俺様の美技に』とか言ってないぜ?」
「向日・・・・・一度死より苦しい恐怖をいうものを味わってみるか?」
無表情でそんなことを言ってのける跡部に恐怖を覚えながらも、ちょうど鳳と同じようなことを考えていた宍戸はその話に乗る。
「確かにな。最近、の苛め方が陰険過ぎだぜ?」
「あぁ・・・・そういう意味。」
宍戸の言葉に、やっと意味が分かった、というように向日はうんうん頷くと跡部から逃げるようにして着々と着替えを進めている忍足へと跳び蹴りをした。
ゴォォォォン!!
まるで漫画の中の出来事のように、向日の跳び蹴りの衝撃によって忍足の頭が見事にロッカーに直撃し、小気味良い音が響き渡る。
「わ、悪りぃ侑士!!わざとだけどわざとじゃないんだ!!」
「がっくん・・・・・・・・・・やってくれたなぁ・・・・・・・・・・・」
そう言って振り向いた彼の頭は微妙に赤くなっていた。
このままでは殺られる・・・・
笑顔で一歩一歩近付いてくる忍足からさりげなく離れながら、向日は必死で対策を練る。
「な、なぁ侑士!!今日、俺さに聞いてみたんだ!!」
ただの苦し紛れに、思い付いた今日のデキゴトを適当に上げただけだったが、効果は絶大だったようだ。
向日のその言葉に忍足は口元を僅かにゆがめ黙って続きを待っていた。
ソレより前に彼がわずかに眉をピクッと動かしたのは誰も知らない。
向日はその様子みホッとため息を漏らすと、両手を頭の後ろで組んで、意気揚々と言った。
「『お前・・・・・また何か侑士を怒らせるようなことしたのかよ?』って聞いたらさ。
アイツな・・・・『跡部部長も忍足先輩も骨の髄まで陰険ですから。』ってさ!」
その場に一瞬にして緊迫したムードが漂う。
凝りもせずそんなことを口にするにも大概呆れ果てるが、それよりもこの場でさらに空気が悪くなるような言葉を吐く向日岳人に呆れ果てた。
きっと、跡部と忍足を除くこの場の誰もが向日岳人の口を糸で縫って二度としゃべらせないようにしてやりたいと思っていることだろう。
だが。
「「クックックックックック・・・・・・・」」
笑っていた。
笑っていたのだ。
声をそろえて。
忍足と跡部がそろって肩を震わせて笑っていた。
「ホンマ、言ってくれるなぁ・・・・」
何故か、上機嫌で笑いながらそう言った忍足に、跡部も笑いながら問いかける。
「で、お前は何を考えてやがる?」
「何も?ただ、跡部が前言うてたやろ?を見とると嗜虐心か何かをソソルって。」
「あぁ。言ったな。」
「アイツがムカつき過ぎてよう見えとらんで、意味が分からんかったんやけど・・・・
最近、試しに苛めてみてようやく意味が分かったわ!
・・・・・・・・・アイツ確かにめっちゃ嗜虐心ソソルなぁ・・・・・?」
その言葉に跡部は満足そうに『フンッ』と鼻で笑う。
「だから言っただろうが『あまり苛め過ぎるなよ。』ってな。」
「はいはい。跡部様の余興を壊すことが無いようほどほどにやらせて頂きマス。」
それは物凄く異様な光景だった。
・・・それなりに普通の感覚しか持ち合わせていない彼らにとっては、忍足や跡部が今、感じているコトなど到底理解出来る筈もないからだ。
彼らに理解できたことと言えば一つくらいだ。
『こいつら・・・・・・きっと腹黒さが似てるんだ・・・・・・・・。』
微妙な雰囲気に包まれた部室だったが。
それを一変させたのは・・・
「じゃあ、俺は先に帰らせてもらうわ!」
微妙な空気にした張本人の忍足侑士のその言葉だった。
驚いたのは全員だったが、口に出して反応したのは向日だけだった。
「今日も帰るのかよ!!今日で3日目だぜ?精力有り余ってるような侑士がどうしちゃったんだよ!!?」
「岳人は相変わらず失礼な男の子やなぁ・・・・まぁ・・・ええけど。」
ため息混じりにそう言った忍足は跡部の方にもう一度視線を向けた。
「俺、しばらくマネを呼ぶの止めるわ。どっちにしろ飽き飽きしとったんやし。」
その言葉に一番に反応したのもやはり向日で。
「嘘だろ!!?何考えてんだよ!!?もしかしてヤりすぎて勃たなくなっちゃったのかよ!?」
そんな失礼なことを真剣に言うから驚かされる。
跡部は呆れたように向日を横目で見た。
このままでは話しが進まないと思ったのか
跡部がパチンと音を鳴らすと、背後から樺地が向日の口を押さえつける。
「ムグ・・・ム・・・・・・ゴゴ・・・・・・・ゥ・・・・・・・・グゴ・・・」
樺地の手から逃れようと必死に暴れる向日を余所に、跡部が話しを続けた。
「女でも出来たか?」
「まぁ・・・・・・・・・そんなトコやな。」
少し考え込んでそう言った忍足にわずかに疑問を感じながらも、跡部はニヤリと笑った。
「どんな女だ?」
「気まぐれな猫みたいな女やな」
「何だ、それは・・・・。」
「自分から擦り寄ってくるくせに、こっちが手を伸ばして触れようとするとサッと逃げていってしまうんや。近付くことすら拒否して、眼で威嚇してくる時もある・・・・・。
ただの人形みたいに感情無い眼でどっかを見とる時もあるな。」
「それって・・・・単に我侭なだけなんじゃ・・・・・?」
思わずそう呟いてしまったのは鳳だった。
思っても口に出すつもりはなかったのだろう。
その顔には『しまった』と書いてあった。
わずかに歯を噛み締め、思わず口に出てしまった言葉を飲み込もうと軽く手を口元に持っていったのが分かった。
だけど、忍足は全く気にもしていないという感じで、口角を挙げると、
バッグを肩からかけそのまま扉の方へと歩き始めた。
まるでその姿は、話をするのも惜しい・・・・
とでも言っているかのようだった。
「今からその女に会うのか?」
忍足は出口の前で立ち止まると肩越しに跡部の方を振り返る。
「さぁな・・・・気まぐれな女やからなぁ。
やけど、さっきの鳳の言葉は不正解や。
なかなかつかめん女やからよう分からんけど・・・・そういうのとは違う気がするわ・・・・」
その時の忍足の表情を見た者、つまり忍足以外のレギュラー達は全員驚愕し、息を呑んだ。
きっと、忍足本人は気付いていないだろう。
だからこそ。
ここまで、忍足を惚れさせている女が恐ろしいと思った。
余程早く帰りたいのだろう。
帰って、来るか来ないかも分からないその女が自分の元へと来るのを待つのだろうか?
とにかく、他のレギュラー部員達の心情など気付きもせずに颯爽と扉を開けた。
「っちゅー訳で俺は帰るわ!しっかりと捕まえとかんと、逃げてしまいそうやからな。」
最後の方は、扉が閉まる音と重なってよく聞き取ることは出来なかったけれど・・・・。
驚愕と困惑に包まれたその空間の中。
『忍足の女』に興味を持った人間が
一人・・・・・・二人・・・・・・。
もちろん他のメンバーも忍足の女に興味が無いことは無いだろう。
けど、今の彼らにはそれよりも、『あの忍足が・・・・』という驚きと戸惑いの方が大きかった。
すでに出会っている忍足の女。
『彼女』と彼らが再び『初めて』出会ったとき・・・・
縺れた糸は、より激しく絡まり始めるだろう。
そして、
それは決して遠くない未来の話・・・・・・
∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽
賑やかしく、懐かしいその道を私はゆっくりと歩いていた。
やはり昼の学校よりも、こちらの方が私に合っている。
何だか安心するのだ。
テニス部の部室で恐ろしい会話がなされていることなど、私が知る由も無く・・・。
私は力を吸収していくかのように軽やかな足取りでその道を歩いていた。
部活終了後、跡部部長たちより早く部室に戻り、早々と帰った私が向かったのは
私のホームとも言える夜のあの賑やかな街だった。
それは、最近毎日のように身体を重ねている忍足先輩がようやく口にした事実に驚かされたからだった。
『あのおっさんなぁ・・・・・・お前が連絡せぇへんからめっちゃ機嫌悪かったで?』
それを聴いた瞬間驚いたけれど。
よくよく考えれば、確かに当たり前の話だ。
私たちはただの『身体を売る女』と『客』ではない。
互いに信頼関係を築いた『友達』のような存在だった。
その友達からの連絡を悉く無視した上に、こちらからは一言の連絡も無いのだ。
これでは捨てられてしまっても文句は言えない。
普通ならすぐにそのことに気付きそうなものだが・・・
やはり最近の私は何処か抜けている。
おそらく・・・
― 『気』が抜けているんだ・・・
微温湯に浸かりすぎたらきっと、もしもの場合に困る。
だから。
私はあの頃の感覚を忘れないように。
いや・・・
それよりも
もしもの場合の保険として。
今日の夜、『友達』と会う約束をした。
まずは、一番依存心が強く、最も修復が難しそうな『忍足の親戚のおじさん』から。
だから・・・
そのために・・・・
私ネオンサインの輝く懐かしい夜の街を今、走り抜けているんだ。